礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/06/08 
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それはわたしです。 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は最初からおられた方。
全ての始まりである方。
全てを完成された方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず今日も災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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6月8日(日)[ ]U列16-17/[ ]ヨハ16:17-33
6月9日(月)[ ]U列18-19/[ ]ヨハ17
6月10日(火)[ ]U列20-22/[ ]ヨハ18:1-18
6月11日(水)[ ]U列23-25/[ ]ヨハ18:19-40
6月12日(木)[ ]T歴1-2/[ ]ヨハ19:1-22
6月13日(金)[ ]T歴3-5/[ ]ヨハ19:23-42
6月14日(土)[ ]T歴6-7/[ ]ヨハ20:1-18
6月15日(日)[ ]T歴8-10/[ ]ヨハ20:19-31
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旧約聖書が列王記第二から歴代誌第一
新約聖書がヨハネの福音書です。
列王記第二の最後でバビロンによってユダが滅ぼされます。
しかし、捕囚となった王に神様は哀れみをかけられ、バビロンの王の好意を受けるのです。
神様は、どのような中でも神様に目を向けるあなたに良くしてくださいます。
歴代誌第一は、ここまでの歴史を、改めてアダムから見ているものです。
アダムからダビデまでが歴代誌第一、そして、ソロモンから捕囚までが歴代誌第二です。
これらのところも是非お読みください。

新約聖書は、ヨハネの福音書。
こちらはお話の中で見てまいりましょう。

では、今日は、このヨハネの福音書から、18章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 ヨハネの福音書18章2-15節
・新改訳Up198(贈呈p176、英対p325)
・新改訳Vp217、英対p242(贈呈p202)
・口語訳p171
・新共同訳p203(贈呈p203、英対p311)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書18章2-15節
18:2 ところで、イエスを裏切ろうとしていたユダもその場所を知っていた。イエスがたびたび弟子たちとそこで会合されたからである。
18:3 そこで、ユダは一隊の兵士と、祭司長、パリサイ人たちから送られた役人たちを引き連れて、ともしびとたいまつと武器を持って、そこに来た。
18:4 イエスは自分の身に起ころうとするすべてのことを知っておられたので、出て来て、「だれを捜すのか。」と彼らに言われた。
18:5 彼らは、「ナザレ人イエスを。」と答えた。イエスは彼らに「それはわたしです。」と言われた。イエスを裏切ろうとしていたユダも彼らといっしょに立っていた。
18:6 イエスが彼らに、「それはわたしです。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
18:7 そこで、イエスがもう一度、「だれを捜すのか。」と問われると、彼らは「ナザレ人イエスを。」と言った。
18:8 イエスは答えられた。「それはわたしだと、あなたがたに言ったでしょう。もしわたしを捜しているのなら、この人たちはこのままで去らせなさい。」
18:9 それは、「あなたがわたしに下さった者のうち、ただのひとりをも失いませんでした。」とイエスが言われたことばが実現するためであった。
18:10 シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
18:11 そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
18:12 そこで、一隊の兵士と千人隊長、それにユダヤ人から送られた役人たちは、イエスを捕えて縛り、
18:13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。
18:14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。
18:15 シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭にはいった。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
イエスが彼らに、「それはわたしです。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
ヨハネの福音書18章6節
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では、これらのところから、
「それはわたしです。」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

皆さん。今日はペンテコステです。
ペンテコステおめでとうございます。
これは、私たちにとって、クリスマス、復活祭と同じ大切なお祝いの日です。
なぜなら、この日に聖霊様が下られたからです。
ペンテコステは、もともと、五旬節というユダヤ人の祭りです。
五旬節は五十日目という事で、過ぎ越しの祭りから五十日目です。
それは、七週の祭りとも言われます。七週というと、七日が七回で49日。
その次の日が50日目です。
ですから、これらは、同じ日をさしています。
ユダヤ人の伝承では、その日に十戒が与えられたとも言われます。
私たち、イエス様を信じるものにとってはペテンテコステはイエス様が十字架に架かられ復活されてから50日目です。
それで、復活祭が日曜日なのと同じように、ペンテコステも必ず日曜日です。
その日、信じるもの全てに聖霊様が下れ、また、その日教会が誕生したのです。

