礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050717
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恵みの御言葉
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちを愛し、愛のゆえに、祝福し、愛のゆえに守り、愛のゆえに導いて下さる方です。
この主は、イエス様さえも惜しまずに与え、そして、十字架につけられました。
いま、ここに主の臨在があります。
この主を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、今週は、聖書通読は、旧約聖書はネヘミヤからエステル記にそして、ヨブ記へと入っていきます。
このエステル記は、バビロンに連れ去られたユダヤ人を滅ぼそうとする敵の働きと、そのような中でも、主が助けをおこしてユダヤ人を守られるその状況が書かれています。
大変に面白いですから、是非、お読み下さい。
そして、ヨブ記は、旧約聖書のなかでも、特別な、不思議な書物だと思います。
ここには、創造論の中で取り上げられる箇所がたくさんあります。
実は、ここに、恐竜も出てきます。二種類でてきますから、読んでみてください。

また、新約聖書は、使徒の働きの19章から22章です。
このところ、ずっとパウロによる宣教のところを読んでいるわけですが、ここでも、パウロによる福音宣教がますます活発に行われていくその様子が書かれています。
バイブルQは、エステルと使徒の働きです。

皆さん聖書を読みましょう。

では、今週の聖書箇所に戻りたいと思います。
今週の聖書箇所は、
使徒の働き20章22-32節です。
では、司会者お願いします。

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20:22いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
20:23ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
20:24けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
20:25皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。
20:26ですから、私はきょうここで、あなたがたに宣言します。私は、すべての人たちが受けるさばきについて責任がありません。
20:27私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。
20:28あなたがたは自分自身と群れの全体とに気を配りなさい。聖霊は、神がご自身の血をもって買い取られた神の教会を牧させるために、あなたがたを群れの監督にお立てになったのです。
20:29私が出発したあと、狂暴な狼があなたがたの中にはいり込んで来て、群れを荒らし回ることを、私は知っています。
20:30あなたがた自身の中からも、いろいろな曲がったことを語って、弟子たちを自分のほうに引き込もうとする者たちが起こるでしょう。
20:31ですから、目をさましていなさい。私が三年の間、夜も昼も、涙とともにあなたがたひとりひとりを訓戒し続けて来たことを、思い出してください。
20:32いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
使徒の働き20章22-32節
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ありがとうございます。続いて、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで一緒にいいましょう。

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主題聖句:
いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。
使徒の働き20章32節
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はい、ありがとうございます。
今日は、このところから、恵みの御言葉と題しまして、神様の言葉を共に見てまいりたいと思います。

さて、ここのところ、ずっと、使徒の働きをみています。
パウロによる宣教という、大変重要な箇所であり、また、この教会が形成されていく姿が、書かれているところでもあります。

先週も見ましたが、これが、第一次と第二次の伝道旅行の地図、 <地図1>
http://www.cityc.net/image/map20050710.jpg


そして、これが、第三次の伝道旅行の地図です。 <地図2>
http://www.cityc.net/image/map20050717.jpg

ここで、一つ注意しておいて戴きたいのですが、このパウロの伝道旅行の出発点は、アンテオケです。
このアンテオケが、パウロにとっての伝道の拠点であったと言うことが出来るかもしれません。

今回第三次伝道旅行も、このアンテオケから始まります。
使徒の働きの18章23節にこう書いてあります。

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そこにしばらくいてから、彼はまた出発し、ガラテヤの地方およびフルギヤを次々に巡って、すべての弟子たちを力づけた。
使徒の働き18章23節
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ここで、ここが、第三次伝道旅行の出発です。
彼はまた出発しと書いてあります。
そして、そこから、この今回の聖書箇所へと続いてまいります。
もう少し地図を見たいと思いますが、パウロはピリピ、テサロニケ、アテネ、コリントと周り、そして、また、同じところをもどり、最後、アンテオケにはもどらず、エルサレムに行こうとします。
こうかいてあります。
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20:16それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。
使徒の働き20章16節
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このたびが、パウロの伝道旅行の最後です。
このエルサレムで、彼は、捕らえられ、ローマへと連れられて行くからです。
しかし、今回の聖書箇所は、このエルサレムに向かおうとするパウロの言葉です。
パウロは、エルサレムに行けば何が起るのかを分からないといいます。
しかし、縄目と苦しみがあると、かれは、御霊により知らされています。
パウロは、この福音の為に、命がけで、エルサレムに向かおうとしているのです。

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20:22いま私は、心を縛られて、エルサレムに上る途中です。そこで私にどんなことが起こるのかわかりません。
20:23ただわかっているのは、聖霊がどの町でも私にはっきりとあかしされて、なわめと苦しみが私を待っていると言われることです。
20:24けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。
20:25皆さん。御国を宣べ伝えてあなたがたの中を巡回した私の顔を、あなたがたはもう二度と見ることがないことを、いま私は知っています。
使徒の働き20章22-25節
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もう二度と会うことの出来ない人々に向けて、パウロは語ります。
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いま私は、あなたがたを神とその恵みのみことばとにゆだねます。みことばは、あなたがたを育成し、すべての聖なるものとされた人々の中にあって御国を継がせることができるのです。
使徒の働き20章32節
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このことばは、大変重要なことばです。
パウロは、どれほどの思いでこの言葉を語ったでしょうか?
これは、パウロの遺言ともいえる言葉です。

