礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050731
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召された聖徒たち
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は私たちを召し、私たちを愛して下さっておられる方です。
この方の愛の中で、御言葉を聞いてまいりましょう。
さて、今週は、聖書通読も、使徒の働きを終えまして、パウロ書簡へと入っていきます。
パウロ書簡は最初は、ローマ人への手紙です。
パウロ書簡における多くの内容は、キリスト信仰についての、パウロの解説です。
このパウロの書いた手紙をよく読むと、非常に、キリスト教とは何なのかがよく分かります。
また、旧約は詩篇です。8月は、旧約の通読は殆ど詩篇です。詩篇は、愛と信仰のエッセンスです。
こちらも是非お読みいただいて、そして、神様と、深いかかわりを持つものとさせていただきましょう。
皆さん。聖書を読みましょう。
クイズは、旧約がヨブ記の最後、新約はパウロ書簡からです。
では、今週の聖書箇所に戻りたいと思います。
今週の聖書箇所は、ローマ人への手紙1章1-10節です。
新改Up265新改Vp289口語p233新共p273
司会者お願いします。
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1:1神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
1:2――この福音は、神がその預言者たちを通して、聖書において前から約束されたもので、
1:3御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、
1:4聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。
1:5このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためなのです。
1:6あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、
1:7ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:8まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
1:10いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
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はいありがとうございます。
では、続きまして、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんでお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんでいいましょう。
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主題聖句:
あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。
ローマ人への手紙1章6節
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では、このところから、
召された聖徒たち
と題しまして、共に、御言葉を開いていきたいと思います。
木曜、金曜と、交野の星の里いわふねに、キャンプに行ってまいりました。
お天気も良く、その前に来ていた台風の増水も殆どなくて、子どもたちにとって、川遊びや、いろいろな楽しいことがいっぱいの、キャンプでした。
また、このあたりの子どもたちも、10人来てくれて、神様についてお話しする、非常に良い機会となりました。
皆さん、お祈りくださり、本当にありがとうございました。
このキャンプは、2つの事を目的にしています。
一つは、子どもたちが、教会という、環境の中で、楽しく遊ぶことが出来ること。
もう一つは、小学生の子どもたちが、聖書の教える神様を知ることが出来ることです。
ただ、最近は、中高生のスタッフとしての訓練の場ということも考えられるようになってきました。
今回も、いろいろと手伝ってくれました。
この目的の二番目の神様を知ると言うことについては、それは、私たちの人間のルーツを知ることでもあるといえます。
祈りのカードにも書きましたが、学校などで一般におしえられている、進化論の考え方からは、人間が原生生物、そして、さるから進化したと言われます。
その背景で、人間の尊厳などを考えることは非常に困難です。そして、その考えは、聖書に照らす時に間違っていることは明らかです。
私たちは、このような機会に、子どもたちに、一人一人が、神様に造られた大切な存在である事を伝えて行きたいと思います。
こんかいは、召された聖徒たちというタイトルですが、
わたしたちは、先に召された者として、この大切な福音をお伝えする務めを持っています。
その事も覚えつつ、今日の御言葉を見てまいりましょう。
先週まで、使徒の働きを見てきました。その中で、パウロ宣教の様子を何週かにわたってみたのですが、こんかいからパウロ書簡です。
パウロの書いた手紙ですが、その最初に置かれているのが、ローマ人への手紙です。
これが、最初に書かれた手紙というわけでは、無いようですが、その内容が非常に重要であることから、手紙の一番はじめにおかれています。
その冒頭のあいさつ文が、今回の聖書箇所です。
ローマ人への手紙のパウロの挨拶は、お互いの、キリストにあるアイデンティーを確認し、そして、その上で、そこから先の話を進めていこうとしています。
ここで、私たちが考えたいのは、わたしたちが、キリストによって、どういうものとされているでしょうか?
