礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/12/07
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 世と世の欲は滅び去ります。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主なる神様は天と地を造られた方です。
主なる神様は全てを治めておられる方です。
主なる神様は良い方です。
主なる神様は良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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12月7日(日)[ ]ダニ11-12/[ ]Uペテ3
12月8日(月)[ ]ホセ1-4/[ ]Tヨハ1
12月9日(火)[ ]ホセ5-8/[ ]Tヨハ2
12月10日(水)[ ]ホセ9-11/[ ]Tヨハ3
12月11日(木)[ ]ホセ12-14/[ ]Tヨハ4
12月12日(金)[ ]ヨエ1-2:17/[ ]Tヨハ5
12月13日(土)[ ]ヨエ2:18-3/[ ]UヨハVヨハ
12月14日(日)[ ]アモ1-3/[ ]ユダ
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旧約聖書がダニエル書からホセア書、ヨエル書、アモス書。
新約聖書は、ペテロの手紙第二、ヨハネの手紙、第一第二第三となっています。

ダニエル書は、お話としても非常に面白く読みやすいところです。
不思議なことが沢山おこりますが、一貫して神様に従うダニエル建ちを神様が助けてくださるということです。
また、バビロンの王、ネブカデネザルや、ペルシャの王、ダリヨスの改心も書かれています。
そして、ホセア書。ホセア書には代表的名この御言葉があります。
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わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
ホセア書6章6節
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この意味を学んで来なさいというのがイエス様の出された宿題でした。

私たちにとってもそれは同じです。どういう意味でしょう。
それは、是非、聖書を読んで考えて見て下さい。

次のヨエル書には激しい神様の愛が表されています。
そして、次のアモス書。アモスは、祭司ではなく、羊を飼っていました。
しかし、そのアモスを主が預言者として用いられました。
彼は、イスラエルとユダがまだ荒廃する前に、それらの国が滅ぼされることと、神様が回復されることを預言したのです。

これらのところも是非お読みください。
また、新約聖書、ペテロの手紙は前回見ました。
ユダの手紙は、イスカリオテでないユダが書いた手紙です。

ヨハネの手紙はお話の中で見てまいりましょう。
では、今日は、ヨハネの手紙第一の2章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの手紙第一2章1−17節
・新改訳Up426(贈呈p371、英対p704)
・新改訳Vp465、英対p514(贈呈p422)
・口語訳p376
・新共同訳p441(贈呈p441、英対p650)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの手紙第一2章1−17節
2:1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエ
ス・キリストです。
2:2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
2:3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
2:4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
2:5 しかし、みことばを守っている者なら、その人のうちには、確かに神の愛が全うされているのです。それによって、私たちが神のうちにいることがわかります。
2:6 神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。
2:7 愛する者たち。私はあなたがたに新しい命令を書いているのではありません。むしろ、これはあなたがたが初めから持っていた古い命令です。その古い命令とは、あなたがたがすでに聞いている、みことばの
ことです。
2:8 しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです。
2:9 光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。
2:10 兄弟を愛する者は、光の中にとどまり、つまずくことがありません。
2:11 兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。
2:12 子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。
2:13 父たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。私があなたがたに書き送るのは、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。
2:14 小さい者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが御父を知ったからです。父たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです。若い者たち
よ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。
2:15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
2:16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
2:17 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
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では、主題聖句を言いましょう。
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主題聖句 】
世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
ヨハネの手紙第一2章17節
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これらの所から、
「世と世の欲は滅び去ります。」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回、ヨハネの手紙です。
ヨハネは、イエス様の弟子の一人で、12使徒でもあり、また、特に重要視された三人の弟子の一人であり、福音書を見ると、主に愛された弟子と書かれています。
ヨハネは、ヨハネの福音書、ヨハネの黙示録、ヨハネの手紙第一第二第三を残しています。

ヨハネの手紙やヨハネの福音書を見ると、非常に表現が美しく、また、その内容は愛に満ちています。
それで、穏やかな人かと思うのですが、イエス様からボアネルゲという名前を貰っています。
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ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
マルコの福音書3章17節
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それは、雷の子という意味です。
一般的には、ガリラヤ湖の漁師として暮らしていたヨハネは非常に気性が激しかったのでは無いかと考えられています。

しかし、そのようなヨハネはイエス様の愛を受けて愛の人へと変えられて言ったのです。
そして、ヨハネは、愛を中心にイエス様のなさったことを見るのです。
そのようにして、ヨハネは、イエス様の内面、本質を捉えます。

