礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合は
クリックすると
表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
※今回画像ありません



**********
本当の権威
**********

++++++++++
23:1主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めで
す。
23:5私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23篇
++++++++++
---祈り---

みなさん、おはようございます。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
私たちの信じる主は、天と地の全てを創り納めておられる方です。
そして、この方が、私たちを愛し、イエス様によって、私たちをあがない、
今もここに臨在されます。
その事を心にとめて、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、本日の聖書箇所を開きましょう。
本日の聖書箇所は、
マルコの福音書15章1-15節です。
新改訳聖書91ページ第3版ですと100ページです。
(新改Up91新改Vp100口語p79新共p94)

司会者お読み下さい

++++++++++
15:1夜が明けるとすぐに、祭司長たちをはじめ、長老、律法学者たちと、全議会とは協議をこらしたすえ、イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。
15:2ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」
15:3そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。
15:4ピラトはもう一度イエスに尋ねて言った。「何も答えないのですか。見なさい。彼らはあんなにまであなたを訴えているのです。」
15:5それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。
15:6ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。
15:7たまたま、バラバという者がいて、暴動のとき人殺しをした暴徒たちといっしょに牢にはいっていた。
15:8それで、群衆は進んで行って、いつものようにしてもらうことを、ピラトに要求し始めた。
15:9そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言った。
15:10ピラトは、祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。
15:11しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。
15:12そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」と言った。
15:13すると彼らはまたも「十字架につけろ。」と叫んだ。
15:14だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫んだ。
15:15それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
マルコの福音書15章1-15節
++++++++++

では、つづいて、主題聖句の暗唱を教会学校の皆さんお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんで言いましょう。

++++++++++
主題聖句:
それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
マルコの福音書15章15節
++++++++++

では、今日はこのところから、本当の権威と題しまして、御言葉を共に、開きたいと思います。
前回、この世の法律と天国の法律ということで、カイザルのものはカイザルにというお話をしました。
その中で、イエス様の持っておられる権威について、少しお話をしました。

今日のところは、イエス様の十字架に向けての裁判の様子です。
20日からが受難週ですが、今日は、このところから、まず、イエス様の裁判の様子を見、
その中から、本当の権威について、見て見たいと思います。

この様子は、マタイの福音書ですと、27章の1節から26節
ルカでは、23章の1節から25節
ヨハネでは、18章の28節から19章の16節
のところで、全ての福音書に書かれています。

大雑把に言いますと、イエス様を、ゲッセマネの園で捉えた祭司長たちは、イエス様をピラトに引き渡しました。
ピラトは、イエス・キリストの時代,ローマ帝国がパレスチナに駐在させていた5代目の行政長官で、総督と呼ばれていました。紀元26―36年までこの地位にあ
ったそうです。
要するに、ローマ帝国からユダヤに派遣された支配者でした。
このピラトは、イエス様に質問しますが、イエス様は、ほとんど、何もお答えにならなかったようです。
結局、いろんな訴えがなされても、ピラトは、イエス様を罪に定めることができず、釈放しようとしました。
しかし、釈放するならバラバだという声と、イエス様のことは、十字架に付けろという声に押されて、ピラトはついに、イエス様を十字架に付ける為に引き渡しま
す。
結局、これは、裁判でもなんでもなく、イエス様をねたんだ、祭司長、律法学者、長老たちという、ユダヤの民のリーダーたちが、ローマの支配を逆手にとって、
ユダヤをうまく治めるために、ユダヤ人の機嫌を取ろうとしていたピラトを利用し、イエス様を十字架に付けてしまったということです。
なんてひどい話だ、ユダヤ人たちはなんてひどいやつらだと、思うでしょうか?
ピラトはなんていい加減なやつだと思うでしょうか?
でも、イエス様は、ここで何を考えておられたでしょうか?

この裁判の席でイエス様が語られたことは、マタイ、マルコ、ルカの福音書では、「そのとおりです。」だけなのですが、
ヨハネの福音書を見ると、もう少し、ピラトとの間で言葉を交わしておられます。
そのところを見て見ましょう。

++++++++++
18:33そこで、ピラトはもう一度官邸にはいって、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
18:34イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
18:35ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
18:36イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないよ
うに、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
18:37そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、
真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
ヨハネの福音書
++++++++++

ここは、マタイ、マルコ、ルカよりも、少し詳しいですが、同じような内容のことが書かれています。
大事なのは、この後です。

++++++++++
19:10そこで、ピラトはイエスに言った。「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らない
のですか。」
19:11イエスは答えられた。「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。ですから、わたしをあなたに渡
した者に、もっと大きい罪があるのです。」
ヨハネの福音書
++++++++++

