礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050529
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実りある人生の為に
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23:1主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めで
す。
23:5私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23篇
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、天と地の全てを造り治めておられる方、
私たちの人生の全てを守り導いておられる方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、まず、本日の聖書箇所を御読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、:
ヨハネ福音書12章23-32節
新改Up187新改Vp205口語p161新共p192
です。
司会者お願いします。

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12:23すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
12:24まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
12:25自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
12:26わたしに仕えるというのなら、その人はわたしについて来なさい。わたしがいる所に、わたしに仕える者もいるべきです。もしわたしに仕えるなら、父はそ
の人に報いてくださいます。
12:27今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったの
です。
12:28父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」
12:29そばに立っていてそれを聞いた群衆は、雷が鳴ったのだと言った。ほかの人々は、「御使いがあの方に話したのだ。」と言った。
12:30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためにではなくて、あなたがたのためにです。
12:31今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
12:32わたしが地上から上げられるなら、わたしはすべての人を自分のところに引き寄せます。」
ヨハネの福音書12章23-32節
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では、続いて主題聖句の暗唱を教会学校の皆さんでお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんで言いましょう。

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主題聖句:
まことに、まことに、あなたがたに告げます。
一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、
それは一つのままです。
しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ヨハネの福音書12章24節
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では、今日はこのところから、「実りある人生の為」にと題しまして、御言葉を聞いて参りたいと思います。

今回の聖書箇所は、イエス様がエルサレムに入城されてからの出来事です。

このヨハネの福音書の一つの特徴として、エルサレム入城以降が長いということがいえます。

マタイの福音書28章エルサレム入城21章十字架27章
マルコの福音書16章エルサレム入城11章十字架15章
ルカの福音書24章エルサレム入城19章十字架23章
ヨハネの福音書21章エルサレム入城12章十字架19章

ちなみに、十字架についても、ヨハネだけが、十字架以降に2章をさいており、そこに、有名な、疑い深いトマスの話や、ペテロの改心の話が出て来ます。

ヨハネは、イエス様がエルサレムに入城されてからの出来事を、重要と考え、また、そこでイエス様が語られた事を多く書き残しています。
主は、ルカの福音書でこういわれました。

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だから、わたしは言うのです。『この女の多くの罪は赦されています。というのは、彼女はよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しま
せん。』」
ルカの福音書7章47節
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ここで、多くゆるされたものは多く愛するとイエス様は言っておられます。
また、ヨハネは自分の事を、イエスが愛された弟子といいました。

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20ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれ
ですか。」と言った者である。
24これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
ヨハネの福音書21章
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この自分でイエスの愛された弟子といって、はばからなかったヨハネは、よほどイエス様から大切にされたのだと思うのです。
ですから、彼は、イエス様を愛しました。そして、イエス様の表面的な働きの偉大さに目を奪われること無く、イエス様の語られた言葉の中にある大切な事柄を書
き残す事が出来たのでしょう。
でも、ここで、一つ大切な事は、あなたや私が、イエス様の愛を信じているかどうかということです。
私たちが、イエス様の愛を信じていないなら、イエス様の救いは、私達にとって、意味の無いことです。
逆に、あなたが本当にイエス様の愛を信じておられるなら、あなたは、はっきりと語ることが出来ます。
「私はイエス様に愛されています。」
いま、一緒に言いましょう。この事を宣言しましょう。
「私はイエス様に愛されています。」

そのような、イエス様の愛をはっきりと受け止めて、自分は主に愛された弟子だといっていたヨハネが書いた、今回のこの聖書箇所は、イエス様がエルサレムに入
城された直後の出来事です。
今週の聖書の通読箇所は、木曜日には洗足そして、金曜日にはユダの裏切りとつづきます。
大切なところですので、是非読んでください。

イエス様は、ここで、ご自身の今からなさる事をさして、言われました。
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まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ヨハネの福音書12章24節
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イエス様は、ご自身の十字架の死と復活をさして語っておられます。

