礼拝でのお話
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預言された救い主
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ダビデの賛歌
23:1主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
23:2主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
23:3主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
23:4たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めで
す。
23:5私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
23:6まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
詩篇23篇

11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---主の下に休み憩う


聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、今いまし、昔今し、後にこられる方です。
また、私たちの賛美の中に臨在される方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

では、本日の聖書箇所を、お読みいただきましょう。
マタイの福音書27章の27節から44節のところです。
司会者お願いします。

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27:27それから、総督の兵士たちは、イエスを官邸の中に連れて行って、イエスの回りに全部隊を集めた。
27:28そして、イエスの着物を脱がせて、緋色の上着を着せた。
27:29それから、いばらで冠を編み、頭にかぶらせ、右手に葦を持たせた。そして、彼らはイエスの前にひざまずいて、からかって言った。「ユダヤ人の王さま。ば
んざい。」
27:30また彼らはイエスにつばきをかけ、葦を取り上げてイエスの頭をたたいた。
27:31こんなふうに、イエスをからかったあげく、その着物を脱がせて、もとの着物を着せ、十字架につけるために連れ出した。
27:32そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。
27:33ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、
27:34彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。イエスはそれをなめただけで、飲もうとはされなかった。
27:35こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
27:36そこにすわって、イエスの見張りをした。
27:37また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
27:38そのとき、イエスといっしょに、ふたりの強盗が、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
27:39道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
27:40言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて来い。」
27:41同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。
27:42「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。
27:43彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」
27:44イエスといっしょに十字架につけられた強盗どもも、同じようにイエスをののしった。
マタイの福音書27章
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はい、ありがとうございます。
では、続いて、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いします。

<あんしょう>

では、一緒に言いましょう。

主題聖句:
こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、そこにすわって、イエスの見張りをした。
マタイの福音書27章35-36節

では、今日は、このところから、
「預言された救い主」
と題しまして、御言葉を共に見て行きたいと思います。

先週は、9日には、BFPJapanの石堂ゆみ先生をお迎えして、イスラエル・セミナーを、開くことが出来、
イスラエルについて、わかりやすく教えていただきました。
特に、最後に見せていただいた聖餐式のビデオは、本当に感動しました。
このセミナーは、全部で3回の予定です。
次回は、3月が飛びまして、4月の6日になりますが、是非皆さんご参加下さい。
イスラエルについて、共に学び、そして、祈りましょう。

丁度、その日の朝の新聞に載った記事は、世界的に大きなニュースでした。
それは、イスラエルとパレスチナの停戦の合意でした。
新たな和平に向けてのスタートがなされ、いつも、イスラエル・エルサレムの平和の為に祈る私たちとしては、
本当に喜ばしいことでした。
和平に向けての道は、簡単なことではないとは思いましたが、直ぐに、銃撃戦があり、いろいろな問題を抱えているようです。
しかし、私たちは、このイスラエルの平和の為に、更に祈りたいと思います。

その、イスラエルというところは、イエス様が、この地上を歩まれた場所です。
イエス様は、聖書の預言のとおりに、こられ、そして、預言の通りに十字架で死に、そして、蘇られました。

それは、何のためでしたか?
イエス様は、私たちの罪を赦す為に、私たちの罪の身代わりに、十字架にかかってくださいました。

今回は、「預言された救い主」というタイトルで、
このイエス様を、聖書の中から見て行きたいと思います。
ところで、新約聖書と旧約聖書、この聖書の中で、イエス様が一番初めに登場されるのはどこか知っていますか?

何度かお話したので、わかる方もあると思いますが、教会学校の皆さんどうですか?

一つヒントを出しましょう。
ヨハネの福音書1章1-4節です。

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1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2この方は、初めに神とともにおられた。
3すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネの福音書1章1-4節
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ここで、この方と書いてあるのは誰ですか?

