礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20051127
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忍耐と祈り
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は祈りを聞き、祈りに答えてくださる方です。
今も、ここに共におられます。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、まず、聖書をお読みいただきましょう。

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聖書箇所:ヤコブの手紙5章7-16節
・新改訳Up413・新改訳Vp450
・口語訳p364・新共同訳p426・現代訳p416
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では、司会者お願いします。

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5:7こういうわけですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、耐え忍んで待っ
ています。
5:8あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
5:9兄弟たち。互いにつぶやき合ってはいけません。さばかれないためです。見なさい。さばきの主が、戸口のところに立っておられます。
5:10苦難と忍耐については、兄弟たち、主の御名によって語った預言者たちを模範にしなさい。
5:11見なさい。耐え忍んだ人たちは幸いであると、私たちは考えます。あなたがたは、ヨブの忍耐のことを聞いています。また、主が彼になさったことの結末を見
たのです。主は慈愛に富み、あわれみに満ちておられる方だということです。
5:12私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」
を「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。
5:13あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。その人は祈りなさい。喜んでいる人がいますか。その人は賛美しなさい。
5:14あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
5:15信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
5:16ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
聖書箇所:ヤコブの手紙5章7-16節
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はいありがとうございます。
では、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いできますか?
<あんしょう>
では皆さんでいいましょう。

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あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主の来られるのが近いからです。
ヤコブの手紙5章8節
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はい、ありがとうございます。

聖書通読は、旧約はエゼキエル書からダニエル書、新約は、ヤコブ書からペテロの第一の手紙にへと入ります。
旧約聖書の中で、ダニエル書は、非常に読みやすいところでは無いかと思います。
バビロンにいながら、ダニエルは、信仰によって歩み、そして、バビロンの王までが、主を知るものとされていきます。

また、ペテロの手紙、ペテロは皆さんご存知のあのペテロです。
かれは、イエス様に近くあったものとして、主をあかしし、そして、人々に、試練に耐え、主にあるものとして歩むよう勧めます。

このところも是非お読みください。

また、バイブルQは、

旧約:
ツロの君主は心高ぶりなんと言ったと主は言われますか?
新約:
イエス様は十字架の後、どこに着座されましたか?

と言うものでした。

答えは、週報に書いていますが、

旧約:私は神だ。海の真中で神の座に着いている。(エゼキエル書28章2節)
新約:神の御座の右(ヘブル人への手紙12章2節)

です。

ツロの君主は、実際には座っていない神の座にすわっていると言い、その高慢のゆえに滅ぼされました。
しかし、イエス様は、謙り、十字架をもしのんで後、神の右に着座されたのです。

どうぞ、聖書を開いて見てください。

ところで、先日、23日は、延期になっていましたバーベキューをすることが出来ました。
多くの方がご参加くださり、本当にありがとうございました。
総勢二十数人があつまり、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。
受付のところに写真があります。写真の下にでも、名前を書いてもらえば、印刷しますので、御申し出下さい。
それと、CDがあります。もし、必要な方は貸し出しますのでどうぞ。

受付には、12月の通読表と、祈りのカードがあります。
こちらも、わすれずにお持ち帰りください。

さて、では、先ほどお読みいただいたところから、
忍耐と祈りと題しまして、御言葉を見てまいりたいと思います。

忍耐というと、皆さんどんな御言葉を思い出されるでしょうか?
新約聖書の中では、38の節で、この忍耐と言う言葉が使われています。

ローマ人への手紙が9節
黙示録が7節
ヘブル人への手紙と、ヤコブの手紙が4節と言うところが多いほうです。

この忍耐ですが、ヘブル人への手紙10章36節にはこうかいてあります。

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あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
ヘブル人への手紙10章36節
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ここで、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐だと書いています。

同じヘブル人への手紙で、

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こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。
ヘブル人への手紙6章15節
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と、書いてあります。
つまり、アブラハムも、忍耐して、約束のものを手に入れたのです。

ですから、祈りにおいて、一つの大事なことは、忍耐です。

私たちは、神様に祈ります。
あのこと、このこと、いろんな事を神様に祈ります。
しかし、多くの場合、私たちは、途中で祈る事をやめてしまうのです。

ひとつ、ご提案があります。
それは、祈りのリストをt来ることです。
お一人お一人の祈りのリストです。
別に見せていただかなくてもかまいません。
皆さん御一人お一人が、毎日の祈りの時間に、それを見て祈るための祈りのリストです。

すでに作っておられる方はそれでいいですが、そうでないなら、是非、祈りのリストを作ってお祈りしてください。
毎日毎日同じ事を祈る繰り返しのようかも知れません。
心のこもらない日もあるかもしれません。
しかし、皆さんが毎日毎日祈るとき、皆さんの唇に、そして、心に、その祈りの言葉は、刻まれます。

その祈りは、私たち一人一人の中に、刻まれていきます。
そして、それは、実現へと導かれるのです。

ある人は、神様との交わりである祈りと言う事を、事務的な事柄にするのを嫌われます。
しかし、例え事務的であっても、私たちが毎日祈る、そのことは、私たちと神様との関係を築きます。

