礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050724
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神と人の前に最善を尽くす
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを愛し、祝福し、守り、導いてくださるかた。
そして、いま、このときも、聖霊様によって、ここに臨在される方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、今週は、聖書通読は、旧約聖書はヨブ記、そして、新約聖書は、使徒の働きの最後にとなります。
バイブルQも、ヨブ記と使徒の働きです。
通読の箇所を読めばわかりますので、是非お読み下さい。

皆さん聖書を読みましょう。

では、今週の聖書箇所に戻りたいと思います。
今週の聖書箇所は、
使徒の働き24章14-24節です。
では、司会者お願いします。

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24:14しかし、私は、彼らが異端と呼んでいるこの道に従って、私たちの先祖の神に仕えていることを、閣下の前で承認いたします。私は、律法にかなうことと、預言者たちが書いていることとを全部信じています。
24:15また、義人も悪人も必ず復活するという、この人たち自身も抱いている望みを、神にあって抱いております。
24:16そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
24:17さて私は、同胞に対して施しをし、また供え物をささげるために、幾年ぶりかで帰って来ました。
24:18その供え物のことで私は清めを受けて宮の中にいたのを彼らに見られたのですが、別に群衆もおらず、騒ぎもありませんでした。ただアジヤから来た幾人かのユダヤ人がおりました。
24:19もし彼らに、私について何か非難したいことがあるなら、自分で閣下の前に来て訴えるべきです。
24:20でなければ、今ここにいる人々に、議会の前に立っていたときの私にどんな不正を見つけたかを言わせてください。
24:21彼らの中に立っていたとき、私はただ一言、『死者の復活のことで、私はきょう、あなたがたの前でさばかれているのです。』と叫んだにすぎません。」
24:22しかしペリクスは、この道について相当詳しい知識を持っていたので、「千人隊長ルシヤが下って来るとき、あなたがたの事件を解決することにしよう。」と言って、裁判を延期した。
24:23そして百人隊長に、パウロを監禁するように命じたが、ある程度の自由を与え、友人たちが世話をすることを許した。
24:24数日後、ペリクスはユダヤ人である妻ドルシラを連れて来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスを信じる信仰について話を聞いた。
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ありがとうございます。続いて、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで一緒にいいましょう。

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主題聖句:
そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
使徒の働き24章16節
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さて、今日はこのところから、
「神と人の前に最善を尽くす」
と題しまして、御言葉をともに頂きたいと思います。

前回、パウロが、捕まる事を覚悟で、エルサレムに向かっているその姿を共に、聖書から見たのですが、
今回は、エルサレムで実際捉えられて後のパウロの姿です。

エルサレムでパウロには何が起ったのでしょう。
使徒の働きの21章の17節から31節のところをみますと、その状況がわかります。
パウロがエルサレムで異邦人と一緒にいるのを見たユダヤ人たちは、パウロが異邦人を宮に入れたと思い、そのためにパウロを打ちたたきました。
そこに、ローマの軍隊がやってきて、その騒ぎの中で、パウロを捕らえました。
そこから、預言されていた通り、パウロの捕らわれ人としての生活が始まるのです。

ローマ人への手紙を少し見てみたいとおもいます。
ローマ人への手紙の1章8節から13節です。
ここで、パウロは、何とかして、あなた方の所に行きたいと願っています。

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1:8まず第一に、あなたがたすべてのために、私はイエス・キリストによって私の神に感謝します。それは、あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。
1:9私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、
1:10いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。
1:12というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
1:13兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、何度もあなたがたのところに行こうとしたのですが、今なお妨げられているのです。
ローマ人への手紙1章8-13節
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じつは、私は最初、この手紙が書かれたのが、エルサレムで幽閉されているあいだだと思っていたのですが、実は、この手紙は、第3次伝道旅行の最中、しばらく滞在した、コリントの町で書いたといわれます。

パウロは、アジヤ、アテネを伝道して回りましたが、まだ、ローマにはいっていなかったのです。
そのような時、彼は、さらに、西の、ローマにも至りたいと考えていました。

第三次の伝道旅行の地図を出します。 <地図>
http://www.cityc.net/image/map20050717.jpg

ローマに行きたいと願いながら、なかなか、その旅を実現できなかったパウロでしたが、何とかして、道が開かれてと願う中で、とうとう、エルサレムで捉えられてしまうのです。
彼は、これで終わりかもしれないと、覚悟を決めていたことでしょう。

使徒の働きの21章13節にこう書いてあります。

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するとパウロは、「あなたがたは、泣いたり、私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は、主イエスの御名のためなら、エルサレムで縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えた。
使徒の働きの21章13節
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パウロは、死を覚悟して、エルサレムに向かいました。そして、そのエルサレムで捕らえられた。
ところが、このことが、彼がローマに行く道を開くこととなったのです。

ただ、それは、これまでのたびとは違い、囚人としてであり、もう戻ることの無い旅でした。
しかし、主は、なんとかして、福音の為に、ローマに行きたいと願っていたパウロの為に、道を開いてくださいました。

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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
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これは、非常に大切な御言葉ですが、神を愛する人々、神が召された人々の為に、主は全てを益としてくださるのです。