イエス様がまとわれた肉体の内側には生ける神の御言葉、神の子としての栄光が満ちていました。

その事がヨハネの福音書やヨハネの手紙、そして、ヨハネの黙示録にも出ています。
まずは、ヨハネの福音書。
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1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
ヨハネの福音書1章1−4節
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黙示録では、神の子としての力強いイエス様があらわされています。
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13 それらの燭台の真中には、足までたれた衣を着て、胸に金の帯を締めた、人の子のような方が見えた。
14 その頭と髪の毛は、白い羊毛のように、また雪のように白く、その目は、燃える炎のようであった。
15 その足は、炉で精練されて光り輝くしんちゅうのようであり、その声は大水の音のようであった。
16 また、右手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出ており、顔は強く照り輝く太陽のようであった。
ヨハネの黙示録1章13−16節
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そして、今回のヨハネの手紙第一でもその冒頭、人としてのイエス様の内面にある命の言葉、生ける神の御言葉としてのイエス様が現れています。
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1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
2 ――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――
ヨハネの手紙第一1章1−2節
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ヨハネはイエス様の内側にある命を見て、その命に触れたのです。
ヨハネは、その方をじっとみて、手でさわりましたが、今、私たちは、このヨハネが知らせてくれた永遠のいのちに御言葉を通して触れることが出来るのです。

ところで、ここに、この永遠のいのちを伝えますと書いてあります。

永遠のいのちとは、イエス様を信じた私たちが受け取るものと考えます。
しかし、ここでヨハネが書いているのは、イエス様のことです。
ですから、永遠の命とはイエス様そのものです。
私たちが永遠の命を受けるとは、すなわちイエス様そのものを受け取ることなのです。
私たちがイエス様を信じるなら、その信仰によって霊の世界においてイエス様は私たちの内側に住まれるのです。

それが、イエス様を信じ受け入れることの意味です。
そして、この命が私たちを通して流れるようになるのです。
いま、私たちはイエス様という無限の命に触れているのです。
それはどういうことでしょう。
例えばここに電気の差込口があります。
ここには電気が来ていますが、その先には何がありますか。
ずっとその先には、火力発電所や、原子力発電所があります。
これは、その大きなエネルギーにつながっているのです。
皆さん。イエス様を通して私たちがつながっているのは、それよりもはるかに越えた、神様です。

この天地宇宙の全てを造られた、エネルギーと命に満ちた方に私たちはつながっているのです。
そのつながりは本来人間が持っていたものです。
しかし、堕落によって神様との関係は失われました。
そのため、この世界も神様との関係を失ったのです。

そこで、神様の御子であるイエス様は人間の姿で来てくださり、そして、私たちと神様との隔たりであった罪の身代わりとなって死んで下さいました。
今、そのことを信じるなら、私たちはイエス様につながり、また、イエス様は、私たちの内側におられるのです。

この命は、信仰によって流れます。御子をお与え下さった神様は良い方であると信じる信仰によってその命は流れます。
そして、その命が世界を変え、祝福で満たすのです。

しかし、私たちの前に様々な問題が起こると私たちは不安になります。
なぜですか、それは、悪魔がもって来た悪いものを信じるからです。
聖書には、何度も恐れるなと書いてあります。それは何故でしょう。
恐れは、神様の祝福が流れることをとめるものなのです。
何故ですか。
私たちは神様の祝福を信仰によって流します。
しかし、恐れとは、悪いことが起こると信じる信仰なのです。
悪魔が持ってくるものを引き出す信仰が恐れなのです。

神様への完全は信頼は、おそれを打ち砕きます。
ですから、恐れないで、神様に目を向けなければなりません。

さて、このヨハネの手紙のこの箇所は詩的な表現であるだけに、わかりにくい所であるかもしれません。
++++++++++
5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
ヨハネの手紙第一1章5−7節
++++++++++
ヨハネは、神は光で、暗いところが無い。
そして、それと同じように私たちも光の中を歩む。
やみの中を歩むならそれは偽り物だというのです。

ここまではそうだとわかります。
そのように出来ても出来なくてもです。
しかし、こう続きます。
++++++++++
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一1章8−10節
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罪がないというならいつわりものなのです。
光の中にないと偽りで、罪がないというのも偽りだというのです。

