礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20051002
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本当の自由
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主イエス様は、私たちの身代わりに十字架に架かり、死んで蘇り、天に上げられた方。
私たちを、罪から解放し、自由を与えてくださった方です。
今日も、この方を覚え、主の御名を崇めつつ、御言葉を聞いて参りたいと思います。

さて、今日は、「イスラエルの為に祈る日」となっております。

先月、ブリジスフォーピースの石堂先生に来ていただいたとき、今のイスラエル問題の最先端として、ガザ撤退に関する事を語って戴きました。
これに関連して、次の5つのことが祈りの課題として挙げられていました。

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イスラエルの為の祈りの課題
・イスラエル政府内の混乱の上に主の支配があるように。
・イスラエル全土がテロから守られるように。
・ガザ地区の今後に主の支配があるように。
・撤退家族の今後の為に。
・現地イスラエル人・パレスチナ人の救い、キリストにある両者の和解の為に。
・ブリジス・フォー・ピース(BFP)の働きの為に。
・スティーブンス栄子先生の関西での講演に祝福と守りがあるように。
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また、今日からBFPのスティーブンス栄子先生が、来日しておられ、この関西を講演で回っておられます。
いつか、ここにも来て頂ければと考えていますが、この講演を通じて、イスラエルの為に祈り、捧げる教会が増えるように祈りましょう。

今、御言葉の前に、しばらく、これらの事の為にお祈りしましょう。

<いのり>

皆さん、どうか、これらのことの為に、続けてお祈りください。
では、御言葉に戻りたいと思います。
本日の御言葉をお読み戴きましょう。
本日の御言葉は、ガラテヤ人への手紙5章1-9節です。
司会者お読み下さい。

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聖書箇所のテキスト
5:1キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。
5:2よく聞いてください。このパウロがあなたがたに言います。もし、あなたがたが割礼を受けるなら、キリストは、あなたがたにとって、何の益もないのです。
5:3割礼を受けるすべての人に、私は再びあかしします。その人は律法の全体を行なう義務があります。
5:4律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
5:5私たちは、信仰により、御霊によって、義をいただく望みを熱心に抱いているのです。
5:6キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。
5:7あなたがたはよく走っていたのに、だれがあなたがたを妨げて、真理に従わなくさせたのですか。
5:8そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。
5:9わずかのパン種が、こねた粉の全体を発酵させるのです。
ガラテヤ人への手紙5章1-9節
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では、いつものように、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いします。

<あんしょう>

はい、ありがとうございます。
では、皆さんで言いましょう。

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キリストは自由を得させる為に私たちを解放してくださいました。
ガラテヤ人への手紙5章1節
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では、今日はこのところから、「本当の自由」と題しまして、御言葉を共に見てまいりたいと思います。

聖書の箇所は、ガラテヤ人への手紙に入って参りました。
ガラテヤ人への手紙は、聖書の中で、非常に大切なところです。
聖書の中で、一箇所だけ読むならどこがいいですかと聞かれたら、私ならガラテヤ人への手紙をお勧めします。
なぜなら、この中に、信仰と言う事柄が非常にわかりやすく書かれているからです。
そのガラテヤ人への手紙の冒頭でパウロが語るのは、ガラテヤの人々が、他の福音に移っていこうとしているということです。


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6私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
7ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
ガラテヤ人への手紙1章6-7節
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そして、それは、偽りの福音である事を語り、最終的に、本当の福音とはなんなのかを、パウロは伝えようとしているのです。

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しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいな
いからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節
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律法の行いによっては、義と認められない。キリスト・イエスを信じる信仰によって、義と認められる。
という、このことに反する教えを教える者たちがいて、ガラテヤの人々そのことから離れてしまおうとしていたのです。

そこでパウロは、こういいます。

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私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。
ガラテヤ人への手紙2章21節
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もし、人が、行いによって救われるなら、キリストが死んでくださったことは意味の無いことだとパウロはいいます。

今回の聖書箇所にもこう書いてあります。

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律法によって義と認められようとしているあなたがたは、キリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
ガラテヤ人への手紙5章4節
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律法によっては義とされない。では、私たちが義とされる為に必要なのは何でしょうか?

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キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、愛によって働く信仰だけが大事なのです。
ガラテヤ人への手紙5章6節
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パウロはこのところで、愛によって働く信仰だけが大事だといいます。
私たちは、信仰によって、義とされました。
行いによるのではなく、ただ、キリストイエスを信じる信仰によって、義とされているのです。
教会に集うものが、決して忘れてはならない事です。
そんなことは、当たり前です。と、言われるかもしれない。
しかし、人は、この事をしばしば忘れて、何か、自分の行いで、自分を守らなければならないかのように感じるのです。

それは、なぜでしょう。それこそが、私たちの罪の性質だからです。自分を自分で義としようとする。それが罪の性質です。
また、それは、私たちを、本当の福音から引き離そうとするサタンが働いてくるからです。

私たちは、恵みによって、生かされています。
しかし、悪魔は、そのことを、疑わせ、そして、神様の恵みと愛を疑わせ、そして、結局私たちを捉えて神様から引き離そうとしてるのです。

その一番良く分かるのが、エデンの園での出来事です。
エデンの園で、アダムとエバは、何不自由なく暮らしていました。
それは、彼らの努力ではありません。ただ、恵みによったのです。

