礼拝でのおはなし
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主にだけ仕えよ
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11:28すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげま
す。
11:29わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そ
うすればたましいに安らぎが来ます。
11:30わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」
マタイの福音書11章28−30節
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---祈り---

聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は、「わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。」と言われる方です。
この方を覚えつつ、この年の初め、主の御言葉を共に開いてまいりましょう。

さて、みなさんあらためまして、あけましておめでとうございます。
この新しい年も、皆さんに、主の豊かに祝福がありますように祈ります。

では、まず、早速ですが、本日の聖書箇所お読みいただきましょう。
本日の聖書箇所は、マタイの福音書4章1から11節です。
司会者お願いします。

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4:1さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
4:2そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
4:3すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
4:4イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書
いてある。」
4:5すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
4:6言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさ
せ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」
4:7イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
4:8今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
4:9言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
4:10イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
4:11すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。

聖書箇所:マタイの福音書4章1-11節
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つづきまして、主題聖句の暗唱を、教会学校の皆さんでお願いします。
<あんしょう>
では、皆さんでいいましょう。
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主題聖句:イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』
と書いてある。」
マタイの福音書4章4節
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ところで、30日から、昨日の朝まで、福知山に帰っておりました。
福知山は、31日から雪で、大変な状況でした。<<雪の写真>>
雪の画像1
雪の画像2
雪の画像3

それで、1日の朝、こちらに帰る時には、途中でチェーンをはめたり、大変なことでしたが、遅れながら、グレイス
での元旦礼拝に出席し、
メッセージも途中から聞くことが出来ました。
その時にいただいたカレンダーが後ろにありますので、一家族一枚でお持ち帰り下さい。
グレイスチャペルは、
コリント人への手紙第二9章8節を元に、

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神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵み
をあふれるばかり与えることのできる方です。
コリント人への手紙第二9章8節
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「キリストで歩む」(グレイス・チャペル2005年テーマ)

ということを、今年のテーマとしています。
私たちも、この主を共に崇めるものとして、

「キリストを見つめて」(シティー・チャーチ2005年テーマ)

と言う事を

テーマにしていきたいと思います。
そのテーマについては、言葉にはしていませんが、皆さんにお配りした、カレンダーなどに描いてある、このシティ
ーチャーチのマークがその事を語っています。
このマークは、シティーチャーチのCCとTCCの両方を、十字架を見つめる目にして、デザインしたものですが、十
字架に付けられた、キリストを見つめ続けていくことをあらわしています。
このマークを見るたびに、私たちは、キリストを見つめ続けるのだと言う事を、思い起こしましょう。
マーク画像


私たちのテーマとする御言葉は、この二つです。

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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆ
えに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
ヨハネの福音書10章27節
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私たちは、主を見つめ、主に従う群れとなって行きましょう。

この御言葉、このテーマは、今年だけでなく、これからも、ずっと、シティーチャーチのテーマであり、御言葉です。
年の初めの基調講演のようになりましたが、みなさん。キリストから、目を離さないでいましょう。

さて、話を今日の御言葉に戻しますが、
今日の御言葉も、実は、同じ内容です。

主にだけ仕えるということが、今回のテーマです。
私たちに対して、主にだけ仕えよと、御言葉は語ります。
しかし、いかがでしょうか?私たちは、本当に主にだけ仕えているでしょうか?

今回の聖書箇所を見てみましょう。
ちょうど、2004年最後のメッセージでも取り上げたところですが、イエス様が、悪魔の試みに会われるところです。
イエス様は、罪の無い方でしたが、悪魔は、イエス様を誘惑しに来ました。
悪魔は、3つの誘惑でイエス様を誘惑しました。

その一番はじめが、食べるということに関する欲求です。
この食欲といわれるものは、人にとって大変重要なものです。
なぜなら、人は食べないと死ぬからです。
だから、人は、しっかり食べてがんばりなさいとか、
病人にも、食べないと元気にならないよとか。
ま、もちろん食べてはいけない病気もありますが、基本的には、その人がしっかり食べて、そして、その本来体に供
えられている治癒力によって、直すわけです。
人が、食べるのは、貪欲だからではありません。
もちろん、それが、行き過ぎて、貪欲になったり、食べ過ぎたりすることもありますが、。
しかし、私たち人間は、食べないと死ぬのです。
そして、そういう意味で、食べることそのものは、罪ではありません。
また、私たちは、この体を神様から与えられたものとして、管理する責任をおっています。
それは、暴飲や暴食をして、体を壊さない、大切にすることでもありますが、同時に、私たちは、正しく食べる責任
もおっています。
正しく食べることについては、泉の森の祈祷院の安田先生ご夫妻が、非常に深く取り組んでおられます。
毎月機関紙を送っていただいていますので、是非お読み下さい。
断食祈祷院ですが、断食をするだけでなく、正しく食べることについて、大変深く学ぶことができます。
いまのお話とずれますので、細かい話は、また、ご紹介もしたいと思いますが、是非、泉の森のニュースレターを読
んでくださればと思います。

