礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2015/04/19
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神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全能者、王の王、主の主。
主なる神様は、愛と恵に満ちた方。
主なる神様は良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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4月19日(日)[ ]ルツ3-4/[ ]ルカ16
4月20日(月)[ ]Tサム1-2/[ ]ルカ17:1-19
4月21日(火)[ ]Tサム3-5/[ ]ルカ17:20-37
4月22日(水)[ ]Tサム6-8/[ ]ルカ18:1-17
4月23日(木)[ ]Tサム9-10/[ ]ルカ18:18-43
4月24日(金)[ ]Tサム11-13/[ ]ルカ19:1-27
4月25日(土)[ ]Tサム14/[ ]ルカ19:28-48
4月26日(日)[ ]Tサム15-16/[ ]ルカ20:1-26
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旧約聖書がルツ記からサムエル記第一
新約聖書がルカの福音書です。

ルツ記のルツは、ダビデ王の曾祖母にあたります。
異邦人でしたが、信仰の人でした。
そしてサムエル記に入ります。
サムエル、サウル、ダビデといったイスラエルのリーダーが出てきます。
非常に面白い所ですので是非お読みください。

新約聖書はルカの福音書。
こちらはお話の中で見てまいりましょうj。
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【 聖書箇所 】 ルカの福音書17章20−30節
・新改訳Up138(贈呈p124、英対p228)
・新改訳Vp151、英対p169(贈呈p143)
・口語訳p119
・新共同訳p143(贈呈p143、英対p221)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ルカの福音書17章20−30節
17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
17:22 イエスは弟子たちに言われた。「人の子の日を一日でも見たいと願っても、見られない時が来ます。
17:23 人々が『こちらだ。』とか、『あちらだ。』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。
17:24 いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。
17:25 しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。
17:26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
17:27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
17:28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
17:29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
17:30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。
ルカの福音書17章25節
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では、これらのところから、
「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の箇所はこのことばから始まります。
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さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
ルカの福音書17章20節
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神の国はいつ来るのか。

これは丁度前回も、見ていたことです。
結論からいうとそれはいつかわかりません。
それが、聖書の答えです。
もし、それを、聖書を調べた結果、何月何日だとか言う人がいたら、それは偽りです。
イエス様も知らないと言われるからです。
その日はいつかわかりません。
その日は突然でしかもいつかわからないのです。

そして、ここで、イエス様は、そもそも、神の国は、人の目で認められるように来るのではないといわれました。

神の国は、目に見える形でくるのではない。

例えば、黙示録を見ると、こんなふうに書いてあります。
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1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
黙示録21章1−2節
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これは、新しい天と新しい地、そして、その都であるエルサレムです。
それは、花嫁のようにと書いてあります。

また、御使いは小羊の花嫁を見せてくれます。
小羊とはイエス様です。
そして、キリスト・イエス様の花嫁とは教会の事です。
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9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」
10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
黙示録21章9−10節
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その教会が整えられて、聖なる都エルサレムとして、天から下ってくるのです。
それをヨハネは御使いから見せられています。
この美しい都エルサレムが、小羊の花嫁である

その都の素晴らしさも、黙示録に書いてありますので見ておきましょう。
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11 都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。
12 都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。
13 東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。
14 また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。
15 また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。
16 都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。
黙示録21章11-16節
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キリストの花嫁である教会は、このように整えられて天から下ってくるのです。

ところで、このスタディオンは、約185メートルといいますから、2220000メートル
これは、2220キロメートルという事で、本州よりも長いのです。ちなみに、本州は約1500キロメートルだそうです。
日本がすっぽり入るほどの都なのです。
ちなみに、スポーツの好きな方、このスタディオンという単位が、スタジアムの語源だそうです。
それは、競技場の直線コースが一スタディオンで造られたからだといわれます。