「そんな、恵み恵みってばかばかしい」

と、思いますか?
しかし、よく、考えてみてください。
わたしたちは、誰一人、自分の努力で存在するようになった人はいないのです。
気がついたら、私たちはいたのです。
自分が自分であることすらわからないときに、私たちは自分の手によらないで作られ、そして、生まれてきたのです。
誰も自分の体を組み立てた人はいません。
私は、生まれてくる時に、この自分の手を組み立てるのに苦労しました。なんて話はありません。
神様が、私たちを一方的に作り、命を与えてくださった。これこそ、恵みです。
私たちの持っている、私たちの与えられている命こそ、本当に恵みです。
私たちは、恵みによって、存在しているのです。

エデンの園のアダムとエバは、恵みによって存在していました。
ところが、サタンの誘惑により、自分たちを愛し、生かしてくださっている神様の愛を疑うようになりました。
だから、神様が食べると死ぬと言われたものを、悪魔が食べても死なないと真っ向から反対の事をいったときに、悪魔の言う事をきいてしまったのです。

エバは、どのように誘惑されましたか?
悪魔はいいました。
「園のどの木からも取って食べてはならないと言われたのですか?」
神様は、どの木からも食べてよい、しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。

エバが、そして、アダムが生きていくために、十分に神様は与えてくださっておられました。
そこにあるほぼ全てのものが、アダムとエバにとって、自由だったのです。
それなのに、たった一つ、食べることが出来ない木の実のことで、エバは、そして、アダムも、不満を感じました。
そして、その為に、かれらは、ついに、この木の実を食べてしまったのです。

神様が私たちをつくり、私達に命をあたえ、私達に必要なものを与えて、いま、生かしてくださっておられるのなら、
わたしたちは、今の状況に、不満を抱いてよいでしょうか?

しかし、わたしたちは、目に見えるところに不満をいだきます。
そして、それは、私たちを縛るのです。
なんとかして、わたしたちは、その不満から抜け出そうとします。
そのために、エバがしたのはなんですか?
神様の食べるなと言われたものを食べました。

神様は、ただ、恵みによって私たちを救ってくださいました。
そのことから、私たちを引き離そうとするものはなんでしょうか?

本当は、神の恵みとは、イエス様を信じてから私達に与えられるようになったものではありません。
何度もいいますが、私たちの存在そのものが、神の恵みなのです。
私たちは、恵みによって作られ、生かされ、しかし、罪をおかし、神様から離れ、罪のとりこ、悪魔のとりことなっていた、
その私たちを悪魔から解放し、神様との関係をとりもどすために、イエス様は、十字架で死んでくださったのです。

聖書の中で、義とはなんですか?
それは、悪い事をしていないとか、どっちが正しいかとかそういう事ではありません。
聖書の中で、義とは、神様と結びついていることです。

どんなに、そのひとの行いが正しく見えても、その人が神様から離れていては、義ではありません。
その人が、正しい行いをしていても、心が神様と争っているなら、それは義ではありません。
だから、私達に必要なのは何か?それは、神様の愛を信じる信仰なのです。

私たちは、何を根拠に神様の愛を信じますか?
それは、私たちの事を愛し、御子を与えてくださり、その神の御子が、私たちの身代わりに死んでくださった。
このことに、神の愛を信じるのです。
ですから、今日も聖餐式がありますが、イエス様の流された血、裂かれた身体を頂くのは、それは、私たちの為に死んでくださったイエス様の愛を確認することです。
自分の血を流し、体を裂かれたイエス様の愛を確認し、それを覚え、そして、それを告げ知らせるものとなる。
そのことが聖餐式の意味です。

「本当の自由」と言うのがタイトルだったのですが、
自由、それは、なんでしょう。
好きなことが出来ること?
タバコをすっている中学生や高校生に、タバコはやめたほうがいいよ、というと、彼らはいいます。
そんなこと、自由や。

自由とは、それを自分の意思でどうにでも出来ることです。
ところが、タバコをすっているひとは、やめるという自由を持っていません。
実は、タバコに束縛され、奴隷になっている場合があります。

わたしも、20歳の頃、非常によく酒をのみました。
タバコも一日に40本くらい吸いました。
とうとう肝臓を悪くしましたが、それでもやめられませんでした。
どうしようと自分の自由だ、と、考えたりもしました。
しかし、酒がやめれないことそのものが、すでに自由で無い事を感じていました。

あるとき、教会の集会に参加し、そこで、福音を聞きました。
行いではなく、信仰によって救われる。
その事を信じたとき、「もういいよ」という声を聞きました。
不思議ですが、次の日から、私は酒がいらなくなりました。
毎日二箱吸っていたタバコも、同時に、いらなくなりました。

私たちは、信仰によって、救われています。

それは、私たちを自由にするのです。

ある人は、幸せになるために、一生懸命頑張って、あれもこれも手に入れるかも知れない。
しかし、それをしている間、その人は、その事の奴隷です。

神様は、私達に本当の自由を与えてくださるかたです。
しかし、私たちが、本当に自由であるために必要なのは、私たちを愛し、恵みを注いで、いつも支え、養ってくださっておられる、神様に目を留めることです。

あなたは、なにに、捕らわれていますか?
何が無いから、あなたは不満ですか?

でも、あなたを作られた神様は、あなたが、神様に目を向けるなら、最高のものを用意しておられます。
そこに、本当の自由と喜びがあります。

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17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
19また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
エペソ人への手紙1章17-19節
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私たちを自由にするのは、主が私達に与えてくださっておられるものに目をとめ、感謝することです。

私たちの霊の目がひらけ、神様の与えてくださっておられるものがどんなに素晴らしいかを見ることが出来るように祈りましょう。



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・日本の政治が正しく行われるように。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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