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シティーチャーチ
メッセージ2014/09/21
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聖きを全うしようではありませんか
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、全能なる神様です。
主は、愛に満ちた神様です。
主なる神様には出来ないことはありません。
主なる神様は良い事しかされません。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
神様の守りが日本中にあるようにお祈りしましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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さて、では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
旧約聖書が伝道者の書。雅歌。イザヤ書。
新約聖書がコリント人への手紙第二です。
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9月21日(日)[ ]伝1-3/[ ]Uコリ5
9月22日(月)[ ]伝4-7/[ ]Uコリ6
9月23日(火)[ ]伝8-12/[ ]Uコリ7
9月24日(水)[ ]雅歌1-4/[ ]Uコリ8
9月25日(木)[ ]雅歌5-8/[ ]Uコリ9
9月26日(金)[ ]イザ1-2/[ ]Uコリ10
9月27日(土)[ ]イザ3-5/[ ]Uコリ11
9月28日(日)[ ]イザ6-8/[ ]Uコリ12
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伝道者の書とそれにつづく雅歌は、箴言と同じでソロモンの作です。
そして、イザヤ書は聖書の中の聖書とも言われるところです。
旧約聖書と新約聖書をつなぐ重要な預言が書かれています。
是非お読み下さい。
コリント人への手紙第二はお話の中で見てまいりましょう。

では、今日は、コリント人への手紙第二の中から7章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 コリント人への手紙第二7章1-13節
・新改訳Up322(贈呈p282、英対p538)
・新改訳Vp352、英対p392(贈呈p322)
・口語訳p284
・新共同訳p332(贈呈p332、英対p501)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】 コリント人への手紙第二7章1-13節
7:1 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
7:2 私たちに対して心を開いてください。私たちは、だれにも不正をしたことがなく、だれをもそこなったことがなく、だれからも利をむさぼったことがありません。
7:3 責めるためにこう言うのではありません。前にも言ったように、あなたがたは、私たちとともに死に、ともに生きるために、私たちの心のうちにあるのです。
7:4 私のあなたがたに対する信頼は大きいのであって、私はあなたがたを大いに誇りとしています。私は慰めに満たされ、どんな苦しみの中にあっても喜びに満ちあふれています。
7:5 マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。
7:6 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。
7:7 ただテトスが来たことばかりでなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、私たちは慰められたのです。あなたがたが私を慕っていること、嘆き悲しんでいること、また私に対して熱意を持っていてくれるこ
とを知らされて、私はますます喜びにあふれました。
7:8 あの手紙によってあなたがたを悲しませたけれども、私はそれを悔いていません。あの手紙がしばらくの間であったにしろあなたがたを悲しませたのを見て、悔いたけれども、
7:9 今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、あなたがたが悲しんで悔い改めたからです。あなたがたは神のみこころに添って悲しんだので、私たちのために何の害も受けなかったのです。
7:10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
7:11 ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題に
ついて、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。
7:12 ですから、私はあなたがたに手紙を書きましたが、それは悪を行なった人のためでもなく、その被害者のためでもなくて、私たちに対するあなたがたの熱心が、神の御前に明らかにされるためであったので
す。
7:13 こういうわけですから、私たちは慰めを受けました。この慰めの上にテトスの喜びが加わって、私たちはなおいっそう喜びました。テトスの心が、あなたがたすべてによって安らぎを与えられたからです。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます
コリント人への手紙第二7章10節
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では、今日は、これらのところから、
「聖きを全うしようではありませんか」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。


さて、今回の箇所の冒頭にはこう書いてあります。
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愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
コリント人への手紙第一7章1節
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まずここで、聖さを全うすると書いてあります。
では、聖とはどういうことでしょう。
聖というと、清らかな事と考えます。
間違ってはいません。
しかし、この聖書。これも聖と書いてありますが、奇麗事ばかり書いてあるのではありません。
聖書の創世記は、神様が素晴らしい世界をつくり、そこに人間を住まわせて下さったことに始まります。
しかし、その後すぐ、人間は罪を犯し、神様から離れ、その為、この世界は呪われ、また、人間同士もいがみ合い、殺しあうようになりました。
その罪の歴史が、聖書には書かれています。
しかし、その罪から人間を救うために、神の一人子イエス様は地上に来て下さいました。
そのことによって、私たち人間は神様との関係を取り戻すことが出来るようになりました。

さて、お話がそれましたが、ここに、このような約束と書いてあります。
どのような約束かその前の章を少し見てみたいと思います。
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18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
コリント人への手紙6章18節
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これが、その約束です。
丁度、今、お話した、神様との関係の回復、それは、神様と親子の関係になるということです。
これは、素晴らしいことです。

最近は二代目三代目の議員や芸能人が増えて来ました。
それだけ社会が安定しているのだろうと思います。
失礼を承知で言いますと、二代目三代目といわれる方の中には、それほどでなくてもその地位におられる方も見受けられます。

