礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2015/08/16
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霊的な礼拝
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主なる神様は、天と地と全ての創造者です。
主なる神様は、愛と恵みで世界を治めておられます。
主なる神様は、良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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8月16日(日)[ ]詩54-58/[ ]ロマ11:1-24
8月17日(月)[ ]詩59-63/[ ]ロマ11:25-36
8月18日(火)[ ]詩64-67/[ ]ロマ12
8月19日(水)[ ]詩68-69/[ ]ロマ13
8月20日(木)[ ]詩70-72/[ ]ロマ14
8月21日(金)[ ]詩73-76/[ ]ロマ15:1-13
8月22日(土)[ ]詩77-78/[ ]ロマ15:14-33
8月23日(日)[ ]詩79-82/[ ]ロマ16
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旧約聖書は詩篇。
新約聖書はローマ人への手紙です。

詩篇は今回も、ダビデの賛美、そして、アサフの賛美などが続きます。
ダビデがサウルから逃げているときの賛美や、荒野での賛美なども書かれています。
是非お読み下さい。

ローマ人への手紙はお話の中で見てまいりましょう。

では、今日は、ローマ人への手紙12章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 ローマ人への手紙12章1−15節
・新改訳Up283(贈呈p248、英対p474)
・新改訳Vp308、英対p344(贈呈p283)
・口語訳p249
・新共同訳p291(贈呈p291、英対p443)
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朗読を御願いします。
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12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊
的な礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応
じて、慎み深い考え方をしなさい。
12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。
12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
ローマ人への手紙12章1節
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これらのところから、
「霊的な礼拝」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

皆さん。御言葉に入ります前に、二点報告させていただきます。
CSKキャンプが月曜日から木曜日まで、皆様のお祈りに守られ無事に終わりました。
少し事件もありましたが、神様が大事にならないようにしてくださいました。
また、金曜日は、父の納骨を無事に済ませることが出来ました。
こちらも、天候も守られ神様の祝福と守りの中、行うことが出来ました。
主に感謝します。
お祈りありがとうございました。

さて、御言葉に入りますが、今回のタイトルは、霊的な礼拝です。

私たちは、今日、礼拝を捧げる為に、ここに、集まりました。
では、この礼拝は、霊的な礼拝でしょうか。

それは、神様に判断して頂くしかありません。

イエス様は、金持ちの大きな献金よりも、やもめの献金を大きいとみなされました。
それは、全財産、心からの献金だったからです。
また、立派なパリサイ人の祈りよりも、取税人が自分の罪を悔いて祈るのをよしとされました。
神様は、いつも、へりくだった悔いた心を見ておられるからです。

ですから、この礼拝が良いかどうかも、人間的に判断できるものではありません。
霊的な礼拝は、神様を喜ばせることのできる礼拝です。

それは、人間的な判断によらないものです。しかし、それでも、神様に喜んでいただくために、わたしたちは、霊的な礼拝を捧げたいと思います。

では、霊的な礼拝とは、どんな礼拝でしょうか。

ここには、二つの言葉があります。

霊的と礼拝です。

霊的というと、皆さんどんなことを想像しますか?
ときおり、私、見えるんです。なんて人がおられます。
私、霊感、強いんです。とも言われます。しかし、聖書のいう霊的はそんなものではありません。

簡単にいいますと、聖書における霊的とは、御霊にあるということです。
神の霊である、御霊様、聖霊様にあって生きることが、霊的なのです。

では、聖霊様はどのように働かれますか。
聖霊様が働かれるとどうなりますか。

そこには、不安や恐怖や怒りでなく、義と平安と喜びがあります。
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なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。
ローマ人への手紙14章17節
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聖書は、酒に酔わず、聖霊に酔いなさいといいます。
この世の人は、不安を忘れるために、酒を飲みます。
また、間違いをあやふやにするために酒を飲みます。
そして、喜ぶために酒を飲みます。
しかし、これらは皆、本来、聖霊様によって与えられるものなのです。


また、聖霊様は、世の誤りを認めさせると書かれています。
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8 その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
ヨハネの福音書16章8−11節
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この世はどのように間違っているでしょう。
ここに書かれていることを見ますと、罪とは、イエス様を信じないことです。
そして、義とは、イエス様が神様の前に出られることです。
十字架の御業をなしとげて、イエス様は神様の元へ引き上げられました。
これが、義なのです。
ですから、義は人が成し遂げることのできないことです。

