礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20051023
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召しにふさわしい者
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
主は私たちを召し、いつも共にいて導き、召しにふさわしいものとしてくださる方です。
この方を覚えつつ、御言葉を聞いてまいりましょう。

では、いつものように、本日の聖書箇所をお読み頂きたいと思います。
本日の聖書箇所は

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聖書箇所:テサロニケ人への手紙第二1章1-12節
・新改訳Up369・新改訳Vp402
・口語訳p324・新共同訳p380・現代訳p373
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です。司会者お願いします。

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1:1パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神および主イエス・キリストにあるテサロニケ人の教会へ。
1:2父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:3兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。
1:4それゆえ私たちは、神の諸教会の間で、あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。
1:5このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。
1:6つまり、あなたがたを苦しめる者には、報いとして苦しみを与え、
1:7苦しめられているあなたがたには、私たちとともに、報いとして安息を与えてくださることは、神にとって正しいことなのです。そのことは、主イエスが、炎の中に、力ある御使いたちを従えて天から現われるときに起こります。
1:8そのとき主は、神を知らない人々や、私たちの主イエスの福音に従わない人々に報復されます。
1:9そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
1:10その日に、主イエスは来られて、ご自分の聖徒たちによって栄光を受け、信じたすべての者の――そうです。あなたがたに対する私たちの証言は、信じられたのです。――感嘆の的となられます。
1:11そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。
1:12それは、私たちの神であり主であるイエス・キリストの恵みによって、主イエスの御名があなたがたの間であがめられ、あなたがたも主にあって栄光を受けるためです。
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はい、ありがとうございます。
では、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんでお願いします。

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主題聖句:
どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。
テサロニケ人への手紙第二1章11節
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では、このところから、召しにふさわしい者と題しまして御言葉を見てまいりたいと思います。

聖書通読は、旧約聖書はエレミヤ書、新約聖書はテサロニケ人への第一、第二の手紙から、テモテへの手紙に入ります。
特に、テモテへの手紙は、教会のリーダーに宛てた手紙と考えてもよいのですが、
今、皆さんは、お一人お一人が、この一パーセントしかクリスチャンのいない日本で、宣教の働きを担うリーダーです。
そう考えていただくと、この手紙を、自分に宛てて書かれた物と読んでいただいていいのではないでしょうか?

皆さん、共に聖書を読みましょう。

さて、今回のこのテサロニケですが、場所を確認しておきましょう。
昨年、オリンピックの開かれた場所を覚えておられるでしょうか?
そう、アテネですね。
ギリシャ共和国のアテネが2004年のオリンピックの開催地でした。
そのアテネはギリシャの首都ですが、ギリシャの第二の都市とされるのが、このテサロニケです。
まあ、日本で言えば、大阪といったところでしょうか?
現在、このまちは、テッサロニキと呼ばれていますが、ギリシャ文明を考える上で、はずすことの出来ない町です。
「全マケドニアの母」とも言われる都市でもあり、パウロの宣教した当時で12万人の都市だったようです。
アレキサンダー大王ともゆかりのある町とされますし、この名前も、そのアレキサンダー大王の異母の妹の名前からつけたといわれます。
場所が、このように、トルコに近いことから、文化的にはトルコの影響が大きいと言われます。

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テサロニケ:テッサロニキ当時のマケドニアの中心地現在、ギリシャ第二の都市
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さて、そのような話は、横においておきまして、このテサロニケにパウロは伝道します。

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1彼らはアムピポリスとアポロニヤを通って、テサロニケへ行った。そこには、ユダヤ人の会堂があった。
2パウロはいつもしているように、会堂にはいって行って、三つの安息日にわたり、聖書に基づいて彼らと論じた。
3そして、キリストは苦しみを受け、死者の中からよみがえらなければならないことを説明し、また論証して、「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです。」と言った。
4彼らのうちの幾人かはよくわかって、パウロとシラスに従った。またほかに、神を敬うギリシヤ人が大ぜいおり、貴婦人たちも少なくなかった。
使徒の働き17章1−4節
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このテサロニケへのパウロの伝道の結果、大勢ギリシャ人が救われたと書かれています。
この救われたテサロニケの人々へ、パウロの書いた二つの手紙が、聖書の中に残されています。
この二つの手紙は、おそらく、同じ頃に続けて書かれたのではないかと言われていますが、このテサロニケの手紙の内容は、世の終わりに向けて教えられている手紙といえます。

パウロの手紙の多くは、そのキリスト教信仰の根幹である、イエスキリストの十字架での死と復活、そして、その事を信じる信仰について語られているのですが、この手紙では、そのことを押さえた上で、その事を信じる私たちが、世の終わりに向けて、どのような心構えでいるべきなのかを教えています。

そういういみで、一歩進んだ手紙と考えてもいいかもしれません。
はっきりとした、信仰生活を送るもの達に、死んだものについてどう考えるのか、また、世の終わりにはどうなるのか、そして、主の再臨を待つものとして、どのように生活するべきなのかを、パウロはこの手紙の中で語っています。

