礼拝でのお話
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イエスはどういう方か
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は天と地を造られた方
その全てを治めておられる方
今も聖霊様によって、このところに臨在される方です。
この方を覚えつつ主の御言葉を共に聞いてまりましょう。
では、早速ですが、本日の聖書箇所をお読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、マルコの福音書4章の35から41節です。
では、司会者お願いします。
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4:35さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
4:36そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
4:37すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
4:38ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わ
れないのですか。」
4:39イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
4:40イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
4:41彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
マルコの福音書4章35-41節
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ありがとうございます。
では、続いて、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんで言いましょう。
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主題聖句:
彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
マルコの福音書4章41節
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今日はこのところから、「イエスとはどういう方か」と題しまして、御言葉を見て行きたいと思います。
さて、先週の14日月曜日は、お隣の寝屋川で大変な事件が起こりました。
ずっと、毎日、この京阪沿線の祝福を祈っておりますので、大変ショックでした。
殺された先生、傷つけられた先生や、その周りの方々の悲しみは、想像することも出来ないほどの物と思います。
この犯人である、この小学校の卒業生でもある少年のことが報道されていますが、
いじめられていたことに関する先生への恨み、心の中のさまざまな葛藤、そういうものが、彼の心の中にはあったようです。
人は、いろんなことで悩み、苦しみます。
それは、私たちも同じです。
しかし、私たちは、この苦しみを持っていく所をしっています。
主は言われます。
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すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイの福音書11章28節
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もし、彼がこのように言われるイエス様を知っていて、イエス様に心の重荷を打ち明けて、平安を得ることが出来ていたら、
このように悲しい事件は起こりませんでした。
きれいごとを言っているでしょうか?
荒れているのは、子どもたちの心だけではありません。
大人の心もそうです。
この心を癒すことの出来るのは、イエス様しか居られません。
私達を愛して、私たちの罪の身代わりに、十字架で死んで下さった方、
このイエス様だけが、私達の心に本当の平安を与えることが出来るのです。
本当の平安は、修行や、努力で手に入るものではありません。
お金をいっぱい持っていたら手に入るのでもありません。
主は言われます。
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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢
でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
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この、すでに世に勝ったといわれるイエス様を信じて、この方にゆだねる時に、本当の平安がきます。
このことは、私たちが、これを知って幸せになって、良かったーとかそういうだけのものではありません。
いま、日本で、どれだけの人が、心に苦しみを抱えておられるでしょうか?
この、先生を刺した少年もそうです。
また、昨日は、西部グループの社長という、大変な立場におられた方が自ら命を絶たれました。
多くの方、いや、おそらく、全ての方が、もって行き場のない、悩みと苦しみを抱えておられます。
それを解決する方法を、私たちは、知っているのです。
それを皆さんが用いているかどうかは、わかりません。
しかし、クリスチャンであるなら、必ず知っています。
答えは、イエス様です。
今、本当に、世の終わりに向けて、世の中は混乱しています。
闇がどんどん深くなっているようにも感じます。
しかし、ヨハネの福音書の1章4-5節には、こうかいてあります。
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4この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章4-5節
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どんな暗闇も、イエス様という、光を打ち消すことは出来ませんでした。
そして、イエス様はいわれます。
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あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
マタイの福音書5章14節
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わたしたちは、世界の光です。
そして、このイエス様という光を、人々に届けるものです。
私たちは、私たちの持っているもの、知っているものによって、世界を救うことが出来るのです。
私たちの持っているものを、私たちが人々に届けて、人々がそれを受け入れるなら、その人は救われます。
心の悩み苦しみから、そして、そこから起こってくるさまざまな問題から、その人は救われるのです。
いまの時代、信仰なんてという考えもあるかも知れません。
しかし、今、人は、心の中で、叫んでいます。救いを求めています。
私たちは、私たちの持っているものを、人々に届けるのです。
私たちの持っているものとはなんですか?それは、イエス様です。
人々は、救いの道をもとめて、さまざまな宗教に走ります。
人々が霊的なことに関心がないか、そんなことはありません。
人々は、様々な霊的なものに、関心を持っています。
しかし、人々は、その、求めている本当の物が何かを知りません。
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イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネの福音書14章6節
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本当の救いは、イエス様しかありません。
私たちは、このイエス様を、苦しみ悩む人々にお伝えしましょう。
このことは、本当に、人々を救うのです。
そして、本当に世界を救うのです。
それでは、このイエス様は、どういうかただったでしょう。
イエス様が地上を歩まれた時にどうされたかは、福音書に詳しく書かれています。
この聖書箇所を、もう一度一緒に見てみましょう。
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4:35さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
4:36そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
4:37すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
4:38ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わ
れないのですか。」
4:39イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
4:40イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
4:41彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
マルコの福音書4章35-41節
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この場面は、イエス様が、弟子たちを伴って、舟で、ガリラヤ湖の向こう岸へ向かっておられる時のことでした。
ガリラヤ湖は、この間のイスラエルセミナーでも写真を見せてもらいましたが、綺麗な湖です。
しかし、山間にあるこの湖は、荒れると大変なことになるようです。
このときも、激しい突風で、舟は波をかぶり、水でいっぱいになりました。
もう沈むかもしれない、そんな状況の中、イエス様はどうしておられましたか?
