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シティーチャーチ
メッセージ2015/02/08
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わたしにしたのです
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主なる神様は世界の全てを創られました。
主なる神様は愛に満ちておられます。
主なる神様は良い事しかされません。

この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて、まず、いつものように、災害にあった地域の為に祈りましょう。
大きな災害、大きな問題が起こると、なぜ、どうしてという理由付けを私たちは求めます。
しかし、その中で、信じないため、信じさせないための理屈は悪魔から来ます。
神様は、良い方です。
そして、私たちが信じるなら、神様は全ての事を変えて益として下さるのです。
神様は良い事しかされません。
悪魔のもたらした災いを、神様が全て変えて益として下さる事を信じてお祈りしましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
旧約聖書が出エジプト記からレビ記。
新約聖書がマタイの福音書です。
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2月8日(日)[ ]出エ39-40/[ ]マタ24:23-51
2月9日(月)[ ]レビ1-3/[ ]マタ25:1-30
2月10日(火)[ ]レビ4-5/[ ]マタ25:31-46
2月11日(水)[ ]レビ6-7/[ ]マタ26:1-25
2月12日(木)[ ]レビ8-9/[ ]マタ26:26-46
2月13日(金)[ ]レビ10-11/[ ]マタ26:47-75
2月14日(土)[ ]レビ12-13/[ ]マタ27:1-26
2月15日(日)[ ]レビ14/[ ]マタ27:27-44
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出エジプト記は幕屋の完成で終わります。
幕屋が完成したとき、そこには、神様の臨在があり、神様の栄光が幕屋の上に表されました。
これらのところも是非お読みください。

新約聖書は、マタイの福音書。
こちらは、お話の中で見て参りましょう。

では、今日は、マタイの福音書の25章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書25章31−46節
・新改訳Up48(贈呈p44、英対p80)
・新改訳Vp53、英対p60(贈呈p50)
・口語訳p42
・新共同訳p50(贈呈p50、英対p77)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書25章31−46節
25:31 人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
25:32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
25:33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
25:34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
25:35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
25:36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
25:37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
25:38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
25:39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
25:40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
25:41 それから、王はまた、その左にいる者たちに言います。『のろわれた者ども。わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火にはいれ。
25:42 おまえたちは、わたしが空腹であったとき、食べる物をくれず、渇いていたときにも飲ませず、
25:43 わたしが旅人であったときにも泊まらせず、裸であったときにも着る物をくれず、病気のときや牢にいたときにもたずねてくれなかった。』
25:44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
25:45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
25:46 こうして、この人たちは永遠の刑罰にはいり、正しい人たちは永遠のいのちにはいるのです。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。
マタイの福音書25章40節
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これらのところから、
「わたしにしたのです」
と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

マタイの福音書は、28章まであり、今回25章ですから、もう少しで終わりです。
マタイの福音書の最後には、イエス様の十字架と復活が書かれています。
十字架が27章、そして、最後の晩餐とも言われる過ぎ越しの食事が26章です。

ですから、24章、25章は、イエス様の十字架の死を前にしてのお言葉であり、また、世の終わりにそなえるための教えが語られています。

その中で、今回の箇所はただのたとえではありません。
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人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来るとき、人の子はその栄光の位に着きます。
マタイの福音書25章31節
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やがてイエス様が来られた時の事が書かれているのです。
そして、今回の箇所は、34節から王はとなっていて、イエス様が、世の終わり、王の王として裁きの座に付かれる事がわかるのです。

イエス様は王の王である方です。

イエス様はやがて再びこられて、栄光の位につかれます。
そして、王の王としての権威をもって全てのものへのさばきをなさるのです。

そのときの事を説明しておられるのが今回の箇所です。
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32 そして、すべての国々の民が、その御前に集められます。彼は、羊飼いが羊と山羊とを分けるように、彼らをより分け、
33 羊を自分の右に、山羊を左に置きます。
マタイの福音書25章32−33節
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まず、ここで、世界の全ての民がイエス様の前に出るのです。