とくに、今回のところは、主題聖句にあるように、

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どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。
テサロニケ人への手紙第二1章11節
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と、書かれています。
召しにふさわしいものとして、信じた者たちが、整えられていくようにとの祈りをこめて、この手紙が書かれているのです。
そういう意味もあり、この手紙は、最初の挨拶や祈りに続いて、次の2つのことが書かれているともいえます。

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・終末の教え(2:1‐12)
・気ままな者への戒め(3:6‐15)
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まず、大事なこととしては、世の終わりについての教えがあります。
ここで、パウロは、世の終わりがどのように来るのかを教え、そのことにより、心を騒がせたり、落ち着きをなくしたりしないようにと教えています。
新興宗教などの中には、世の中の終わりが直ぐに来るからと、半ばおどしのように教えて、そのことにより、人々を駆り立て、あげくの果てに、多くのお金をだましとろうとするものもあります。
キリスト教の中にも、それに近いことがあり、問題になることもあります。お隣の八幡で起った事件なども、その一例かも知れません。
しかし、パウロは、ここで、そのようなことで心を騒がせるのでなく。
福音に堅く立って歩むようにと教えているのです。

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14ですから神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光を得させてくださったのです。15そこで、兄弟たち。堅く立って、私たちのことば、または手紙によって教えられた言い伝えを守りなさい。16どうか、私たちの主イエス・キリストであり、私たちの父なる神である方、すなわち、私たちを愛し、恵みによって永遠の
慰めとすばらしい望みとを与えてくださった方ご自身が、17あらゆる良いわざとことばとに進むよう、あなたがたの心を慰め、強めてくださいますように。
テサロニケ人への手紙第二2章14-17節
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そして、この世の終わりにが直ぐに来ると考えて、うき足だったり、いい加減な生活になってしまうことの無いようにとパウロは教えます。

このテサロニケの手紙第二の中で、今回選んだ1章の11節を見ますと、

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どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。
テサロニケ人への手紙第二1章11節
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主が、私たちを、お召しにふさわしいものとしてくださるようにとパウロは祈っています。
ここで、このみ言葉をよく見てみたいのですが、神が、私たちを召しにふさわしいものとして下さる。
そして、神が、御力によって、、、と続くわけです。

パウロは、コリント人への手紙第一でこのように言っています。

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私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
コリント人への手紙第一3章6節
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私たちを成長させて下さるのは、神です。
キリスト教信仰は、このことを忘れては決して成り立ちません。
なぜならイエス様はこういわれました。

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わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章4-5節
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私たちは、ただ、主に結びついて成長するのです。
あなたは、このこと、あのことが出来ていないと考えるかもしれません。
でも、あなたがどんなに努力しても、召しにふさわしいものとなることはできません。
私たちを召しにふさわしくするのは、何か?それは、私たちが、イエス様に結びついていることです。

その為に、私達に必要なのは、なんでしょう。
その為に一番大切なのは、祈りと御言葉です。
毎日聖書を読んで祈ること、それが、私たちを成長させるのです。
もう一度主題聖句に戻りたいと思いますが、

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どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全うしてくださいますように。
テサロニケ人への手紙第二1章11節
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ここで、パウロは、善を慕うあらゆる願いと信仰の働きを全うしてくださるように、と祈ります。

まず、信仰の働きですが、私たちの中に信仰を起こさせるもの、それは、御言葉です。
御言葉が、祈りの中で、確信、確かな信仰となるのです。

そして、その前に、善を慕うあらゆる願いとあります。
ここをよんで、皆さんはどうお感じになられるでしょうか?

善をしたう。

私たちは、善を慕っているでしょうか?
私たちの願いが、善であるかどうか、これは、祈る上で大切なことです。

時に、私たちは、悪をも求めてしまうかもしれません。
悪というと、言い過ぎかも知れませんが、私たちが、物欲などによって、祈り、求めることもあるわけです。
そして、そのようなことさえ、時に、主は、聞いて、祈りに答えてくださるかたです。
しかし、ヤコブの手紙にこう書いてあります。

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願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
ヤコブの手紙4章3節
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ここで、書かれているように、祈りが聞かれない時、その理由の一つに動機がわるい事があります。
逆に、私たちの動機が正しい時、主は、すみやかに祈りに答えてくださいます。

そこで、私たちの善をしたう願いが大切なのです。
しかし、そのこともまた、御力によります。

わたしたちが、しっかりと主に結びついていて初めて、私たちは、善を慕い、召しにふさわしく歩むことが出来るわけです。

パウロは、この箇所で、召しにふさわしいものがどう歩むべきか、具体的に多く書いていません。
しかし、このことが書かれています。
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兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。
テサロニケ人への手紙第二1章3節
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信仰が成長し、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっている。
これが、私たちの召しにふさわしい姿です。

いつもいつも語ることですが、イエス様は、互いに愛し合いなさいといわれました。

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あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
ヨハネの福音書13章34-35節
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そのことが、私たちが主の弟子であることをあらわすのです。
行いの立派さ、生活の立派さ色々なことがあります。
しかし、なによりも、私たちを主の弟子とするのは、互いに愛し合うこと、そして、その為に私達に必要なのは、
しっかりと主に結びついていることです。

主が、私たちにをそのように導いてくださるように、お祈りしましょう。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。・枚方市の子ども達の為に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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