礼拝でのお話
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イエスとは誰か
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

ハレルヤ聖なる聖なる聖なる主を称えます。
私たちの信じる主イエス様は、私たちの愛し、私たちの為にあがないとなられた方。
神の言葉であり、神の御子であり、創造主である方です。
このイエス様を覚えつつ、御言葉を聞いてまいりましょう。

皆さんおはようございます。
では、早速、本日の聖書箇所を司会者にお読みいただきましょう。
司会者お願いします。
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16:15イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16:16シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
16:17するとイエスは、彼に答えて言われた。「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの
父です。
16:18ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。
16:19わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは
天においても解かれています。」
16:20そのとき、イエスは、ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、と弟子たちを戒められた。
16:21その時から、イエス・キリストは、ご自分がエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえ
らなければならないことを弟子たちに示し始められた。
16:22するとペテロは、イエスを引き寄せて、いさめ始めた。「主よ。神の御恵みがありますように。そんなことが、あなたに起こるはずはありません。」
16:23しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っ
ている。」
16:24それから、イエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。
16:25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。
16:26人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよい
でしょう。
マタイの福音書16章15-26節
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では、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんでいいましょう。
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主題聖句:シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイの福音書16章16節
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さて、今年のテーマは、「十字架を見つめて歩む」だとお話ししました。
十字架を見つめるとはどういうことでしょうか?
この、シティーチャーチのマークも、十字架を見つめる目です。
ここでは、実際に、赤い十字架を見つめる眼としてデザインしましたが、
十字架を見つめるというのは、この架かっている十字架をじっと見ることではありません。
では、なんでしょう。十字架を見つめるとはどういうことでしょう。

それは、イエス様が十字架でなして下さったことを見つめるということです。
イエス様は、十字架で何をしてくださいましたか?
それは、何を成し遂げましたか?
敵はどうなったのですか?
そして、それによって、私たちはどうなったのですか?

イエス様は、神の子であり、罪の無い方でした。
この方が、十字架で、私たちの罪の身代わりに死んでくださいました。
それは、私たちの救いを完成しました。
そして、それによって、サタンの力は完全に打ち砕かれたのです。
私たちは、その事を信じるなら、罪赦され、神の子とされる特権に預かるものとなったのです。

これが、救いです。皆さんの知っておられる通りだと思います。
いま、私たちは、生ける真の神の子とされて、天国に至る特権の中にいます。
これは、素晴らしいことですね。
ハレルヤ

私たちは、このイエス様の十字架で成し遂げてくださった事を見つめて歩むのです。
聖書にこうかいてあります。

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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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前にも引用しましたが、しつこいですが、一緒に読みましょう。

このキリストについての御言葉には、何が表されているのですか?
それは、神の愛です。

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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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この、イエス様の犠牲に、神の愛が表されています。
ですから、十字架を見つめて歩むとは、神の愛を見つめ、神の愛を感じ、そこに表された神の愛を体験しつつ歩むということです。

私たちは、テレビを見ます。そうすると、いろいろな事を知ります。
また、そこに出ている人が、たとえば暑いところを歩いている。そうすると、ああ、暑いんだなあとか、そういう事を感じます。
時々、子どもたちが、家で、そういう番組を見ていると、わたしもつい、一緒に見てしまいます。
そうすると、まるで、自分が砂漠にいたり、あるいは、海の中にいたりするような気がします。

しかし、私たちは、その時、実際に砂漠や、海や、そういったところにいたのではなく、家の6畳の部屋のテレビの前に座っていたのです。
そして、その見たり感じたりしたことは、実際の体験ではありません。

私たちは、見ます。感じます。パッションという映画を見ると、本当に、イエス様が十字架へあゆまれた、そのそばで見ているかのような、そんな気持ちになった
場面もありました。
しかし、それは、実際の体験ではありません。

実際に、イエス様の十字架を体験することは出来ません。
しかし、私たちが十字架を見つめて歩む時、十字架に示された神の愛を信じて歩む時、そこで、実際に、神様の愛を体験することが出来ます。
聖書の中でわかりやすいのは、ペテロです。
彼は、舟で、湖を渡る途中、水の上を歩いてこられるイエス様を見ました。
その時のシーンがこれです。

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すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。
そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
マタイの福音書14章28-32節
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彼は、ああ、イエス様は水の上をあるけるんだと、それで終わらなかったのです。
自分も、それを体験したい。もちろんここで、恐い目にもあいました。
しかし、彼は、水の上を歩いたのです。
ここで、ペテロが、イエス様から来なさいといわれても行かなかったら、それを体験することは出来ませんでした。
もちろん、いま、水の上を歩けというのではありません。
しかし、信仰を持って踏み出すということはそういうことです。
私たちは、水の上を歩くように、信仰をもって、この世界に踏み出し、そして、多くの人々を救いへと導く為に用いていただきましょう。

さて、そういうものの、わたしたちは、聖書を、人生訓や、哲学書や、物語として読むことも出来ます。
しかし、聖書は、そういったものではありません。
聖書は、生きている神の言葉です。
そして、その言葉は力があります。

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神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別するこ
とができます。
ヘブル人への手紙4章12節
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聖書の言葉は、生きていて力があると聞くと、何か、不思議であるとか、印を思い浮かべるかも知れません。
もちろん、神様の言葉には、そういう力もあります。
しかし、ここに書かれている力はなんですか?
たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。
と、書いてあります。が、それは、あなた自身に働きかけて、あなた自身を変える力があるということです。

神の言葉は、あなたのこころを切り開き、あなたの心に働きかけます。

話がそれましたが、神の言葉は力があります。
この神の言葉の力を体験したくはありませんか?

