礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/10/05 
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恵みのゆえに
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さん。ハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全てを造られた方です。
主は、全てを治めておられる方です。
主は、愛に満ちておられます。
主なる神様は、良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
旧約聖書がイザヤ書。
新約聖書がガラテヤ人への手紙からエペソ人への手紙、ピリピ人への手紙です。
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10月5日(日)[ ]イザ28-29/[ ]ガラ6
10月6日(月)[ ]イザ30-31/[ ]エペ1
10月7日(火)[ ]イザ32-34/[ ]エペ2
10月8日(水)[ ]イザ35-37/[ ]エペ3
10月9日(木)[ ]イザ38-40/[ ]エペ4
10月10日(金)[ ]イザ41-42/[ ]エペ5
10月11日(土)[ ]イザ43-44/[ ]エペ6
10月12日(日)[ ]イザ45-47/[ ]ピリ1
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イザヤ書は、66章あります。
皆さん。ご存知のようにこの聖書は、旧約聖書が39巻、新約聖書が27巻の集まりとなっています。
その合計は66巻です。
その中心的な預言書であるイザヤ書も、66の章があります。
是非、皆さん。読んでみて下さい。

新約聖書は、ガラテヤ人への手紙は前回見たように、信仰による義について書かれている書でした。
そして、ピリピ人への手紙は、主にある喜びの書です。
しかし、その喜びは、浮かれた喜びではなく、投獄の中でも、主が素晴らしいことをして下さったという喜びです。
エペソ人への手紙は、お話の中で見てまいりましょう。

では、今日は、エペソ人への手紙2章を開いて参りましょう。
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【 聖書箇所 】 エペソ人への手紙2章8−22節
・新改訳Up342(贈呈p299、英対p571)
・新改訳Vp374、英対p417(贈呈p341)
・口語訳p302
・新共同訳p353(贈呈p353、英対p530)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
エペソ人への手紙2章8−22節
2:8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
2:9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
2:10 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
2:11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
2:12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
2:15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現す
るためであり、
2:16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
2:17 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。
2:18 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。
2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。
2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、
2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
エペソ人への手紙2章9節
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では、これらのところから、
「恵みのゆえに」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回は、エペソ人への手紙です。
エペソは、パウロが宣教した町です。

パウロは何度かエペソに行っていることが、使徒の働きからわかります。
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18 パウロは、なお長らく滞在してから、兄弟たちに別れを告げて、シリヤへ向けて出帆した。プリスキラとアクラも同行した。パウロは一つの誓願を立てていたので、ケンクレヤで髪をそった。
19 彼らがエペソに着くと、パウロはふたりをそこに残し、自分だけ会堂にはいって、ユダヤ人たちと論じた。
20 人々は、もっと長くとどまるように頼んだが、彼は聞き入れないで、
21 「神のみこころなら、またあなたがたのところに帰って来ます。」と言って別れを告げ、エペソから船出した。
使徒の働き18章18−21節
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ある時、エペソで大変のことが起こりました。
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21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。
22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。
24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、
使徒の働き19章21−24節
++++++++++
このとき、パウロは、アジヤにいました。このアジヤは、小アジヤといわれる地で、今のトルコの西です。

<画像>

そもそも、アジヤというのは、ギリシャの東にあるエーゲ海よりも東をさしています。
ですから、トルコの地方がアジヤだったのです。
それが、私たちの住む日本まで、全部、東にあるアジヤといわれるようになったのです。

エペソもそのアジヤにありました。
黙示録を見ますと、七つの教会が出てきます。
その教会についてこう書いてあります。
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4 ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。常にいまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、
11 その声はこう言った。「あなたの見ることを巻き物にしるして、七つの教会、すなわち、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、フィラデルフィヤ、ラオデキヤに送りなさい。」
黙示録1章4、11節
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このアジヤとされて書かれている地名もすべて、いまのトルコの西にあります。
その中に、このエペソは出てきます。