すると、光の中を歩むことと、罪が無いことが別だと分かります。

いや、実は、光の中を歩んでこそ、私たちの罪はわかるのです。

人は、暗闇の中に隠れているなら、自分の罪がわかりません。

それは、この世の基準で言う罪ではなく、神様の基準における罪です。

光の中、つまり、神様の前にでてこそ、人は自分の罪がわかるのです。

ですから、私たちは光の中に出ます。

それは、また、神様に目を向けるということであり、また、ここに書かれているように、主にある交わりの中に自分を置くということです。
++++++++++
しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
ヨハネの手紙第一1章7節
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その事を見た上で、今回の聖書箇所に入りましょう。

まず、3−4節を見ます。
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3 もし、私たちが神の命令を守るなら、それによって、私たちは神を知っていることがわかります。
4 神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
ヨハネの手紙第一2章3−4節
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ここで言う神の命令とはなんなのか。

皆さん。あなたはこれを見て何を思いますか。
人はここで、自分が足らないと思っていることを思い浮かべるのです。

しかし、イエス様の戒めは何でしたか。
それは、これです。
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わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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しかし、その前にもっと重要なことがあります。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
++++++++++

まず、イエス様はイエス様にしっかりとつながるように言われました。
そうでなければ何も出来ないのです。

互いに愛しあえといわれると、すぐ、自分の力で愛そうとします。
なにか、人にあげてみたり、色んなことを考えます。
しかし、これは商売や、自己実現ではありません。
自己満足でもありません。

神様の愛が流れなければならないのです。
互いに愛し合うのは人と人との関係ですが、イエス様はそのまえに、イエス様にしっかりと留まり、イエス様との関係をしっかりしなければならないと言われるのです。

その上で、互いに愛しあうこと、それがいましめです。
++++++++++
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
++++++++++

こんかいの箇所のはじめにこうかいてあるので、
++++++++++
1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・
キリストです。
2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
ヨハネの手紙第一2章1−2節
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わたしたちが罪を犯さないことが大事なのだと考えます。
しかし、わたしたちが罪を犯さないでいるかどうかより、罪をおかさなくなることです。
そのために、罪を認め、神様にしっかりつながり、神との関係、人との関係を大切にして光の中にとどまるのです。

そうしていくなら、私たちは罪から離れていくのです。
それは結果です。

罪を犯さないなら救われるのではありません。
自分の努力でもありません。

神様の前に、光の前にでて、また、主にある交わりの中に自分を置くのです。
いま、このようにして、教会で共に神様を礼拝することにはそのような意味もあります。

それで、ヨハネは言います。
++++++++++
光の中にいると言いながら、兄弟を憎んでいる者は、今もなお、やみの中にいるのです。
ヨハネの手紙第一2章9節
兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩んでいるのであって、自分がどこへ行くのか知らないのです。やみが彼の目を見えなくしたからです。
ヨハネの手紙第一2章11節
++++++++++
私たちは、関係において、光の中に出なければなりません。

いや、自分はダメだと思う方もおられるかもしれません。
しかし、こう書いてあります。
++++++++++
子どもたちよ。私があなたがたに書き送るのは、主の御名によって、あなたがたの罪が赦されたからです。
ヨハネの手紙第一2章12節
++++++++++
私たちの罪は赦されているのです。
イエス様は罪のための供え物となられ、この方を信じるなら私たちは罪が赦され救われているのです。

今、私たちはそのことを知り、神を知っています。
++++++++++
14 小さい者たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが御父を知ったからです。父たちよ。私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが、初めからおられる方を、知ったからです。若い者たちよ。
私があなたがたに書いて来たのは、あなたがたが強い者であり、神のみことばが、あなたがたのうちにとどまり、そして、あなたがたが悪い者に打ち勝ったからです。
15 世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
ヨハネの手紙第一2章14−15節
++++++++++
ですから、世のものを愛するなと主は言われるのです。
なぜなら、全ての良いものは主にあるからです。

世のものは滅びます。
++++++++++
16 すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。
17 世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行なう者は、いつまでもながらえます。
ヨハネの手紙第一2章16−17節
++++++++++
しかし、神様のみこころを行うなら。
ここで、もう一度いいます。
このみこころとはなんですか。

それは、皆さんがイエス様につながり、互いに愛し合うことです。
そこに神様は栄光をあらわされるのです。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/12/07 世と世の欲は滅び去ります。
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