礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050911
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よみがえりの希望
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

みなさんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、一度死に蘇られた方、今も生きておられ、天においてとりなし、また、私たちと共に居られる方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いてまいりましょう。

まず、本日の聖書箇所をお読み頂きましょう。
司会者お願いします。

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聖書箇所のテキスト
15:12ところで、キリストは死者の中から復活された、と宣べ伝えられているのなら、どうして、あなたがたの中に、死者の復活はない、と言っている人がいるのですか。
15:13もし、死者の復活がないのなら、キリストも復活されなかったでしょう。
15:14そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
15:15それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
15:16もし、死者がよみがえらないのなら、キリストもよみがえらなかったでしょう。
15:17そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお、自分の罪の中にいるのです。
15:18そうだったら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのです。
15:19もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。
コリント人への手紙第一15章12-19節
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では、続いて、教会学校の皆さん。主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>
では、みなさんでいいましょう。

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主題聖句:
イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
ヨハネの福音書11章25節
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では、今日は、これらのところから、「よみがえりの希望」と題しまして、聖書の言葉を共に見て行きたいと思います。
さて、御言葉は、前回同様、コリント人への第一の手紙です。

通読は、コリント人への手紙第一がもう少しで終わり、コリント人への手紙第二に入っていきます。
旧約の通読は、箴言ですね。
今まで読んでいたヨブ記、詩篇、箴言、伝道者の書などは、ユダヤ教においては、ケスビームと言われ11の書からなります。
これは、律法(トーラー)・預言(ナービーム)・諸書(ケスビーム)の3つに聖書を分ける区分の仕方で、
トーラーはモーセ5書を示しています。
ケスビームは諸書ですが、11の書を含み、
詩篇・ヨブ記・箴言・雅歌・ルツ記・哀歌・伝道の書・エステル記・ダニエル書・エズラ記・ネヘミヤ記・歴代志が含まれます。
その中でも、ヨブ記、箴言、伝道者の書は、知恵文学とも呼ばれます。

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律法(トーラー・モーセ5書)・預言(ナービーム)・諸書(ケスビーム)
ケスビーム・諸書
(詩篇・ヨブ記・箴言・雅歌・ルツ記・哀歌・伝道の書・エステル記・ダニエル書・エズラ記・ネヘミヤ記・歴代志)
知恵文学(ヨブ記、箴言、伝道者の書、および詩篇の一部)
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箴言の中で、
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20知恵は、ちまたで大声で叫び、広場でその声をあげ、
21騒がしい町かどで叫び、町の門の入口で語りかけて言う。
22「わきまえのない者たち。あなたがたは、いつまで、わきまえのないことを好むのか。あざける者は、いつまで、あざけりを楽しみ、愚かな者は、いつまで、知識を憎むのか。
23 わたしの叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ、あなたがたにわたしのことばを知らせよう。
箴言1章20-23節
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と、書かれていますが、私たちは、聖書から本当に、神様の知恵を戴きたいと思います。
聖書を読みましょう。

聖書クイズも載せておりますので、是非、といて見てください。

さて、前回に続き、コリント人への手紙です。
場所は、前に見ましたね。
コリントの町は、ギリシャにあります。
そして、アテネの西に位置しています。
この町は、交易で栄えた町です。
偶像崇拝が盛んで、道徳的に退廃した町でもありました。
しかし、神様は、そのところを愛して下さいました。

いま、この枚方市は、非常に軽犯罪が多いところだと言われます。
そういって、この町はだめだと顔をしかめるかたも居られます。
しかし、イエス様は、この町を愛しておられます。
私たちは、この牧野、枚方、京阪沿線、淀川流域にそった町々、関西、日本の為に祈っています。
私たちと関係のない神様に祈っているのでなく、私たちを愛し、この日本を愛し、この関西を愛しておられる神様に祈っているのです。
その事を覚えて、祈り続けていきましょう。
日本の為に祈るということでは、今日は、衆議院選挙です。
まだ、選挙に行っておられない方、是非、この後、選挙に行きましょう。
この日本の為にいのり、そして、この日本の為に投票したいと思います。
また、ハリケーンの為に被害に会われた方、そして、台風の為に被害に会われた方のためにも祈りましょう。
アメリカを襲ったハリケーン、その直ぐ後、今度は、日本に来た台風、そのあと、竜巻の被害もいわれましたが、異常気象といわれるこの状況が、地球温暖化のせいであったとしても、
そして、それが、私たち人間のせいであったとしても、私たちは、神様に、災いを遠ざけてくださいと祈ることが出来ます。
そして、被害に会われた方々の為に祈ることが出来るのです。
また、私たちは、そのような出来事から、自分自身が悔い改めなければならない事を知るのです。
イエス様は言われました。

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また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
ルカの福音書13章5節
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私たちは、悔い改め、そして、苦しみと悩みの中にある方々の為に祈りましょう。