ここで、パウロは、この恵みの御言葉が、
育成し、御国をつがせるといいます。

では、恵みの御言葉とはなんでしょう。
恵み、それは、代価を払わずに、神から一方的に与えられ、そして、私たちが受けたものです。
英語ではグレイス
ギリシャ語ではカリスといいますが、定冠詞ヘーがついて、ヘーカリス
ヘーと思って下さい。
ですから、母教会グレイスチャペルも、カリスチャペルも、同じ恵み教会です。

恵みは辞書では、慈愛とかいわれますが、子どもに対するような愛
それは、一方的な愛であり、無代価の愛です。

御言葉は、代価を払わずに与えられたものです。

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ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
イザヤ書55章1節
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これは、イザヤ書の御言葉ですが、ここで、代価を払わずに、穀物を買い、ぶどう酒と乳を買い、そして、水を求めよと出てきます。
これが、私達に与えられる恵みの御言葉です。
行いの無いものに対して、いや、行いにかかわらず、神が与えてくださる御言葉、それを、私たちは、求め、そして、頂くのです。

最近、権利と言うことについて、考えました。
特に、中学生や高校生の中にある考えとして、勉強することが義務であるという考えがあります。
しかし、これは、義務ではなく、権利です。
勉強するのでなく、遊ぶことであるなら、権利だと考えるかも知れません。
しかし、勉強も、遊びも、どちらも、労働ではありません。
勉強は、特に、たくさんのお金をつかって行われていることです。
教育の為に、国家は多大な労力と、お金を使っています。
まあ、それでも今の現実として、足りているかどうかは別ですが、しかし、国家がそのようにして、お金を使い、子どもに教育をしようとしている。
このことは、子どもたちの権利として行われていることです。

もし、この権利をいらないと思えば、勉強をしないでいることもできます。
昔、日本でも、そのような権利は、保障されていませんでした。
ですから、貧しいものは、教育など受けることができません。
教育を受けないと言うことは、世の中のことがわからないということであり、場合によっては、騙されたり、搾取されたり、良い仕事につけなかったりということになります。

教育は、権利です。ですから、子どもたちは、せっかくの学ぶことの出来るチャンスを大切にして欲しいと思います。

このような話ですと、お父さんやお母さんは、そうそうと、思われると思います。

さて、わたしたちが、聖書を読むことはどうでしょう。

聖書を読むことは義務でしょうか?権利でしょうか?

もちろん、聖書は読まなければならないのですから、義務です、、。と、いいますか?

少なくとも、十戒の中には、聖書を読めとは書いてありません。

申命記の中には、6章6節7節にこうかいてあります。

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私がきょう、あなたに命じるこれらのことばを、あなたの心に刻みなさい。
これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、これを唱えなさい。
申命記6章6−7節
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ここで、主は、聖書の言葉をあなたの心にきざめといいます。
そして、子どもたちに教え込めといっています。

この命令の中核は、これです。

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聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
申命記6章4-5節
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いいですか?主を愛することを心に刻むのだと聖書はいいます。
しかし、聖書を読むことそのものを命じているのではありません。

聖書が命じているのは、聖書を読むことでなく、行うことです。
その為には、読まなければならないかもしれませんが、
しかし、この、御言葉を読むということが、わたしたちにとって、
大きな権利である事を忘れてはなりません。

お話がそれましたが、
このモーセの律法は、命令の書です。
それは、行いによる契約の書ですから、恵みではありません。

しかし、いいですか?
いま、ここには、恵みの御言葉、と、書いてあります。

そして、それは、恵みの福音です。

神様が私たちの為に一方的になして下さった恵みのみわざ、
それは、皆さんがご存知の通りのことですが、

父なる神様が、
その愛のゆえに、私たちのために、御子を与えてくださったこと、

いいですか?聖書の中の神の愛は、このことに示されています。

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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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聖書の中で、神の愛はどこに表されていますか?
聖書は愛の書です。と、いいながら、では、どこにその愛はあるのですか?
それは、父なる神様が御子イエス様を与えてくださり、そして、イエス様が私たちの為に死んでくださった、ここに愛があるのです。

神様は愛です。

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愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
ヨハネの手紙第一4章8節

私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
ヨハネの手紙第一4章16節
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と、書いてある神の愛は、ここに示されています。

イエス様は、その愛のゆえに、十字架にかかって死んでくださいました。
それは、父なる神様の愛であり、イエス様の愛です。

わたしたちは、この愛の中に、この愛を一方的に与えてくださった神の恵みの中に生かされています。
その事を覚えて、私たちは、この恵みの御言葉を読むのです。
いや、この神の愛、神の恵みを覚えて、イエス様の十字架を覚えて聖書を読むならば、この聖書66巻は、全てが恵みの御言葉にかわります。
私たちが、イエス様と関係なしに、この聖書を読むなら、それは、ただの戒めの書でしかないかもしれません。
しかし、イエス様の愛、イエス様によって、表された神の愛によって、この聖書を読むなら、
究極的には聖書は66巻全てが恵みの書です。

わたしたちは、この聖書の言葉を食べて、飲んで、成長し、そして、そのことによって、素晴らしい神様の栄光を表していくのです。

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1幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。
2まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。
3その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
詩篇1篇
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この恵みの御言葉により、一人一人が生かされ、そして、さらに素晴らしく成長させられるように、今共に祈りましょう。



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
・列車事故の犠牲になった方々その関係者の為に。原因究明と再発の防止の為に。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・夏のキャンプの為に。子どもたちが主を知るものとされるように。全てが守られるように。




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