礼拝でのお話
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信じて祈る
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

ハレルヤ聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、私たちの祈りに答えて、私たちに語り、また、御業をなしてくださる方です。
この方を覚えつつ、主の御言葉を聞いてまいりましょう。

ではまず、本日の主題聖句をお読みいただきたいと思います。
司会者お願いします。

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21:12それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
21:13そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
21:14また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。
21:15ところが、祭司長、律法学者たちは、イエスのなさった驚くべきいろいろのことを見、また宮の中で子どもたちが「ダビデの子にホサナ。」と言って叫んでい
るのを見て腹を立てた。
21:16そしてイエスに言った。「あなたは、子どもたちが何と言っているか、お聞きですか。」イエスは言われた。「聞いています。『あなたは幼子と乳飲み子たちの
口に賛美を用意された。』とあるのを、あなたがたは読まなかったのですか。」
21:17イエスは彼らをあとに残し、都を出てベタニヤに行き、そこに泊まられた。
21:18翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。
21:19道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまで
も、ならないように。」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。
21:20弟子たちは、これを見て、驚いて言った。「どうして、こうすぐにいちじくの木が枯れたのでしょうか。」
21:21イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなこと
ができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
21:22あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章12-22節
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では、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いします。

<あんしょう>

では、皆さんでいいましょう。
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主題聖句:あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。
マタイの福音書21章22節
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では、今日はこのところから、「信じて祈る」と題しまして御言葉を共に見て参りたいと思います。

今回の箇所で、イエス様は、祈りについて、二つの事を教えておられます。
一つ目は、主の家は祈りの家であるということです。
二つ目は、信じて祈り求めるなら、何でも与えられるということです。

<<序:エルサレム入城>>

このマタイの21章は、イエス様が、エルサレムにメシアとして、こられたところからはじまります。
人々は、イエス様を、ホサナホサナと迎えました。
このホサナは、元来、助けてくださいという意味のヘブル語なのですが、当時のユダヤ人にとっては、メシヤを迎える為の言葉でした

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そして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。「ダビデの子にホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。ホサナ。い
と高き所に。」
マタイの福音書21章9節
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なぜなら、メシヤは、彼らにとって、そのローマの圧制から救い出してくれる方だったからです。
この叫び、この掛け声は何にたとえたらいいでしょうか?

震災で、瓦礫の下敷きになってしまった人が、そこにやってきたレスキュー隊員に声を掛けるようなものかもしれません。
しかし、それは、大きな喜びを伴った掛け声でした。

イエス様は、エルサレムに、預言のとおり、ロバにのって、入られました。

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「シオンの娘に伝えなさい。『見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って。』」
マタイの福音書21章5節
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このみ言葉は、ゼカリヤ書の御言葉の引用と思われますが、こう書いてあります。

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シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに
乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
ゼカリヤ書9章9節
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イエス様は、柔和で、ロバに乗っておられる。
ロバに乗っているというのは、どういうことでしょう。

いろいろな映画や小説を見ると、王様というのは、何に乗りますか?
馬ですね。馬にのると、どうなりますか?
馬は、背が高いのです。
ですから、馬にのると、当然高いところから、周りを見下ろすようになります。
しかし、イエス様は、もとより、神の子である方が、私たち人のところに下ってきてくださったかたです。
それで、イエス様は、馬ではなく、ロバにのり、そして、低い私たちと同じ高さで、こられたのです。
写真で見ると、ロバの背中に乗ると、もしかすると、立っている人より低いかもしれません。

イエス様は、柔和で謙った王としてこられました。

しかし、このイエス様は、宮に入られ、何をされたでしょうか?

<<1.祈りの家>>

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12それから、イエスは宮にはいって、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。
13そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる。』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」
14また、宮の中で、盲人や足なえがみもとに来たので、イエスは彼らをいやされた。
マタイの福音書21章12−14節
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ここで、イエス様は、宮の中で売り買いするものを、みんな追い出して、いわれいました。
「わたしの家は祈りの家と呼ばれる。」
皆さん、神の家は、祈りの家です。
ここで、イエス様は、神殿について語っておられます。
しかし、この教会も、神の家です。
教会には、いろいろな方がこられます。
そして、教会は、福音宣教の為にあります。
ですから、わたしたちは、教会に、神様を求めてではなく、人と話したいから、たとえば、音楽が楽しいからという理由でこられた方があったとして、そういう方
を追い出すのではありません。
しかし、私たち自身は、何を求めてここに来るでしょうか?
詩篇にこういうのがあります。

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私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。
詩篇27篇4節
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この詩はいろいろな賛美になっています。
「一つを」というのもありますし、
「ただ一つわたしの」
というのもあります。
これらは、私の大好きな、賛美です。

イエス様を信じ始めた頃から、私は教会に来るのが大好きでした。
そして、教会で一番好きだったことは、皆が帰って、一人になって、そして、神様にいのり、教会で時間をすごすことでした。
いまは、それを、いやというほど堪能させていただいていますが、私たちは、主を求めてここに来ます。

いや、ここに来ることだけではありません。
本当は、主の宮とはなんですか?
神の宮とは、神が住まわれるところです。
主の名で呼ばれるところに主は住まわれます。そういう意味で、教会は確かに主の宮です。
でも、それだけではありません。
神が住まわれる。今、イエス様はどこに住まれますか?