パウロがそのアジヤにあるエペソにいた時、彼は、マケドニヤとアカヤに行った後、エルサレムに行こうとしていました。
ちなみに、このマケドニヤとアカヤは、いまのギリシャです。
彼は、先にテモテとエラストをギリシャの北部のマケドニヤに送り、パウロはもうしばらくエペソに残ったのです。
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21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。
22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。
24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、
使徒の働き19章21−24節
++++++++++
その時、騒ぎが起こりました。

エペソでは、多くの人がアルテミスを拝み、その巨大な神殿がありました。
アルテミスの神殿に祭られていたのはグロテスクな隕石だったそうです。
その隕石には多くの突起があり、それが女性の乳房のようであり、豊穣をあらわしていたため、それを拝むようになったとも言われます。

しかし、それを立派なものにするために、大きな神殿が造られました。
そして、その地は人々の巡礼の地となり、また、観光の地ともなりました。
そのため、アルテミスの神殿の模型を銀で造って売るものがいたのです。

パウロは、聖書の通りに、天と地を造られた方以外に神はないことを教えました。

聖書には、はっきりと書いてあります。
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地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神である。ほかにはいない。
イザヤ書45章22節
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天地をつくられた神様だけが神様です。ほかには神はありません。

ところが、そうすると、銀細工を売っていたデメテリオたちが、それでは、商売がなりたたなくなると騒いだのです。
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21 これらのことが一段落すると、パウロは御霊の示しにより、マケドニヤとアカヤを通ったあとでエルサレムに行くことにした。そして、「私はそこに行ってから、ローマも見なければならない。」と言った。
22 そこで、自分に仕えている者の中からテモテとエラストのふたりをマケドニヤに送り出したが、パウロ自身は、なおしばらくアジヤにとどまっていた。
23 そのころ、この道のことから、ただならぬ騒動が持ち上がった。
24 それというのは、デメテリオという銀細工人がいて、銀でアルテミス神殿の模型を作り、職人たちにかなりの収入を得させていたが、
使徒の働き19章21−24節
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これは、アルテミスに対する信仰があったかどうかより、彼らの利益が重要だったのです。
彼らは大きな利益を受けていたからです。

京都や奈良と似ているなあと思います。
日本の観光地の多くがそのようなことで成り立っているかも知れません。

しかし、はっきりいえるのは、人間の手で造ったものは神ではありません。
また、隕石や、そのほかのどんなものも、人間も神ではなく神にはなりません。
この地球上の全て、全ての星星、宇宙の全てを造られた方だけが神様です。

しかし、デメテリオたちはアルテミスの為に暴動を起こしました。
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25 彼が、その職人たちや、同業の者たちをも集めて、こう言ったからである。「皆さん。ご承知のように、私たちが繁盛しているのは、この仕事のおかげです。
26 ところが、皆さんが見てもいるし聞いてもいるように、あのパウロが、手で作った物など神ではないと言って、エペソばかりか、ほとんどアジヤ全体にわたって、大ぜいの人々を説き伏せ、迷わせているのです。
27 これでは、私たちのこの仕事も信用を失う危険があるばかりか、大女神アルテミスの神殿も顧みられなくなり、全アジヤ、全世界の拝むこの大女神のご威光も地に落ちてしまいそうです。」
28 そう聞いて、彼らは大いに怒り、「偉大なのはエペソ人のアルテミスだ。」と叫び始めた。
使徒の働き19章25−28節
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デメテリオたちは、その後どうなったかわかりません。
三つ目のヨハネの手紙に信仰深い人としてデメテリオという名前が出てくるのですが、悔い改めた同一人物だといいなと思います。
それは、追求しますと果てしの無い話になりますのでやめておきましょう。

しかし、そのような偶像崇拝の地でもあるエペソで多くの人がイエス様を信じました。
そして、そこに教会が出来たのです。
皆さん。エペソは、偶像崇拝の激しい地でした。
しかし、教会が出来たのです。
日本でキリスト教会が伸びないのは偶像が多いからだといわれます。
しかし、エペソは多くの人が偶像を拝んでいる地だったのです。
ですから、日本に偶像が多いから信者が増えないなんて、信じるのをやめましょう。
イエス様は、それよりも力のある方です。