ここで、ピラトは、言いました。
「あなたは私に話さないのですか。私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのですか。」
ピラトは、自分には権威があると言っています。それは、ローマから派遣された総督としての権威でした。
彼は、自分の考えで、何でも出来ると考えていました。
この場面だけ見ると、ピラトは、随分バランスの取れた指導者のようです。
しかし、ルカの福音書にはこうかいてあります。

++++++++++
ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
ルカの福音書13章1節
++++++++++

これは、ガリラヤ人たちが、いけにえを捧げている時に、そのガリラヤ人たちを殺したということだそうですが、そのほかにも、かれは、神殿に、偶像を持ち込ん
だり、いろいろな事をしたようです。彼は、このユダヤでは自分が一番偉くて、何でもすき放題に出来ると考えていました。
しかし、事は、彼の思いどうりには行きませんでした。

このピラトを見ていて、もう一人、イエス様の十字架に絡んで思い出す人がいます。それは、ペテロです。
ペテロは、イエス様の弟子でしたが、福音書にこういうことが書いてあります。
今のマルコの福音書で見てみましょう。

++++++++++
すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
ペテロは力を込めて言い張った。「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」みなの者もそう言
った。
マルコの福音書14章29-31節
++++++++++

ペテロは、イエス様の一番弟子でした、そして、イエス様の事を愛していました。一生懸命にイエス様についてきた人です。
しかし、全てのものが離れていくと聞かされたペテロはいいます。
「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」
しかし、イエス様はいわれます。
「まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います。」
しかし、ペテロは引き下がりません。
「たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません。」

結局のところイエス様が捕らえられた時、弟子たちは皆逃げました。
彼らは弱い者たちだったから、自分は、もっと、自分を鍛えて、恐がらないようになるんだ。
信仰を強くして、決してイエス様から離れない。
私たちは、そういう風に考えがちです。
でも、ここで、「わたしはつまづきません」といったペテロはいなくなりました。
イエス様の言われたとおりになりました。

ペテロは、自分は大丈夫だと本気で思っていたと思うのです。
自分の力を信じていました。しかし、実際はそうはなりませんでした。

ローマの権威を帯びた、ユダヤの総督であった、ピラトも、自分には力があると信じていました。
そして、自分の思い通りに出来ると考えていました。しかし、彼の思い通りにはなりませんでした。
自分の思い通りになるように、策をめぐらしました。
暴動と人殺しの罪で牢屋に入っていたバラバを引き合いに出して、イエス様を釈放しようとしました。
しかし、そのことも失敗し、結局イエス様を十字架に付ける為に引き渡すことになりました。

方や、ローマの総督、方や、ガリラヤの漁師であった人物です。
しかし、どちらも、自分に自身をもち、自分の思い通りになると考えていました。
ピラトは、ユダヤの全てが自分の思い通りだと思っていました。
ペテロは、自分の事は、自分が一番わかっていると思っていました。

ガリラヤの漁師であった、ペテロは、イエス様に、あなたは、私を捨てて逃げていくのだといわれました。
そのことは、力強い漁師であったペテロにとって、大変な侮辱と感じられたでしょう。
ペテロは言いました。「私は躓きません。」この私、というところに、高慢があります。

ヤコブの手紙にこうかいてあります。
++++++++++
聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう。」と言う人たち。あなたがたには、あすのことはわからないので
す。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。むしろ、あなたがた
はこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをも
って高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。
ヤコブの手紙4章13-16節
++++++++++

私たちは、明日の事がわかりません。
自分が生きているかどうかさえもわからないのです。
そうであるなら、私たちは、全てのことにおいて、神様の主権を認めなければなりません。
わたしたちは、神様の許しの中で生かされている事を感謝しましょう。

祈りには4つあるとよく言われます。
それは、感謝、賛美、願い、告白です。
願いの祈りはよくすると思います。これは大切です。
告白の祈り、それは、罪の告白であり、信仰の告白です。
これもたいせつです。そして、賛美、神様の偉大さを称える祈りです。これも大切です。
しかし、忘れてならないのは、感謝です。
これは、神様があなたにしてくださった事へのあなたからの応答です。
神様の主権を認めて、神様を賛美し、そして、神様に感謝を捧げる。
これは、祈りの大切な要素です。
感謝、賛美、願い、告白。20年ほど前、私はこれを、かさねこと言って、傘の下に猫がいるのをイメージして覚えました。
まあ、それは、どうでもいいのですが、感謝をもって祈りましょう。

そして、この神様の主権のもとに謙りましょう。
それは、私たちの心に平安をもつ秘訣です。
ですから、イエス様は、言われました。

++++++++++
11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

私たちが、自分の力で、人と勝負して生きていくなら、私たちは、平安を得ることが出来ません。
植物の種が、同じように耕されたところであるなら、ここに巻かれたものも、そこに巻かれたものも、成長して、実を実らせるように、私たちも、勝負に勝って実
を実らせるのでなく、それぞれに、実を実らせるのです。
それぞれの人生の、それぞれのおかれた場所で、あなたが神様の主権を認めて生きていくなら、あなたは必ず豊かに実を結びます。

