礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050828
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本当の勝利
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---
みなさんおはようございます
聖なる聖なる聖なる主を称えます
主は全能なる方、大いなる方、全てに勝利された方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いて参りましょう。
では、早速ですが、本日の聖書箇所をお読み戴きましょう。
本日の聖書箇所は、コリント人への手紙第一6章1-11節です。
司会者お願いします。
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6:1あなたがたの中には、仲間の者と争いを起こしたとき、それを聖徒たちに訴えないで、あえて、正しくない人たちに訴え出るような人がいるのでしょうか。
6:2あなたがたは、聖徒が世界をさばくようになることを知らないのですか。世界があなたがたによってさばかれるはずなのに、あなたがたは、ごく小さな事件さえもさばく力がないのですか。
6:3私たちは御使いをもさばくべき者だ、ということを、知らないのですか。それならこの世のことは、言うまでもないではありませんか。
6:4それなのに、この世のことで争いが起こると、教会のうちでは無視される人たちを裁判官に選ぶのですか。
6:5私はあなたがたをはずかしめるためにこう言っているのです。いったい、あなたがたの中には、兄弟の間の争いを仲裁することのできるような賢い者が、ひとりもいないのですか。
6:6それで、兄弟は兄弟を告訴し、しかもそれを不信者の前でするのですか。
6:7そもそも、互いに訴え合うことが、すでにあなたがたの敗北です。なぜ、むしろ不正をも甘んじて受けないのですか。なぜ、むしろだまされていないのですか。
6:8ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。
6:9あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、
6:10盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。
6:11あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。
コリント人への手紙第一6章1-11節
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では続きまして、主題聖句の暗唱をお願いします。
<あんしょう>
はい、ありがとうございます。
では、皆さんでいいましょう。
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すべてのことがわたしにはゆるされたことです。しかし、すべてがえきになるわけではありません。
コリントじんへのてがみだい一6しょう12せつ
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さて、このところから、「本当の勝利」と題しまして、御言葉を共に見てまいりたいと思います。
<報告>
<祈り>
<キャンプの報告>
では、御言葉に戻りたいと思いますが、新約聖書の通読は、ローマ人への手紙から、コリント人への手紙へと入って参りました。
パウロの、キリスト信仰に対する解説としても、これらは良く分かる内容です。是非お読みください。
また、旧約聖書の通読は、詩篇をもう少しで終えようとしているところですが、今回の通読の中には、聖書の中で一番長い、詩篇119篇もあります。
2日に分けていますので、是非お読み下さい。この箇所は、御言葉を大切にする事を一人の信仰者が祈っているというものです。
さて、メッセージは前回ローマ人への手紙の最後で終わりましたので、通読に遅れて、ようやくコリントに入ります。
このコリントは、ギリシャの町で、アテネの西に位置するのですが、丁度、陸のくびれた部分に位置し、交易で栄えたところでした。
その町は、高さ566メートルのアクロコリントの山すそにあるのですが、この山頂には、アシュタロトとも言われるアフロディト、すなわち愛の女神の神殿がありました。
そのため、偶像礼拝が盛んで、非常に風紀が乱れ、退廃しており、コリントは、不道徳の代名詞ともなっていました。
そのような町に、パウロは福音を述べ伝えたわけですが、そこで救われた人々の中で、起った問題に対して、パウロは手紙を書きました。
その手紙が、このコリント人への手紙です。
背景の説明はその程度にしまして、御言葉は信徒の間に起ったあらそいから書かれています。
その争いは、教会の中で起ったにもかかわらず、それは、一般の裁判に持ち込まれて行ったわけですが、なぜ、そのような事をするのかと、パウロはいいます。
今回のタイトルは、「本当の勝利」ということですが、
本当の勝利とはなにか、ヨハネの手紙を見てみたいと思います。
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なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
ヨハネの手紙第一5章4節
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ここで、ヨハネは、私たちの信仰が勝利だと言っています。
もう少し、前後を見てみましょう。
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1イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです。生んでくださった方を愛する者はだれでも、その方によって生まれた者をも愛します。
2私たちが神を愛してその命令を守るなら、そのことによって、私たちが神の子どもたちを愛していることがわかります。
3神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
4なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。
5世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
ヨハネの手紙第一5章1-5節
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この勝利は、結局のところ、イエス様の勝利につながるのですが、パウロはこういいます。
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54しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
55「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
56死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
57しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。
コリント人への手紙第一15章54-57節
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神は、私たちの主イエス・キリストによって、私達に勝利を与えてくださいました。
この、勝利を受け取るのは信仰です。
ところで、この勝利は、いったい何に対する勝利でしょうか?
