ゆめとまぼろし

伝道師の
ビジョンと雑感




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 シティー・チャーチ牧野が、西牧野の私の自宅で始まって、丁度二年がたちました。こうして振り返ると、随分色々な事がありましたが、本当に神様の守りと祝福の中を歩ませていただいた
事を感謝します。私は大きな声で確信を持って、「イスラエルの神、主が、私たちと共におられる。」と、言うことが出来ます。確かに、「どのような実がありますか?」と誰かに聞かれると、
多少困ってしまうような現状でありますが、数の成長に限らずに見たときに、メンバーの一人一人が、グレイス・チャペルの中にいた、一人の信徒としてではなく、この教会を支えるスタッフ
として成長された事を感じます。それは、本当に素晴らしいことで、私にとってはその一つ一つが喜びであり、宝物であるといえます。しかしながら、礼拝の出席人数が増えていないことはは
っきりとした事実です。聖書にこう書いてあります。
 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三
年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』番人は答えて
言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してく
ださい。』」(ルカの福音書十三章六から九節)
 これを聞いて、私たちは、まだ二年というなら、イエス様は、言われます。「あなたがたは、『刈り入れ時が来るまでに、まだ四か月ある。』と言ってはいませんか。さあ、わたしの言うこと
を聞きなさい。目を上げて畑を見なさい。色づいて、刈り入れるばかりになっています。」(ヨハネの福音書四章三十五節)
 日本は、今、本当に助けを必要としています。そして、私たちは、救いをもたらす神の力である「福音」とも「十字架のことば」とも言われるものを持っています。
 私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。(ローマ人への手紙一章十六節)
 十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。(コリント人への手紙第一 一章十八節)
 この福音は、本当に神の力です。そして、その福音を私たちは、イエス様から預かっているのです。ですから、この日本の為に、福音を述べ伝えましょう。色づいて、刈り入れるばかりにな
っている畑に出て行って、収穫の為に働かせていただきましょう。私達一人一人がよい働き人となることが出来るようにお祈りしましょう。


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