イエス様は寝ておられました。
前には、この場面から、イエス様への弟子たちの信頼について、お話したことがありました。
今回は、ここで、イエス様がどういう方かを見てみたいと思いますが、
書いてある事を見ていきましょう。
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4:39イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
マルコの福音書4章39節
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ここで、イエス様は風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」といわれたのです。
そして、風はやみ、大なぎになりました。
弟子たちは、驚きました。
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彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」
マルコの福音書4章41節
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もし、この方が、今、ここで、肉体をもっておられ、私たちと一緒に行動していて、そして、この事をされたら、私たちはやはり、驚き恐れるかも知れません。
私たちは、イエス様を見たり、触ったことがありません。
しかし、そこにいて、実際に見た事のある人が、こんな事をしたら、それは、本当に驚くでしょう。
肉体を持っておられるイエス様を見た人々は、どうしても、人としてのイエス様を見ました。
この地上で、人として歩まれて、神を愛し、人々を愛する事を、実践されたイエス様を、人々は見ました。
癒しをなさり、様々な印と不思議をなされた方を、人々は見ました。
でも、それは、どうしても、立派な人としてのイエス様でした。
病気を治すのでも、悪霊を追い出すのです。修行を積んだ、立派な人だから出来るのだと、考えることも出来たでしょう。
事実人々はそう考えていたのです。
しかし、イエス様は、それだけの方ではありませんでした。
イエス様について、ペテロは言いましたね。
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シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイの福音書16章16節
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前にもお話しましたが、何度でもいいます。
イエス様は、生ける神の御子キリストです。
神のみ子であるということ、それは、あの人は、神様みたいな人だとか、そういう事を言っているのではありません。
ここでの神のみ子とは、神そのものであるということです。
私たちの信じる、神様は、三位一体の神様です。
それは、父なる神様と、御子イエス様、そして、聖霊様です。
この、3つが、一つの神様であるというのが、三位一体です。
日本の首相が言った、政策のような、3つが手を携えていくとか、協力するとか、そういうことではありません。
この、父なる神様と、イエス様、聖霊様は一つなのです。
この中で、イエス様は、神の子として、そして、神の言葉としておられます。
その、神の言葉としてのイエス様が、わかりやすく描かれているのが、ヨハネの福音書の一章です。
私は、このヨハネの福音書の一章が、特に好きで、今、英語と日本語で暗唱しようと思って、覚えているのですが、普通に考えると意味不明なことばが続きます。
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1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2この方は、初めに神とともにおられた。
3すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヨハネの福音書1章1-3節
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ここで言われている、この方、それは、イエス様です。
神の言葉であり、神そのものであるイエス様
神と共におられ、全てのものを作られたイエス様。
私たちの信じているイエス様は、そういう方です。
私たちは、このイエス様に、聖書を通して、何度も何度もお会いしなければなりません。
なにか、立派な教師であるイエス様。
良い事を教えてくださるイエス様。
その、イエス様の教えを、実践しようとする。それは、大切なことです。
でも、それでは、たりません。
何がたりませんか?
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イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
ヨハネの福音書14章6節
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どうでもいいことですが、道っていう言葉は、言語のギリシャ語で、ホドスというんだそうです。
イエス様の道は、自動車で走るんじゃなくて、人の歩く歩道なんっすなんていうと、親父ギャグもいいところですが、
駄目押しにもう一つ言っておきましょう。ただのホドスじゃなくて、特別な道、ホドースなので、ヘーホドスといいます。
ヘー10くらいもらえるでしょうか?
面白くない冗談は置いておきまして、
イエス様は、私が、道であり、真理であり、いのちなのです。といわれたのです。
だれも、イエス様と関係なしに、父なる神様の前にでれない。そうイエス様はいわれました。
私たちに大切なのは、このイエス様と出会い、イエス様によって、生きることです。
ですから、こうかいてあります。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離
れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネ15章5節
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イエス様はいわれます。
わたしをはなれては、あなたがたは、何もできない。
ですから、わたしたちは、立派な教えを学ぶだけでは足らないのです。
この、イエス様とつながることなしに、私たちは、本当の力を受けることは出来ません。
さらにイエス様はいわれます。
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わたしはいのちのパンです。
ヨハネの福音書6章48節
わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。またわたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わた
しの肉です。」
ヨハネの福音書6章51節
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命のパンであるイエス様を食べる。その時、私たちは、永遠の命を受けるのです。
毎月の聖餐式の中でいただくパンは、イエス様の御体を象徴するものです。
ただの教えや、歴史上の人物でなく、本当に、自分自身の内側に、自分の心の中に、自分の人生の全てにイエス様をお迎えするという、そういう気持ちをもって、
このパンをいただくのです。
イエス様は、天地創造の初めからおられる神様です。
その方が、人となって、私たちの救いの為にこられたのです。
そして、この方に、私たちの様々な問題の解決があります。
世界を創り、治めておられるかた、そして、ガリラヤの湖の波をしずめられた方は、いま、私たちを翻弄する全ての嵐の中で私達を守って下さる方です。
主は何よりもまず、あなたの心の中の嵐をしずめてくださいます。
このイエス様を更に知る為に、聖書を読みましょう。
今、このかたに、思いを打ち明けて祈りましょう。
しばらく共にいのりましょう。課題の祈りもともに祈りましょう。
<用語>
道=ヘーホドス(ギリシャ語)ここで、ヘーは、英語のTheと同じ意味を持つ。
(ギリシャ文字が出力できないのでカタカタで表しています。)
<祈りの課題>・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)・寝屋川の事件の為
・主がこの日本の子どもたちを守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
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