この御言葉を見ると、死は勝利にのまれたとかいてあります。
死は勝利にのまれた。
アダムとエバのとき、人は、神の戒めを破りました。
その戒めは、これでした。
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16神である主は、人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。」
創世記2章16-17節
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アダムとエバは、この戒めを破り、そして、死ぬものとなりました。
善悪の知識の木ですが、私たちが善悪を判断する時には、その判断の基準が必要です。
死のとげは罪であり、罪の力は律法であると書いてありますが、私たちが、基準とする律法が、わたしたちの罪を明確にする力をもつのです。
それで、律法は私たちを罪に閉じ込めます。
しかし、この罪の力、死の力にたいして、イエス様は打ち勝たれたのです。
ここで、確認しておきますが、律法が悪いものであることはありません。
しかし、悪魔が、律法を使って私たちを縛ろうとするわけです。
その力を、イエス様は打ち破られました。
それは、死であるところの悪魔の力に対する勝利でした。
聖書の中で、死は、神様から離れた状態を意味します。
それは、霊の死ですが、
その、命の根源である神様から離れた状態は、肉体の滅びをも引き起こします。
そして、私たちを神から引き離す力が、悪魔の力です。
前回もお話しましたが、私たちを神から引き離そうと悪魔は働いてきます。
この悪魔の力に対して、イエス様は勝利されたのです。
そして、この勝利を自分の物とするのは信仰によります。
悪魔は、この死とともに、私たちをのろいの元に閉じ込めました。
それは、病であったり、貧しさであったり、争いであったり、様々なものをもって、私たちを苦しめてきます。
しかし、イエス様はそれらに対する勝利をとられました。
では、問題がなくなるか、そうではありません。
イエス様は言われます。
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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
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ここで、イエス様はご自身の勝利を宣言し、私達に勇敢であるようにと言われます。
私たちは、ここで、主が言われるように、状況によらない信仰をもって、勇敢に歩みましょう。
さて、この勝利は、様々な困難な状況に対する勝利でもあるといえます。
なぜなら、私達に困難な状況をもたらすのは、敵であるサタンの働きだからです。、
しかし、この勝利は、死に対する勝利です。
そして、その死とは、引き裂かれた神様との関係です。
私たちは、この勝利によって、神様との関係をとりもどすのです。
いや、神様は、この勝利によって、悪魔の牢屋に閉じ込められていた私たちを、解放してくださったのです。
救い出してくださったのです。
そして、いま、神様の元に私たちは生かされています。
これこそが、勝利です。
そして、私たちが、しっかりと、神様の愛に生きること、これこそ、勝利にたった人生です。
神を愛し、隣人を愛するという生き方が、まさに、この世に対する勝利であるということです。
この勝利は、神の愛の中で成長します。
愛するということは、難しいことです。しかし、私たちが神様の愛を体験していくなら、私たちを通して、神の愛が流れるようになります。
ですから、私たちは、神の愛もっと知るために、聖書を読み、祈りましょう。
この、神様の愛を覚えて、歩んで参りましょう。
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りの為に。テロリスト達が悔い改める為に)
・台風、地震、津波、事故、テロで犠牲になった方々のため。事故の対策の為に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・夏のキャンプや聖会の感謝。
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