さて、ピラトの話に戻りますが、
ローマの総督であったピラトは、
「私にはあなたを釈放する権威があり、また十字架につける権威がある」
と、言いました。

しかし、イエス様は言われました。
「もしそれが上から与えられているのでなかったら、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。」

ここで、イエス様は、何を考えておられたでしょう。
イエス様は、ピラトが持っていた、ローマの権威など、全然気にかけておられませんでした。

その、ローマの権威にはるかにまさる、神様の支配を考えておられました。

私たちは、困難な状況の中、自分を苦しめる人に対して、何を考えるでしょう。
この状況はどうして起こったのか、あの人があれをしたから、この人がこれをしたから、、、。

イエス様の置かれた状況の中だとどうでしょう。

祭司長たちが、自分をねたんだから。
弟子たちも、自分を助けずに逃げてしまって、、。
ピラトも自分の事を十字架につけようとしている。

しかし、イエス様は、そのような一つ一つを見ておられませんでした。
確かにイエス様は、イエス様を引き渡した者たちに罪があると言われました。

祭司長や、律法学者は、イエス様の事を、ローマに任せて、殺してしまおうとしましたが、
イエス様の十字架が、かれらのねたみによる事がはっきりしました。

ここで、起こっているひとつひとつが、いったい何の為なのか、どういう動機でそのことが行われているのか、イエス様は、その事を見ておられました。

そして、同時にイエス様は、それらを越えた神様の支配がある事をみておられました。
イエス様が十字架にかかるという出来事は、結局神様のご計画によるものでした。
しかし、そこでのそれぞれの動機が問われました。

全ては、神様の支配と権威の中で行われました。
しかし、それは、イエス様の十字架だけではありません。

この地上に起こる全ての出来事が、父なる神様の許しなしにはおこらないと、イエス様は言われます。

++++++++++
二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。
マタイの福音書10章29節
++++++++++

ここで、イエス様は、すずめの一羽でも、父なる神様のお許しなしには、地に落ちないと語られました。
この世界にある全てのことは、父なる神様の許しなしにはおこりません。

イエス様が、いま、十字架に付けられようとしている裁判で、あなたがイエス様ならいやな人は誰でしょう。
あなたを連れてきた、祭司長たちでしょうか?自分の前でえらそうにしていて、結局自分を助けることの出来ないピラトでしょうか?
あなたが、助けてあげたのに、自分を十字架に付けろと叫ぶ、群衆でしょうか?自分の代わりに助かるバラバでしょうか?
でも、イエス様は、その誰をも、恨むことなく、言われました。

++++++++++
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
ルカ23章34節
++++++++++

私たちが、もし、あの人があれをしたから、この人がこれをしたからと、人のしたことに目を留めるなら、
私たちの心は、そのことの為に、苛立ち、憎しみがわき、苦しみ、疲れ果ててしまいます。
しかし、私たちが、主の主権を認めて、主の前に謙る時、私たちの心は平安に満たされます。

イエス様は、全ての支配と権威が、神様にある事を知っておられました。
そして、それ以外には、何の権威も無い事をご存知でした。
今、あなたを苦しめるものがありますか?
あなたを悩ますものがありますか?
しかし、どんな権威も、どんな力も、あなたの信じる、真の神様に勝りません。

++++++++++
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。
ローマ人への手紙8章31節
++++++++++

この神様の権威に勝るものはありません。
ですから、私たちは、全ての事において、神様を見上げましょう。
全ての状況の中で神様を見上げましょう。
そして、この神様に感謝しましょう。

++++++++++
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。
テサロニケ人への手紙第一5章16-18節
++++++++++

どんなことでも喜びましょう。と、そのように言うのではありません。
どんな状況の中でも、その、全てを支配しておられる神様を見上げるのです。
その神様は、あなたの為に何をしてくださった方ですか?
その方は、あなたを愛して、御子を与えてくださった方です。

++++++++++
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
++++++++++

そして、その方は、脱出の道を備えておられる方です。また、耐えられない試練にあわせないとも言われます。

++++++++++
あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるような
ことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙第一10章13節
++++++++++

今、受難週、そして、イースターを前に、今一度、主のしてくださった事を思い起こして感謝しましょう。
しばらく、共に祈りましょう。



<ワード>
ピラト:イエス・キリストの時代にローマ帝国がパレスチナに駐在させていた5代目の行政長官、総督とも呼ばれている。紀元26―36年までこの地位にあった。

<祈りの課題>・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




////////////////////////////////////////////////////////////////


INDEX
TOP