礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2015/05/31
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全身きよいのです
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神全能者王の王主の主。
全てを治めておられる方、
恵と愛に満ちた方です。
主なる神様は良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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聖書の通読箇所を開いて見ましょう。
旧約聖書が列王記第一から第二
新約聖書がヨハネの福音書です。
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5月31日(日)[ ]T列22/[ ]ヨハ12:20-36
6月1日(月)[ ]U列1-2/[ ]ヨハ12:37-50
6月2日(火)[ ]U列3-4/[ ]ヨハ13:1-20
6月3日(水)[ ]U列5-6/[ ]ヨハ13:21-38
6月4日(木)[ ]U列7-8/[ ]ヨハ14:1-21
6月5日(金)[ ]U列9-10/[ ]ヨハ14:22-31
6月6日(土)[ ]U列11-13/[ ]ヨハ15
6月7日(日)[ ]U列14-15/[ ]ヨハ16:1-16
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列王記第一の中で、ある王は神様に従い、ある王は神様に背きます。
そして、列王記第二に入り、預言者エリヤが登場します。
動きのある面白いところです。是非お読みください。

新約聖書はヨハネの福音書です。
こちらは、お話の中で見てまいりましょう。

では、今日はヨハネの福音書13章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書13章1−11節
・新改訳Up189(贈呈p168、英対p310)
・新改訳Vp207、英対p231(贈呈p192)
・口語訳p162
・新共同訳p194(贈呈p194、英対p298)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書13章1−11節
13:1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
13:2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
13:3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、
13:4 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
13:5 それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。
13:6 こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」
13:7 イエスは答えて言われた。「わたしがしていることは、今はあなたにはわからないが、あとでわかるようになります。」
13:8 ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
13:9 シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
13:10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
13:11 イエスはご自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みながきよいのではない。」と言われたのである。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。
ヨハネの福音書13章8節
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では、これらのところから、
「全身きよいのです」
と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の所は、イエス様が十字架に架かられるすぐ前のことです。

ヨハネの福音書12章には、エルサレム入城が書かれていて、続いて、過ぎ越しの食事となります。
ここで、イエス様は弟子達の足を洗われました。

そして、裏切るものが出ることを語られます。
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21 イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」
ヨハネの福音書13章21節
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そのあと、ユダがパンを受け取って出て行きます。
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26 イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。
ヨハネの福音書13章26節

30 ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。
31 ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。
ヨハネの福音書13章30−31節
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そのあと、イエス様は様々な教えを語られます。
そこにはこの新しい戒めも入っています。
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33 子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない。』とわたしがユダヤ人たちに言った
ように、今はあなたがたにも言うのです。
34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
ヨハネの福音書13章33−35節
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そのように語られる一方で、ペテロが裏切ることも預言されます。
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36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
38 イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
ヨハネの福音書13章36−38節
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ペテロだけではありません。誰も、誰も弟子は残らなかったのです。
全ての弟子が、逃げてしまいました。

そして、再度、ユダの裏切りについて語られます。
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12 わたしは彼らといっしょにいたとき、あなたがわたしに下さっている御名の中に彼らを保ち、また守りました。彼らのうちだれも滅びた者はなく、ただ滅びの子が滅びました。それは、聖書が成就するためです。
ヨハネの福音書17章12節
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その後、イエス様は、祈りの場に行かれました。
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1 イエスはこれらのことを話し終えられると、弟子たちとともに、ケデロンの川筋の向こう側に出て行かれた。そこに園があって、イエスは弟子たちといっしょに、そこにはいられた。
2 ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。
3 そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。
ヨハネの福音書18章1−3節
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そこに、兵士達がやってきて、イエス様はついに捕らえられ十字架につけられるのです。

このはじまりが、今回の箇所です。
もう一度見てみましょう。

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1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、
ヨハネの福音書13章1−3節
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過ぎ越しの祭りの前に、イエス様は、この世を去る時が来たことを知られました。
それは、つまり、十字架で死ぬということです。
その時がついに来たことを知り、イエス様は弟子達に愛を示されました。

そこにはユダもいました。しかし、悪魔はユダの心にイエス様を売ろうとする思いを入れていました。

中には、このイエス様が十字架に架かられるということが、救いのご計画であるので、ユダのしたことは正しいと勘違いしておられる方がおられます。
しかし、それは間違っています。
マルコの福音書の14章にはこう書いてあります。
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20 イエスは言われた。「この十二人の中のひとりで、わたしといっしょに、同じ鉢にパンを浸している者です。
21 確かに、人の子は、自分について書いてあるとおりに、去って行きます。しかし、人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」
マルコの福音書14章20−21節
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ですから、これは悪魔のしわざです。
悪魔はどのように働くでしょう。
悪魔はいつも、殺し、滅ぼそうとします。
悪魔は人間の罪を神様に訴え、許可を神様から得て災いを持ってきます。
神様は正しい方であるゆえに、悪魔のその訴えを聞かれますが、同時に脱出の満ちも備えておられます。
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あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、
試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。
コリント人への手紙第一10章13節
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また、神様は全ての事を変えて、益としてくださる方です。
悪魔がもたらすどんな災いも、神様は益と変えることのおできになる方です。
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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
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イスカリオテのユダは裏切りました。
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1 さて、過越の祭りの前に、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知られたので、世にいる自分のものを愛されたイエスは、その愛を残るところなく示された。
2 夕食の間のことであった。悪魔はすでにシモンの子イスカリオテ・ユダの心に、イエスを売ろうとする思いを入れていたが、
3 イエスは、父が万物を自分の手に渡されたことと、ご自分が父から来て父に行くことを知られ、
ヨハネの福音書13章1−3節
++++++++++
しかし、その時、イエス様は、時が来たことを知られました。
それは、イエス様にとって、栄光の時だったのです。

