礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20050417
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まことの富
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

皆さんおはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全てのものを創り、治め、そして、私たちに豊かに与えてくださる方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

さて、では、本日の聖書箇所を司会者御読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、
ルカの福音書16章1-13節です。
新改Up135新改Vp148口語p116新共p140
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16:1イエスは、弟子たちにも、こういう話をされた。「ある金持ちにひとりの管理人がいた。この管理人が主人の財産を乱費している、という訴えが出された。
16:2主人は、彼を呼んで言った。『おまえについてこんなことを聞いたが、何ということをしてくれたのだ。もう管理を任せておくことはできないから、会計の報
告を出しなさい。』
16:3管理人は心の中で言った。『主人にこの管理の仕事を取り上げられるが、さてどうしよう。土を掘るには力がないし、こじきをするのは恥ずかしいし。
16:4ああ、わかった。こうしよう。こうしておけば、いつ管理の仕事をやめさせられても、人がその家に私を迎えてくれるだろう。』
16:5そこで彼は、主人の債務者たちをひとりひとり呼んで、まず最初の者に、『私の主人に、いくら借りがありますか。』と言うと、
16:6その人は、『油百バテ。』と言った。すると彼は、『さあ、あなたの証文だ。すぐにすわって五十と書きなさい。』と言った。
16:7それから、別の人に、『さて、あなたは、いくら借りがありますか。』と言うと、『小麦百コル。』と言った。彼は、『さあ、あなたの証文だ。八十と書きなさい。』
と言った。
16:8この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。
16:9そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠
の住まいに迎えるのです。
16:10小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。
16:11ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。
16:12また、あなたがたが他人のものに忠実でなかったら、だれがあなたがたに、あなたがたのものを持たせるでしょう。
16:13しもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、
神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」
ルカの福音書16章1-13節
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では、続いて、教会学校の皆さん。主題聖句の暗唱をお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。

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主題聖句:
あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
ルカの福音書16章13節
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さて、昨日は、VIP京阪がメセナ枚方でありました。
今回の講師は、溝口修さんという方で、この方は、トータルクリスチャンチャーチの最初の主任牧師であった、溝口先生の弟さんでした。
その為、溝口先生、堤先生など、懐かしい先生とお会いし、また、今のご様子などもお聞きすることが出来ました。
また、今回は、MB枚方教会の、藤野先生も来てくださり、お話をすることが出来ました。
溝口さんのお話は、聖書のイチローというお話で、溝口さん自身が、33歳まで歩まれた野球人生と、その後のこと、そして、挫折と、イエス様を信じてからの歩み
を聞かせていただきました。
その中で、仏教は、人が修行する為に生まれてくると教えるということ、また、ご自身、本当に、必死で、努力して生きてきたということ、
しかし、挫折した時、ただがむしゃらに頑張ってきた物を失い、変わりに、子どもたちとの関係を手に入れたこと。
聖書は、人が神様から愛される為に生まれてくると教えるんだという事を話しておられました。
もし、内容をお聞きになりたい方は、テープがありますので、御申し出下さい。

さて、その中でも、御金儲けに限らず、この世での成功ということについて話しておられました。
私たちの人生が、ただ、がむしゃらに成功を追い求めるものであるなら、それは、本当にむなしいことでしょう。
勿論だからといって、私たちが、何もしないでいたらいいのではありません。
私たちの人生、その日々の歩みが、何の為であるかが大事だということです。

昨日のお話の中でも、罪ということについて、話しておられました。
英語で、罪というときに、一般的に二つの言葉が使われます。
一つはsin(シン)で、(道徳・宗教上の)罪であるといわれます。
もう一つは、crime(クライム)で、犯罪を意味します。
この中で、普段生活するうえで、人は、クライムしか意識しません。それは、泥棒をしたら、警察につかまるとか、そういった罪です。
しかし、私たちが幸せになる為に、大切なのは、もう一つの罪SINに対する意識です。
このSINは、どんな罪かというお話でしたが、

SINと、書きまして、

これは、SとNの真ん中にIがある。Iすなわち英語で自分なわけですが、
Sがsouthで南NがNorthで北とすると、北と南の真ん中に自分をおくということです。

世界の中心で愛を叫ぶという映画がありましたが、世界の中心に自分を置く
それはすなわち自己中心です。

SINとは、つまり、自分中心であるということです。
自分の事だけを意識した人生。自分の幸せ、自己実現の為に、頑張り、お金を儲けようとする。
そのような自分中心の人生は、それそのものが、SINつまり、罪であるということです。

