礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2015/04/05 
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神のご威光
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神様です。
主は、全能者です。
主は、王の王です。
主なる神様は、愛と惠に満ちておられます。
主なる神様は、良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて皆さん、復活祭おめでとうございます。
イエス様は蘇られました。
ハレルヤ。蘇られた主を褒め称えます。

イエス様の復活は、死という悪魔の力が打ち破られたことの証明です。
イエス様の復活は、私たちの罪の代価が完全に支払われたことの証明です。
イエス様の復活は、イエス様の救いの業が完全であることの証明です。

ですから私たちは、この主イエス様の復活をお祝いするのです。

皆さん共に蘇られた主イエス様に目を向けて参りましょう。

さて、御言葉に入ります前に、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見てまいりましょう。
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4月5日(日)[ ]ヨシ20-21/[ ]ルカ9:1-17
4月6日(月)[ ]ヨシ22/[ ]ルカ9:18-36
4月7日(火)[ ]ヨシ23-24/[ ]ルカ9:37-62
4月8日(水)[ ]士師1-2/[ ]ルカ10:1-24
4月9日(木)[ ]士師3-4/[ ]ルカ10:25-42
4月10日(金)[ ]士師5-6/[ ]ルカ11:1-28
4月11日(土)[ ]士師7-8/[ ]ルカ11:29-54
4月12日(日)[ ]士師9-10/[ ]ルカ12:1-21
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旧約聖書が、ヨシュア記から士師記。
新約聖書が、ルカの福音書です。

ヨシュア記で、カナンの地に入ったイスラエル人は土地を分割し、そして、士師記の時代になります。
この士師記における特徴をあらわしているのはこの御言葉です。
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そのころ、イスラエルには王がなく、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行なっていた。
士師記21章25節
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それぞれが正しいと思うことをしている。
いまの世界も多くはそのようです。
多くの人々は、自分の正しいと思うことを行っているのです。
その結果どうなるでしょう。時には殺し合い、略奪しあうようなことが起こっています。
それも士師記と同じです。

大切なのはなんでしょう。それは、それぞれが王の王であるイエス様に従って歩むことです。
そこに本当の平和があるのです。

ルカの福音書は、お話の中で見てまいりましょう。
では、今日はルカの福音書から、9章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書9章42−50節
・新改訳Up120(贈呈p107、英対p197)
・新改訳Vp131、英対p147(贈呈p123)
・口語訳p103
・新共同訳p123(贈呈p123、英対p192)
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では、朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ルカの福音書9章42−50節
9:42 その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし、父親に渡された。
9:43 人々はみな、神のご威光に驚嘆した。イエスのなさったすべてのことに、人々がみな驚いていると、イエスは弟子たちにこう言われた。
9:44 「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」
9:45 しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。このみことばの意味は、わからないように、彼らから隠されていたのである。また彼らは、このみことばについてイエスに尋ねるのを恐れた。
9:46 さて、弟子たちの間に、自分たちの中で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。
9:47 しかしイエスは、彼らの心の中の考えを知っておられて、ひとりの子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
9:48 彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れる者です。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わされた方を受け入れる者です。あなたがた
すべての中で一番小さい者が一番偉いのです。」
9:49 ヨハネが答えて言った。「先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」
9:50 しかしイエスは、彼に言われた。「やめさせることはありません。あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方です。」
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この出来事は、イエス様が山から降りてこられたときの出来事です。
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37 次の日、一行が山から降りて来ると、大ぜいの人の群れがイエスを迎えた。
ルカの福音書9章37節
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まず、イエス様が山で何をしておられたかを見てみたいと思います。
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28 これらの教えがあってから八日ほどして、イエスは、ペテロとヨハネとヤコブとを連れて、祈るために、山に登られた。
29 祈っておられると、御顔の様子が変わり、御衣は白く光り輝いた。
30 しかも、ふたりの人がイエスと話し合っているではないか。それはモーセとエリヤであって、
31 栄光のうちに現われて、イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期についていっしょに話していたのである。
ルカの福音書9章28−31節
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イエス様の前に、モーセと預言者が現れました。
これは、旧約聖書の律法と預言を代表するものです。