日本では、キリスト教は外国の神様だと思っている人がいます。
そして、日本の神様だといって、八幡や伊勢神宮などを拝みます。
しかし、それらは天皇の先祖などの人でしかありません。
それら、神と呼ばれているものは、人間であったり、何かの動物や物であったりするのです。

しかし、そんなものは本当の神様ではありません。
本当の神様は、宇宙の全てを造られた方、そして、その神の御子イエス様、神の霊である聖霊様です。
この三つにして一つの神様しか神様はおられません。
そして、神の御子イエス様は、人間の姿になって私たちのところに来てくださり、罪の身代わりに十字架で死んでくださったのです。

この方は、全世界の主です。
そして、全ての人はやがてイエス様の前でさばきを受けるのです。

ここにいるのは羊と山羊です。

良いものと悪いものとは言わず、羊と山羊にわけられているのです。

では、羊の特徴、山羊の特徴はなんでしょう。

羊は、非常に弱い動物です。ですから、危険があると、逃げるかパニックになるくらいで、立ち向かうことなど殆ど出来ないそうです。
山羊が角を振りかざして戦っているのと随分違います。

また、臆病で、くぼみなどがあればそこから先に行くことが出来ません。
それは、山を平気で登っていき、高い崖も平気な山羊と全く違います。

そして、群れたがる傾向を持ち、群れから引き離されると強いストレスを受けるそうです。
そのためか、先導者に従う傾向が強く、誰かが動くと一緒に動くという性質を持っています。
野生で生きることの困難な種族なのです。

それは、神様に従う、共にいる、そのような神様が神の民に求めておられる姿であるかもしれません。

イエス様は言われました。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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イエス様は、イエス様から離れては、何も出来ないと言われました。
これは、わたしたちの教会のテーマだと思っています。

わたしは、自分が本当に神様を離れては何も出来ないものであると思います。

わたしは、元来臆病です。しかし、神様が共にいて下さって、どんなことでも出来るのです。
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私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
ピリピ人への手紙4章13節
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ですから、パウロが言ったこの言葉に心からアーメンです。
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もしどうしても誇る必要があるなら、私は自分の弱さを誇ります。
コリント人への手紙第二 11章30節
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皆さん。皆さんはどうですか。

人は皆自分で、自分でと生きています。
しかし、本当は心のそこに不安を抱えています。

しかし、神様は全ての良いものを持ってあなたを待っておられます。
神様にしっかりと結びつくなら、そこに平安があるのです。

さて、皆さん。

聖書箇所に戻りたいと思います。

王は右にいる羊達に何を言われましたか。
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34 そうして、王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。
35 あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、
36 わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』
マタイの福音書25章34−36節
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王は、彼らが、王を助けたというのです。

ところが羊としてよりわけられた右の人たちは、それを知らないと言います。
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37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章37−40節
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すると、王は、兄弟達、また、小さいものにしたのは、私にしたのだと答えるのです。

羊達は、王様の為に何かしたのではありません。

山羊と違い、羊は群れで行動します。

誰かが動けば共に動く性質は、誰かに気を配る性質ともいえます。

皆さん。愛とはなんでしょう。
それは、共に過ごすことです。共にいることです。

山羊は一匹でも行動します。しかし、羊は共に集まり、互いに関心を持つのです。

そして、私たちが共にいることを神様は喜ばれるのです。
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1 見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
2 それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。
詩篇133篇1-2節
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これは、その兄弟同士も楽しいのですが、このときそれ以上に喜んでおられる方がおられます。
それは、神様です。

私は男3人の兄弟の長男です。
正月などは田舎で3人がそろうときがあります。
遅くまで話をします。父もしばらく一緒にいるのですが、途中で先にねます。
あるとき、妻が、父に、しんどくないですか。やかましくて眠れなくないですかと聞きました。
すると、父は、
いや、大丈夫、それより、こうして3人が一緒にいることは私にとって本当に嬉しいことだ。
と、そんなことを答えたそうです。

皆さん。一緒にいて話しているわたしたちも嬉しいけど、実はそのことを父も喜んでいたのです。

皆さん。神様も同じです。
私たちが一緒にいるなら、神様が喜ばれるのです。
だから、なんでもいいんです。
こうしていて意味が無いようにあなたが感じても、私たちが共にいることを神様が喜んでおられるのです。