ただ、義をなしとげられた方を信じる信仰によって義とされるのです。

そして、裁きとは、悪魔に対して下るものです。
ところが、悪魔の支配下にあるなら、悪魔と共に滅ぼされます。
ですから、十字架で悪魔の支配を打ち砕かれたイエス様を信じ、悪魔から解放されなければなりません。

そのすべてがイエス様の十字架を信じる信仰にかかっているのです。

ところが、この世は、どうやったら自分の力で裁きから逃れることが出来るかとか、
自分の力で義とされるには、どうしたらいいのかと考えます。
しかし、それ自体が間違いなのです。
そして、イエス様の十字架という本当の答えを教えて下さるのは、聖霊様なのです。

さらに、御霊の実について、こう書いてあります。
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22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
ガラテヤ人への手紙5章22−23節
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皆さん。ここに挙げられていることが、聖霊が働かれた結果です。
ですから、これこそが、霊的なのです。

また、御霊の賜物についても聖書はこういっています。
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7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
コリント人への手紙第一12章7−10節
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ここに聖霊による賜物が書かれています。
しかし、まず、ここに注目してください。
みなの益となるためにと書いてあります。
それは、自慢するためではありません。

みなの益のためなのです。
わたしたちは、このような、聖霊の賜物をもとめて祈ることも大切です。
しかし、それ以上に大切なのは、互いのため、教会のためであるということです。

聖霊様はこのように、私たちを悟らせ、賜物を与え、実を実らせてくださいます。

この聖霊様によるのが霊的な礼拝です。

まあ、一般的に霊感などと言われているのは、たいてい悪霊によります。

それは、どうやって見分けるのですか?

それを見分けるのはイエスキリスト様のお名前です。
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愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。
人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによって神からの霊を知りなさい。
ヨハネの手紙第一4章1−2節
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世の終わりの時といわれます。
これまでになかったような人物が悪魔によって出てくるかもしれません。
だから、イエス様の御名をしっかりと握っていなければなりません。

さて、霊的ということを見ましたので、主題聖句にもどります。
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そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼
拝です。
ローマ人への手紙12章1節
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つぎに礼拝です。礼拝。それは、なんでしょう。
礼拝と捧げ物は一つです。
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3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来た。
4 また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。
創世記4章3−4節
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これは、はじめて礼拝について書かれているところです。
なぜ、ここで、アベルが受け入れられ、カインは受け入れられなかったのかわかりません。
しかし、カインの心が正しくなかったことが聖書に書かれています。
神様は、その心を見ておられました。
そして、最良の物を、こころから捧げたアベルを喜ばれたのです。

礼拝は、捧げ物なしにありえません。

では、礼拝において、わたしたちは、何を捧げているでしょう。

皆さんは、まず、時間を捧げています。
ここに来るためにどれだけ時間を使われたでしょう。
また、ここにこうしている時間、家でゆっくりしたかったと思う方もあるでしょう。
しかし、神様を愛して、この時間を捧げられたのです。
これは尊いことです。

また、祈りを捧げます。
そして、また、賛美を捧げています。
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ですから、私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。
ヘブル人への手紙13章15節
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今日は、最高の賛美と歌いました。
最高の賛美とはどんな賛美でしょう。

先ほどの、やもめや、取税人のことから考えるなら、それは、楽器が整っていたり、良い場所であったりすることではありません。
音楽的なテクニックでもありません。

神様の前にへりくだり、感謝し、心から、神様に喜んでいただきたいという思いから捧げられるものです。
皆さん。そのような最高の賛美、最高の礼拝、霊的な礼拝を捧げて参りましょう。

また、私たちは、礼拝で献金を捧げています。
献金には、大きく四つの種類があります。
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十分の一の捧げ物、
感謝の捧げ物、
請願の捧げ物、
進んで捧げる捧げ物
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それぞれが大切な捧げものです。