この自分中心の人生を、神中心の人生に変えるとき、私たちは、自分の本来の幸せを取り戻すことが出来ます。
なぜ、そういう風に言うことが出来るでしょう。皆さんはよくご存知のことだと思いますが、
この世界は、神様によって、造られました。

またまた、英語ですが、英語で、歴史をHISTORYといいます。
よく言われることですが、これは、HISSTORYと分けることが出来ます。
彼の物語。という意味になりますが、いったい誰の物語でしょうか?
あなたでしょうか?わたしでしょうか?誰か、歴史上の有名人でしょうか?
いいえ、この歴史を造られた方、初めであり終わりである方。主なる神様の歴史です。
この世界は、神様の歴史として、神様が作り上げようとしておられるものです。
そして、そこに神様のご計画があります。
ですから、私たちは、この神様の計画を知り、それに従うことが大切なのです。

全ての人が、天と地の全てを造られた方によって、造られたから。
そして、その方は、ご自身の作られた、全ての人間を愛しておられるから。
そして、この方は、全ての人の人生に、その人生が幸せであるための計画を用意しておられるから、
私達人類は、神様に従う時、本当の幸せを手にすることができます。

お話は、富についてでした。

人は、何のために富を得ようとするでしょうか?ルカの12章には、一人の金持ちが出てきます。

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16それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
17そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
18そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
19そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
ルカの福音書12章16-19節
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金持ちは、19節で言っています。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。
ここで、金持ちは、安心と、欲が満たされることと、楽しむことを得ています。
それらが手に入った事を喜んでいます。
しかし、この箇所は、こう続きます。

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20しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
21自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」
ルカの福音書12章20-21節
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ソロモンは、このような事を、伝道者の書の中で、こう書いています。

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神が富と財宝と誉れとを与え、彼の望むもので何一つ欠けたもののない人がいる。しかし、神は、この人がそれを楽しむことを許さず、外国人がそれを楽しむよう
にされる。これはむなしいことで、それは悪い病だ。
伝道者の書6章2節
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イエス様は、自分の為に蓄えても、神の前に富まないならこうなると言われました。
では、神の前に富むとは、どういうことでしょう。

ここにイスラエルの地図があります。
<画像(地図)>

一言だけ宣伝を、。
今週もイスラエルセミナーがありますので、是非ご参加下さい。
さて、この地図で、この一番大きな湖これが何かわかりますか?
死海ですね。
では、この上のほうのこの小さな湖はなんだかわかりますか?
ガリラヤ湖ですね。
では、この間の川は?ヨルダン川ですね。
この死海は、周りから、そして、ガリラヤ湖から流れてくる水の運んだミネラルの宝庫です。
そして、こんなにも大きな湖です。この湖は、全てを蓄えて、他に水を漏らしません。
ところが、この湖は命が生きることの困難なところです。

逆に、この上のほうの小さな湖。ガリラヤ湖。
ここは、周りから注ぎ込む水を、ヨルダン川を通して、死海へと流します。そして、その湖には命があふれます。

神様の与えてくださる富。それは、命にあふれています。
ですから、命の無いものは、神様と関係がありません。

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『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。」
マタイの福音書22章32節
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命は、与えるところにさらに与えられ、豊かになります。
こう書いてあるとおりです。

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与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなた
がたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。」
ルカの福音書6章38節
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しかし、聖書の言う命とはなんでしょう。それは、私たちが生物として生きていること以上のことです。
それは、ただ生きているというだけではなく、命の根源である方につながって生き生きとしているということです。
その命は、聖書で一番大切な戒めを通して、こう表現されます。

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37そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
38これがたいせつな第一の戒めです。
39『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。
40律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」
マタイの福音書22章37-40節
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人が生き生きとするのは、どういうときでしょう。それは、神様としっかりとつながって、そこに愛の関係のあるとき、そして、周りの人々との愛の関係のあると
きです。