非常に大きく、しかも美しい都。
その新しい都エルサレムは、整えられた教会であり、キリストの身体であり、キリストの花嫁であるというのです。
これは、理解しがたいことです。
神様の考えておられることは、私たち人間の頭で完全に理解することは出来ません。

それは、わたしたちの理解をはるかに超えているのです。
しかし、その理解を超えた事柄をヨハネは見せられたのです。
そして、その都の素晴らしさを語っておられます。

さて、そのように整えられた、小羊の花嫁が教会です。
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というのも、私は神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っているからです。私はあなたがたを、清純な処女として、ひとりの人の花嫁に定め、キリストにささげることにしたからです。
コリント人への手紙第二 11章2節
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それは、イエス様を信じるものの集まりです。

わたしたち、人間は、神の国に入ると考えます。

しかし、神様が取り戻したいのは何か、天地創造のはじめにもどりましょう。
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そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。
創世記1章31節
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神様がこの天地を造られたとき、それは非常に良かったのです。

エデンは食べるものが沢山ありました。
そこは、神様の祝福に満ちていました。
アダムとエバは死ぬこともありませんでした。
そこは、神様の命に満ちていました。

ですから、アダムとエバにとって他に神の国が必要ではありませんでした。
彼らにとってはそこは神の国だったのです。

ところが、その世界は、アダムとエバの罪によって失われました。
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17 また、アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なけれ
ばならない。
18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
創世記3章17−19節
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世界は呪われてしまったのです。

それは、神様から離れてしまったということです。

今日は墓前礼拝があります。
墓には骨が入れられています。その骨も、時が立つと土に変わります。
化石は、一定の条件がなければなりません。
骨は普通、土になるのです。
もともと、人間は土になることも無く、永遠に生きる存在でした。
しかし、アダムは、神様から離れ、その命を失ったのです。

ここで、人間は、エデンという楽園を追い出されました。
そして、また、世界は、呪われ、地は呪われて、悪いものとなってしまいました。

人間が受けていたものが失われたように思います。
しかし、神様から見たら、本当に失われたのはなんでしょう。

それは、人間そのものなのです。

ですから、神様は、それを奪い去った悪魔を打ち砕き、人間を取り戻す御計画をお立てになったのです。
それが、救いのご計画です。
そして、失われた人類を救おうとされたのです。

それは、イエス様の十字架によって実現しました。

イエス様の十字架によって悪魔の力が打ち破られました。
人間の罪に対する刑罰がイエス様に下りました。
失われた人間を買い戻す代価がイエス様の命によって支払われました。
こうして、私たちは、義とされ、神の子とされたのです。
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ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
ローマ人への手紙5章9節
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キリストの血によって、罪赦され、義とされました。

そして、近いもの、神の子とされたのです。
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しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
エペソ人への手紙 2章13節
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また、神様は、創世記のはじめにこのように定められました。
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それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。
創世記2章24節
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この事を用いて、キリストと、信じるものの集まりである教会を一つとし、人類を救おうとされたのです。

世の終わりに、整えられた教会は、神様から見たとき、聖なる都エルサレムとして見えるのです。
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9 また、最後の七つの災害の満ちているあの七つの鉢を持っていた七人の御使いのひとりが来た。彼は私に話して、こう言った。「ここに来なさい。私はあなたに、小羊の妻である花嫁を見せましょう。」
10 そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。
黙示録21章9−10節
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そこは、光輝いています。
しかし、その光はなんですか。
それは、信じるもの一人一人の中に輝く神様の命です。
あなたは、神様から見れば光輝いているのです。

イエス様は、私が世にいる間、世の光だといわれました。
では、イエス様が天に上げられたいま、世の光はどこにありますか。
それは、信じる一人一人の中にあるのです。

信じる一人一人は、神様からみれば光り、輝いています。
その光りが、一人一人を通して輝くのです。
いま、この場所は、神様から見たら光り輝いています。
そして、世の終わり、そのような私たちが皆集められて、光り輝くエルサレムの都となるのです。

