ゆめとまぼろし

伝道師の
ビジョンと雑感



先月は、考えさせられる事件の非常に多い、一ヶ月でした。順を追わずに言いますが、まずは、ヨハネ・パウロ二世の逝去を上げたいと思います。これは、私達プ
ロテスタントにおいても、関係の無い出来事ではありません。彼の行った平和の為の活動は、一宗教家をはるかに超えた働きでした。最後の言葉はアーメンだった
といいますが、264代法皇としてのその人生は、正に主に仕えた人生だったのでしょう。この事について書くと、とうてい紙面が足りませんが、それよりも私が感
動したのは、265代の法皇となった、ベネディクト16世との関係についてです。ヨハネ・パウロ二世は、ポーランド出身であり、ナチスドイツによる、キリスト
教迫害の中で秘密の神学校で学んだという経歴をもちます。方や、このベネディクト16世は、ナチスの青年組織である、ヒットラーユーゲントに所属していたと
いう経歴を持つのです。しかし、ヨハネ・パウロ二世の在任中、ローマ教皇庁教理省長官として、ヨハネ・パウロ二世の篤い信頼を受け、片腕として活躍していた
のです。そこに、「敵を愛せ」といわれたキリストの教え、また、「互いに愛し合え」といわれたキリストの教えを実践する人々の姿を見るのです。ところが一方、
お隣の八幡市で起こった出来事で、全く別なショックを受けました。それに続き、熊本での事件と、牧師による不祥事が続きました。裁きは神の宮から始まると書
かれているように、今、世の終わりのときに、まず、教会が聖められ整えられなければならないのだと感じました。世の終わりと言えば、猟奇的な殺人事件が様々
に、メディアにあがりました。これらに加え、地震の多発があります。それらは、イエス様が言われた世の終わりの兆候と捕らえて、なんら誤りではないでしょう。
また、先日のライブドアとフジテレビの攻防を見ていると、株式というしくみが成り立つ社会において、メディアを牛耳るというような事が、資本さえあれば、容
易とはいえないまでも可能である事を見せ付けられました。反キリストによる世界支配がどのような物かは分かりませんが、突然現れた人物が、この情報社会の全
てをさっと抑えてしまうようなことが出来るという事を見ると、私たちはなんと不安な時代に生きているのでしょうか?不安といえば憲法9条の改憲も話題になり
ました。日本は、軍隊を持とうとしているのです。この事も日本の将来、子どもたちの将来を考える上で大きな不安です。しかし、この不安な時代だからこそ、主
は言われるのです。
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢
でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書十六章三十三節
そして、弱いと感じる私たちに主は言われます。
小さな群れよ。恐れることはありません。あなたがたの父である神は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。
ルカの福音書十二章三十二節
ただこの主に信頼し、主に祈り、そして、この不安な世界に主の御言葉を述べ伝えて行きましょう。


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