この事を、皆さん信じましょう。あなたの為に、主は、全てを益と替えてくださいます。

でも、この、御言葉が、パウロ自身が、ローマ人への手紙の中で、書いた言葉で、そして、その後に、エルサレムで捕らえられたパウロを、主は、この信仰の通りに取り扱われて、ローマにまで、運ばれた、このことは、すごいことだと思います。
みなさん、パウロは、主が全てを益としてくださると信じ、語り続けていました。
みなさんも、主が全てを益としてくださる。私の為に、主は全てを益としてくださると、信じ、告白しましょう。

イエス様は言われました。

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まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
マルコの福音書11章23節
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信じて疑わないなら、その通りになる。
でも、あなたの中に、疑いが生じるなら、、、。
私たちは、信じ込もうとして信じることが出来るのではありません。
信仰について、お話する時、一つのたとえ話をもちいるのですが、こういうお話です。
あなたの喉が渇いたとき、友達が言います。じゃあジュースを買ってきてあげるよ。
そして、友達がジュースを買ってきてくれるのを待つ。これは、友人に対する信頼です。
もし、その友人が、そのまま帰ってしまうようないい加減な人なら、待つ意味がないからです。
これは、受身的な信仰です。
もう一つの信仰があります。
友人があなたに言います。あそこのお店にお金を渡して、君と僕のジュースを冷やしてもらってるから、貰って来て。
こう、友人が言ったとします。もし、友人が信頼できないなら、そのお店に行くことも出来ないかも知れません。
しかし、信頼できる友人であったとして、お店で、あなたが、その旨を告げると、お店の方は、奥から冷えたジュースを出してくれます。
これは、行動を伴う信仰です。

信仰とは、神様との信頼関係によるものです。

私たちは、神様との信頼関係を築いていく中で、信仰が広げられていくのです。

ですから、大切なことは、私たちが、神様の愛の高さ深さ広さを知ることです。

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16どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。
17こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、
18すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、
19人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
エペソ人への手紙3章16-19節
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私たちが、神の愛を知ることにより、私たちの信仰は強くなります。
私たちは、その為に、聖書を読み、祈るのです。

皆さん。本当に聖書を読み、祈りましょう。そうすると、あなたは、神様の愛がもっと分かるようになります。
そして、神様に、今以上に信頼することが出来るようになります。
信仰が働きますから、当然、祈りが聞かれる体験をするでしょう。
また、神様の愛にゆだねるのですから、大きな平安が与えられます。

これは、神の子とされたものの特権です。

皆さん。一緒に、この特権の中で人生を楽しみましょう。

さて、いま、楽しみましょうといいましたが、今回の聖書箇所で、パウロは、この福音の為に、人生の全てを使っていることが伺えます。
そして、福音の為に、こう言っています。

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そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。
使徒の働き24章16節
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パウロは、その人生を、ただ、福音の為に使っていました。
それは、この福音が、どれほどの価値があるかをパウロが知っていたからです。
そして、それは、ここにあるように、神の前にも人の前にも責められることの無い行動として現れたのです。

御言葉は、責められることのない良心といっています。
それは、人から言われるかどうかではなく、人の前で自分が正しくあるかどうかを判断するのが、自分自身の良心だからです。

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彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。――
ローマ人への手紙2章15節
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ここで、良心の働きが少しわかります。
良心は、その人の持つルール、あるときは律法にしたがって、その人自身を裁きます。
しかし、その良心から責められない、それは、主に赦されているということだけでなく、そのパウロの行いそのものも、責めるところの無い正しいものであったということです。

私たちは、イエス様が支払ってくださった代価によって、罪が赦され、義とされていますので、もはや、責められるべきところがありません。それは、ただ、信仰による義です。

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人が義と認められるのは、律法の行ないによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。
ローマ人への手紙3章28節
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そして、私たちは、心責められることの無い、神様との平和の中に置かれています。

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ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
ローマ人への手紙5章1節
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しかし、良心はわたしたちの行動をいまも監視しています。そして、行動が良心に反するなら、私たちを責めようとするのです。
ここで、パウロは、そのような面において、責められることのない良心を保つように最善を尽くしたというのです。

しかし、私たちの行動が、ただ、律法に従う為だけであるなら、それは、福音の本質とそれたものです。
福音の中心にあるのはなんでしょう。それは、神様の愛です。
なぜなら、
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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と、書かれているからです。この神の愛こそが、福音の本質です。
根源です。そして、福音のスタートです。

神様は、私たちの事を愛してなして下さった、それが、福音であり、神様のご計画であるなら、私たちの歩みの全ても、愛に根ざしていなければなりません。
私たちは、神に愛されたものとして、神を愛し、人を愛し、そして、それゆえに、行いにおいても、正しく歩もうとするのです。

私たちの歩みが、世の人の前で、証となるものであるように。
私たちを見て、人々がイエス様を信じるようになるように。
共にお祈りしましょう。
また、課題の祈りもお祈り下さい。


[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(多発するテロからの守りがあるように。)
・列車事故の犠牲になった方々その関係者の為に。原因究明と再発の防止の為に。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・夏のキャンプの為に。子どもたちが主を知るものとされるように。全てが守られるように。




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