また、先週は、石堂先生をお迎えして、イスラエルセミナーをして戴きました。
ガザでなにが起っているのか、皆さん良くお分かりいただけたことと思います。
私も、本当に知らなかった事がいろいろありまして、勉強になりました。
イスラエルの為に祈る日も近づいてきましたが、その日に限らず、イスラエルの為に共に祈りたいと思います。

途中ですが、しばらく、この選挙と国政のため、そして、災害の被害者のため、イスラエルの為に祈りたいと思います。

<祈り>

このイスラエルで起っている出来事を見るときに、イスラム教とユダヤ教の対立というものがあります。

一般的には、イスラム教徒ユダヤ教は、同じ一神教だといわれていますが、決してそうではありません。
このことは、よく覚えておいて頂きたいと思うのです。
イスラム教における一神教とは、簡単にたとえると、ギリシャの神々の中で、ゼウスだけを取り上げて、他を祭るのをやめて、この神様だけにしようと言った、そういう一神教です。
そのために、同じ神殿にあったほかの神々を取り除いたのです。

ユダヤ教は、そうではなく、そういったものと全く無関係に、天地万物を創造された神様が啓示によって示されたものです。
そして、この神様は、創造された世界を愛しておられ、創造された人間を愛しておられ、救いの道をお与えになりました。
それが、イエスキリストです。
この方を信じるのがキリスト教ということになります。

何でもいいから、信じていれば、救われると思っておられる方にとっては、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も一緒かも知れません。
しかし、天地万物を造られた本当の神様の存在と、救いという事を考えた時、イエス・キリスト以外にすくいは無いことがわかります。

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この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒の働き4章12節
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そして、このイエスキリストの御名が救われるべき名であるその根拠が、イエス様の蘇り、すなわち、復活にあるのです。
イエス様は、蘇られました。これが、私達にとっての大きなメッセージです。

そして、そこにこそ、私たちの人生に希望があるのです。

イエスさまが蘇られた、その事は、何を示しているでしょうか?

イエスさまが蘇られたそのことは、イエスさまが、十字架で死んでくださったという贖いの御業が、成功した事を意味しています。
イエス様が身代わりに死なれただけなら、この人類の歴史の中で、私があの人の変わりに死にますと、死んだ人々がおられます。
昨日、テレビで、戦後60年を記念したドラマをやっていまして、ゼロ戦にのり、特攻で死んでいった若者たちのことが描かれていました。
ところどころ見たのですが、20歳そこそこで、日本の為に、家族の為にとその若者たちは死んでいきました。
その特攻の是非を今問うことはやめておきまして、その現実の上に、この戦後60年がある事を思い、また、今がある事を思い、そのような人たちの倍も生きてしまった自分を見たときに、生き残った自分、生かされている自分が、この日本の為に何が出来るのかと思いました。
この日本は、戦後60年たち、今、大きな問題の中に置かれています。この日本の為に祈りましょう。

お話をもどしますが、イエスさまが死んでそれだけなら、本当に贖いとなられたかどうか?それはうまく行ったかどうかがわかりません。
まず、その贖いは、イエスさまが完全に罪のない方でないと成し遂げることが出来ません。
しかし、イエス様の復活は、そのイエス様の贖いが完全であったことの証明なのです。

イエス様は、蘇られました。

そして、このイエス様の蘇りは、悪魔に対する勝利の証明でした。
前にもお話しましたが、悪魔の業は、最終的に、私たちを殺すことです。
私たちを死に至らせる。そして、死とは、命の根源である神様から引き離されることです。
しかし、イエス様は、蘇られました。
それは、死という悪魔の牢獄を破壊したということでした。
そして、命の根源である神様と私たちを隔てるものが打ち砕かれたということです。

これが、私たちの信じている、復活と言う希望の根拠です。

ですから、人間が蘇ると言う事を信じないとしたら、私たちの信仰は意味の無いものです。

それどころか、パウロはこういいます。

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15:14そして、キリストが復活されなかったのなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなたがたの信仰も実質のないものになるのです。
15:15それどころか、私たちは神について偽証をした者ということになります。なぜなら、もしもかりに、死者の復活はないとしたら、神はキリストをよみがえらせなかったはずですが、私たちは神がキリストをよみがえらせた、と言って神に逆らう証言をしたからです。
コリント人への手紙第一
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ここで、パウロが言うように、イエスさまが蘇られたと言うそのことに、私たちの信仰の土台があるのです。

皆さん、イエス様は蘇られました。このことを信じていますか?

教会は、道徳的な良いお話を聞くところではありません。
蘇られたイエス様について聞くところです。
そして、私たちも、やがて、同じ復活に預かる事を信じるのです。

これが、私たちの持っている希望です。

イエス様は蘇られました。
私たちは救われました。
これが、本当の希望です。
この希望を述べ伝えるものとさせて戴きましょう。
お祈りしましょう。



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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