では、人類歴史の最高の捧げ物はなんでしょう。
それは、イエス様ご自身という捧げ物です。
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11 しかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
12 また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所にはいり、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
ヘブル人への手紙9章11−12節
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そして、これこそ、最高の礼拝でした。
大祭司が罪の贖いのための捧げものをするのは年に一回です。
そのとき、動物の血を持って、神殿の中の聖所に入るのです。
しかし、イエス様は、人類歴史の中でただ一度、真の聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
人類歴史最高の捧げもの、最高の礼拝をイエス様はこの時に成し遂げられたのです。
この捧げもの、礼拝によって悪魔の力は打ち砕かれました。
ですから、礼拝は、霊の戦いでもあるのです。

神様に何かしていただきたいから捧げるのでなく、神様を愛して、神様に全てを捧げる。
イエス様がなされたのはそのような捧げもの、そのような礼拝です。
自分自身を捧げること、それが最高の礼拝です。

ですから、今、わたしたちは、自分自身を捧げるのです。
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そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼
拝です。
ローマ人への手紙12章1節
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自分自身をもって、皆さん。最高の礼拝を捧げて参りましょう。
実は、皆さん、イエス様を信じた時から、神様に捧げられたもの、神様のものです。
しかし、あなたは、この地上において、神様の子として生きることも出来るし、そうでないように生きることもできるのです。

ここで、自ら、自身を神に捧げて生きる事が礼拝であると書いてあります。
わたしたちは、このように集います。それは、大事なことです。
しかし、人生の全て、イエス様のように捧げられたものであるなら、その全てが礼拝なのです。
その上で、このように続きます。
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4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、
5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
ローマ人への手紙12章4−5節
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ここで、一つの体とあります。私たちは皆、捧げられた者なので、一つなのです。
それゆえ、各器官です。

また、私たちは、神に捧げられた神の体として、神からの賜物を用いるのです。
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6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。
7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。
8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行なう人は喜んでそれをしなさい。
ローマ人への手紙12章
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聖霊様による、愛があります。霊に燃え、主に仕え、祈りに励む。これも、すべて、礼拝なのです。
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9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
ローマ人への手紙12章
++++++++++

施しをし、祝福する。人と共に歩む、それもまた礼拝なのです。
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13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。
15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
ローマ人への手紙12章
++++++++++
私たちがイエス様にあるなら、これらすべては実は霊的な礼拝なのです。
それは、人間的なことでなく、自分を神様に捧げた結果だからです。

ところで、続きにこう書いてあります。
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19 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」
20 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
21 悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
ローマ人への手紙12章
++++++++++
復讐しない。敵を愛し、赦すことは、大きな霊的な戦いです。

皆さん。あなたが、自分にいやなことをした人を赦すこと、その時、それは、悪魔に対する大きな勝利です。
あなたが、そのように敵を赦すという戦いをされたとき、それは、戦いの最前線にいるのです。

考えてください。ダビデとゴリアテの戦いの時、イスラエルの陣営もペリシテ人の陣営もその様子を見ていました。
そして、ダビデがゴリアテを倒したことが、イスラエルに大勝利をもたらし、大きな喜びをもたらしたのです。

神様も天使たちも、天の陣営はあなたがこの戦いに勝利するかどうか見ています。
なぜなら、悪魔をあなたがたの足で踏みつけると書かれているからです。

もちろん、負けそうになったり、退いても、神様は、手をしっかり持って守ってくださいます。
しかし、悪魔に対する勝利をあなたが取ることを神様は願っておられるのです。

あなたは、自分にいやなことをする人のいる問題を自分のことだと思っているかもしれない。
でも、それは、神様と悪魔との壮大な戦いの最前線なのです。

そして、この戦いの最大の勝利はイエス様の十字架です。
イエス様は敵であった私たちの罪を赦し、身代わりに十字架で死んでくださったのです。

この十字架にあらわされているように、礼拝と、捧げものと、霊の戦いは一つです。
++++++++++
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼
拝です。
ローマ人への手紙12章1節
++++++++++
しかし、それは、捧げられた者としての歩です。
ですから、自分によるのではありません。
神様にゆだねる人生でもあります。

そこに聖霊様が豊かに働かれます。
人生の全ての場面において、神様に自分自身を捧げて歩んでまいりましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/08/16 霊的な礼拝
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