礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2015/02/01
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大通りに行って
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主なる神様は全てを造り治めておられます。
主なる神様は力と愛に満ちておられます。
主なる神様は出来ないことはありません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、まず、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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2月1日(日)[ ]出エ22-24/[ ]マタ21:1-22
2月2日(月)[ ]出エ25-27/[ ]マタ21:23-46
2月3日(火)[ ]出エ28-29/[ ]マタ22:1-22
2月4日(水)[ ]出エ30-32/[ ]マタ22:23-46
2月5日(木)[ ]出エ33-34/[ ]マタ23:1-22
2月6日(金)[ ]出エ35-36/[ ]マタ23:23-39
2月7日(土)[ ]出エ37-38/[ ]マタ24:1-22
2月8日(日)[ ]出エ39-40/[ ]マタ24:23-51
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旧約聖書が出エジプト記、新約聖書がマタイの福音書です。
出エジプト記が英語でエクソダスです。
今年また映画になりました。
出エジプト記の内容は、イスラエルの移住からモーセの誕生、過ぎ越しとエジプト脱出、十戒、幕屋と契約の箱の完成までとなっています。
この中で、過ぎ越しがイエス様の十字架と復活、そして、七週の祭りと呼ばれる十戒が与えられたときがペンテコステとなっています。
今年は、このユダヤの七週の祭りと私たちの祝うペンテコステが同じ日になっています。

マタイの福音書はお話の中で見てまいりましょう。

では、今日はマタイの福音書の22章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書22章1−14節
・新改訳Up40(贈呈p37、英対p66)
・新改訳Vp44、英対p51(贈呈p42)
・口語訳p35
・新共同訳p42(贈呈p42、英対p64)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書22章1−14節
22:1 イエスはもう一度たとえをもって彼らに話された。
22:2 「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王にたとえることができます。
22:3 王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。
22:4 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。ど
うぞ宴会にお出かけください。」』
22:5 ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、
22:6 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。
22:7 王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。
22:8 そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
22:9 だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
22:10 それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
22:11 ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
22:12 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
22:13 そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』と言った。
22:14 招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。
マタイの福音書22章9節
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では、これらのところから、
「大通りにいって」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

この聖句から、私たちは、とにかく出ていって、福音を宣べ伝えるのだとそのように思います。
福音を伝えることは大切です。
しかし、イエス様はここで何を言おうとしておられるのでしょうか。

今回の箇所は、イエス様のたとえです。
たとえを読むときに大切なのは、その前後、特に前をよく見ることです。

この前の21章には、このことが書いてあります。
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37 しかし、そのあと、その主人は、『私の息子なら、敬ってくれるだろう。』と言って、息子を遣わした。
38 すると、農夫たちは、その子を見て、こう話し合った。『あれはあと取りだ。さあ、あれを殺して、あれのものになるはずの財産を手に入れようではないか。』
39 そして、彼をつかまえて、ぶどう園の外に追い出して殺してしまった。
40 このばあい、ぶどう園の主人が帰って来たら、その農夫たちをどうするでしょう。」
41 彼らはイエスに言った。「その悪党どもを情け容赦なく殺して、そのぶどう園を、季節にはきちんと収穫を納める別の農夫たちに貸すに違いありません。」
マタイの福音書21章37−41節
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そしてもう一つ。
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42 イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、次の聖書のことばを読んだことがないのですか。『家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なこと
である。』
43 だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。
マタイの福音書21章42−43節
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ぶどう園のたとえと、見捨てられた石が礎の石となったこと、これらは、どちらも、イエス様を受け入れなかった、祭司、律法学者、パリサイ人に向けて語られています。

主人の子ども、それは、救い主イエス様。そして、悪い農夫は、祭司長や律法学者です。

もう一つのたとえの礎の石はイエス様で、石を棄てたのは、祭司長やパリサイ人たちです。

その、棄てられた石を土台に教会は建て上げられるのです。

祭司長やパリサイ人たちは、この事で怒りました。

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45 祭司長たちとパリサイ人たちは、イエスのこれらのたとえを聞いたとき、自分たちをさして話しておられることに気づいた。
46 それでイエスを捕えようとしたが、群衆を恐れた。群衆はイエスを預言者と認めていたからである。
マタイの福音書21章45−46節
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祭司たちは、神殿で働く人たちで、神様の事をよくわかっているはずの人たちでした。
また、パリサイ人、パリサイ派と呼ばれる人たちは、律法に熱心で、世俗を離れるという意味でパイサイと呼ばれたのです。
そんな彼らは、本来、救い主をお迎えするはずの人たちでした。
しかし、彼らは、イエス様を受け入れませんでした。
また、その大切な方を捨てたのです。

