礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050522
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盲人の目を開かれる主
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、御言葉によって、癒しをなされる方。
主は、私たちの霊の目を開いてくださる方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、まずは、本日の聖書箇所を御読みいただきたいと思います。
本日の聖書箇所はヨハネの福音書9章30節から41節のところです。
司会者お願いします。

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9:30彼は答えて言った。「これは、驚きました。あなたがたは、あの方がどこから来られたのか、ご存じないと言う。しかし、あの方は私の目をおあけになったのです。
9:31神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行なうなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。
9:32盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません。
9:33もしあの方が神から出ておられるのでなかったら、何もできないはずです。」
9:34彼らは答えて言った。「おまえは全く罪の中に生まれていながら、私たちを教えるのか。」そして、彼を外に追い出した。
9:35イエスは、彼らが彼を追放したことを聞き、彼を見つけ出して言われた。「あなたは人の子を信じますか。」
9:36その人は答えた。「主よ。その方はどなたでしょうか。私がその方を信じることができますように。」
9:37イエスは彼に言われた。「あなたはその方を見たのです。あなたと話しているのがそれです。」
9:38彼は言った。「主よ。私は信じます。」そして彼はイエスを拝した。
9:39そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
9:40パリサイ人の中でイエスとともにいた人々が、このことを聞いて、イエスに言った。「私たちも盲目なのですか。」
9:41イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの
罪は残るのです。」
ヨハネの福音書9章30−41節
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はいありがとうございます。
では、続きまして、主題聖句の暗唱をお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんでいいましょう。

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主題聖句:
そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
ヨハネの福音書9章39節
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では、このところから、「盲人の目を開かれる主」と題しまして、御言葉を共に聞いてまいりましょう。

さて、先週の月曜日、元カネボウ取締役の三谷さんの講演会が、北浜の大阪証券取引所ビルで、
「1%の壁を破る為にー開かれた教会を目指して」とのタイトルで行われました。
100名を超える方が参加しておられたのではないかと思います。
お話も、大変良い内容でした。
カネボウで、ビジネスマンとして、長く過ごされたその経験から、様々な事を、調査して、数字で示して下さいました。
一パーセントの壁、それは、単に数字の上の壁だけではなく、教会とその外にいる人との間に、大きな壁のあること、そして、その壁を取り除く努力が必要である事を学びました。
ある調査では、私たちの信仰深さが、信者で無い方々にとって、壁になっているとも言われました。非常に難しいことだと思います。
私たちが兄弟姉妹と呼び合うことも、逆に、信者でない方に疎外感を与える場合があるとよく言われます。何々さんと呼び合うようにしましょうというお話を昔、メッセージで聞いたこともあ
りましたが、なかなか、教会の文化の中で、それは難しいようです。しかし、このような事を人々を教会に招く為に、心に留めておきましょう。
それだけでなく、教会用語は、いろいろあります。例えば、交わりという言葉も、一般の人には分かりにくい言葉です。
例えば、話あうとか、歓談するとか、他の言葉に置き換える努力、それは、同時に、日本の人々をキリストに導く努力でもあります。
そういった事など、たった二時間では、語りきれない資料を用意してくださっておられましたが、日本の99パーセントの人々に届く為に、何が出来るのか、何をしなければならないのか、私
たちも、更に模索しながら、前進していきたいと思います。
日本の今の混乱した状況、自殺者の増加、そして、異常な犯罪の増加は大変なことです。
この日本に、今、神様が必要です。人々にイエス様が必要です。わたしたちは、そのイエス様を必要としている人々に、どうやって、イエス様を、この福音を届けることが出来るのか、共に、
祈りつつ、考えて参りましょう。

本日のタイトルは、「盲人の目を開かれる主」ということですが、この肉の目を癒されたイエス様が、それだけでなく、霊の目を開かれる事を学びたいと思います。

今回の聖書箇所は、一人の盲人が癒されたという出来ごとを中心に進んで行きます。
この箇所は、9章の1節から始まる出来事ですが、1−3節はこう書いてあります。

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1またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。
2弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
ヨハネ9章1-3節
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このところで、イエス様は、一人の盲人と会われました。
この人は、生まれつきの盲人でした。
それで、弟子たちは、聞いたのです。
「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
一人の困っている人を前にして、その原因はああだこうだ、それは、その人にとって、何の慰めにも助けにもなりません。
現に彼は目が見えないという状況に閉じ込められていたのです。

