礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050619
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唯一つの救い
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、ただ一人、私たちの救いの為の御業をなして下さったお方。
そして、今も聖霊様によって、このところに臨在される方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、まず、本日の聖書箇所を御読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、
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聖書箇所:
使徒の働き4章7-14節
新改Up213新改Vp233口語p185新共p219
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です。司会者御読みください。

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4:7彼らは使徒たちを真中に立たせて、「あなたがたは何の権威によって、また、だれの名によってこんなことをしたのか。」と尋問しだした。
4:8そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
4:9私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、
4:10皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死
者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。
4:11『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。
4:12この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられてい
ないからです。」
4:13彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いたが、ふたりがイエスとともにいたのだ、ということがわかって
来た。
4:14そればかりでなく、いやされた人がふたりといっしょに立っているのを見ては、返すことばもなかった。
使徒の働き4章7-14節
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では、続いて、教会学校の皆さん。
主題聖句の暗唱をお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんで言いましょう。

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主題聖句:
この方以外には、だれによっても救いはありません。
世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、
どのような名も、人間に与えられていないからです。」
使徒の働き4章12節
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では、今日はこのところから、「唯一の救い」と題しまして、共に御言葉を見て参りたいと思います。

今週の通読の箇所は、聖霊様が下られてからの印と不思議による伝道が進んでいく様子や、そして、ステパノの殉教となっています。
この、御霊による宣教の様子を読み、そして、更なる聖霊様の油注ぎを求めて祈りたいと思います。
また、旧約聖書の通読箇所は、エルサレムに神殿を建てる場所にダビデが導かれるところや、ソロモンへの王位の継承、そして、ソロモンによる神殿の建設。ソロ
モンの治世へと続きます。
ぜひ、御読みください。と、いつものように最初に聖書通読キャンペーンをしておきまして、御言葉に入りたいと思いますが、今回から使徒の働きに入ってまいり
ます。

ペンテコステの出来事についても、前回のメッセージで少しふれましたが、使徒の働きの2章の聖霊様が下られたそのことは、聖書というこの本の目的とするとこ
ろです。
聖書の中で、一番大切なのは、イエス様の十字架ではないのか。確かにその通りです。聖書の中で一番大切なのは、イエス様の十字架での贖いそして、復活です。
では、そのイエス様の十字架と復活が、聖書の中のストーリーの目的でしょうか?
そうではありません。イエス様の十字架と復活には、目的があったのです。ですから、イエス様の十字架と復活は、その目的の為の方法です。
その目的はなんでしょう。

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しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがた
のところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
ヨハネの福音書16章7節
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ここに書かれている事を読むと、イエス様が去っていかれるその目的は、助け主が来られることであると分かります。
先週まで見ていましたヨハネの福音書には、聖霊様の事を助け主としてあらわしておられる所が4箇所あります。
その中の一つがこれです。

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わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるため
にです。
ヨハネの福音書14章16節
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聖書のストーリーは、神様が、罪によって、失われた人間を取り戻そうとされる、救い、贖いのストーリーです。
つまり、以前にもお話しましたように、聖書のストーリーの目的は、創世記の3章で、アダムとエバの罪によって、失われた、人間と神様との関係の回復にありま
した。
人間と神様との関係の回復が聖書の目的であるなら、聖霊様の降臨により、神が私たちと共に住まれるようになることは、実は、神さまのこの目的そのものであっ
たともいえるのです。

そして、実際に聖霊様が注がれた時、神様が共におられる時、いったい何が起るのか、それを使徒の働きは書き記しています。
最初の方の主役は、ペテロ、そして、後半の主役はパウロですね。このパウロの宣教活動を見るときに、なんと言っても聖霊様が共にあっての働きでした。
ですから、ある牧師先生は、この使徒の働き、使徒行伝ともいいますが、それは、聖霊行伝というべきものだといわれました。

その中で、今回の箇所は、ペテロの大胆なる告白です。

ペテロは、イエス様が十字架にかかられた時、イエス様を知らないといって逃げた人です。しかし、その後、イエス様は、ペテロの前に現れて、「私の羊を飼いなさ
い」といわれました。
そのペテロが、聖霊様が注がれたのち、人々の前で大胆にイエス様について証をします。

そこに、この騒ぎを聞きつけた、祭司たち、宮の守衛長、またサドカイ人たちがやって来て、ペテロやヨハネたちを捕らえ、尋問します。
これに対して、ペテロは、恐れることなく大胆に返答をします。それが、今回の聖書箇所です。

