礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2015/01/25
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だれが一番偉いのでしょうか
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。

主なる神様は、天地の全てを造り、治めておられます。
主なる神様は、愛と哀れみに満ちておられます。
主なる神様は、命と力に満ちておられます。
主なる神様は、良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

ではまず、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。

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1月25日(日)[ ]出エ6-8/[ ]マタ16
1月26日(月)[ ]出エ9-10/[ ]マタ17
1月27日(火)[ ]出エ11-12/[ ]マタ18:1-20
1月28日(水)[ ]出エ13-14/[ ]マタ18:21-35
1月29日(木)[ ]出エ15-16/[ ]マタ19
1月30日(金)[ ]出エ17-19/[ ]マタ20:1-16
1月31日(土)[ ]出エ20-21/[ ]マタ20:17-34
2月1日(日)[ ]出エ22-24/[ ]マタ21:1-22
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旧約聖書が出エジプト記、
新約聖書がマタイの福音書です

出エジプト記の今週の箇所は、エジプトへのわざわいなども書かれています。

マタイの福音書は、お話しの中で見てまいりましょう。
では、今日は、マタイの福音書から、18章を開きましょう。

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【 聖書箇所 】マタイの福音書18章1−11節
・新改訳Up32(贈呈p29、英対p53)
・新改訳Vp35、英対p40(贈呈p34)
・口語訳p28
・新共同訳p34(贈呈p34、英対p51)
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朗読を御願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
マタイの福音書18章1−11節
18:1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
18:2 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、
18:3 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。
18:4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
18:5 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
18:6 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
18:7 つまずきを与えるこの世は忌まわしいものです。つまずきが起こることは避けられないが、つまずきをもたらす者は忌まわしいものです。
18:8 もし、あなたの手か足の一つがあなたをつまずかせるなら、それを切って捨てなさい。片手片足でいのちにはいるほうが、両手両足そろっていて永遠の火に投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことで
す。
18:9 また、もし、あなたの一方の目が、あなたをつまずかせるなら、それをえぐり出して捨てなさい。片目でいのちにはいるほうが、両目そろっていて燃えるゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいこと
です。
18:10 あなたがたは、この小さい者たちを、ひとりでも見下げたりしないように気をつけなさい。まことに、あなたがたに告げます。彼らの天の御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからで
す。
18:11 〔人の子は、滅んでいる者を救うために来たのです。〕
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
マタイの福音書18章4節
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今回の箇所は、そのとき、から始まりますので、どんな時なのか前の章を見たいと思います。
それは、どんなときでしょう。

17章の最後には、二つの話があります。

ひとつはこのことです。
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22 彼らがガリラヤに集まっていたとき、イエスは彼らに言われた。「人の子は、いまに人々の手に渡されます。
23 そして彼らに殺されるが、三日目によみがえります。」すると、彼らは非常に悲しんだ。
マタイの福音書17章22−23節
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まだ、ガリラヤにおられるとき、イエス様は、殺され、三日目に蘇るといわれました。
弟子達は、衝撃を受けたことでしょう。
なぜなら、イエス様無しには、彼らはどうすることも出来なかったからです。
そして、イエス様は、ローマを含む敵の全てをダビデのように倒して下さると思っていたのです。
ところが、そのイエス様が殺されると言われるのです。
殺されるものより、殺すものの方が強いと考えたかも知れません。
彼らにとって、三日目に蘇るとのことは、あまり印象に残らなかったかも知れません。


もうひとつはこのことです。
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24 また、彼らがカペナウムに来たとき、宮の納入金を集める人たちが、ペテロのところに来て言った。「あなたがたの先生は、宮の納入金を納めないのですか。」
25 彼は「納めます。」と言って、家にはいると、先にイエスのほうからこう言い出された。「シモン。どう思いますか。世の王たちはだれから税や貢を取り立てますか。自分の子どもたちからですか、それともほかの人た
ちからですか。」
26 ペテロが「ほかの人たちからです。」と言うと、イエスは言われた。「では、子どもたちにはその義務がないのです。
27 しかし、彼らにつまずきを与えないために、湖に行って釣りをして、最初に釣れた魚を取りなさい。その口をあけるとスタテル一枚が見つかるから、それを取って、わたしとあなたとの分として納めなさい。」
マタイの福音書17章24−27節
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イエス様も、神殿に納入金を納められた。
というお話なのです。
イエス様は、ご自身が宮に勝るといわれたのです。
ところが、そのイエス様が宮、すなわち神殿にお金を払われたのです。

イエス様は宮より上なのではないでしょうか。
だから、ペテロは、神殿になど払う必要はないと思っていたかもしれません。

ガリラヤの漁師であった彼らは、全てを捨てて、イエス様についていったのです。
自分達は、王の王であるかたの側近だと思っていたのです。
まわりにえらそうに出来ると思っていたのです。