かれは、生まれつき、目が見えませんでした。

もし、彼が、たとえば、危険なまねをして、目を傷つけたために、見えなくなっていたのなら、弟子たちは、
「ああ、この人は、そんな事をしたから見えなくなったんだ、仕方がないですね。」
そんなふうな事を言ったかもしれません。
しかし、彼らにとって、生まれた時から目の見えないこの盲人のことは、理由がわかりません。
それで、イエス様に聞いたのです。「誰が罪を犯したからですか?」

前回、サタンが、私たちのところに、やってくる前に、神様の許可を得る事をお話しました。
サタンは、神様の所にいって、わたしたちについて、ああだこうだと理由をつけ、神様からの許可を手にして、私たちのところにやってきます。
その、サタンが理由にする一つは、私たちの罪です。
つまり、サタンは私たちの罪を利用して、私たちの事を、苦しめようとするわけです。

これまた、前回お話したように、このサタンは、イエス様を信じるものを苦しめる権利を持っていません。
なぜなら、私たちを苦しめる許可で持って、罪の無い方を、すでに苦しめ挙句の果てに十字架につけてしまったからです。

弟子たちの質問は、サタンのそのような働きを考えると、的を得ているように思うかも知れないのですが、実際に、この盲人にとって、何の助けにもなりません。
いや、それどころか、もし、彼らの会話が盲人に聞こえていたら、かれは、ひどく心が傷つけられ、苦しんだことでしょう。

でも、イエス様の答えは違いました。

「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
そして、イエス様はこの方をいやされました。

イエス様は、全ての事を、神の栄光が表されるための機会とすることが出来るのです。

そしてまた、あなたの周りに起る全ての状況は、神の栄光があらわされる為の状況です。
あなたが、困難を覚えていること、苦しんでいること、悩んでいること、それらの中で、神様はその栄光を表されます。

そうであるなら、皆さん。苦しい、困難な状況、これこそ、チャンスです。

その困難な中で、神様に出会い、そして、神様の栄光を見せていただきましょう。

イエス様は何のために来られたでしょう。
ルカの福音書の4章18節には、こうかいてあります。

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「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれること
を告げるために。しいたげられている人々を自由にし、
ルカの福音書の4章18節
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主は、捕らわれ人を赦免し、盲人の目を開く為にこられました。
また、こうも書いてあります。

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それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継が
せるためである。』
使徒26章18節
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イエス様は、盲人の目を開かれるといいましたが、ここでは彼らの目を開いて、暗闇から光に、サタンの支配から神にと書いてあります。
つまり、これは、単なる肉の目をいっているのではないことが分かります。

ここで、実際に盲人の目を開かれたイエス様はこの盲人に大して言われました。

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そこで、イエスは言われた。「わたしはさばきのためにこの世に来ました。それは、目の見えない者が見えるようになり、見える者が盲目となるためです。」
ヨハネ9章39節
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目の見えないものが見えるようになり、
見える者が盲目となる。

ここで、目の見えなかった人は、イエス様と出会いました。そして、救い主であるキリストを信じました。
それは、霊の目が開かれた出来事です。

私たちにとって一番大切なことは、この救い主であるイエス様を信じ、自分の心に迎えるということです。

そうするなら、私たちの霊の目がひらかれます。
いや、イエスキリストを信じるという出来事が、すなわち、霊の目の開かれた結果であるともいえます。

もし、あなたが、あなたの肉の目が見えることで、満足して、イエス様に目を向けないなら、あなたの霊の目は開かれません。
しかし、あなたが、肉の目だけでは、大切なことが見えていない事を認め、イエス様を求めるなら、
イエス様はあなたの霊の目を開いてくださいます。

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17どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
18また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
19また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
エペソ人への手紙1章17-19節
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ここで、パウロは、心の目がはっきり見えるようになる事を祈っています。
主は、私たちの霊の目を開き、真理を悟らせて下さる方です。
そしてまた、霊の目が開かれる時、私たちは、

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神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを
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知るのです。
この事を覚えて、主に祈りましょう。

私たちの霊の目が更に開かれ、神様としっかりと結びつき、素晴らしい実を結ぶように祈りましょう。

[[祈りの課題]]・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
・列車事故の犠牲になった方々その関係者の為に。原因究明と再発の防止の為に。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。



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