ですから、その前に、最後に、弟子達の足を洗うという方法で、愛を示されました。
イエス様は、そこにいた全てのものの足を洗われたのです。当然、ユダもそこにいたでしょう。

イエス様を裏切ろうとしているユダ。しかし、そのユダの足を洗われるイエス様。
最後まで、イエス様はユダを愛しておられました。
このとき、ユダがどんな気持だったかわかりません。

しかし、イエス様のして下さった事を心から喜べなかったことは確かでしょう。

ユダの心は、イエス様に対する不信や不従順で一杯だったのです。

彼の中にはたまらない思いがあったかも知れません。

すでにユダは、祭司たちと、イエス様を売る約束をしていました。
でも、やめることもできたのです。しかし、彼は、自分の考えを押し通したのです。

聖霊様は、ユダに語っておられたと思います。
しかし、彼は、それを受け入れませんでした。
イエス様がこのように愛を示されても、それも受け入れませんでした。
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だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、聖霊に逆らう冒涜は赦されません。
また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
マタイの福音書12章31−32節
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そうして、彼は、自分の罪によって滅んだのです。

しかし、イエス様を裏切ったのはユダだけではありません。
弟子達はだれも残らなかったのです。皆、イエス様を見捨て、裏切りました。
ペテロも、裏切りました。しかし、ペテロは、涙を持ってへりくだり、悔い改めたのです。

弟子たちも皆そうだったでしょう。
あなたがどんな罪を犯しても、神様は赦して下さいます。
へりくだり、神様に目を向けましょう。
神様は御子さえ与えるほどにあなたを愛しておらるのです。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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この神様の愛に信頼を向けましょう。

さて、そのような愛の中で、イエス様は一人一人の足を洗われました。
それは、最も低い、へりくだった行為です。

その時、ペテロは言いました。
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ペテロはイエスに言った。「決して私の足をお洗いにならないでください。」イエスは答えられた。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。」
ヨハネの福音書13章8節
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すると、イエス様は、このように答えられたのです。
足を洗うことは罪をきよめる事を意味していました。

もし、洗わないなら、イエス様と関係がないと聞いて、ペテロは、今度は、全身洗って下さいといいます。
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10 イエスは彼に言われた。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです。あなたがたはきよいのですが、みながそうではありません。」
ヨハネの福音書13章10節
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すると、水浴したものは全身きよいとイエス様はいわれたのです。
水浴とは洗礼のことです。

洗礼を受けたものは、すでにきよいのです。

きよいとはどういう事でしょう。
それは、神様のものであるということです。
イエス様を信じて洗礼を受けたものは、また、罪をおかしたとしても、イエス様のものです。
父なる神様のものです。神様の子どもなのです。

それは、イエス様を信じる信仰によります。

イエス様を信じ、その事を告白し、その信仰にもとづいて洗礼を受ける。
ですから、洗礼も信仰によるのです。

ペテロは自分が罪深いことを知っていました。
それで、また、全身を洗ってくださいとイエス様にいいました。
しかし、ペテロは、すでに神様のものです。
再び洗礼を受ける必要はないのです。

とはいえ、わたしたちは、この世において生活するうえで、足が汚れます。
このとき、弟子達はサンダルのようなものをはいていました。

道路も、アスファルトではありません。
歩くと、足は泥で汚れます。

同じように、この世界は、天国のように綺麗ではありません。
歩くと罪で汚れます。
神様は、良い知らせを伝えるものの足は麗しいと言われます。
++++++++++
良い知らせを伝える者の足は山々の上にあって、なんと美しいことよ。平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、救いを告げ知らせ、「あなたの神が王となる。」とシオンに言う者の足は。
イザヤ書52章7節
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福音を伝えるものの足は麗しいのです。
しかし、また、私たちが出て行くとき、そこには罪の世界があります。
罪で汚れるといいますが、悪いことがおこるから汚れるのではありません。
もし、人からいやなことをされても、そこで、怒らないなら、汚れないのです。
汚れは内側から出るのです。しかし、わたしたちが怒るとき、ねたむとき、私たちは罪に汚れるのです。
ですから、その思いを神様に向けるのです。
しかし、その時も、その後、神様が自分を変えようと働いてくださることに、自分をゆだねることが大切です。

わたしたちは、日々、イエス様に目を向けて、イエス様からきよめを頂く必要があるのです。
++++++++++
もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一1章10節
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罪を犯していないというなら、神を偽り物とすると書かれています。

わたしたちは、みな罪人です。
そして、自分の罪を自分で洗うことも出来ないのです。
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【 主題聖句 】
もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。
ヨハネの福音書13章8節
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ですから、イエス様の前にへりくだり出て行かなければなりません。

それは、日々イエス様の前に自分の罪を告白し、許しをいただくことです。

でも、それによって天国にいけるのではありません。

ペテロは、自分の罪深さを知り、言います。
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シモン・ペテロは言った。「主よ。わたしの足だけでなく、手も頭も洗ってください。」
ヨハネの福音書13章9節
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手も、頭も、罪でいっぱいだとペテロは考えました。

しかし、イエス様は、それでも、神様のものとされていることをお示しになったのです。
皆さん。神様の前に出ることが出来るのは、自分で自分を綺麗にしたからではありません。

それは、イエス様によるのです。
イエス様が罪の身代わりとなってくださった事を信じる信仰によって義とされているのです。

ですから、イエス様に目を向けましょう。
そして、日々、自分の罪をイエス様に告白しましょう。
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【 主題聖句 】
もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません。
ヨハネの福音書13章8節
++++++++++
イエス様は、その罪をきよめ、赦し、導いて下さいます。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/05/31全身きよいのです
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