この時、イエス様の姿が変わったことで、ペテロとヨハネとヤコブは驚きました。

それは、イエス様の本来の姿だったのです。
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今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
ヨハネの福音書17章5節
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イエス様は本来、神様のみそばで光輝いておられたのです。

しかし、この時、イエス様が考えておられた栄光は、このことではありませんでした。

イエス様は山から下りてこられて、悪霊を追い出されました。
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42 その子が近づいて来る間にも、悪霊は彼を打ち倒して、激しくひきつけさせてしまった。それで、イエスは汚れた霊をしかって、その子をいやし、父親に渡された。
43 人々はみな、神のご威光に驚嘆した。イエスのなさったすべてのことに、人々がみな驚いていると、イエスは弟子たちにこう言われた。
ルカの福音書9章42−43節
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人々は、悪霊を追い出されたイエス様の御力に驚かれました。
そして、その神の威光に驚嘆したのです。

しかし、人々が驚いているときにイエス様が言われたのが、このことです。
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「このことばを、しっかりと耳に入れておきなさい。人の子は、いまに人々の手に渡されます。」
ルカの福音書9章44節
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このことには二つの意味があります。
一つは、人々は、今、イエス様に驚いていますが、彼らはやがて、イエス様を殺そうとするということです。
そして、もう一つは、このように人々が驚いているよりも大きな事が起こるということです。

そのことについて、マルコの福音書を見てみましょう。
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33 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。
34 すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」
マルコの福音書10章33−34節
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イエス様は、人々の手にわたされて、十字架で死なれるのです。そして、さらに蘇られるのです。
これこそが、イエス様のあらわされる最も偉大な神の栄光だったのです。

だから、イエス様は十字架を前にして言われました。
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23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ヨハネの福音書12章23−24節
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イエス様が一粒の麦となって死なれることこそ、イエス様の栄光だったのです。

今日はこのイエス様の蘇りを記念する復活祭です。
そして、先週の金曜日は受難日、イエス様が十字架に架かられたのを記念する日です。
先週は受難週、先週の日曜日は、イエス様のエルサレム入城の記念の日、それを棕櫚の日と呼びます。
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12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、
13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
14 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。
15 「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」
ヨハネの福音書12章12−15節
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人々が棕櫚の木の枝をもってイエス様を歓迎したからです。

イエス様は、この時、イスラエルの王として、エルサレムに入られたのです。

それも、大きなことです。
しかし、それも、イエス様がそのあと受けられること、すなわち十字架からすれば大した事ではなかったのです。
ですから、つづきにこう書いてあります。
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初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出し
た。
ヨハネ12章16節
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つまり、王としての入城が栄光ではなかったということです。

この世で考えるなら王としての都入りというのは栄光です。
しかしそうではなかったのです。

そして、イエス様は言われます。
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27 今わたしの心は騒いでいる。何と言おうか。『父よ。この時からわたしをお救いください。』と言おうか。いや。このためにこそ、わたしはこの時に至ったのです。
28 父よ。御名の栄光を現わしてください。」そのとき、天から声が聞こえた。「わたしは栄光をすでに現わしたし、またもう一度栄光を現わそう。」
ヨハネ12章27−28節
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イエス様は助けて下さいと言われる代わりに、このためにこそ来たといわれたのです。

イエス様のなさったことは、また、考えておられたことは、この世の考えとは全く違います。

そのことが、次の御言葉からわかります。
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9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
ヨハネの福音書16章9−11節
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聖霊様が罪と義と裁きについての理解を変えさせるとイエス様は言われました。

罪とはなんでしょう。義とはなんでしょう。さばきとはなんでしょう。

罪についての間違いとは、イエス様を信じないことだと言われました。
律法への違反の問題ではなく、神への信仰、信頼こそが重要であり、罪とは、不信仰であるということです。
そもそも、罪とは、神様に対する不信仰なのです。
皆さん。神様は良い方です。良い事しかされません。
人はすぐにその事を疑ってしまいます。
そして、悪魔のもってくる恐れを受け取り、信じてしまいます。
しかし、私たちが本当に神様を信頼するなら、恐れは締め出されます。
そして、神様の用意された祝福を受け取ることが出来るのです。
罪とは不信仰です。