そして、そのことが、信仰を成長させ、最後には、祈りの結果を見るのです。

ここで、癒しの祈りについても書かれています。

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14あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
15信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
16ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表わし、互いのために祈りなさい。いやされるためです。義人の祈りは働くと、大きな力があります。
ヤコブの手紙5章14-16節
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癒しの為に祈るときも、なかなか結果を見ないと感じるかも知れません。
しかし、私たちは祈りましょう。
ある方は、神学生の時に、病にかかりました。祈ったのですが癒されません。
そして、たくさんの人が彼の為に祈りました。
なかなか癒されませんでしたが、彼はそのことで、癒しそのものよりも、人々から愛されると言う事を受けたのです。
彼は、人からの愛をあまり感じていない人でした。しかし、人々が彼の為に祈ったとき、彼は愛を知ったのです。
主が、私たちの祈りをどのように用いられるか、私たちには分かりません。
しかし、私たちが祈るとき、主はその人に良い事をしてくださるのです。

さて、聖書の中で、オリーブ油を塗って祈ることが書いてあるのは、ここだけです。
しかし、イエス様は、よきサマリヤ人の例えの中で、こういわれました。

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近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。
ルカの福音書10章34節
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ここで、当時、オリーブ油が、治療の為に用いられていたらしいことがわかります。
でも、ここを見るとき、これが、オリーブ油と、ぶどう酒であることに注目してください。

わたしたちにとって、ぶどう酒はイエス様の血潮を象徴するものです。
そして、油は聖霊様です。

私たちが癒しの為に祈るとき、イエス様の血潮の覆いと、聖霊様の注ぎがあるようにと祈る。
これは、その事をあらわしています。

そして、その聖霊様の象徴として、私たちは、オリーブ油をもちいます。
何の油でも良いといわれる方もあります。
中には、機械用の油を塗って祈ったという証もあります。
要は信仰の問題だから、油などいらないと、言われる方もあるのですが、
聖書が、オリーブ油を塗って祈るように教えている事を忘れないで下さい。

私たちの信仰を励ます為に、主はこのことを、教えてくださっておられるのです。
イエスさまが、盲人の目に泥を塗って癒しをされた。
それは、その盲人の信仰を励ます為でした。
私たちも、癒しの為に祈るとき、その信仰が励まされる必要のある場合があります。
ですから、御言葉の前に謙りましょう。
時には、油を用いて祈りましょう。
しかし、油がなくても、信仰をもって、お祈りしましょう。

もし、祈りの為に、オリーブ油を用いようと思う方は、教会にもありますので、使ってくださって結構です。
ただ、なるべく、食用に使わないようにしてください。
ま、冗談は置いておきまして。

主の前に謙ると言うことからすれば、5章の12節もそうです。

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私の兄弟たちよ。何よりもまず、誓わないようにしなさい。天をさしても地をさしても、そのほかの何をさしてもです。ただ、「はい。」を「はい。」、「いいえ。」を
「いいえ。」としなさい。それは、あなたがたが、さばきに会わないためです。
ヤコブの手紙5章12節
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これも、結局のところ、主の前に謙った態度です。
主に対して、何かを誓うとかでなく、逆に、主の語りかけにたいして、「はい」と答える事を主は望んでおられます。

しかし、もう一つ言うなら、
御言葉を通して主が何かをおめいじになるとき、わたしたちは、時に、ああだこうだと従わない理由を考えようとする場合がないでしょうか?

そのとき、わたしたちは、「はい」は「はい」「いいえ」は「いいえ」と答えましょう。
ここで主が、「はい」は「はい」「いいえ」は「いいえ」だと言われた、必ず「はい」だとはいっておられないことも見てください。

従わない事を容認しておられる?
そうではありません。
あなたがどう答えようと、主はあなたの心をご存知です。
ですから、あなたの心のまま、正直に答えることが大切なのです。

ただし、これは、神様と私たちの関係です。

人と人の場合は少し違います。
なぜなら、私たちは、互いに不完全で、赦し、赦される必要のあるもの、また、互いに、ケアを必要とするものだからです。

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悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
エペソ人への手紙4章9節
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私たちは、人の徳を高める言葉を話しましょう。

さて、私たちが、忍耐をする根拠はなんでしょう。
前にもお話しました。
それは、約束です。

聖書は何が書いてある本ですか?
これは、約束の本です。

ここには、主が来られると言うやくそく、そして、主が再び来られると言う約束。
また、イエス様が私たちの罪の身代わりに十字架で死んで蘇られた。
と言う事を信じるものが天国に入れられるという約束が書かれています。
また、様々な祝福の約束がここにはかかれています。

これらの約束に従って、私たちは、忍耐するのです。
ですから、私たちのしていることは、結果のどうなるか分からない難行や苦行ではありません。

私たちの忍耐は、約束された祝福への道なのです。

この道を共に進みましょう。
キリストを見つめ、聖書の約束を堅く握って。
共に歩んで行きましょう。

お祈りします。



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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