礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/09/28 
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神に栄光がとこしえにありますように
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全能者です。
主は力ある神様です。
主なる神様は癒し主です。
主なる神様はいつも共にいて助けて下さる方です。
主なる神様は良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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9月28日(日)[ ]イザ6-8/[ ]Uコリ12
9月29日(月)[ ]イザ9-10/[ ]Uコリ13
9月30日(火)[ ]イザ11-14/[ ]ガラ1
10月1日(水)[ ]イザ15-18/[ ]ガラ2
10月2日(木)[ ]イザ19-21/[ ]ガラ3
10月3日(金)[ ]イザ22-24/[ ]ガラ4
10月4日(土)[ ]イザ25-27/[ ]ガラ5
10月5日(日)[ ]イザ28-29/[ ]ガラ6
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旧約聖書がイザヤ書、新約聖書が、コリント人への手紙第二からガラテヤ書です。
どちらも、聖書の要となる非常に重要な箇所です。
是非およみください。

では、今日は、このガラテヤ人への手紙から1章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 ガラテヤ人への手紙1章1−12節
・新改訳Up332(贈呈p290、英対p554)
・新改訳Vp363、英対p404(贈呈p331)
・口語訳p293
・新共同訳p342(贈呈p342、英対p515)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ガラテヤ人への手紙1章1−12節
1:1 使徒となったパウロ――私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神によったのです。――
1:2 および私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。
1:3 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
1:4 キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。
1:5 どうか、この神に栄光がとこしえにありますように。アーメン。
1:6 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
1:7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
1:8 しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
1:9 私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
1:10 いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするようなら、私はキリストのしもべとは
言えません。
1:11 兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
1:12 私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
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主題聖句をいいましょう。
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【 主題聖句 】
私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
ガラテヤ人への手紙1章11節
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さて、今回からガラテヤ人への手紙に入ります。
ガラテヤ人への手紙は、信仰ということを知る上で非常に大切な手紙です。

私がイエス様を信じた頃、濱本先生に、「もし、聖書の一箇所だけ読むとしたらどこを読んだらいいですか。」と質問しました。
すると濱本先生は、「ガラテヤ人への手紙を読みなさい。」といわれました。
ガラテヤ人への手紙は6章しかありません。頑張ればすぐに読んでしまうことが出来ます。
私はそれを何度も何度も読みました。そして、そこに書いてある事を少し理解しました。
福音とは何か、信仰とは何か、何によって義とされるのか。
この短い6章の手紙は、そのことを教えてくれています。

もちろん大切なのは、いつも言うように聖書を何度も通読することです。
しかし、そのように読んで見られることも良いと思います。

とはいえ、そのような自分自身の体験があって尚、わたしは、皆さんにいいます。
聖書を最初から最後まで何度も何度も通読しましょう。それが、大切です。

では、ガラテヤ人への手紙に入って参りましょう。

ガラテヤ人への手紙を説明する一つの御言葉として、2章16節を取り上げます。
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しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによって
ではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節
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皆さん。人は、律法では義と認められない。信仰によって義と認められる。
これが、大切な事です。
ところで、キリスト・イエスを信じる信仰と書かれています。
それはどういう意味でしょう。
キリストとは、ギリシャ語ですが、油注がれた者とか救い主という意味を持つ言葉です。
もともと、旧約聖書にヘブル語で書かれていたメシヤという言葉がギリシャ語でキリストという言葉に訳されました。

油注がれた者といいますが、旧約聖書を見ますと、王や祭司や預言者になるときに、神の霊、聖霊様がその人に働くことを象徴するものとして頭から油をかけました。
油注がれた者は、神の霊が注がれているもの、そして、その神の霊によって人々を救うものということなのです。
ですから、キリスト、メシヤ、油注がれた者は、救い主なのです。

キリスト・イエスは、救い主イエスという意味になります。
しかし、もう一度いいますが、この救い主という言葉には、神の霊が注がれて、神の霊によって人々を救うものという意味があるのです。

その、神の霊による救い主イエス様を信じる。
それが、キリスト・イエスを信じるということです。
それは、もう少し言えば、イエス様を、歴史上の人物としてでなく、自分の為に神様が与えて下さった、神の霊による救い主として信じ受け入れるということです。