しかし、この、食べるということについて、サタンは誘惑してきました。

イエス様は、この先、大きな働きをする責任をおっておられます。
そういう中で、イエス様は、いま、40日の断食を終えて、空腹でおられたのです。

先の安田先生のお話にもありましたが、40日などの長い断食をすると、サタンがその人を滅ぼしに、誘惑しにやって
くるんだそうです。
ですから、断食というときに、実際に40日食べなかったことでなく、その40日たったときに、誘惑に打ち勝つ力が
必要だということです。
それは、人の力ではありません。聖霊様の力でなければならないのです。
お話がどんどんそれますが、この悪魔の誘惑という事を考えると、それは、実際に戦いの中にあるときでなく、それ
を乗り越えたところにあるようです。
やりとげたはずなのに、なにか空虚な感じがする。そういう経験はありませんか?
それは、サタンのせいですとまではいいません。
しかし、そのような時、サタンが働いているのかもしれません。
ですから、自分の中に、そのようなサタンの働く足がかりがないか、調べてみる必要があります。
賛美にもありますが、詩篇の139篇には、このように書かれています。

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神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。
詩篇139篇23−24節
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主に私たちの中を探っていただきましょう。
傷ついた道と聞くと、なにか、自分の心の傷というふうに取るかも知れませんが、
傷のついた道は、とこしえの道と対比させて書かれています。
とこしえの道は、義の道です。そうすると、この傷ついた道とは、義の道で無い道。
つまり、間違った道であるということがわかります。
わたしたちの、間違った考え、神様から離れた考え、そういったものが、私たちを、ますます神様から、離します。
主に私たちの心を探っていただき、状況によらない、心の平安をいただきましょう。

あなたの心が乱れている理由はなんでしょうか?
誰かが、いやな事をしたからでしょうか?しかし、主は言われます。

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わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに
与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネの福音書14章27節
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イエス様のお与えになる平安は、私たちが考えるものとは違います。
それは、どういう物でしょうか?
世が与える平安とは違うとイエス様がいわれました。
世が与えることの出来る平安は、状況による平安です。
いまから、あなたが、東京までいかなければならないとします。
そのとき、あなたの財布に、2000円しかなかったら、どうでしょう。
どうやっていこうか?いけるんだろうか?
不安を感じて当然です。

私は、新婚旅行で北海道にいったのですが、そのとき、途中でガソリンのメーターが一番下に来てしまいました。
一番下の印よりももっと低く、メーターが下がりだした時、しかも、それは、どこまでもつづく一本道です。
もう、随分暗くなり、どうしようかと不安になりました。

しかし、イエス様は、世が与えるのとは違う平安を与えるといわれました。

私たちは祈りました。ガソリンがふってきたわけではありません。
いや、もし、ふってきたら、逆に恐いでしょう。
しかし、そのメーターは下がりませんでした。
そこから、次の町まで、40キロほどの距離を、給油もなしにたどり着いたのです。

忘れることの出来ない思い出です。

私たちの不安、いやな思い、それらは、あなたの心をかき乱そうとするかもしれません。
しかし、私たちの心が主に結びついているなら、状況によらない平安が与えられるのです。

でも、だからといって、教会の中で、
「人に意地悪をして、心がかき乱されてどうするの?信仰がないねえ。」
なんていわないでくださいね。
それは、イエス様がいわれた、互いに愛し合うということから、程遠いことです。
そして、私たちは、互いを大切にしなければならないのです。

さて、お話を戻しましょう。
悪魔は、イエス様に、ちゃんと、元気をつけなきゃと言ってきたようなものです。
しかし、イエス様は、いわれました。
「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