ここで、ペテロは、実に大胆に証言しています。

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8そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。
9私たちがきょう取り調べられているのが、病人に行なった良いわざについてであり、その人が何によっていやされたか、ということのためであるなら、
10皆さんも、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。この人が直って、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者
の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。
11『あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。』というのはこの方のことです。
12この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていな
いからです。」
使徒の働き4章8-12節
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その中でも、12節は、救いと言うことに関する明確な答えです。

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世界中にこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていない。
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そうです。私たち人間には、このイエス様以外に救いはありません。

黙示録の5章にはこう書いてあります。

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1また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。
2また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。
3しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。
4巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。
5すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を
解くことができます。」
6さらに私は、御座――そこには、四つの生き物がいる。――と、長老たちとの間に、ほふられたと見える小羊が立っているのを見た。これに七つの角と七つの目
があった。その目は、全世界に遣わされた神の七つの御霊である。
7小羊は近づいて、御座にすわる方の右の手から、巻き物を受け取った。
黙示録5章1-7節
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ここで、勝利を得たダビデの根であり、子羊である方だけしか、父なる神様の御手の中にある巻物の封印をはずせなかった事がかいてあります。
天にも地にも地の下にも誰も封印をとくことの出来るものがいない、ただ神の子羊だけが、勝利を得て、この封印を解く権威を得られた。

ここで、少し、宗教と言うものについて、考えて見ましょう。
宗教は、どれを信じても同じだと言われる人がおられます。
日本では、信教の自由が法律により、保障されていますので、何を信じるか決して強制されることはありません。

このことは、私たちが、何を考えようと、法律の上では自由であるのと同じです。
しかし、私たちが何を考えようと自由であるとは言え、何を考えても幸せになるか、良い人生を生きるようになるかはわかりません。
例えば、私たちが、バイオハザードに代表されるような、バイオレンス的なものばかり見たり読んだり、そして、そんなことばかり考えているなら、その人の行動
も変えてしまう恐れがあります。
それは、大変危険なことです。それは、決して私たちの人生を幸せにしません。

同じように、私たちがどのような宗教を信じるかも、私たちの人生を決める事柄でもあります。

しかし、ここで、ある方は聞かれるでしょう。そうはいっても、キリスト教だって危ないことがあるじゃないですか。
確かにおとなりの八幡市で起った事件などは、キリスト教にも危険のあることを教えています。
少しお話がそれますが、そういうなかで、自分を守るその一つの方法は、御言葉を自分自身で、よく読み、吟味することです。
勝手に解釈するということについては、聖書が禁じています。それは、危険なことです。
しかし、私たちは、「聖書にこう書いてあるからこうなんですよ」と誰かに言われた時、本当に書いてあるのかどうか、また、そのことは、本当にそういう意味なの
かどうか、
それを吟味する必要があります。そして、はっきりと知り、その御言葉に従うのです。
そんな、教会の先生の言う事を疑うような事をしてもいいのですか?そう質問される方もあるでしょう。
使徒の働きの17章にこんなことが書いてあります。

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10兄弟たちは、すぐさま、夜のうちにパウロとシラスをベレヤへ送り出した。ふたりはそこに着くと、ユダヤ人の会堂にはいって行った。
11ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。
12そのため、彼らのうちの多くの者が信仰にはいった。その中にはギリシヤの貴婦人や男子も少なくなかった。
使徒の働き17章10-12節
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ここで、パウロやシラスの語る事を、本当にそのとおりか、聖書で調べた人たちが出てきます。
そして、その結果、彼らは、多くが信仰に入ったと書いてあります。
ここで言われているのはユダヤ人たちのことで彼らが持っていた聖書に書かれていることが、イエス様を証している事を、聖書から理解したと言うことです。
しかし、私たちが、礼拝で聞くメッセージも同じです。それを、本当に聖書に書かれているか調べ、そして、自分の物としていくとき、その人の信仰は成長します。
また、それは、間違った教理から、その人を守り、また、そのようなゆがみや偏りから、教会を、そして、その教会の牧師や伝道師といったリーダーを守るのです。

牧師、伝道師といった、神様の言葉を伝える働きをするものは、神様と皆さんとの間に入るものではありません。
イエス様が十字架に架かり、死んで蘇り、天に上げられてから、イエス様は天で私たちをとりなしてくださっておられます。
イエス様は、天におられ、神と人との間を仲介される、大祭司です。
もちろん、私たちは互いに、互いの為にとりなしあうように言われます。
そういった意味で、私たちは、互いに祭司の務めをします。
しかし、誰かが誰かより偉いのではありません。

最近ローマ法王が変わりました。
私たちは、このような方に敬意を払う必要があります。
特に、カトリックとプロテスタントの違いの中で、もちろん教理など、問題が無いわけではありませんが、だからといって、あんなものはというような態度でいい
わけではありません。

