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シティーチャーチ
メッセージ2014/09/07 
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キリストのからだ 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神です。
主は全能者です。
主は愛と恵みに満ちておられます。
主は良い事しかされません。

皆さん。この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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主がこの日本中を救って下さるように祈りましょう。

聖書の通読箇所を見てみましょう。
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9月7日(日)[ ]詩136-138/[ ]Tコリ11:17-34
9月8日(月)[ ]詩139-141/[ ]Tコリ12:1-11
9月9日(火)[ ]詩142-145/[ ]Tコリ12:12-31
9月10日(水)[ ]詩146-150/[ ]Tコリ13
9月11日(木)[ ]箴1-3/[ ]Tコリ14:1-19
9月12日(金)[ ]箴4-6/[ ]Tコリ14:20-40
9月13日(土)[ ]箴7-9/[ ]Tコリ15:1-19
9月14日(日)[ ]箴10-12/[ ]Tコリ15:20-34
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旧約聖書が詩篇から箴言。
新約聖書がコリント人への手紙第一です。
詩篇の最後は、さまざまな楽器を持って主を褒め称えよという歌です。
特に、タンバリンと踊り、そして、シンバルで主を称えよと歌っています。
私たちは、そのような力強い賛美を捧げてまいりたいと思います。
箴言は、ソロモンが書いたといわれますが、さまざまな人生訓が書かれています。
そのようなところも是非お読みください。

新約聖書、コリント人への手紙第一は、お話の中で見てまいりましょう。

では、コリント人への手紙第一の12章を開いて参りましょう。

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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一12章12-27節
・新改訳Up306(贈呈p269、英対p513)
・新改訳Vp335、英対p373(贈呈p306)
・口語訳p270
・新共同訳p316(贈呈p316、英対p477)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第一12章12-27節
9月9日(火)[ ]詩142-145/[ ]Tコリ12:12-31
12:12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
12:13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
12:14 確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。
12:15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
12:17 もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。
12:18 しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。
12:19 もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。
12:20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
12:25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
12:26 もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
12:27 あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
コリント人への手紙第一12章27節
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これらのところから、
「キリストのからだ」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

皆さん。
この主題聖句に書かれている通り、私たちは、キリストの体です。
皆さんがイエス様を信じたときから、私たち一人一人は、イエス様の体の一部なのです。

そして、その事を、パウロは手紙の中で何度も言っています。
ローマ人への手紙にもこう書いてあります。
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大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。
ローマ人への手紙12章5節
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そして、エペソ人への手紙にもこう書いてあります。
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その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
エペソ人への手紙3章6節
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イエス様にあって、全てのものが一つとなるのです。

ところで、ここで、異邦人についても書いてある事を考えて下さい。
パウロにとって異邦人とは、ユダヤ人ではないものの事です。
それは、わたしたちの事も含んでいます。
パウロから見れば、世界の果ての日本人は間違いなく異邦人です。
それは、簡単に言えば外国人という意味です。

しかし、ユダヤ人にとっての外国人は、私たちにとっての外国人とは意味が違います。
ペテロはこう言っています。
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彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはなら
ないことを示してくださいました。
使徒の働き10章28節
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ユダヤ人にとって異邦人は、汚れた存在だと考えていたのです。
もちろん主は、それを間違いだとペテロに示されました。
しかし、当時のユダヤ人にとってそれは一般的な考えだったのです。

それだけではありません。
イエス様についてこう書いてあります。
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10 イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。
11 すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」
マタイの福音書9章10−11節
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パリサイ人たちはユダヤ教に熱心な人たちです。もともと、パウロもそうでした。
彼らは、異邦人だけでなく、取税人や罪人とも食事を共にしないと決めていたのです。

すこしお話がそれますが、イエス様は、イエス様はそれに対して言われました。
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12 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。
13 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」
マタイの福音書9章12−13節
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イエス様は、罪人を招くためにこられました。
ところで、この意味を良く考えて下さい。
「ああ、そうか、私が罪人でもイエス様が助けて下さるのですね。」
そう思ったあなたは、その通りです。
でも、もう一つ大事な事があります。
あなたに罪を犯した誰か、あなたの嫌な誰か、その誰かに対しても、イエス様は同じなのです。
その人のこともイエス様は愛しておられるのです。

さて、この御言葉に戻ります。
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その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。
エペソ人への手紙3章6節
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異邦人も一つの体。
ということの意味です。
ユダヤ人たちは、異邦人が好きでしたか。彼らは、異邦人を嫌っていました。
外国人を嫌い、罪人を嫌っていました。

