礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/08/03 
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神は真実な方であるとすべきです 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主はなんでも出来る方です。
主は、真実な方です。
主は、良い物だけを与えて下さる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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続いて、聖書の通読箇所を見て参りましょう。
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8月3日(日)[ ]詩1-5/[ ]ロマ1:16-32
8月4日(月)[ ]詩6-9/[ ]ロマ2
8月5日(火)[ ]詩10-15/[ ]ロマ3:1-18
8月6日(水)[ ]詩16-18/[ ]ロマ3:19-31
8月7日(木)[ ]詩19-22/[ ]ロマ4
8月8日(金)[ ]詩23-27/[ ]ロマ5
8月9日(土)[ ]詩28-31/[ ]ロマ6
8月10日(日)[ ]詩32-35/[ ]ロマ7
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旧約聖書が詩篇、新約聖書がローマ人への手紙です。

詩篇は、神様への美しい賛美です。
と、紹介すると少し違うと思います。
詩篇には、美しい賛美もあります。
しかし、そこには、あかららな、心からの神様への叫びが書かれています。
そして詩篇の記者は主からの慰めと励ましを受け取っています。
それは読むものにとっても慰めや励ましとなります。
是非お読みください。

ローマ人への手紙はお話の中で見てまいりましょう。

では、今日は、ローマ人への手紙3章を開いて参りましょう。
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【 聖書箇所 】ローマ人への手紙3章1−18節
・新改訳Up268(贈呈p235、英対p449)
・新改訳Vp292、英対p327(贈呈p269)
・口語訳p235
・新共同訳p276(贈呈p276、英対p422)
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では、朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ローマ人への手紙3章1−18節
3:1 では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。
3:2 それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。
3:3 では、いったいどうなのですか。彼らのうちに不真実な者があったら、その不真実によって、神の真実が無に帰することになるでしょうか。
3:4 絶対にそんなことはありません。たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。それは、「あなたが、そのみことばによって正しいとされ、さばかれるときには勝利を得られるため。」と
書いてあるとおりです。
3:5 しかし、もし私たちの不義が神の義を明らかにするとしたら、どうなるでしょうか。人間的な言い方をしますが、怒りを下す神は不正なのでしょうか。
3:6 絶対にそんなことはありません。もしそうだとしたら、神はいったいどのように世をさばかれるのでしょう。
3:7 でも、私の偽りによって、神の真理がますます明らかにされて神の栄光となるのであれば、なぜ私がなお罪人としてさばかれるのでしょうか。
3:8 「善を現わすために、悪をしようではないか。」と言ってはいけないのでしょうか。――私たちはこの点でそしられるのです。ある人たちは、それが私たちのことばだと言っていますが、――もちろんこのように論じ
る者どもは当然罪に定められるのです。
3:9 では、どうなのでしょう。私たちは他の者にまさっているのでしょうか。決してそうではありません。私たちは前に、ユダヤ人もギリシヤ人も、すべての人が罪の下にあると責めたのです。
3:10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
3:11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
3:13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
3:15 「彼らの足は血を流すのに速く、
3:16 彼らの道には破壊と悲惨がある。
3:17 また、彼らは平和の道を知らない。」
3:18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。
ローマ人への手紙3章4節
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では、これらのところから、
「神は真実な方であるとすべきです」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回から、ローマ人へ手紙に入ります。
ローマ人への手紙から、コリント人への手紙、ガラテヤ、エペソ、ピリピ、コロサイ、テサロニケ、テモテ、テトス、ピレモンは、
パウロの書いた手紙です。

パウロは律法を良く学んだ人でした。
当時、律法に精通したガマリエルという律法学者がいました。
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「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
使徒の働き22章3節
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パウロは、そのガマリエルの元で学んだのです。
律法においてはパウロはエリートです。

それで、パウロの書いた手紙について、イエス様の一番弟子であり、初代ローマ法王ともされる使徒のペテロがコメントを残しています。
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15 また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。それは、私たちの愛する兄弟パウロも、その与えられた知恵に従って、あなたがたに書き送ったとおりです。
16 その中で、ほかのすべての手紙でもそうなのですが、このことについて語っています。その手紙の中には理解しにくいところもあります。無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の個所のばあいもそうするの
ですが、それらの手紙を曲解し、自分自身に滅びを招いています。
ペテロの手紙第二3章15−16節
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パウロの書く手紙は、理解しにくいところもあります。
と、そのようにはっきりと書いてあります。