イエス様ですね。

では、この事をヒントにして、イエス様が、聖書の中に最初に登場されるのはどこでしょう。

それは、創世記の一章です。
一章の1節から3節を見てみましょう。

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1初めに、神が天と地を創造した。
2地は形がなく、何もなかった。やみが大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。
3そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せられた。すると光ができた。
創世記1章1-3節
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この、一章の一節で、初めに神が天と地を創造したと書いてあります。
初めに神が天と地を創造した。
ヨハネの福音書には、すべてのものは、この方によって造られたと書いてありますから、
この、一章一節のところで、イエス様がおられたことがわかります。
また、神の言葉としてのイエス様は、3節ところで、神様が言われたその言葉として登場しておられます。

このように、神の子として、父なる神様と共に居られたイエス様の姿を、皆さん覚えておいてください。

ですから、イエス様は、何か、人間が修行をして神のようになったとか、そういう方ではありません。
イエス様は、神の御子です。

このイエス様は、聖書の中で預言されて、この世にこられました。今回は、預言されたイエス様を見て行きたいと思います。

そもそも、イエス様が、人となってこられなければならなくなったのは、アダムとエバの堕落に始まります。
その物語は、クリスチャンでなくても知っている出来事ですね。
蛇として登場する悪魔に誘惑されて、アダムとエバは、神様が食べてはいけないと言われた木の実を食べてしまいました。
そのことで、アダムとエバは、神様からの宣告を受け、エデンを追い出されてしまいます。
しかし、神様は、その話の時に、このように語っておられます。

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わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
創世記3章15節
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これは、どういう意味かわかりますか?
ここで、おまえと言われているのは、蛇、すなわち悪魔です。
ここで、神様は、悪魔に対して、女の子孫が、悪魔の頭を踏み砕くと、語っておられるのです。

しかし、人類が堕落してから、全ては、悪魔の支配の下に落ちました。それで、誰も、悪魔の頭を踏み砕くことはできませんでした。
この、人類の歴史の中で、ただ一人、悪魔に打ち勝たれた方が居られます。それは、イエス様です。
ここで、神様は、人類を滅ぼそうとする悪魔の頭を踏み砕く方がこられる事を預言しているのです。
この事を原始福音といいます。一人の女から生まれる子どもが、悪魔を打ち破るのです。
しかも、それは、女の子孫と書かれています。すなわち、女だけから生まれたかた、
聖霊によって身ごもり、乙女マリヤより生まれた方、イエス様です。


次に、創世記の22章18節には、こうかいてあります。

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あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
創世記22章18節
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ここで、あなたと言われているのはアブラハムです。

このことについて、パウロはガラテヤ人への手紙で、こういいます。

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ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」
と言っておられます。その方はキリストです。
ガラテヤ人への手紙3章16節
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実際、全ての国々が祝福を受けるような出来事は、ただ、イエス様によって、成就しました。
この、アブラハムへの約束は、全世界の救い主である、イエス様についての約束であったわけです。

また、アブラハムの子、イサクの子、ヤコブ、すなわちイスラエルは、こういいました。

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王権はユダを離れず、統治者の杖はその足の間を離れることはない。ついにはシロが来て、国々の民は彼に従う。
創世記49章10節
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そして、そのユダ族であったダビデに対し、主はこういわれます。

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「わたしは、わたしの選んだ者と契約を結び、わたしのしもべダビデに誓っている。
わたしは、おまえのすえを、とこしえに堅く立て、おまえの王座を代々限りなく建てる。」セラ
詩篇89篇3ー4節
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それで、イスラエルの人々は、ダビデの子孫として、王がこられるのを待っていました。
その方は、ユダヤ人にとって、又、全世界の救い主でした。
ですから、聖書は、イエス様がダビデの子孫であることを、はっきりと書いています。

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アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。
マタイ1章1節
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この初めて読むときに、なんだか良くわからない系図から、新約聖書が始まるのも、イエス様が、ダビデの子孫であるということが、大変重要だからです。
それは、まさに、神様の約束の成就です。

そして、その約束の通りに、主はこられました。
イエス様は、約束の通りに、私達を救う為にこられました。
しかし、その方法は、十字架という方法でした。

今回の聖書箇所は、その十字架の場面が書かれているわけですが、ダビデは詩篇の22篇でこのことを預言して歌います。

そこを開いていただけますか?