しかし、そのようなユダヤ人と異邦人が、「共同の相続人となる。一つの体となる。」とパウロは言うのです。

一つの体、共同の相続人。体ということの前に考えてみてください。

私たちには、どうにも苦手な人がいたりします。時には絶対に嫌いだと思う人もいるかもしれません。
そんな人はいませんという方おられますか。それは素晴らしいです。

その人とずっと一緒にすまなければならないとしたらどうですか。想像してみるもの嫌ですか。
主の助けがありますように。

しかし、皆さん。ユダヤ人にとって、一緒に食事をするものも嫌な人たちと、一つの体だとパウロは言うのです。
一つの体というのは、一緒に住むこと以上のことです。

私たちは、キリストにあって一つの体とされています。
その一つの象徴が、聖餐式です。
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パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。
コリント人への手紙第一10章17節
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今日も聖餐式があります。

それは、キリストの御体を頂き、キリストの血を受けることにより、キリストにつながり、キリストと一つになることを意味しています。

私たちは、イエス様を信じました、その時からキリストと一つにされました。
皆さんが洗礼を受けたのは、キリストの死と一つとなり、キリストの復活と一つとなり、新しい命に生きるものとなるためです。

今、私たちはキリストと一つなのです。
そして、キリストと一つになって生きる事なしに、私たちは何も出来ないと、イエス様は言われます。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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ある方は、いや、私が苦労してこれをしたといわれるでしょう。
しかし、私は、キリストを知れば知るほど、自分ではなく神様がしておられるのだと知るようになりました。
パウロも言います。
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ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みで
す。
コリント人への手紙第一15章10節
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パウロの働きは、神の恵みだと、パウロは言っています。

「自分じゃありません。神様です。」というと、信心深い人だと思われてカッコいい。
なんて、そんな理由でパウロは言っているのではありません。
パウロは事実を言っているのです。

私たちの口が語って良いことが二つあります。
一つは事実、もう一つは信仰の言葉です。
もし、それを信じて語るなら、そこには祝福があります。
しかし、誰も自分の信仰深さを示そうとしてはなりません。
なぜなら、信仰深さを示そうとするなら、回りの人が信仰深いですねといったところで目的は終わり、神様の祝福に至らないからです。

パウロに起こった出来事は、キリストにある神の恵みでした。

私たちも、キリスト・イエス様と一つなのです。

あなたは、イエス様と一つです。
私も、イエス様と一つです。
あなたの隣の人も、イエス様と一つです。

だとしたら、私たちは一つです。
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パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。
コリント人への手紙第一10章17節
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このように、キリストにあって私たちは一つの体であるというその事の上で、今回の箇所でパウロは言うのです。
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あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。
コリント人への手紙第一12章27節
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体であるなら、パウロは言います。
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15 たとい、足が、「私は手ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
16 たとい、耳が、「私は目ではないから、からだに属さない。」と言ったところで、そんなことでからだに属さなくなるわけではありません。
コリント人への手紙第一12章15−16節
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そんなふうに体があらそったら大変です。

あなたの右手と左手が争ったりしたらどうなるでしょう。
右足と左足が争ったら歩くことも出来ません。
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21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
コリント人への手紙第一 12章21−22節
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そして、弱いところほど重要だというのです。
弱いところを助けるために、私たちは愛を学びます。
誰も、あの人なんかいらないとはいえないのです。
牧師も、信徒に対して、あなたはいらないとはいえません。
なぜなら、それを決められるのは、かしらなるイエス様だけだからです。
そして、イエス様は、全ての人の為に十字架に架かって死んで下さったのです。

そのイエス様を信じる私たちは、キリストの体です。

体において、走るには、足、速く走るには手も動かします。
もっと早く走る為に、体重を落としたりもするかもしれません。
しかし、心臓が重たいからと取ってしまったら、死んでしまいます。
早く走っているときは、肺の機能も、栄養を供給する臓器の機能も重要です。
わたしたちの体は、体の全てが必要なのです。

また、弱いところほど重要です。
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23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
25 それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。
コリント人への手紙第一12章23−25節
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弱いところをいたわりあうためだと、パウロは言います。

家にいて、足の小指をどこかにぶつけたことのある方おられますか。
ほとんどの方はそれを経験しておられると思います。
あれは痛いんです。

小指だけのことだから、ほっといたらいいというわけに行きません。痛いんです。
痛んでいるのは足の小指ですが、体全体が痛むんです。
赤くなっているのは、足の小指だけかも知れませんが、体全体が痛みで動けなくなったりするのです。
体とはそういうものです。
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もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。
コリント人への手紙第一12章26節
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また、肩を揉んだり、マッサージをすると、肩だけが気持いいのではありません。体全体が楽になります。
どこかに良い事があれば、体全体が喜ぶのです。

家族で、誰かに良い事があったら嬉しいものです。
教会の中でも同じです。それは、体だからです。
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かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。
コロサイ人への手紙2章19節
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その体は、かしら、頭に、結びついていなければ、機能しません。

ですから、私たちは、このイエス様にしっかりとそれぞれが結びついていなければならないのです。
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また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。
コロサイ人への手紙 1章18節
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わたしたちがイエス様に結びついているなら、私たちは、自分があれこれするのではありません。
イエス様の導きの中を歩むのです。

そして、イエス様ご自身の栄光を表すのです。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/09/07 キリストのからだ
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