ところが、ローマに勝ると思ったイエス様は、ローマに殺されるといわれるし、宮に勝ると思っていたイエス様が宮にお金を払われたのです。
それで、弟子達は何が何かわからなくなってしまったのです。
また、王の王である方のそばにいるものとしてのプライドを失いそうになったのです。

ペテロは、魚を釣り、そこからお金が出てきました。
ペテロは漁師でした。そのことを主は用いられたのです。
しかし、ペテロに、魚を沢山売って、そのお金で払いなさいとは言われませんでした。
イエス様は、魚の口からお金が出るという不思議な方法をとられました。

しかし、そのために、ペテロの賜物も用いられたのです。
あなたにあたえられた賜物は無駄ではありません。
神様はそれを用いて下さるのです。

さて、お話をもどします。

ローマにも勝り、神殿にも勝るはずのイエス様がそのように行動されないので、弟子達は不思議に思いました。
そして、弟子達は聞いたのです。
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そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
マタイの福音書18章1節
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ここで、弟子達が聞いていることと、イエス様が応えておられることは、全く違います。

イエス様のお答えになった根底には、このことがあります。
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25 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。
26 あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。
27 あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。
マタイの福音書20章25−27節
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これは、いよいよ、エルサレムに入る前に、エリコにちかづいたところで、イエス様が語られたことです。
このとき、弟子達は、自分達の中で誰が偉いか議論していたのです。
イエス様が王様になったとき、誰が右大臣と左大臣になるかということです。
しかし、イエス様は、人の先に立ちたいものはしもべになりなさいと言われました。

私は、この教会の牧師として、群れを預からせて頂いていますが、この群れの本当のリーダーは、私ではありません。
それは、イエス様です。
それで、私は、自分の後ろに十字架をおきません。
わたしの横に十字架がかかっているようにしているのです。
それは、御言葉を聞いた皆さんそれぞれが、イエス様に結びつくためです。

この世の支配者は、人が自分の言う事を聞かせようとします。
しかしイエス様はそうではありません。
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人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章28節
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イエス様は、ご自身、私たちの為に死ぬために来られたのです。
よく、影武者などと自分の代わりに死ぬものを立てる支配者もいるのです。
しかし、イエス様はご自身が死ぬためにこられたのです。

そして、だれが偉いか、とか、誰が立派かでなく、神様の御心をおこなうことが大切だと言われるのです。

とらえられ、十字架に架かられる前にも、イエス様は、弟子達の足をあらわれました。
そして、言われたのです。
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12 イエスは、彼らの足を洗い終わり、上着を着けて、再び席に着いて、彼らに言われた。「わたしがあなたがたに何をしたか、わかりますか。
13 あなたがたはわたしを先生とも主とも呼んでいます。あなたがたがそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。
14 それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。
ヨハネの福音書13章12−14節
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世の中の権力者は、権力をふるいます。

しかし、イエス様は、何のためにこられたのでしょうか。
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人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章28節
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イエス様は、人に言うことを聞かせるためにこられたのではなく、ご自身が十字架で死ぬためにこられました。
そして、言われます。
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15 わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしはあなたがたに模範を示したのです。
16 まことに、まことに、あなたがたに告げます。しもべはその主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさるものではありません。
ヨハネの福音書13章15−16節
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わたしたち、イエス様を信じるものは、この模範にならうものでありたいと思います。

イエス様は、律法学者やパリサイ人たちの事を話されます。
彼らは当時、律法に熱心で、立派な人たちと考えられていました。

ところが、イエス様は言われます。
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5 彼らのしていることはみな、人に見せるためです。経札の幅を広くしたり、衣のふさを長くしたりするのもそうです。
6 また、宴会の上座や会堂の上席が大好きで、
7 広場であいさつされたり、人から先生と呼ばれたりすることが好きです。
マタイの福音書23章5−7節
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経札とは、ユダヤ人が儀式の時につける御言葉の入った箱です。
手と、額につけることが、律法に定められており、いまも、バルミツバと呼ばれる成人式の時などに、それが付けられているのを目にします。
それは、思いにも、行動にも御言葉があることをあらわしています。
ところが時には、それを大きくして、立派に見せるということがあったのでしょう。
しかし、ここには、もっと深い意味があります。
それは聖書に関する知識です。
わたしはこんなに知っていると、誇っても、それが見せるためであっては意味がありません。
神様の御心を行っていないなら意味がなくなってしまいます。

また、衣の房も、そうです。
ユダヤ人は、衣の四隅に房をつけるように律法に定められています。
この房は、自分のいくところ、どちらも向いてもそこにあります。
それは、神様と共にあるということを意味しています。
しかし、その房を立派なものにして自分の権威を表すものもいたのです。

