ゆめとまぼろし

伝道師の
ビジョンと雑感



最近思うことの一つとして、なぜキリスト教なのかと言う問いがあります。確かに良い宗教はたくさんあります。良い宗教は道徳を教え、心の問題を取り扱い、人に慰めと励ましを与え、正しく導こうとします。他の宗教を信じる方々の中にも、
随分立派な方がおられます。そして、良い宗教は、人に希望を与えます。そして、死んだ後のことについての希望をも、良い宗教は人に与えます。しかし、ここからが大事な事ですが、その希望を本当に保証する宗教は多くありません。い
や、本当の所、キリスト教以外に、その事を保証できる宗教はありません。
例えば、仏教も、立派な道徳を教えます。聖徳太子が進めたと言われる仏教の導入は、日本の精神性を高める上で、大きな働きをした事でしょう。しかし、その仏教ですら、死後、必ず天国にいける保証を与えてはいません。心はころころ
かわるのだとか、死んで見なければわからないとか、そのような事を思わない心の状態こそが大切であると説かれると、なるほどと納得しそうになります。しかし、それは、確かな保証ではありません。はっきりと希望を保証できない宗教は、
結局のところ、宝くじと同じではないでしょうか?宝くじは、買ってから、当たるか当たらないかが分かるまでわくわくするでしょう。それは、もしかしたら一億円かもしれません。でも、それは、五百円かもしれませんし、ゼロかも知れません。し
かし、宝くじと同じような一枚の紙切れでも、それが一億円の小切手だったらどうですか?一億円の小切手を見たことはありませんが、もし、それが小切手だったら、それは、その小切手を発行した人物の保証です。今、ここでは、その人が
破産したらどうするんですか?とかそういう事を問題にせず、発行した人物が何を保証しているかと言うことだけに焦点をおいて頂きたいのですが、小切手を発行した人物は、その責任において、そこに書かれている一億円を保証してくれ
ます。しかし、宝くじは、その宝くじが当たるかどうかを保証してくれないのです。
死んで見ないと分からない宗教は、宝くじと同じです。だから、そこには絶対に天国にいけるという保証はありません。しかし、聖書の教える真理は、イエスキリストを信じるなら罪赦されて、神の子とされ、天国に行けるということであり、聖書
はその事を保証した保証書です。そして、その保証をしておられるのは、全世界を作られた神様です。
どの宗教でも同じと考えることも出来ます。信教は自由であると、日本の法律は保証しています。しかし、結果は違います。あなたは、人生のよりどころを、宝くじにおくのか、それとも、はっきりとした保証を求めるのか?聖書の約束につい
て、私たち、信じる者の主であり救い主であるイエスキリスト様はこういわれます。

まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
マタイの福音書五章十八節

この約束を信じ、神の言葉を信じて祈り続けましょう。

この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
ローマ人への手紙五章五節

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