だから、彼らは自分達の事を言われているとわかりました。

その続きにイエス様がもう一つ言われたのが、今回の箇所です。

用意されていた彼らは、招きに応じませんでした。
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王は、招待しておいたお客を呼びに、しもべたちを遣わしたが、彼らは来たがらなかった。
マタイの福音書22章3節
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続きにこうかいてあります。
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4 それで、もう一度、次のように言いつけて、別のしもべたちを遣わした。『お客に招いておいた人たちにこう言いなさい。「さあ、食事の用意ができました。雄牛も太った家畜もほふって、何もかも整いました。どうぞ
宴会にお出かけください。」』
5 ところが、彼らは気にもかけず、ある者は畑に、別の者は商売に出て行き、
6 そのほかの者たちは、王のしもべたちをつかまえて恥をかかせ、そして殺してしまった。
マタイの福音書22章4−6節
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彼らはそれぞれ自分勝手に行動していました。
しもべを殺すものまでいたのです。

これは、今の時代に信じない人たちの姿でもあります。

みな、それぞれ自分勝手に生きていて、神様の事を考えないのです。
それで、王はいいます。
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8 そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
9 だから、大通りに行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。』
マタイの福音書22章8−9節
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大通りにはいろんな人がいます。
他の国から来た人もいるでしょう。

本来受け入れるべき人たちが受け入れなかったので、この福音は、世界中の人が受けるようになったのです。
その中に私たちもいます。
私たちはそのようにして福音を聞き、救われたのです。

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それで、しもべたちは、通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った者をみな集めたので、宴会場は客でいっぱいになった。
マタイの福音書22章10節
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大通り。そこには、良い人も悪い人も招かれました。この事に注目しておいて下さい。

ところが、追い出された人がいたのです。
それはどんな人ですか。
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11 ところで、王が客を見ようとしてはいって来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。
12 そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここにはいって来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。
マタイの福音書22章11−12節
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それは、礼服を着ていなかった人です。

悪い人ではなく、礼服を着ていなかった人なのです。

もともと、大通りで集められた人たちですから、礼服など着ているはずはありません。
しかし、その一人以外、みんな着ていたのです。

当時のユダヤでは、結婚式のときの礼服は、その式をするものが用意する習慣だったそうです。
それで、入り口で礼服が渡されたのです。
ましてや、王様の開く宴会ですから、その宴会にふさわしい礼服が用意されていたのです。

みんな、着ていた服と関係なく、用意された礼服を着て式に出席したのです。

どんな服装の人も、王の用意した礼服を着て式に参加したのです。

自分の着ているものが、その礼服より、立派に思えても、そうでなくても、とにかく、その礼服を着ることが大切だったのです。

ところが、その礼服を着ようとしない人がいたのです。

その人は、結局、そこから追い出されてしまいました。

宴会に出るのですから、みすぼらしい姿で良いと思う人はいないでしょう。
では、なぜ、その人は、王の用意したものを着なかったのですか。
それは、その人の着ている衣装が良いと思ったからです。

このたとえが祭司やパリサイ人に語られていることからすると、その服は、彼らの義です。

イエス様は、律法学者やパリサイ人の義では天の御国に入れないと言われました。

それでは駄目なのです。神様が用意された義でなければ、天国に入れないのです。
ですから、イエスキリストを着なさいと書いてあるのです。

旧約聖書の出エジプト記には、神殿に入る祭司について書かれています。
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12 アロンとその子らを会見の天幕の入口に近づかせ、水で彼らを洗い、
13 アロンに聖なる装束を着けさせ、彼に油をそそぎ彼を聖別する。彼は祭司としてわたしに仕える。
14 彼の子らを近づかせ、これに長服を着せなければならない。
15 あなたは、彼らの父に油をそそいだように、彼らにも油をそそぐ。彼らは祭司としてわたしに仕える。彼らが油をそそがれることは、彼らの代々にわたる永遠の祭司職のためである。」
出エジプト記40章12−15節
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彼らは、身体を洗い、定められた服を着て幕屋に入りました。

もし、それがきちんと出来ていないと彼らは死んだのです。
それで、死んだ祭司を引きずり出すために足に紐がつけられていたほどです。

神様はきよい方です。
神様の前に出るには罪があるなら死んでしまいます。

全ての人は罪人です。
だれも、神様の前で自分がきよいとはいえないのです。
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しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
コリント人への手紙第一1章31節
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むしろ、わたしたちが自分の罪を認めへりくだり、イエス様を信じること。
これが、イエス様を着ることです。

イエス様を着なければなりません。

皆さん。聖書は言います。
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主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
ローマ人への手紙13章14節
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ここで、肉の欲のために心を用いるなと書かれているので、肉の欲について、その前に書かれた所を見ます。

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11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近
づいているからです。
12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。
13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
ローマ人への手紙13章11−13節
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いま、確かに世の終わりが近づいています。
ですから、わたしたちは、聖いものとならなければなりません。
しかし、それもまた、イエスキリストを着る事によるのです。

さて、これは、天の御国のたとえです。
私たちが天の御国に入るのに大切なのは、イエス様を着ることです。

悪いものもそこには沢山つれてこられていたのです。
しかし、良いか悪いかは関係なく、礼服を着ているかどうかだけが大切だったのです。
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そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
黙示録7章14節
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そして、それが、どんな人でも、小羊の血によってきよめられるのです。

ですから、わたしたちは、自分の基準で人を判断することは出来ません。

どんな人でも、救われなければなりません。
どんな人でも、神様の下にもどらなければなりません。

この福音を伝えるものとして用いられて参りましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/02/01 大通りに行って
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