ところで皆さん。私たちは天と地を造られ、この世界の全てを造られた神様の子どもなのです。
これは非常に素晴らしいことです。

しかし、この箇所を少し前から見るとこう書いてあります。
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16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
コリント人への手紙6章16−18節
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まず、私たちは生ける神の宮です。
そして、だからこそ、偶像を離れ、汚れたものから離れるようにと主は言われるのです。
神様は、わたしたちを生ける神の宮として、また、息子娘とされるのです。

ここで、汚れたものに触れるなとも書いてあります。

聖であるとは、また、汚れているとはどんなことでしょう。
出エジプト記を見ますと、神の幕屋に仕える祭司達の事が書いてあります。
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18 「洗いのための青銅の洗盤と青銅の台を作ったなら、それを会見の天幕と祭壇の間に置き、その中に水を入れよ。
19 アロンとその子らは、そこで手と足を洗う。
20 彼らが会見の天幕にはいるときには、水を浴びなければならない。彼らが死なないためである。また、彼らが、主への火によるささげ物を焼いて煙にする務めのために祭壇に近づくときにも、
21 その手、その足を洗う。彼らが死なないためである。これは、彼とその子孫の代々にわたる永遠のおきてである。」
出エジプト記30章18−21節
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祭司達は、神様の幕屋に入る前に必ず体を洗い、手と足を洗いました。

私が手を良く洗うのは、単に神経質だからと思って下さってもいいですが、祭司達にとってはそれは神様の決められた事柄だったのです。

また、ユダヤ人たちは、きよめの洗いとして、手を洗うことを習慣としていました。
では、そのように体を綺麗にすればそれでいいのでしょうか。

マルコの福音書の17章でこう書いてあります。
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1 さて、パリサイ人たちと幾人かの律法学者がエルサレムから来ていて、イエスの回りに集まった。
2 イエスの弟子のうちに、汚れた手で、すなわち洗わない手でパンを食べている者があるのを見て、
3 ――パリサイ人をはじめユダヤ人はみな、昔の人たちの言い伝えを堅く守って、手をよく洗わないでは食事をせず、
4 また、市場から帰ったときには、からだをきよめてからでないと食事をしない。まだこのほかにも、杯、水差し、銅器を洗うことなど、堅く守るように伝えられた、しきたりがたくさんある。――
5 パリサイ人と律法学者たちは、イエスに尋ねた。「なぜ、あなたの弟子たちは、昔の人たちの言い伝えに従って歩まないで、汚れた手でパンを食べるのですか。」
マルコの福音書17章1−5節
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ユダヤ人たちも、外から帰ったら手を洗うとか、結構しつこく行っていたわけです。
まあ、最近はどこの施設に行っても入り口に消毒液が置いてあります。

衛生的なのは良い事でしょう。しかし、パリサイ人たちは、その規則に縛られていました。
そして、彼らは、イエス様の弟子達が手を洗わないのを見て、イエス様を裁いたのです。

ところが、これに対するイエス様の答えはこうです。
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14 イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「みな、わたしの言うことを聞いて、悟るようになりなさい。
15 外側から人にはいって、人を汚すことのできる物は何もありません。人から出て来るものが、人を汚すものなのです。」
マルコの福音書17章14−15節
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人から出るものが人をけがす。
外からの者が人をけがすのではありません。
人の内側からのものが人をけがすのです。
そして、最も問題なのは、悪いものの影響を受けてしまう信仰です。

でも、毒を飲んだら死ぬじゃないですか。

そう思いますか。しかし、あなたが信じるなら、聖書は毒を飲んでも害を受けないと書いてあります。
だからといって試してみないで下さい。
神を試みてはならないとも書いてあります。

また、イエス様とパリサイ人との間では、こんな事もありました。
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37 イエスが話し終えられると、ひとりのパリサイ人が、食事をいっしょにしてください、とお願いした。そこでイエスは家にはいって、食卓に着かれた。
38 そのパリサイ人は、イエスが食事の前に、まずきよめの洗いをなさらないのを見て、驚いた。
39 すると、主は言われた。「なるほど、あなたがたパリサイ人は、杯や大皿の外側はきよめるが、その内側は、強奪と邪悪とでいっぱいです。
40 愚かな人たち。外側を造られた方は、内側も造られたのではありませんか。
41 とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。
ルカの福音書11章37−41節
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イエス様は、外ではなく、内側を聖めなさいと言われます。

神様は、私たちの外見ではなく、心を見ておられます。

ですから、私たちの心が変えられなければなりません。
一番大切なことは、私たちが心からイエス様を信じることです。

イエス様の何を信じるのですから。
それは、イエス様が私たちの罪の身代わりに死んで蘇られたということです。
それは、なぜイエス様は十字架に死なれましたか。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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それは、父なる神様の愛の故です。