この聖書の言葉がどこに書いてあるか知っていますか?
これは、申命記の中にかいてあります。

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8:3それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせら
れた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あな
たにわからせるためであった。
申命記8章3節
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ちょうど、大晦日から、元旦の朝にかけて、NHK教育で、聖書を語るとの番組がありました。再放送ですが、その中
で、この試みるということで、人が人を試みる時には、苦しめたり、飢えさせたりは出来るけれども、マナを与えた
りすることは出来ないという話をしておられました。

この試み、それは、いったいなんでしょう。結局のところ、私たちの会う試みは、私たちと神様との関係が試されて
いるということです。
私たちが、何か目的を持ちます。これを成し遂げようとします。しかし、その時に、私たちは、何の為にするのかを
忘れる時があります。

そして、やり遂げたけど、なんだかむなしい。
そんな思いを抱きます。

この聖書箇所でのイエス様を見てください。
悪魔は、神殿の頂に立たせてイエス様を誘惑します。
神の子なら、これをしなさい。
イエス様が、御自分の力を現すことは、人々を導く上で、必要なことでした。
しかし、イエス様は、いわれました。
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イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」
マタイの福音書4章7節
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悪魔は、今度は、世界の栄華をみせて、これを上げるといいました。
悪魔はアダムから騙し取って、世界の支配者となっていました。
そして、イエス様にそれを渡すといいました。

しかし、条件がありました。

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言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」
マタイの福音書4章9節
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イエス様は世界の王となるためにこられました。
ですから、それは、一見イエス様の目的にかなっているのです。
しかし、イエス様は、いわれました。

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イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」
マタイの福音書4章10節
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この一つ一つを、たとえば、食欲の問題、虚栄といったこと、そして、偶像崇拝との関係と、考えることも出来ます。

しかし、その全てに一貫しているのは、神様との関係です。
ここで、サタンが攻撃しているのは、神様との関係なのです。

私たちもそうです。
悪魔は、いろんな事をいって、わたしたちを誘惑してきます。
わたしは、たいしたこと無いから、40日断食したりもしないし、そんな対した誘惑もない。
なんて、言わないで下さい。
あくまは、いつも、私達を滅ぼし、食い尽くそうとして、見ています。

そして、攻撃してくるのは、結局、神様との関係です。
私たちに、神様を信じているのにどうして、とか、
もう、信仰なんてどうでもいいとか
イエス様信じていても、私なんかたいしたこと無いとか、
思わせることが出来れば、サタンにとって、目的を果たしたことになります。
私たちと神様との関係が崩れていくからです。

みなさん。
この一年の初め、皆さんにいいます。
御言葉を読みましょう。そして、祈りましょう。
--
あなたと友達になりたい人がいて、手紙を書いてきたとします。
その時、それを読まずに置いておいたら、その人と仲良くなれますか?
それでは、その人と仲良くなることは出来ません。
私たちは、その人の手紙をよく読み、そして、その人に手紙を返すのです。
そうすることで、その人の事をよく知り、その人と仲良くなることが出来ます。
皆さん。神様は、皆さんのことが大好きで、手紙をくださいました。
それが聖書です。ですから、聖書を読みましょう。
神様の言葉を読み。そして、祈りましょう。
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それは、何の為ですか?
--
それは、聖書の知識を増やしたり、そのことで、なにか立派になるためではありません。
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それは、あなたと神様との関係を正しくする為です。
あなたと神様とが結びついているなら、どんなことが起こっても、私たちの心は平安で守られます。

不安な時代です。
また、不安をあおることがいっぱいあります。
ノストラダムスの預言もおわったかと思ったら、じつは、2015年だとか、それは、本を売ってお金を儲けるためにし
ているだけのような人たちがいて、
人々を不安や、そのための無気力に陥れようとします。

しかし、私たちがしっかりと主に結びついているなら、主はあなたを守られます。
最後に詩篇121篇の御言葉をお読みします。

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私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。
主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。
見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。
主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。
昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。
主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
詩篇121篇
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不安で眠れないことはありませんか?
主は、眠らずに、あなたを守ってくださる方です。
また、とこしえにあなたを守られます。

この主をしっかりと見つめ、そして、主の御言葉にしたがって、主に仕えて歩みましょう。
私たちが、この一年、なによりも、主に仕え、主を見つめて歩むことが出来るようにお祈りしましょう。


<祈りの課題>・御言葉への応答・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(台風、地震で被災された方々のため)
・主がこの日本の子どもたちを守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。




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