また、イザヤ書にこうかいてあります。

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しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主
のみこころは彼によって成し遂げられる。
イザヤ書53章10節
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これは、イザヤが預言したイエス様の働きです。
イエス様は、十字架で死なれる事で、末永く子孫を見るのです。
その子孫とは、信仰によって、結ばれた私たちのことです。
地に落ちた種が、そのからが破れることによって、新しい命が芽吹くように、イエス様は、鞭打たれ十字架で引き裂かれて、死なれた、そこに、復活の新しい命が
与えられたのです。
イエス様は、そのご自身の復活の命を教える為に、麦が割れる事を死と表現されました。

さて、イエス様は、私たちの為に、その死んだ麦の初穂となってくださいました。
ここに、人類歴史の大転換が起ったのです。

人々は、自分を守り、蓄えて生きていました。
しかし、イエス様は、ご自身が死ぬことで、豊かな実をむすばれました。

イエス様はこうもいっておられます。

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与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなた
がたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
ルカの福音書6章38節
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麦の話にもどりますが、
わたしたちが、自分のからの中で、じっとしているなら、それはそのままです。
あなたにとって死ぬとはなんでしょう。

あるとき、それは、自分の出来なかった事をすることかも知れません。
それは、自我に死ぬことです。
あなたが、イエス様の愛に目を留めて、イエス様につながって生きるなら、あなたは、自分の考えでなくイエス様のようなものになります。
そのとき、あなたは、自分が死んで、自分の中でイエス様が生き、そして、実を結ばれること、素晴らしい事をなさる事を体験するのです。

ですからパウロはいいました。

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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きている
のは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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私たちは、このキリストと共に死んだのです。そして、キリストがわたしたちのうちに生きておられます。
でも、私たちが自我に死のうとして、死ぬのではありません。
大切な事は、イエス様の愛の中で生きることです。
聖書を読み、祈り、より深くイエス様を体験しながら生きるとき、あなたの中でイエス様が生きていかれる中で、かたくなな私たちの自我は溶かされます。

そして、そのイエス様の愛は、私たちを、自分の命さえ惜しまない愛の行いへと導きます。そして、それは、本当に永遠の命の確信へといたるものです。

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自分のいのちを愛する者はそれを失い、この世でそのいのちを憎む者はそれを保って永遠のいのちに至るのです。
ヨハネ12章25節
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皆さん注意してください。もし、あなたがよい行いをしたとしても、あなたの中に愛がないなら、何の意味もありません。

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また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
コリント人への第一の手紙13章3節
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つまり、もし、あなたの善行が、人からの愛を受けたい、人から良く見られたいなどの動機でなされているなら、それは、イエス様の愛ではありません。
でも、じゃあやめますとは言わないで下さい。あなたが必要なのは、悔い改めることです。
わたしは、ちゃんと人の為にしているじゃないですか?とあなたは言われるかもしれません。
しかし、悔い改めとはなんでしょう。
イエス様の愛によって、生きようとすることです。

それによって、自我は死にます。
自分の命を差し出しても、自分を立派に見せたい為なら意味はありません。
でも、そのような意味の無いことの中で、私たちは学ぶことが出来ます。
自分の心が本当はどこにあるかということと、それが間違っていると気がついたら悔い改めることです。

そして、あなたの中からあふれるキリストの愛がそうさせるのです。
でも、そのためにあなたに必要なのは、聖書を読み祈ることです。

あなたの中から生ける水の川があふれ流れるように、聖書を読み、祈りましょう。

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わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネの福音書7章38節
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あなたの中から、イエス様の約束されたこの川がながれるなら、これは、聖霊の流れですが、
そのとき、あなたは、更に豊かな実を結ぶものとされます。

そして、本当の人生の祝福はそこにあるのです。
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してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、
どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」
ルカの福音書11章13節
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神様があなたに与えようとしておられる最も良いものを豊かに受け、実りのある人生を歩むことが出来るように。
いま、共に祈りましょう。



[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
・列車事故の犠牲になった方々その関係者の為に。原因究明と再発の防止の為に。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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