ここに、パウロはまず、パウロ自身について、こういっています。
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1:1神の福音のために選び分けられ、使徒として召されたキリスト・イエスのしもべパウロ、
ローマ人への手紙1章1節
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ここに書いてあるように、パウロは、使徒として、召されたものであり、キリスト・イエスの僕であると書いてあります。
そして、次に、手紙を受け取るローマの人々に打ついてこう書きます。
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1:6あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です。――このパウロから、
ローマ人への手紙1章6節
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あなたがたも、召された人々である。
そして、さらにこう書いてあります。
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1:7ローマにいるすべての、神に愛されている人々、召された聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安があなたがたの上にありますように。
ローマ人への手紙1章7節
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神に愛されている、召された聖徒たち。
この手紙は誰におくられたものでしたか?
それは、ローマの人々です。
前回のお話で、この手紙が書かれたのは、第3次伝道旅行の時であると言われます。
今回、ここで、召しということと、そして、聖徒ということに思いを向けて見たいと思います。
パウロは、まだ、会ったことも無い人たちに、聖徒だと、声を掛けています。
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こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
エペソ人への手紙2章19節
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私たちは、神様に召されて、聖徒とされました。
ここで、聖徒とはなんでしょう。それは、選び分かたれたものだと言うことです。
聖書の言う聖は、別にされていると言った意味です。
私たちは、このよから別にされた存在だと知りましょう。
それが、良いかどうか、その人自身がよいかどうかでなく、神ご自身が、私たちを選び、分けられたのです。
わたしたちは、この意識を持つことが大切です。
クリスチャンであると言うことはどういうことか、それは、選び分けられていると言うことです。
わたしたちは、神様に選ばれたものです。
でも、私は、こんなところがあります。
あの人はあんなふうです。
そうです、私たちは、それぞれ、いろいろな欠点があります。しかし、わたしたちは、同様に選ばれ分けられたのです。
この事を私たちは、忘れないようにしなければなりません。
私は、この教会を始める前に、一つのビジョンが与えられていました。
それは、ヤコブの羊です。真っ白でない、まだらやぶちのある羊たち。
しかし、ヤコブの羊たちは、強く、そして、増えていったのです。
それが、ヤコブの羊です。この教会は、色々な特色のある人が集まっています。
欠点もあるでしょう。
しかし、私たちは、神様に選ばれて集められたのです。
さて、私たちは、分けられました。そして、私たちは、どうなるのでしょうか?
分けられた私たちは、どこに入れられたのでしょうか?
それは、教会です。
教会のことを、ギリシャ語でエクレシアといいます。
これは、呼び出された者の集まりといったような意味です。
私たち教会は、神様に呼び出され、集められたものの群れです。
でも、教会とはどんなところでしょう。
もし、教会が、ただのサークルであったなら、それは、そこに入ったところで、大した事はありません。
しかし、教会は、ただのサークルではありません。
マタイの福音書18章20節にこう書いてあります。
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ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
マタイの福音書18章20節
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これは、イエス様ご自身が語られた言葉です。
ここで、イエス様は、私たちが、イエス様の御名によって、集まるなら、そこにいるといわれました。
私たちは、イエス様の御名によって、集まっています。
そして、そのように集まるところにイエス様はおられます。
つまり、教会は、イエス様のおられるところです。
また、私たちがイエス様と共にあるなら、そこは、神の国です。
なぜなら、王であるイエスさまがおられるからです。
わたしたちは、召された聖徒です。
それは、神の国に召されたものです。
そして、やがて訪れる、天の御国に召されたものです。
また、いま、私たちがどうであっても、私たちは、聖徒です。
この事を覚えて、いつも、主にあるものとして歩ませて戴きましょう。
お祈りしましょう。
[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(多発するテロからの守りがあるように。)
・列車事故の犠牲になった方々その関係者の為に。原因究明と再発の防止の為に。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・夏のキャンプの為に。子どもたちが主を知るものとされるように。全てが守られるように。
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