詩篇の22篇お読みします。
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22:1わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも。
22:2わが神。昼、私は呼びます。しかし、あなたはお答えになりません。夜も、私は黙っていられません。
22:3けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
22:4私たちの先祖は、あなたに信頼しました。彼らは信頼し、あなたは彼らを助け出されました。
22:5彼らはあなたに叫び、彼らは助け出されました。彼らはあなたに信頼し、彼らは恥を見ませんでした。
22:6しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。
22:7私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
22:8「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」
22:9しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。
22:10生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。
22:11どうか、遠く離れないでください。苦しみが近づいており、助ける者がいないのです。
22:12数多い雄牛が、私を取り囲み、バシャンの強いものが、私を囲みました。
22:13彼らは私に向かって、その口を開きました。引き裂き、ほえたける獅子のように。
22:14私は、水のように注ぎ出され、私の骨々はみな、はずれました。私の心は、ろうのようになり、私の内で溶けました。
22:15私の力は、土器のかけらのように、かわききり、私の舌は、上あごにくっついています。あなたは私を死のちりの上に置かれます。
22:16犬どもが私を取り巻き、悪者どもの群れが、私を取り巻き、私の手足を引き裂きました。
22:17私は、私の骨を、みな数えることができます。彼らは私をながめ、私を見ています。
22:18彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。
詩篇22篇1-18節
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ここには、たくさん、イエス様の十字架での光景が出てきます。

何がありましたか?

この箇所もその一つです。

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彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします。
詩篇22篇18節
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ここで、イエス様を十字架に付けた兵士たちが、イエス様の着物をくじ引きにして、分けています。

イエス様は、何のためにこられましたか?
イエス様は、人々を救う為にこられました。
しかし、ダビデの見たイエス様人々からあざけられました。

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私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭を振ります。
「主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りなのだから。」
詩篇22篇7-8節
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そして、イエス様に対して人々は、そのようにしました。

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道を行く人々は、頭を振りながらイエスをののしって、言った。「神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。もし、神の子なら、自分を救ってみろ。十字架から降りて
来い。」同じように、祭司長たちも律法学者、長老たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「彼は他人を救ったが、自分は救えない。イスラエルの王
さまなら、今、十字架から降りてもらおうか。そうしたら、われわれは信じるから。彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがい
い。『わたしは神の子だ。』と言っているのだから。」
マタイ27章39-43節
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ここで少し、赦しということについて、考えてみたいと思います。
イエス様がされたことは、本当に、人々を愛して、自らが死ぬということでした。
このことに対して、人々は、それを、正しく受け止めたでしょうか?
イエス様は、正統に評価されたでしょうか?

人々は、完全に間違ってしまいました。
イエス様は、十字架で、人々の為に、苦しんでおられました。
しかし、人々は、そのことを認めませんでした。

もし、あなたが、人を助けたとします。その人の為に一生懸命、助けとなる事をしたとします。ところが、その相手から、ひどい扱いを受けたらどうでしょう。
もう二度と、助けてやらないと、思わないでしょうか?

ここに、イエス様が示された、究極の赦しのお手本があります。
イエス様はいわれました。

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そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を
分けた。
ルカの福音書23章34節
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イエス様は、ここで、自分をあざけり苦しめるもの、つまり、敵に対して、赦しと愛を宣言されました。
これは、イエス様がいわれた、

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しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
マタイ5章44節
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との言葉の通りのことでした。
そして、その究極の赦しが、私達の罪を赦し、救ったのです。
そして、それは、私達を造られた神様の、私たちへの本当の愛でした。

イエス様は、預言の通りにこられました。
しかし、それは、イエス様が、書かれていた台本の通りに行動されたということではありません。

イエス様は、ただ、私たち、イエス様が創造された、私たちへの愛、私達を助け出そうとする愛によって、十字架にかかり、死んで蘇られたのです。

この、イエス様は私たちに、互いに赦しあい、愛し合うように言われます。

あなたの心の中に、周りの人に対する、苦い思いはないでしょうか?
イエス様は、あなたを創り、また、その人を作られました。
そして、あなたの為に、そして、その人の為に、十字架で死んでくださったのです。

イエス様は預言の通りにこられました。
しかし、それは、ただ計画の通りにということではありません。
それをなさせたのは、私たちに人間に対する、神様のイエス様の限りない愛です。

いま、この主の十字架に感謝し祈りましょう。


<祈りの課題>・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子どもたちを守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。





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