礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20051120
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信仰によって
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます
聖なる聖なる聖なる主を称えます。


さて、いつものように聖書をお読み戴きましょう。

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聖書箇所:ヘブル人への手紙11章17-32節
・新改訳Up402・新改訳Vp439
・口語訳p355・新共同訳p415・現代訳p406
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では、司会者お願いします。

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11:17信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
11:18神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる。」と言われたのですが、
11:19彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。
11:20信仰によって、イサクは未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。
11:21信仰によって、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。
11:22信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。
11:23信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。
11:24信仰によって、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、
11:25はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
11:26彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです。
11:27信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。
11:28信仰によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行ないました。
11:29信仰によって、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。エジプト人は、同じようにしようとしましたが、のみこまれてしまいました。
11:30信仰によって、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。
11:31信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。
11:32これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すならば、時が足りないでしょう。
ヘブル人への手紙11章17-32節

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はいありがとうございます。
では、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いできますか?
<あんしょう>
では皆さんでいいましょう。

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信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。
ヘブル人への手紙11章17節
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では、このところから、信仰によってと題しまして御言葉を見てまいりたいと思います。

聖書通読は、旧約はエゼキエル書新約はヘブル人への手紙からヤコブの手紙へと入って参ります。
このヤコブは、アブラハムの子、イサクの子のヤコブ。イスラエル部族の祖であるヤコブとは違いますのでご注意ください。
では、誰なのか、それは、読んでくださればと思います。
皆さん共に主の御言葉を聞いてまいりましょう。

また、バイブルQは、

旧約
エゼキエルが幻を見た場所はどこですか?
新約
アロンは誰によって召されましたか?

でしたが、答えは、週報に書きましたように、

旧約:ケバル川のほとり(エゼキエル書1章1節)
新約:神(ヘブル人への手紙5章4節)

です。このことも聖書でご確認ください。

さて、御言葉に入って参りたいと思いますが、今回の御言葉は、11章のはじめから続く文脈の中にあります。
それで、最初の方を見てみたいと思います。

ヘブル人への手紙11章1-3節にはこうかいてあります。

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1信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
2昔の人々はこの信仰によって称賛されました。
3信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。
ヘブル人への手紙11章1-3節
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先ほどお読みいただいた、今日の聖書箇所は、この続きだと言う事をしっておいてください。

この11章から始まって、このような名前が続きます。

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アベル、エノク、ノア、アブラハム、イサク、サラ、ヤコブ、ヨセフ
モーセ、ラハブ、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、サムエル
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16人いるんですが、全部だれかわかりますか?
何をした人でしょう

聖書を見るとわかりますが、アベルからヨセフは、創世記に出てきます。
モーセは出エジプト記
ラハブはヨシュア記
キデオン、バラク、サムソン、エフタは士師記
ダビデ、サムエルはサムエル記です。

これ以外の人も、ここには出てきています。
預言者や、聖徒たち、そして、モーセの両親

このような人たちは、それぞれ、信仰によって歩んだのだと書いてあります。
しかし、その中で、今回注目したいのは、モーセの両親です。

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信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした。
ヘブル人への手紙11章23節
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ここで、モーセの両親が、モーセを守った理由が書いてあります。それは、その子の美しいのを見たから、だから、彼らは王の命令を恐れず、
三ヶ月の間隠されていたのです。
そして、その事を聖書は、信仰によるといっているのです。

この可愛い子を守りたいという、それだけが、理由であったのではないと思います。
しかし、聖書に書かれているのはこうです。

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さて、レビの家のひとりの人がレビ人の娘をめとった。
女はみごもって、男の子を産んだが、そのかわいいのを見て、三か月の間その子を隠しておいた。
出エジプト記2章1-2節
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このことを、ヘブル人への手紙の著者は、信仰によるというのです。

もう一人注目したい人がいます。

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信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。
ヘブル人への手紙11章11節
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ここでは、サラという女性が出てきます。
これは誰ですか?
この女性は、アブラハムの妻です。
創世記の18章を見て見ましょう。
18章9-15節