ですから、神の国とは、信じるものの只中にあります。
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20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
ルカの福音書17章20−21節
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その神の国は、いまもう、はじまっているのです。
神様から見たら、この場所は、光り輝く神様の命に満ちているのです。
そうであるなら、その神の国の一部同士が争うことなど意味があるでしょうか。
だから、私たちは、互いに愛し合い、受け入れあうのです。

また、神の国は神様の命に溢れています。

神の国は、神様の命が流れているところです。

命の川がそこに流れています。
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1 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
2 都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。
黙示録22章1−2節
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では、この川はどこから流れ出すのですか。
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わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネの福音書7章38節
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それは、人の心の奥底から流れ出すのです。

皆さん。神様が取り戻したいのは、人間そのものなのです。

私たちは、生ける神の宮です。
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神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
コリント人への手紙第二 6章16節
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つまり、神様のおられる所とは、本来は人間そのものなのです。

神様は、ご自身の栄光を人間を通してこの世界に現そうとしておられました。

ですから、何より大切なことは、自分の正しいと思うことを行うことではありません。
キリストにしっかりと結びつくことです。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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この世ので見るなら、私たちはそれぞれ立派にやっているように見えるでしょう。
自分で、出来ていると感じていても、ダメだと感じていても、神様から見れば、神様に結びついたときあなたを通して表される神様の栄光から見ればそれは程遠いのです。

ですから、しっかりとイエス様に結びついていなければなりません。
神様の命に結びついていなければなりません。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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聖書を読み祈る。このことも、イエス様にしっかりと結びつくためです。

あなたの内から神様の命が流れるのです。
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わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
ヨハネの福音書7章38節
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さて、最初の質問にもどります。
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さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
ルカの福音書17章20節
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パリサイ人たちは、尋ねました。
それが、いつか。

これに対して、イエス様は、世の終わりについてお答えになりました。
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23 人々が『こちらだ。』とか、『あちらだ。』とか言っても行ってはなりません。あとを追いかけてはなりません。
24 いなずまが、ひらめいて、天の端から天の端へと輝くように、人の子は、人の子の日には、ちょうどそのようであるからです。
ルカの福音書17章23−24節
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それは突然来ます。

ですからあちらだとか、こちらだとかそんなことを聞く間もありません。
それはたちまち一瞬に起こるのです。
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15 私たちは主のみことばのとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
テサロニケ人への手紙第一 4章15−17節
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しかし、その時地上におられたイエス様は、まずなさらなければならない事がありました。
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しかし、人の子はまず、多くの苦しみを受け、この時代に捨てられなければなりません。
ルカの福音書17章25節
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イエス様は、十字架に架かられ、救いの御業を完成されました。

そして、多くの人が、普通に過ごしているときに、突然世の終わりが来るのです。
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26 人の子の日に起こることは、ちょうど、ノアの日に起こったことと同様です。
27 ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、食べたり、飲んだり、めとったり、とついだりしていたが、洪水が来て、すべての人を滅ぼしてしまいました。
28 また、ロトの時代にあったことと同様です。人々は食べたり、飲んだり、売ったり、買ったり、植えたり、建てたりしていたが、
29 ロトがソドムから出て行くと、その日に、火と硫黄が天から降って、すべての人を滅ぼしてしまいました。
30 人の子の現われる日にも、全くそのとおりです。
ルカの福音書17章26−30節
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ノアの時、ロトの時、それは突然やってきました。

ですから、私たちはどんな時もイエス様にしっかりと目を向けて参りましょう。

多くの人の心は、この世の事で一杯で、そのために心が沈んだりしています。
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あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。
ルカの福音書21章34節
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クリスチャンでさえ、この世のことばかり考えて、悩むかも知れません。

しかし、皆さん。霊の目を覚まし、主を待ち望んで参りましょう。
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わたしがあなたがたに話していることは、すべての人に言っているのです。目をさましていなさい。」
マルコの福音書13章37節
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<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/04/19 神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。
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