では、イエス様は何をされましたか。
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3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
コリント人への手紙第一15章3−5節
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ここで、聖書の示すとおりにと書いてありますが、イザヤ書に救い主についてこう書いてあります。
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4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
6 私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。
イザヤ書53章4−6節
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この預言されたとおりにイエス様は、私たちの罪を背負って死んで下さったのです。

また、イエス様も言っておられます。
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18 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
19 そして、あざけり、むち打ち、十字架につけるため、異邦人に引き渡します。しかし、人の子は三日目によみがえります。」
マタイの福音書20章18−19節
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キリストは、私たちの罪の身代わりに死ぬためにこられたのです。

ただ、このことを信じるだけ。それが、聖書の教えている救いであり、信仰による義です。

ところが、長年、教会にいても、わたしたちは、このことを忘れてしまいそうになるのです。
どういうことでしょう。
ユダヤ教の律法、旧約聖書にある律法については正しく守っていないけれども、勝手に自分達で律法を作り上げ、それで自分を裁いたり、自己満足したり、回りの人を裁いたりする。
そんなことがあるのではないかと思います。
簡単なことを言えば、私たちは挨拶をするのが当たり前だと思っています。
それは大切です。しかし、それは私たちの考え出した規則です。
誰かが挨拶をしないと、失礼だといって怒りを覚えます。
イエス様は、兄弟に挨拶したからといってそれが立派なことでしょうかといっておられます。
私たちは、自分達の常識で人を裁くことは出来ないのです。

さて、パウロがここで言っているのは、信仰によって救われたのだから、割礼など、律法による義を強制してはならないということです。
また、それらによって安心感を得ようとすることも問題です。

むしろ、ただ、イエス様を信じる信仰によって義とされているということです。

イエス様の為に何かしているから安心。そうでないものは滅びたらいい。
そんなことは、神様の御心なのでしょうか。

父なる神様は、イエス様という大きな代価をはらって下さったのです。

ですから、いま、わたしたちが何をしたかなど関係がありません。
ただ、神の恵みによって私たちは義とされているのです。

自分は罪が赦された。
これは、大きな恵みであり、確かな事です。

そして、信じるものは皆、この恵みの中にいるのです。

自分が恵みの中にいる。同じように回りの人も同じ恵みの中にいます。
ですから、私たちは裁きあうことは出来ません。

また、神様は、まだ恵みの中にいない人も恵みの中に入って欲しいと願っておられます。
ですから、イエス様を信じない人たちが滅びることが神様の願いではありません。

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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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すべての人を愛しておられる神様の愛。
全ての人に対し、良い事しかされない神様の愛がここにあらわされています。

これらのことを見た上で、もう一度、聖書箇所にもどります。
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11 兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
12 私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
ガラテヤ人への手紙1章11−12節
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福音は、ただ、神様からの一方的な恵みなのです。
そして、この福音を伝える力もまた、神様からの一方的な力によります。
ですから皆さん。祈りましょう。
しかし、祈りというのは、私たちの神通力や、お百度参りのようなものではありません。
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7 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。
8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
マタイの福音書6章7-8節
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神様に祈りが届くまで祈りましょうとも言いますが、神様は、一言目から、いや、その前から聞いておられます。

それなら祈る必要ないじゃないですか。
そうです。しかし、本当に神様を信頼するまで、わたしたちは祈らなければなりません。
それは、わたしたちの側の問題なのです。
神様に祈りが届いたと確信できるまで祈るのです。

神様はいつも、良い事を用意しておられます。
そのことを信じ、その信仰によって神様の恵みを受け取るのです。

ですから、これだけ祈ったからこうなったとそのようにいうのもまた、間違っています。

ペテロはいいました。
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12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのです
か。
16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにした
のです。
使徒の働き3章12、16節
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ペテロはイエス様のお名前によって大きな働きをしました。
しかし、それもまた、ただ、イエス様のお名前によったのです。

これらのことの一切はキリストによります。
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11 兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
12 私はそれを人間からは受けなかったし、また教えられもしませんでした。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
ガラテヤ人への手紙1章11−12節
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このイエス様に全てをゆだねて参りましょう。
栄光は、ただ、イエスキリスト様に、そして、イエス様をお与えくださった神様にあるのです。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/09/28 神に栄光がとこしえにありますように
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