むりやり、話をもどしますが、今回の聖書箇所は、この箇所だけ見ると、本当にわけのわからないところです。
ま、書店にいって、人生の処世術を一般の人が書いた本なら、このようなことが書いてあってもおかしくありません。
金持ちのところにいた、管理人が不正をしていて、ばれて首になる前に、金持ちの負債のあった人を許して、首になった後の自分を守ろうとしたというお話です。
しかも、これをイエス様が言われたのです。こんな不正を言うなんて許せないと考える方もあるかも知れません。
しかし、イエス様が、この事を語られました。もし、ここで、このたとえを、ただ、財産のこと、お金のことだと考えるなら、私たちは、わけがわからなくなって
しまいます。
イエス様が、富という言葉を使われるとき、また、宝という言葉を使われるとき、多くの箇所で、それは、天の御国であり、永遠の命をあらわしていました。
もし、ここで、この財産を永遠の命としたら、どうでしょう。神様との関係だとしたら、どうでしょう。

まず、神様から頂いた財産を乱費しているのは、私たちです。
私たちは、私たちの人生を自分の好きなようにつかって乱費しています。
神様の造ってくださった体、神様から頂いた命を、自分の好き勝手に乱費しているのです。
そのことについて、神様は、もう任せておけないといわれます。それで、会計の報告を出しなさい。
あなたの人生、神様からもらった、いや、あずかっている財産を使って、どれだけのことをしましたか?報告しなさいといわれたら、どうしましょう。

ここで、この管理人は、周りの人の負債を減らすことに力を注ぎました。
人々が神様の前に持っている負債、それは、人々の罪です。
あるとき、私たちは、その証文をあずかっています。
それは、あなたが人々から受けた、苦しみという形での証文です。

管理人は、それを減らしました。管理人はそれを許したのです。そのとき、管理人自身も許されました。
あなたが人から受けた罪について、あなたは、その証文を握り締めていることも出来ます。しかし、その証文を、破り捨てることも出来るのです。
そして、そのとき、神様は、あなたを受け入れてくださいます。

主の祈りをご存知だと思います。
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9だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
10御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
11私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
12私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
13私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕

14もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
15しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。
マタイの福音書6章
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主の祈りは、9節から13節までですが、この直ぐ後に、こう書いてあります。

14もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。
15しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。

私たちが主の祈りを祈る時、大きな前提があることがわかりますか?
主の祈りを祈る時、先に準備しておかなければならないことがあるのです。

12節をみると、それがわかります。

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12私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
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ここで、私たちに負い目のある人たちを、赦しますからと、書いてないのです。

赦しました。と、書いてあるのです。
つまり、私たちは、この祈りをするまえに、まず、周りの人々の罪を赦して、それから、この祈りをするということなのです。

これは、困難なことでしょうか?
確かに、それは、あなたの感情にとって、不正であり、あなたの正義にとって、不正であるかもしれません。

裁判で、罪のあるものを、罪なしとすることは、正しいでしょうか?当然、間違っています。

同じように、あなたが、あなたに罪を犯したものを、赦すことは、不正なのです。正しくないのです。
ですから、あなたの感情は、そして、あなたの正義は、そんなことは許せないと叫びます。

でも、そのこと全てに対する、キリストの代価がすでに払われたので、その、負債を減らすことが出来るのです。
これは、理屈でしょうか?でも、そのことの為に、イエス様が、実際にうけられた、むち、引き裂かれたからだ、そして、十字架に釘打たれたこと、苦しみ、そし
て、死なれたことは、理屈ではない現実です。
そして、それは、痛んだ心を癒す現実です。あなたに苦しみを与えたものの、受けるべきムチ、あなたに苦しみを与えたものの、受けるべき裁き、あなたに苦しみ
を与えたものの受けるべきののしり、それらを、イエス様は、変わりに受けて、あなたに赦すように、かたっておられます。
それは、あなたを苦しめた人のため?そうではありません。あなたが、その恨みや憎しみから解放されて、本当に幸せになる為です。

ですから、赦しますと宣言して、そして、祈りましょう。
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12私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
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そうして、私たちの得る神様との関係、永遠の命、それこそ、本当の富です。
それは、あなたを幸せにします。そして、それは、神の国、神の義です。
そこには、全てのものが添えて与えられるのです。

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だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
マタイの福音書6章33節
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<ワード>
SIN(シン)宗教道徳上の罪、CRIME(クライム)法律上の罪、south南、north北


<祈りの課題>・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。八幡の教会の事件で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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