私たちは、神の言葉が、生きて働き、力がある事を知っています。
でも、知っているのは、テレビで見たくらいの事かもしれません。

これを体験しましょう。そのためには、キリストについての神の言葉が必要です。そして、神と交わることが必要です。
私たちが、御言葉を読み、祈るなら、主は、私たちに信仰を与え、私達を用いてくださいます。
そのようにして、私たちは、神様を体験しましょう。

タイトルにもどりましょう。イエスとは誰かです。

先ほどのペテロは、イエス様のそばにいて、イエス様を体験した人です。
この、イエス様を体験した人は、イエス様について、こういいました。

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15イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
16シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」
マタイ16章15-16節
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生ける神の御子キリスト、それが、ペテロの出した答えでした。
そばにいたペテロは、この方がイエス様が、ただの人間ではない事をしっていました。

イエスとは誰かそれが、今回のテーマですが、これは簡単なことだと思っていました。
ところが、先日、先週の火曜日だったと思います。
本屋に行くと、イエスとは誰かという本がありました。
高尾利数という人の書いた本で、NHKブックスから出ていました。
この方は、東京神学大学大学院修了で、法政大学社会学部教授という方でした。

さて、どんなふうにかいてあるかと思っていたのですが、いろいろ神学をこねくり回した結果、
「当然のことだが、イエスも一人の人間であり、しかもいろいろ限定のある古代人の一人である」
と、結論付けているのです。
ただ、同じ人間として、その生き様から学ぶのだといった結論で、この人は、神学を学んだけど、神様との関係を学ばなかったのだと、残念になりました。
そのような、人が、教会の中にもいるかも知れません。
でも、もし、あなたがそれに共感するなら、気をつけてください。

あなたは、結局のところ、キリストの十字架を通してのみ与えられる、神様との和解をなしていないかもしれません。

聖書ははっきりと、この世界を造られた神様がおられることを語っています。
いや、逆です。聖書の初めは、神様が天と地を創造された
私たちが、神様はいるのかなあいないのかなあ
そんなことを考えるよりはるか昔に、神様が、天と地を造られた
これが、聖書の答えです。
星野富弘さんは、一般でも随分有名になられ、今度、星野富弘館は新しくなるとかも聞いています。
この星野さんの絵を見ると、星野富弘という方が居られるとわかります。
同じように、この世界を造った神様は、この世界を造ったといっておられるのです。

その神様は、私たちの為に、御子を使わされました。
それが、イエス様です。
このイエス様について、
聖書はさまざまな書き方をしています。
どんなのが浮かびますか?

王の王、主の主神の言葉義の太陽ダビデの子

しかし、ここで、ペテロが言っていることは、一番大切な二つの事を言っています。
ひとつは、生ける神の御子
もうひとつは、キリスト
一番目は、このイエス様と神様との関係を語っています。
イエス様は、神様の御子です。
それは、神様と同じ神格人格では無く、神様として存在される方です。
父なる神様との完全な関係を持っておられます。

2番目は、キリストそれは、油注がれたものとの意味ですが、
このときのユダヤの社会の中で、キリストはそのまま救い主をさしました。
ヘブル語でメシヤギリシャ語でキリスト
それは、救世主を意味します。
つまり、これは、私たちとイエス様との関係を意味しています。

イエス様は、神の子です。
そして、私たちの救い主です。

もし、イエス様が私達を救おうとしても、人間であったら、
先の本では、ただの人間として書いてありましたが、
人間であったら私達を救うことが出来ません。

人はみな自分自身が救われなくてはならない罪びとであるからです。
おぼれている人は、おぼれている人を助けることが出来ません。
それは、当然のことですが、全ての人は、罪の中におぼれていて、そのまま滅んでいこうとしています。
だれも、他の人を助けることは出来ません。

しかし、イエス様が神の子であっても、私たちを救う気がないなら、
私たちがおぼれている横をイエス様がすっと通り過ぎて歩いていかれたら、どうにもなりません。

でも、イエス様は、救う為に、救助者として来てくださいました。
ですから、私たちにとって、イエス様は、
生ける神の御子キリストです。
一緒にいいましょう。

イエス様は、生ける神の御子キリストです。

そうです。イエス様は、生ける神の御子キリストです。

このキリストを、私たちは知り、そして、今、体験しているのです。

さらにイエス様を深く知る為に、祈りましょう。御言葉を読みましょう。

また、このイエス様の素晴らしさを人々にのべ伝えるものとさせていただきましょう。
では、共に祈りましょう。このイエス様を見つめて、更にイエス様の事を知ることが出来るようにいのりましょう。

<キーワード>
キリスト:ギリシャ語でキリストヘブル語でメシヤは元来は油注がれた者の意で、王、祭司、預言者の任職に際し聖霊を象徴する油を注いだ事に由来するが、この
当時、救い主を指した。

<祈りの課題>・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(台風、地震で被災された方々のためインド沖地震で被害に遭われた方の為)
・主がこの日本の子どもたちを守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。





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