偶像崇拝の地、エペソで人々は、イエス様を信じたのです。
パウロは、そのエペソに手紙を送りました。
パウロはこの時、ローマで獄中にいたと考えられています。
パウロが獄中から書いた手紙がいくつかあり、それらは獄中書簡と言われています。

エペソ人への手紙は、パウロが宣教したエペソへ、ローマの獄中から書いた手紙です。
そして、その手紙には、非常に大切なことが書かれていました。

一章には、パウロの祈りがあります。
++++++++++
16 あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。
17 どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
18 また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
19 また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。
エペソ人への手紙1章16−19節
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ここで、パウロは、信じるものに働く神の力がいかに偉大かを知ることが出来るようにと祈っています。

そして、その偉大さは、その続きのところに書かれています。
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20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。
22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。
エペソ人への手紙1章20−23節
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神は、全能の力によって、私たちの罪の身代わりに死んでくださったイエス様を、死者の中から蘇らせられました。
そして、イエス様は、天に上げられ父なる神様の右の座につかれました。
その時から、一切のものはキリストの下におかれたのです。
そして、この一切のものを治めておられるキリストが、教会のかしらとなられました。

徳川家康が天下を取ったとき、徳川家康に仕えているものたちは、一人の大名の部下ではなく幕臣となり、それぞれが大名、旗本となりました。
イエス様が一切のもののかしらとなられ、私たち教会のかしらとなられたのです。
そうすると、私たちはどれだけ重要なものとされているでしょう。
教会は、キリストの体とかかれています。
私たちは、全世界、全宇宙の支配者であるかたの体、その一部とされているのです。

しかし、今も、空中の権威を持つ、偽りの支配者がいます。
++++++++++
1 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
2 そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
3 私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
エペソ人への手紙2章1−3節
++++++++++
それは、堕落した天使であるサタンといわれる悪魔と悪霊たちです。
これらは、悪霊というと、死んだ人間の霊だと考える人もいますが、そうではありません。
悪霊たちは、罪を犯し、サタンと一緒に天から投げ落とされた堕落した天使たちです。
彼らは、やがて、世の終わりに、火と硫黄の燃えさかる池、すなわち地獄に投げ入れられると聖書はいいます。

そして、そのとき、悪魔にしたがうものたちは、悪魔と共に、地獄に投げ込まれるのです。
そこでは永遠の苦しみがあります。

この悪魔悪霊たちは、目に見えませんが、なんとか人々を神様から引き離し、罪を犯させ、殺し合わせ、人々を地獄に引き込もうとしています。

その悪魔の力に人間は誰も勝つことが出来ません。
人は、悪魔に誘惑され、罪を犯します。

悪魔はいつも悪いことをもたらします。
人に悪い考えをもたせます。

アダムとエバが食べてはならないと言われた善悪の知識の木の実を食べたときもそうでした。
また、アダムとエバの最初の子であるカインが弟のアベルを殺した時も、カインに悪魔が働いたのです。

悪魔は、人の心に、怒りや憤りや嫉妬、ねたみ、不満を持たせ、人と人を争わせ、神様を疑わせ、神様から離そうとするのです。
カインに悪魔が働いたように、ある人に悪魔は働いて、人に危害を加えさせます。
その結果、危害を受けたものは悲しみ苦しみ、相手を憎み、また、神様はいない、助けて下さらないと信じるようになります。
皆さん。神様は、良い方です。良い事しかされません。神様は助けて下さる方です。

神様は良いものをあなたのために用意しておられます。
それを引き出すのは、あなたの信仰なのです。
悪魔にだまされてはなりません。
あなたが神様を信じ続けるなら、あなたは神様があなたのために用意された祝福を受け取るようになるのです。
神様は良い事しかされません。信じましょう。

皆さん。悪魔は私たちに罪をおかさせます。
心の中を見るなら、私たちの心には、神様に信頼しきれない、不信仰があります。
罪があります。悪魔にそそのかされて怒りやねたみを抱くことがあります。
悪い思いを持つことがあります。
誰も神様の前で正しいものはいないのです。
++++++++++
それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
ローマ人への手紙3章10節
++++++++++