私たちは、注意深くパウロの手紙を読まなければなりません。

今回の箇所も、非常にわかりにくい内容です。
しかし、この文章は非常に論理的です。

皆さん。聖書は神話や御伽噺ではありません。
非常に理にかなった論理的な内容です。

といって、論理的とはどんなことでしょう。
論理的という言葉の嫌いな方もおられるかも知れません。
難しいことだと思うからです。

皆さん。この私の聖書の表は黒いですか。白いですか。

黒いですね。そうすると、この聖書の表は白いですか。
白ではありませんね。
それは、当たり前のことです。
たまに、このような質問をすると怒る人がおられます。

当たり前のことを聞くな、馬鹿にしているのかということです。
それほど、当たり前なのです。それが、論理的ということです。

論理的と聞くと、ああ、ややこしい話だと思われる方が多いと思います。
コンピューターをはじめとするデジタル機器は、皆、この論理的な考えをもとにつくられています。
なんて聞くとますます、嫌かもしれません。
しかし、論理的というのは実はばかばかしいほどに当たり前のことなのです。

もう一度聞きます。この聖書の表紙は黒いですね。
そうすると、この聖書の表紙は白いですか。
白ではありません。
これが、黒いといったあとで、おなじ表紙を指差して誰かが白いというならちょっと困ります。
それは論理的でないからです。

灰色なら、どうなるのですか。
と聞かれると、お話が長くなりますので、白か黒かと言うお話にしておきたいと思います。

黒いなら白ではない、それを罪と義に置き換えます。
罪なら、義ではない。義なら、罪ではない。
実は先ほど、灰色の話をやめましたが、罪と義を白黒とするなら、神様の前では灰色、グレーはありません。
罪を黒、義を白とするなら、少しでも罪があるなら、黒、全く罪がないなら白。
それ以外はないのです。
ほんの少しの罪だと人間は思っても、神様からは真っ黒です。
それを白くするのは、人間には無理なのです。

ですから、イエス様を信じる信仰によって義とされなければなりません。

白黒つけないこともあるでしょうと言われるかも知れません。
この部屋の蛍光灯のスイッチはどうですか。
そーっと押すと少しずつ明るくなりますか。最近はそういうものもありますが、この部屋のはそうではありません。
少し押しても付きませんがある所でパチンとスイッチが入り、蛍光灯がつき、はっきりと明るくなります。
それと同じです。

お話をもどしますが、罪なら、義ではない。義なら、罪ではない。

そうはっきりさせて、パウロは、罪と義について、そして、人の罪を義に変えるキリストの救いについて語っているのです。

聖書は論理的です。
しかし、キリストの十字架は、実は論理を飛び越えています。
なぜなら、イエスキリストの死と復活が自分の罪の身代わりだと信じることにより、罪人が義人に変わるからです。

それは人間の考えを越えた神様の智恵です。

その人間の考えを越えた事柄を、パウロは説明しようとしています。
パウロは、論理的で、哲学的な思考をして、彼の持っている、旧約聖書とユダヤ教の知識を土台にし、また総動員して、イエス様がなしとげられた信仰による救いについて証明しようとしているのです。

それが、ローマ人への手紙の本筋です。

でも、書かれている内容をたどるだけでも、なかなか難しい手紙です。ペテロが難しいといったほどですので、それもしかたが無いでしょう。

しかし、そのように理解しやすいかどうかは別として、それでも聖書を読みましょう。
なんのことかさっぱりわからなくてもかまいません。
あなたが聖書の言葉に触れるとき、あなたは神の言葉であるイエス様に触れているのです。
そして、あなたの霊が命を受け成長するのです。