わたしたちの心のそこで、この神様の愛を知る。
私たちの心が、この神様の愛を知る。
それが、大切なのです。

神様は、えらそうに上から見下ろしておられるのではありません。
わたしたちを本当に愛しておられるのです。
神様は、この世界の全てのものを愛しておられます。
信じる人も信じない人も、神様に造られたのです。

ですから、その全てのものが神様の前に戻ってくることを神様は願っておられるのです。
それで、全ての人の罪の身代わりにイエス様をこの世にお与えになったのです。
だから皆さん。全ての人がイエス様を信じなければなりません。

そして、この方を信じるならそれだけで神様のものとなるようにされたのです。
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けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。
ピリピ人への手紙3章20節
++++++++++
その結果、皆さん。私たちの国籍は天にあります。

私たちは今、すでに天国の国民なのです。

日本人がアメリカに旅行したからといってアメリカ人になるわけではありません。
日本に観光で来ている人達も、日本人になったのではなく国籍は外国ままです。

今、私たちは、日本にいます。しかし、天国の国民なのです。
ところが、この場合は、日本人でなくなるわけではありません。
日本人でもあり、天国の国民でもあるのです。ですから、私たちは日本の為に祈らなければなりません。

とはいえ、皆さんは、イエス様という代価によって神様に買い取られたのです。
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あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
コリント人への手紙第一6章20節
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ですから、神様にあって歩み、神様の栄光を表すのです。
私たちは、イエス様という代価によって、神様に買い取られた神様のものなのです。

それで、神様は言われます。
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「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。
レビ記19章2節
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私たちは、聖なるものである。

皆さん。わたしたちは、今、神様のもの、聖なる者です。
聖であるとは神様のものであるということです。

さて、わたしたちが神様のものであるなら、聖いとはどんなことでしょう。
聖いとは神様とのつながりがあることです。
そのつながりはどうやって出来ますか、それはイエス様を信じる信仰によります。
それは、私たちが、神様を信じているということです。
では、完全な信仰とは、どんな信仰でしょう。

それを簡単に言うと、神様は、良い事しかされないと信じることです。
悪魔は、アダムとエバに、神様は悪い事をされるという嘘を教え込み、アダムとエバはそれを信じたので罪を犯し、神様から離れました。
エバには、その時食べた善悪の知識の木の実が食べるのに良く見えたと書いてあります。
エバは、目の前の状況と、悪魔の言葉から、神様をうそつきにしてしまいました。
しかし、神様こそ真実な方です。

もし、目の前の状況がどうであっても、神様は良い事しかされないと信じ続けるなら、その信仰に神様は働いて下さいます。
それによって悪魔の働きが打ち破られるのです。
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ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
ヤコブの手紙4章7節
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私たちは、なぜ、不満を持ちますか、なぜ、怒りますか。
目の前に起こった事柄で、神様は悪いと信じるからです。
そして、悪いことも起こると信じるからです。

なんとか必死で悪いことを跳ね除けようとします。
しかし、大切なのは、神様は良い事しかされないと、神様に信頼することです。

奇麗事でしょうか。そう聞こえるかも知れません。

でも、私たちは、小さな一歩から、この神様の祝福に目を向けていかなければならないのです。
世界中がこの神様の祝福を必要としています。
ですから、神様の恵みに真剣に目を向けましょう。

この視点から、聖書箇所に戻ります。

コリントにあった問題において、神のみこころに沿った悲しみと、世の悲しみとが対比されています。
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10 神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。
11 ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題につ
いて、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。
コリント人への手紙第二7章10−11節
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世の悲しみは、ただ、自分の目の前にある状況を見て、自分のとった行動を後悔し、また、神様に不満を持つ悲しみです。
それは、救いがありません。ついには死に至ります。
神のみこころに沿った悲しみとは、神様との関係が失われていた事そのものを知り、神様の恵みと赦しを信じて神様に目を向けるものです。

ここで、彼らは、御心に沿った悲しみにより、神様に目を向けたのです。
そこに聖霊様が働かれました。ここに書かれているのはその結果なのです。

そして、問題の全てが益と変えられました。
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ですから、私はあなたがたに手紙を書きましたが、それは悪を行なった人のためでもなく、その被害者のためでもなくて、私たちに対するあなたがたの熱心が、神の御前に明らかにされるためであったのです。
コリント人への手紙7章12節
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神を信じるものの為に全てが益とされるのです。
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神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
ローマ人への手紙8章28節
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そして、皆さん。どんな時も、神様は良い事しかされません。

悪魔は様々な災いをもたらします。そして、私たちに疑わせようとします。

しかし、それを本当に跳ね除けるのは、あなたの神様への信頼。
神様は良い事しかされないというあなたの信仰なのです。
それが、聖なる信仰です。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/09/21 聖きを全うしようではありませんか
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