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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きている
のは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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イエス様は、今、私たちの内に生きておられます。
神様の居られるところが神の宮です。
そうするなら、私たち自身が神の宮です。
こうかいてあります。

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あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。
コリント人への手紙第一6章19節
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この私たちは、聖霊の宮、神の宮です。
そして、祈りの家です。
あなたがどこにいても、あなたは、祈りの家です。
ですから、いつも祈りましょう。
主と共にあって、祈り、そして、主の導きの中を歩みましょう。

皆さんの体を、祈りの為に用いましょう。

<イチジクとイスラエル>

ところで、イスラエルセミナーがいよいよ来週になりました。
ここで、かれたイチジクの木は、イスラエルを象徴しているといわれます。
主がこられたのに、実が無くて、葉ばかりが茂っていた。

葉はなんでしょう。葉は、光を受けて、栄養を作り出すところです。
神様からの恵みを受けるところです。
しかし、このイチジクは、恵みを受けても、実がなっていませんでした。

それは、神の恵みを受けならが、何の実も実らせないという姿です。
私たちはどうでしょうか?もちろん、実は、直ぐになるものではありません。
それには時間がかかります。
でも、私たちは、十分に主からの栄養をいただいて、そして、豊かな実を実らせる一人一人となりましょう。

私たちの実らせる実は、聖霊の実と救霊の実です。

聖霊の実は、これですね。
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22しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23柔和、自制です
ガラテヤ人への手紙5章22-23節
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そして、救霊の実は、人々が救われることです。

しかし、このイチジクに話を戻しますが、
主は、世の終わりに、イチジクがもう一度芽を出すと言われます。
そして、その時は、いま、来ています。
その事を見ると、世の終わりは近いのです。
詳しくは、イスラエルセミナーで学ぶことが出来ますので、是非、おこし下さい。

さて、2番目に入りたいと思います。

<<2.信仰による祈り>>

この、祈りの結果について、イエス様はいわれます。
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21イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことが
できるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言っても、そのとおりになります。
22あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章21-22節
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イエス様は、信じて祈るなら、何でも与えられるといわれました。

こういうお話で思い出すのは、一人の方のお証です。その方は、家から教会に通う途中に山があり、その山を越えなければなりませんでした。

あるとき、礼拝の説教で、このマタイの福音書21章21-22節の御言葉について聞きまして、それで、その方は、その行き帰り、この山が動いて海に入るようにと
命じたそうです。
そして、なんと、その後、その山の場所に道路が出来ることになりまして、そのため山を崩す工事がはじまり、そして、その山は無くなったそうです。
主は、信じるものの祈りに答えてくださる方です。

でも、問題は、私たちが信じるかどうかです。
私たちは、主の言われる事を、なかなか信じることが出来ません。

ある時、トマスがイエス様の復活を疑った時、イエス様は御自分の手を見せていわれました。

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それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じ
る者になりなさい。」
ヨハネ20章27節
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イエス様は、ここで、トマスが信じる事を助けてくださっておられます。
そうであるなら、同じように、信じることの出来ない私達を助けてくださるはずです。

<主は信仰へと導いて下さる>

ここで、トマスの信仰を励ましたのは、イエス様を見たことでした。
私たちは、御言葉の中に生きておられるイエス様を見ましょう。
イエス様が何をされたのか、見て、そして、信じましょう。

信じて祈り求めるなら、何でも与えられますと、イエス様はいわれました。
この事を信じましょう。
信じるものになりなさいとイエス様はいわれます。
エレミヤ書にはこうかいてあります。

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12あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
13もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。
14わたしはあなたがたに見つけられる。
エレミヤ書29章12−14節
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私はこの、「私はあなたがたに見つけられる」というところが好きです。
主は、私たちが探すなら、見つかってくださると書いてあるのです。
信じられないといいつつも、主を求めるなら、主は必ず私たちにわかるように示してくださる方です。

ですから、この方を信じましょう。
そして、主の栄光をあらわすものとなりましょう。
あなたの心に、聖書はこういうけど信じられないそんな思いがあるなら、祈りましょう。
正直に、私は信じられません。主よ、信じることが出来る様にしてください。
あなたの心を主はご存知です。
信じてますよと意地を張っていても、心の中に疑いがある。そういうことがあるなら、それを主の前に出しましょう。
そして、祈りもとめるなら、何でも出来るといわれる主を信頼して祈りましょう。

しばらく共に祈りましょう。


<祈りの課題>・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(台風、地震、津波で被災された方々のため)
・主がこの日本の子どもたちを守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。





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