それと、同じ事をトラクトを配るときに思います。

中には中身も見ずに捨てる人もいるかもしれません。
でも、それでもったいないと思わないで下さい。
だから、渡さないと思わないで下さい。

その表紙に、「神は愛です」と書いてある聖書の言葉、「イエス様は救い主です」と書いてある聖書の言葉だけでも、
見たその人に命を与えるのです。

ですから御言葉に触れて、救われるのだと信じて、御言葉を語りましょう。御言葉を伝えましょう。
読んでもらえなくても、冊子をわたすのです。

さて、お話をもどします。

パウロがローマ人への手紙で語るのは、信仰による義です。

その場合に問題になる一つのことに、
「信仰による義と言うと、行いなどどうでも良い事になってしまわないのか。」
という質問があります。

それなら、義とはいったい何なのか。ということです。

義なる人、義人とについて聖書はいいます。
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10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
ローマ人への手紙3章10−12節
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そもそも、義人などいないというのです。
皆白黒でいうなら真っ黒です。

だれも白いものはいません。

そのような真っ黒なもの、義人でないもの、それが罪人です。
聖書のいう罪人は犯罪者という意味とは違います。
法に反する犯罪を犯していなくても、人は皆、神様から見たら罪人なのです。
その特徴はこのようなものです。
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13 「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」
14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」
15 「彼らの足は血を流すのに速く、
16 彼らの道には破壊と悲惨がある。
17 また、彼らは平和の道を知らない。」
18 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
ローマ人への手紙3書13−18節
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彼らは、うそをつきます、日本ではうそも方便などといいますが、神は、どんなことでも偽ってはならないといわれます。
また、悪い言葉を吐きます。血を流すのに早く、破壊と悲惨があり、平和を愛することが出来ません。

私は平和主義だという人は沢山います。
しかし、なぐられたら殴り返したくならないでしょうか。
相手を倒すか、捕まえて牢屋に入れたくならないでしょうか。
私たちの考える平和は、神様からは程遠いものです。

全ての人が罪の中にあると聖書はいうのです。

彼らの中には恐れがありません。
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「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」
ローマ人への手紙3書18節
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しかし、信仰による義は、神様を恐れることさえ知らないものを神様を愛するものに変えるのです。

神を恐れるというのではなく、神様を愛する愛、人を愛する愛が、正しい行いへと人を導くのです。
それは、強制されてではありません。

信仰による義について考えるなら、この人の名前が出てきます。
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聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義と見なされた。」とあります。
ローマ人への手紙4章3節
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創世記にはこう書いてあります。
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彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
創世記15章6節
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アブラハムは、主を信じました。それはどんな時ですか。
彼と妻が年老いて、子どもの無いときに、子どもを与えるといわれた主を信じたのです。

望み得ないのに信じたのです。
目に見えるところはダメなのに信じたのです。

信仰とは、どんな状況の中でも神様が良い方だと信じることです。

罪とはなんですか。
それは不信仰です。

不信仰とはなんですか
それは、神様が悪いことをされると信じることです。

多くの人は、神様は自分にとって嫌なこと、悪い事をされると信じています。

しかし、神様は良い事だけをされるのです。
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神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネの福音書3章16節
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ここには何が示されていますか。
神様がおられるということ、
神様が人が滅びないように救ってくださるということです。

この世はどう考えていますか。
神様は、厳しい方で悪い事をするなら滅ぼされると信じています。
ですから、その通りに死んで永遠の滅びに行くのです。
信じたとおりになるのです。

信仰こそが全ての結果を引き出すのです。
それが良くても悪くてもです。

しかし、神様は、いつも良い物を用意しておられます。
それを疑わせ、受け取らないようにさせ、変わりに間違った悪いものを与えようとするのは悪魔です。

創世記の最初で、悪魔は人類に、神様が食べたら死ぬと言われた善悪の知識の木の実を、食べさせたのと同じです。

いつも神様は良い物を用意しておられます。
悪魔は、それを受け取れなくし、悪いものを与えます。

神様が用意しておられる良い物を受け取り、悪魔の持ってくる悪いものを跳ね除けるのは信仰です。
信じなければ、神様が用意された良い物を受け取ることは出来ないのです。

そんなことを言うと、この世はいうでしょう。
神は良い事も悪いこともされるのではないですかと、

しかし、誰がなんと言おうと、神様は真実な方です。
良い事をされるかたです。
++++++++++
【 主題聖句 】
たとい、すべての人を偽り者としても、神は真実な方であるとすべきです。
ローマ人への手紙3章4節
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ただ、この方を信じましょう。お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/08/03 神は真実な方であるとすべきです 
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