そして、その喜びの中で、神様はそこに聖霊の油を注がれます。祝福で満たして下さるのです。
いや、私たちが共にいるその事を聖霊様は喜んでそこに来てくださるのです。

今年、5月の3−6日にホームカミングのギャザリングが神戸で行われます。
それも、何かするのではない、共にいるという集会です。


教会もそうです。私たちは、何かしないと納得のいかないところがあります。
しかし、何もしなくても、ただ共にいるだけで、まず、神様が喜んでおられるのだということなのです。

ですから、自分を示そうとすることを辞めましょう。
そして、共にいて、へりくだり、神様に目を向けましょう。

そのことを神様は喜ばれるのです。

主は私たちが、イエス様のお名前によって集まるところにおられるのです。
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ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
マタイの福音書18章20節
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主がおられるということでは、この御言葉も大切です。
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けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。
詩篇22篇3節
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主の臨在は、イエス様のお名前によって共に集まるところ、賛美のあるところです。

ところで、今回の箇所で、見舞ったり、助けたり、そのためには関心をもたなければ出来ません。

ですから、愛は、関心を持つことでもあります。

会えないときも、いつも関心を持ち、祈る。
それは非常に大切です。

そして、そのような関係、愛が、行動となります。

彼らはそのようなことを、自分のしたこととして意識しません。
共にいて互いに関心をもち、祈りあい助け合う。それは、羊達にとってあたりまえだからです。
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37 すると、その正しい人たちは、答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹なのを見て、食べる物を差し上げ、渇いておられるのを見て、飲ませてあげましたか。
38 いつ、あなたが旅をしておられるときに、泊まらせてあげ、裸なのを見て、着る物を差し上げましたか。
39 また、いつ、私たちは、あなたのご病気やあなたが牢におられるのを見て、おたずねしましたか。』
40 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。』
マタイの福音書25章37−40節
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してやったというのは、自分です。
しかし、神様の愛の中にあるとき、そこには、用いられた喜びがあります。

そのことそのものが喜びであり、感謝となります。

山羊達はどうでしょう。
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44 そのとき、彼らも答えて言います。『主よ。いつ、私たちは、あなたが空腹であり、渇き、旅をし、裸であり、病気をし、牢におられるのを見て、お世話をしなかったのでしょうか。』
45 すると、王は彼らに答えて言います。『まことに、おまえたちに告げます。おまえたちが、この最も小さい者たちのひとりにしなかったのは、わたしにしなかったのです。』
マタイの福音書25章44−45節
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彼らは、互いに関心を持ちません、そして、互いにしなかったことは、イエス様にしなかったことなのです。

神様は、私たちが互いに見えるところでどう行動するかを見ておられます。
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神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
ヨハネの手紙第一 4章20節
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ですから、互いに愛し合いましょう。

聖書の神様は愛です。
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私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。
ヨハネの手紙第一 4章16節
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ですから神を愛し、互いに愛し合うことが重要です。
ところが、隣人を愛せといわれると、自分の隣人とは誰ですかとさえ言い出してしまいます。
それは、自分の義を立てたいからです。

サマリヤ人の例えの中で、イエス様は、隣人が誰かでなく、人々に関心を持ち、隣人となる事を教えられました。

そして、イエス様の戒めは一つです。
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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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しかし、それは、愛し合おう、とか、私たちは、ちゃんと愛し合ってるとか、そんなものではありません。

ここで、羊たちも、それを意識しなかったのです。

また、これらのことで自分が大丈夫だと思うこと、自分で自分を正しいとすることよりも大切なことは、自分の罪、たらなさ弱さを認めることです。
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しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
コリント人への手紙第一 11章31節
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わたしたちは、神様の前で罪の無いことなど出来ません。
愛せといわれても、神様のように愛することは出来ません。

ですから、神様の前にへりくだり、神様にしっかりと結びついて、神様の愛の中で愛し合うのです。
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【 主題聖句 】
あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。
マタイの福音書25章40節
++++++++++
そのことを主は私にしたといわれます。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/02/08 わたしにしたのです
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