クリスチャンにとってどうでしょう。
その房を大きくするように、自分の行動が良いものであると見せようとすることがないでしょうか。
そのために人にあげたり、そのために立派な行いをする。
それは、神様の喜ばれることではありません。
それは、見せるためだからです。

さらに言われます。
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8 しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。
9 あなたがたは地上のだれかを、われらの父と呼んではいけません。あなたがたの父はただひとり、すなわち天にいます父だけだからです。
10 また、師と呼ばれてはいけません。あなたがたの師はただひとり、キリストだからです。
11 あなたがたのうちの一番偉大な者は、あなたがたに仕える人でなければなりません。
マタイの福音書23章8−11節
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私は、先生と呼ばれているのですが、それだけに本当にへりくだっていなければならないと思わされます。

人は、いつも、自分の凄さをみせたい、立派さを誇りたいと考えます。
時には、そのために親切にすることさえあります。

しかし、そういう人は、そのことが、受け入れられないと、とたんに怒り出します。
私たちたちの中にも時おりそういう心がおこります。

皆さん。イエス様は何をしにこれられましたか。
十字架で死ぬためにこられました。
++++++++++
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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ですから、イエス様の十字架は、イエス様の人生にとって一番大切なときであり、その時、イエス様はご自身の命を私たちに与えておられたのです。

その最高のプレゼントが人類に贈られるその瞬間、人々はありがとうございますと感謝したのですか。
++++++++++
31 また、祭司長たちも同じように、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。
32 キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」また、イエスといっしょに十字架につけられた者たちもイエスをののしった。
マルコの福音書15章31−32節
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そうではありません。
祭司長も、律法学者も、まわりのものがみんな、イエス様を馬鹿にしてののしったのでうす。

そのとき、イエス様は怒られましたか。
++++++++++
そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
ルカの福音書23章34節
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イエス様は、彼らの罪を赦して下さいといわれたのです。
深い愛をしめして下さったのです。

あなたが誰かにプレゼントするとき、相手があなたを馬鹿にして、おまけにそのプレゼントをいらないといったら腹が立ちませんか。
しかし、イエス様は、そのとき、愛をもって祈られたのです。

そして、そのことを信じるわたしたちは、自分の為に生きているのではありません。
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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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自分は十字架で死んだと書いてあります。
皆さん。イエス様は、わたしたちの、あなたの罪の身代わりに十字架で死なれました。
そのことを感謝します。
しかし、それはまた、霊の世界においては、自分も十字架で死んだということなのです。

そして、キリストによって生かされているのです。
これは、修行の結果ではありません。

それは、霊の世界における事実なのです。
ですから、だれも誇ることは出来ません。

自分のやっていることを馬鹿にされたらどう感じるか、そのことを少し考えて下さい。
もし、神様からなら、いちいち怒る必要はありません。
なぜ怒るのですか、そのことで、自分が認められようとするからです。

そうではなく、神様が用いてくださったことそのことが重要なのです。
そして、むしろ大切なことはなんですか。
++++++++++
1 そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「それでは、天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか。」
2 そこで、イエスは小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真中に立たせて、
3 言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。
4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
マタイの福音書18章1−4節
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主の前にへりくだることです。

弟子達は、なぜ聞いたのですか。
彼らは、宮に勝るもののそばにいた。
だから誇りたい。

自分のしたあの事このことを誇りたい。

でも、そんなものどうでもいいのです。

主に信頼して、へりくだり、従うことが大切なのです。

そして、同時に大切なことは、人をつまづかせないことです。
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5 また、だれでも、このような子どものひとりを、わたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。
6 しかし、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、大きい石臼を首にかけられて、湖の深みでおぼれ死んだほうがましです。
マタイの福音書18章5−6節
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自分の存在そのものにつまずかれることもあります。
イエス様につまづいた人たちもいたのです。

しかし、それを越えるイエス様の購いの中に私たちはいます。
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8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
エペソ人への手紙2章8−10節
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皆さん。神様は、良い神様です。良い事しかされません。

神様を信じるお互いは、神様が良い事の為につくられた作品です。

誇れる自分になりたい、認められる自分になりたい。
これは、人にとって大切な感情でしょう。

しかし、それに勝る、神様のそなえられた良い事をする人生を歩ませていただきましょう。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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そのために、イエス様にしっかりとつながるのです。

このイエス様は、へりくだられました。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++
この方のへりくだりをわたしたちは学ぶのです。

そして言われます。
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【 主題聖句 】
だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の御国で一番偉い人です。
マタイの福音書18章4節
++++++++++

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2015/01/25 だれが一番偉いのでしょうか
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