では、義とは、律法を守ることでなく、信仰なのかというと、確かに私たちは信仰によって義とされました。
しかし、イエス様は、ここではそういわれず、義とは、イエス様が父なる神様のもとへ行くことだと書いてあります。
律法において、義とされるために、人々は捧げ物を捧げました。
いろいろな動物、行い。しかし、どれも神の前に義とされるには不完全です。
皆さん、完全な捧げ物は、歴史の中に一つしかありません。
それは何でしょう。それは、イエス様ご自身です。
捧げ物を用意出来ない人間の変わりに、神様ご自身が捧げ物を用意されたのです。

神様に言われて、アブラハムがイサクを捧げようとしたとき、それをとめられた神様は、イサクの代わりに捧げ物の動物を用意されました。
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12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないで
わたしにささげた。」
13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
創世記22章12−13節
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わたしたちに用意できない完全な捧げ物を、神様ご自身がお与えになったのです。
それが、イエス様です。

この捧げ物によって私たちは、義とされるのです。

そして、神殿において、罪の為の捧げ物の血を至聖所に持っていくのは祭司です。
誰でも持っていけるのではありません。それもまた、イエス様がなさったのです。

その完全な捧げ物、ご自身という罪の無い捧げ物をイエス様は用意され、ご自身の血を流してそれを神様の前に持っていかれたのです。
義とはイエス様が捧げられたことです。

そして、最後に裁きについてと書かれていました。
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9 罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
10 また、義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなるからです。
11 さばきについてとは、この世を支配する者がさばかれたからです。
ヨハネの福音書16章9−11節
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捌きとは、この世を支配する悪魔への裁きです。
しかし、もし、私たちが、この悪魔と結びついているならば、悪魔と共に裁かれます。
ですから、神様との関係をしっかりし、悪魔との関係を断ち切るのです。

イエス様は、悪魔の力を打ち砕かれたのです。

イエス様がなさったことは、人々が受け入れることの出来ないことでした。
しかし、それは、罪の赦しのため、義の完成のため、悪魔が裁かれるためだったのです。
++++++++++
23 すると、イエスは彼らに答えて言われた。「人の子が栄光を受けるその時が来ました。
24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
ヨハネ12章23−24節
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そして、それこそが、イエス様のお受けになる栄光だったのです。

イエス様の十字架とは律法の完全な成就です。
それは神に従うこと。完全に従うことです。
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キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章8節
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人は、何をもとめて神に従うでしょう。
それは、祝福、命、救い、永遠の命。

イエス様も大切なのは命、永遠の命だと言われました。

では、命の為に神様に従うと考えましょう。
永遠の命なのですから、死んだら終わりだと人は考えます。

しかし、イエス様は死にまで従われたのです。
そして、永遠の命の初穂として蘇られたのです。
命を得るため、そして、私たちに命を与えるために、死にまで従われたのです。

またイエス様の十字架は、愛の完全な成就でした。
友の為に命をすてるより大きな愛はないとイエス様は言われました。

また、神に従うことは神を愛することだとも言われました。

また、罪、不信仰、不従順が死を産んだ、その逆に、完全な信仰と信頼が命にいたるのです。

死にまで従うことは、完全な従順です。それにより、神は、キリストを復活させられました。
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しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
使徒の働き2章24節
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死は、罪の結果なのですから、罪の無いものには死はないのです。
キリストの完全な従順に、神様は命をお与えになったのです。

そうして、神はこの方を蘇らせました。
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しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。
使徒の働き13章30節
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そうして、死を支配していた悪魔の力が打ち破られたのです。これが、悪魔への完全な勝利です。。

わたしたちは、このイエス様を信じる信仰により、このイエス様の勝利を受け継ぐものとなるのです。

イエス様は蘇られました。
ハレルヤ。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/04/05 神のご威光
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