ですから、誰も地獄にいかずにすむものはいませんでした。
しかし、神様はあわれみ深い方です。
++++++++++
2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――
2:6 キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。
エペソ人への手紙2章4−6節
++++++++++
それで、御子イエスキリスト様を私たちの罪の身代わりに十字架に付けられました。

実は、私たちがキリストの体であるということには、ここでも大きな意味があります。
本来、イエス様の受けられた十字架の刑罰は、罪の無いイエス様が受けるのでなく、罪あるわたしたちがそれぞれ受けなければならないものでした。
しかし、イエス様は一人、十字架で全ての罪を背負って死んで下さいました。
わたしたちがそのことを信じるとき、罪赦され、キリストの体とされます。
それは、時間を越えて、私たちは、イエス様と共に十字架に付けられたものとされているのです。

それで、私たちは、イエス様と共に十字架で死んだもの、また、キリストと共に、キリストの体の一部として、蘇ったもの、キリストと共に天にあげられたものなのです。

わたしたちの目にはそのようには見えません。
しかし、霊の世界においては、時間と空間を越えて、いま、私たちはそのようにされているのです。

それでパウロはこうもいいます。
++++++++++
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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そして、これらのことは全て、私たちの努力や力でなく、憐れみ深い神様の恵みによるのです。
++++++++++
8 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
9 行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
エペソ人への手紙2章8−9節
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あなたに必要なのはそれを信じることだけです。

それは何のためですか。
++++++++++
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
エペソ人への手紙2章10節
++++++++++
私たち一人一人が神の作品として良い行いをするためと書かれています。
しかし、その良い行いも、神様が用意しておられるのです。

ですから、私たちはイエス様にしっかりとつながって、聖霊様に聞き、そして、踏み出さなければなりません。
イエス様は言われました。
++++++++++
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
++++++++++
しかし、注意していることは、自分が、ではなく、キリストの体として、キリストにあって歩むということです。

そのため、私たちは聖書を読み祈るのです。
++++++++++
このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
エペソ人への手紙2章22節
++++++++++
そして、このイエス様にあって、神の御住まいとなるのです。

神の住まいとは、神殿です。
神社と言うほうがわかりやすいでしょうか。
日本にも大きな神社がたくさんあります。
しかし、そこにあるのは、偽わりの神々です。

それらは天と地をつくられた本当の神様ではありません。
エペソにも、そのような偽りの神があり、大きな神殿がありました。
しかし、本当の神様は、人間が作った神殿や神社には住まれません。

神様が造られた人間の中に住まれるのです。
神様は本来、人間を神殿としてつくられたのです。
そして、この地上において人間を通して、この世界を祝福しようとしておられたのです。
今、わたしたちは、そのいける神の宮、神殿なのです。
イエス様を信じた私たちの内に、全宇宙を造られた神様がともにいてくださるのです。

これはどれほど偉大なことでしょう。
しかし、これこそが、神様の本来の人間を作られた目的なのです。

そして、その目的の通りに生きるには、私たちが、イエス様としっかり結びついていることなのです。

それは、わたしたちだけではありません。
私たちは異邦人と言われます。
この手紙を受け取ったエペソの人たちも異邦人です。
++++++++++
11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、
12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。
エペソ人への手紙2章11−12節
++++++++++
ここに出てくるイスラエル人は、神様から聖書を受け取った民族であり、イエス様もその一人でした。
いま、私たちがユダヤ人と呼ぶのがその人たちです。

私たちは、このユダヤ人とは違い、本当の神様を知らない民でした。
しかし、神様は、私たちを救って、キリストの体とされたのです。
++++++++++
13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。
14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、
15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現する
ためであり、
エペソ人への手紙2章13-15節
++++++++++

そして、異邦人とユダヤ人の区別無く、十字架によって神と和解させ、一つとされたのです。
++++++++++
16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。
エペソ人への手紙2章16節
++++++++++

さて、皆さん。私たちは偉大な神様の元にあり、その恵みの中に生かされています。
恵みに生きるとは、この神様と共に歩むことです。
恵みに生きるとは、神様は良い事しかされませんと信じ、告白して生きることです。

そして、そのように信じ告白する、あなたを通して、神様の恵みはこの地上に流れるのです。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/10/05 恵みのゆえに
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