礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい




−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ20050605
−−−−−−−−−−
御霊の語る真理
−−−−−−−−−−

++++++++++
11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、父なる神様、御子イエス様、聖霊様の3つにして一人の方です。
そして、いま、天におられ、全てのところにおられ、そして、ここに臨在され、信じるものの中におられる方です。
この方を覚えて主の御言葉を聞いてまいりましょう。

ではまず、本日の聖書箇所を御読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、ヨハネ福音書16章7-15節
新改Up195新改Vp213口語p168新共p200です。
では、司会者お願いします。

++++++++++
16:7しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなた
がたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
16:8その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
16:9罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
16:10また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
16:11さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
16:12わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。
16:13しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やが
て起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
16:14御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
16:15父が持っておられるものはみな、わたしのものです。ですからわたしは、御霊がわたしのものを受けて、あなたがたに知らせると言ったのです。
ヨハネの福音書16章7-15節
++++++++++

ありがとうございます。では、続いて主題聖句の暗唱をお願いします。
<あんしょう>

では皆さんでいいましょう。
++++++++++
主題聖句:
その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
ヨハネの福音書16章8節
++++++++++
では、今日はこのところから、「御霊の語る真理」と題しまして、御言葉を共に見てまいりたいと思います。

今回も、そのテーマの重要なことは、「御霊」ということです。
御霊さま、聖霊さまと、私たちはいいますが、私達ペンテコステの教会はもとより、全ての教会において非常に大切な方です。
なぜなら、こうかいてあります。

++++++++++
ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、
だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
コリント人への手紙第一12章3節
++++++++++

私たちは、聖霊様によらなければ、イエスは主ですということは出来ないと、聖書ははっきりと書いています。
そして、聖書はこういいます。

++++++++++
なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマ人への手紙10章9節
++++++++++

ここにあるように、わたしたちは、イエスが主であると告白して救われたのです。
それならば、聖霊さまによらなければ、私たちには救いがありません。
これは、はっきりとした真理です。
私たちは聖霊様によらなければ、救いが無いのです。

そして、ペンテコステという出来事が使徒の働きに書かれています。

++++++++++
1五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
3また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。
4すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
使徒の働き2章1-4節
++++++++++

この聖霊にみながみたされたというのが、ペンテコステです。
このことの中にいたペテロは、人々にこの出来事について教えました。
その中で、旧約聖書を引用してこうかたっています。

++++++++++
17『神は言われる。終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
18その日、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。
使徒の働き2章17-18節
++++++++++

ここで、ヨエル書の御言葉を見て見ましょう。
ヨエル書の2章28-29節

++++++++++
28その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。
29その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
ヨエル書2章28-29節
++++++++++

この全ての人に主の霊が注がれるという出来事。
実は、聖書の目的はここにあります。
聖書の目的は、引き裂かれてしまった神様と人との間の関係の回復です。
そして、その関係の回復の為に、イエス様は、十字架にかかり死んで下さり、死人のうちから蘇られました。
これが、救いであり、福音、すなわち良い知らせです。
しかし、イエス様は、何のためにこの救いを成し遂げられたのでしょう。

その究極の目的がここにあるのです。

すべての者に聖霊がそそがれる。
全ての者に神の霊が注がれる。

そのことによって、私たちは、主と一つにされます。
イエス様はこういわれました。

++++++++++
22またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちが一つであるように、彼らも一つであるためです。
23わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは、彼らが全うされて一つとなるためです。それは、あなたがわたしを遣わされたことと、あなたがわ
たしを愛されたように彼らをも愛されたこととを、この世が知るためです。
ヨハネの福音書17章22-23節
++++++++++

私たちは御霊によって、主との関係を持つことが出来る。
すなわち、私たちと神様との間の失われていた関係が、聖霊様の降臨によって、私たちの内に主の御霊が注がれることによって、実現するのです。
ならば、皆さん。この聖霊の注がれることこそが、この聖書の目的と言っても過言ではないのです。

聖霊様が注がれるのは、私たちが信じたことによるおまけではありません。
全てのものに聖霊が注がれて初めて、私たちと神様との関係は回復するのです。

ところで、この聖霊様は真理に導くと言われいます。

++++++++++
8その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
9罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
10また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
11さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
ヨハネの福音書16章8-11節
++++++++++

その方は何を教えてくださるか、その中でも重要なのは、罪、義、さばきです。
まず、罪について、イエス様はなんといっておられますか?
彼らが私を信じないからといっておられます。
信じない事これが罪です。
私たちは、罪というと自分の行いに目を向けます。
しかし、私達にとって、罪とは、それは、結局のところ、イエス様への信仰が無いことです。
神を信じる信仰が無いことです。不信仰です。

罪とは不信仰であるということ事を、私たちはしっかりと心に留めておきましょう。
この不信仰から、行動する時、私たちはさまざまな間違った事をします。
これが、目に見える罪です。

次に義についてとイエス様は言われます。
義とは、私が父の元に行くことだといわれました。
これは何のことかわかりますか?
私たちの考えでは、義とは正しい事を行うこと、罪とは対極のことでしょうか?
しかし、イエス様は、私が父の元に行くことが義だといわれました。
よく、
「義」
という、字は、「羊」と「我」から出来ているといわれます。
これは、捧げ者をすることを表しています。
そして、もっと言うならば、私たちの為にあがないの子羊となられたイエス様を掲げることです。
また、このイエス様の下に我を置くことでもあります。

しかし、わたしたちが、イエス様を掲げることの出来るのは、イエス様が、あがないの子羊となられたからです。
歴史の中で、たったいちど、十字架で捧げられた生贄が、イエス様です。
それは、父なる神様への最高の捧げ物であり、そのご自身をささげることによって、イエス様は、父なる神様の元にいかれたのです。

イエス様が、父なる神様の所にいかれたのは、単にそこにもどられたということではありません。
ちょうど、祭司は、生贄の血をたずさえて、幕屋の奥に入ります。
イエス様は、ご自身の血を携えて、父なる神様の元にいかれたのです。そして、天の大祭司として、永遠のあがないをなしとげられたのです。
これが義です。そして、私たちは、この義にあずかるのです。
そのために、私たちは、引き裂かれたパンと流された血を記念し、そして、イエス様のあがないにつらなるのです。

そして、最後に、さばきです。
それは、この世を支配するものが裁かれたからだといわれます。

イエス様の十字架によって、成し遂げられたことの一つは、サタンへの勝利です。
この世を支配していた、サタンの権利を、イエス様の十字架は奪い取り、そのことによって、サタンは裁かれました。
今、私達にとって、言えるのは、キリストを信じ神につらなるものとなるか、それとも、裁かれているサタンにつらなるものとなるかです。

サタンに連なる不信仰なものに用意されているのは、永遠の火の池であると黙示録は語ります。

++++++++++
いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
黙示録20章15節
++++++++++

そして、信じるものに主は、こういわれます。
++++++++++
3そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身
が彼らとともにおられて、
4彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
黙示録21章3-4節
++++++++++

主は私たちの目の涙をぬぐってくださる。
神の幕屋が人と共にあり、神は人と共にすまれる。
いいですか?
主は私たちと、共に住まれます。
そのためにあがないを成し遂げてくださいました。
そして、今も、聖霊様によって、共におられるのです。

今日は聖餐式があります。
私たちのあがないの子羊となられた、イエス様を覚えて聖餐式に預かりましょう。
では、祈りましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
・列車事故の犠牲になった方々その関係者の為に。原因究明と再発の防止の為に。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



////////////////////////////////////////////////////////////////


INDEX
TOP