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9彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます。」と答えた。
10するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
11アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
12それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
13そこで、主がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。
14主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
15サラは「私は笑いませんでした。」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」
創世記18章9-15節
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ここで、彼女が笑ったことが、笑うと言う意味の言葉に由来するイサクという名前になるのですが、サラは、ここで確かに笑いました。
しかし、主は、100歳と90歳の夫婦に子どもをお与えになったのです。

ここで、サラは、主から語られたとき、直ぐに、その事を信じたのではありませんでした。
しかし、ここで、主は、言われました。
サラはなぜ「私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。」と言って笑うのか。主に不可能なことがあろうか。
これを聞いたサラは、私は笑いませんでした。といいます。
それは、恐ろしかったからです。
しかし、さらに主は、「いや、確かにあなたは笑った。」
と、言われました。
このことから、サラの心に、主への恐れ、そして、主への信仰が産まれたのです。

そして、サラは、その通りに、イサクを生みました。

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1主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。
2サラはみごもり、そして神がアブラハムに言われたその時期に、年老いたアブラハムに男の子を産んだ。
3アブラハムは、自分に生まれた子、サラが自分に産んだ子をイサクと名づけた。
4そしてアブラハムは、神が彼に命じられたとおり、八日目になった自分の子イサクに割礼を施した。
5アブラハムは、その子イサクが生まれたときは百歳であった。
6サラは言った。「神は私を笑われました。聞く者はみな、私に向かって笑うでしょう。」
7また彼女は言った。「だれがアブラハムに、『サラが子どもに乳を飲ませる。』と告げたでしょう。ところが私は、あの年寄りに子を産みました。」
創世記21章
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そのとき、最初の不信仰の笑いは、喜びと感謝の笑いへと変わったのです。

先ほどのモーセの両親もそうです。

彼らは、イスラエルの民として、エジプトの迫害に苦しみ、そして、救いを待ち望んでいました。
しかし、彼らが、この子を守ったのは、その子が可愛いからでした。

私たちは、見ないで信じる事を、立派な信仰だと思います。
そのとおりです。
イエス様も言われました。

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イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
ヨハネの福音書20章29節
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見ずに信じるものは幸いです。
そして、神の信仰とは、目に見えないものを呼び出す信仰です。

しかし、そのような信仰はどこから始まるのですか?

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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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聖書の中に書かれている、イエス様についての御言葉。
全世界を造られた神様がおられ、
この方が、自分自身の罪によって滅んでいく私達を哀れんで、
私達に御子イエス様を与えて下さった事。
イエスさまが私たちの罪の身代わりになって、十字架にかかって死んでくださったこと。
そして、三日目に、蘇り、死の力、悪魔の力を打ち砕かれた事。

これが、キリストについての御言葉です。
そして、これが、いまや信仰の基礎なのです。

皆さん、あなたの罪の身代わりにイエスさまが死んで下さった。
このことを信じておられますね?
イエスさまが蘇られた事を信じていますね。

しかし、イエス様の蘇りを信じなかった人がいます。
例えば、一番有名なのはトマスです。

ちょうど、今、引用した箇所の周辺です。

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27それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。」
28トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
29イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」
30この書には書かれていないが、まだほかの多くのしるしをも、イエスは弟子たちの前で行なわれた。
ヨハネの福音書20章27-30節
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ここで、トマスの信仰を、主は励ましてくださったのです。

主は、私たちの信仰を励まし、導いてくださる方です。
それぞれの人々の歩みを主は励まし助け、導いてくださいました。

アブラハムでさえ、その信仰をまっとうしていく上で、たくさんの主の励ましがありました。
主は、皆さんの信仰を励ましてくださる方です。
ですから、私たちは、本当に主により頼みましょう。
主の御言葉を読み、祈る、それは、主により頼むことです。

ヘブル人への手紙12章はこう続きます。

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1こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
2信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章1-2節
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ここで、この信仰のレースを走りぬく事が書いてあります。
それには、忍耐が必要です。
私たちが忍耐を持って歩む為に、私達に必要なこと、それは、イエス様から目を離さないことです。
あなたは、自分に信仰が足らないと思うときがあるかもしれない。
トマスのように感じることもあるかもしれない。
しかし、イエス様から目を離さないでいましょう。
主が私たちの信仰を励まし、成長させてくださいます。

イエス様に、目を留めましょう。
イエス様は、律法を全うし、信仰を完成された方です。

では、お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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