しかし、ローマ法王の方が、自分より偉いのではありません。
何か価値があるのでもありません。
神様にとって、ローマ法王と同じに、あなたは大切な存在なのです。
VIPが言う、ベリーインポータントピープル
重要人物の意味は、イザヤ書の43章4節に由来します。

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わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
イザヤ書43章4節
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主は、主が創造された全ての人々、すなわち、この世界にいる全ての人々に対して、あなたは大切なのだと語られます。
良い親にとって、子どもは、あの子は賢いから大切だとか、あの子はスポーツが出来るから大切だとかそういうものではありません。
ただ、自分の子どもである、その事が親にとっての子どもの価値です。

そうであるならば、この世界の全てを造られた神様は、そのような、人間の親以上の愛で、全ての人を愛しておられるのではないでしょうか?
あなたが信じようと信じまいと、あなたは、そのような、神様の愛で愛されています。

話が大分それましたが、お話は、宗教のことでした。

簡単にいいますと、誰かにこう教えられたからと、そのまま鵜呑みにしてしまうのではなく、なぜ、それが正しいといえるのか、自分でしっかりと学び、責任をも
って信じることが大切であるということです。

キリスト教の異端と言われる、統一教会や、モルモン教、エホバの証人といった物もあり、また、オーム真理教のような、仏教を背景とするものもあります。

一般的に危険とされる宗教は、この世で害を及ぼす宗教です。
オーム真理教や統一教会のような、破壊的な考えを持った宗教は、いま、この世界において、非常に危険であり、その人の人生を破壊してしまいます。
優秀な学生であった人々が、オーム真理教を信じ、それに従った為に、あるものは、死刑にさえなりました。

もちろん、世の中が間違っている時、正しい事をしてさえ、死刑になることがあるかもしれません。
そのようなことは、第二次大戦中の日本や、ドイツで多く見られました。
今の中国にもそういったことはあるかもしれません。
しかし、オーム真理教の事件は、明らかに彼らの間違った行動が原因です。

でも、宗教の取り扱う問題を考えた時、この今の世界でよいかどうかだけでは、たりません。

宗教が、その教理の中で、死後について語るなら、そのことについてもその宗教は、保障しなければなりません。

そういった意味で、宗教を見直す時、仏教はどうでしょう。イスラム教はどうでしょう。
本当に、その宗教が約束している、死後の世界は、正しいのでしょうか、地獄や極楽は方便だというような考えは、明らかに間違っています。

私は、聖書を調べ、そして、祈りの中で確信しいえることは、イエス様を信じたら天国にいけるということです。
なぜですか?一番はっきりと言えることは、その事を聖書が保障しているからです。

あまり、細かなことはいえませんが、実は、仏教や、イスラム教は、天国を保障していません。
じっくりと教理を調べた上で、死後の世界について、保障しているのは、この私たちの信じるキリスト教だけなのです。

私たちは、イエス様を信じました。
それは、たくさんの宗教の中から、一つの物を選んだのですが、電気屋さんにいって、ナショナルがいいか、サンヨーがいいかと、電気製品を選ぶのとは、大きな
違いがあります。
あなたが、どこのメーカーの掃除機を選んでも、あなたの選んだ掃除機は、良い悪いはあっても掃除をするという機能を果たしてくれます。

オーディオなんかはもう少し複雑で、スピーカーがちゃんとついていても、あなたの持っているカセットは再生してくれないかも知れない。
これは、CDでないと入りませんって、で、CDならどれでもいけるかと思うと、なんかいろいろ制限がある。
それは、箱の説明や、場合によっては説明書を読まないとわかりません。

あなたがどの宗教を選ぶかは、もっと大変です。
よく調べてみてください。掃除機の形をしていても、モーターの入っていない、掃除機があるかもしれません。
逆になかからごみを噴出すかもしれません。
そして、説明書には、そのことがちゃんと書いてあるかも知れないのです。
この機械は、ごみを吐き出す機械です。とかね。

それを知ってたら買わないです。でも、見かけだけ、どれでもいいと思っていると、中身はわかりません。

私たちの信じる聖書は、何が書いてありますか?何を保障していますか?
これ以外に救いはないとはっきりとかたり、そして、永遠の命を保障しているのです。
また、永遠の地獄からの救いを約束しているのです。

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まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。
ヨハネの福音書6章47節
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しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです。
ローマ人への手紙6章22節
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私たちは、その事を信じています。
でも、そんなのどこに書いてあるのですか?本当に書いてあるのですか?
そう思われた方は、聖書を調べましょう。

あなたは、聖書が真理であるとの確信をますます強く持つことができます。


では、祈りましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
・列車事故の犠牲になった方々その関係者の為に。原因究明と再発の防止の為に。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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