イエス様の十字架と復活そして、ペンテコステ。これは、密接な関係があります。
皆さん。車を購入することを考えて下さい。多くの場合、ローンで買うことが多いのではないかと思います。
その際、ローンの契約をします。また、車を購入するための書類手続きをしなければなりません。
もし、現金で買うにしても、ナンバープレートを取る為に、手続きが必要です。
そのため、契約が為され、支払いがされますが、受け取りは後になります。
後日、車が納車されます。それは、契約がなされ、支払いがされたからです。

イエス様は、弟子達に、これは、契約の血だといわれました。
契約の血が流され、そして、イエス様は、十字架で命をもって支払いをなさったのです。
その結果、与えられるものがあります。それはなんでしょう。
イエス様は、父なる神様が、求めるものをお与えになるといわれました。
そして、父なる神様は良いものを与えて下さいます。
父なる神様がおあたえになる一番良いもの。それは、聖霊様です。
父なる神様の所から、聖霊様が与えられ、信じるものの内に住んでくださいます。
そうして、失われていた人間と神様との関係が取り戻されるのです。

今、私たちは、聖霊を受け、この素晴らしい恵みの中に生かされています。
イエス様の十字架による契約と支払いがなければ、なかったことです。
そして、このペンテコステがないなら、イエス様の十字架も、支払いがあって、納車がないということになってしまいます。

今、読んでいる、ヨハネの福音書は、その契約と支払いをイエス様がされる十字架への出来事です。
前回は、ユダがイエス様を売りに出て行ったところでした。
そして、今回は、イエス様のところに、ユダが、兵士達を連れてやってきた所です。

続きのようですが、前回の聖書箇所が13章で、今回が18章ですので、5章も進んでいます。

ヨハネの福音書は、他の福音書に比べて、多くの章をエルサレム入場から後に裂いています。
ちなみに、マタイの福音書は、28章ありますが、そのうちの8章、マルコの福音書は、16章のうちの6章、
ルカの福音書は、19章のうちの6章を、エルサレム入城から後に裂いています。
ところが、ヨハネの福音書は21章あるうちの10章です。
半分近くをエルサレム入場以降、つまり、十字架と復活に向けての歩みに裂いているといえます。
イエス様の生涯は、33年と半年だと言われます。
その人生の中で、エルサレム入城から十字架は、一週間も無いのです。
マタイ、マルコ、ルカは、このイエス様の死と復活を直接見ていないと考えられます。
それは、多くは、ペテロの言葉をまとめたものだと考えられます。
しかし、ヨハネはそれらを自分で見て書いています。
そのヨハネにとっては、このときのイエス様こそ、書き残すべき事だったのでしょう。

前回開いた、13章から、この18章。
その間には、ゲッセマネの祈りや、互いに愛し合いなさいという新しい戒めなど、大切なところが沢山あります。

一箇所だけ見ておきましょう。
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12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書15章12−13節
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聖書の中で、イエス様が私たちに戒めとしてお与えになったのは一つだけです。
全ての律法を成就されたイエス様が、たった一つ、私たちに戒めとしてお与えになったのが、この、
「互いに愛し合いなさい。」という戒めなのです。

モーセは、10の戒めを神様から受け取りました。
どんな戒めかは、出エジプト記の20章を開いて見てください。

その要約は、神を愛し隣人を愛することでした。
しかし、イエス様は、このように戒めを残されたのです。

そして、その最も大きな愛を十字架で示してくださったのです。

また、このイエス様の戒めに従うことは、神を愛することです。
なぜなら、こう書いてあるからです。
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神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
ヨハネの手紙第一5章3節
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神を愛するとは、神の命令を守ることです。

そして、今、神様の命令とはなんですか。
互いに愛し合うことです。

ヨハネは、手紙の中でもこういっています。
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神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
ヨハネの手紙第一4章21節
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このことは、皆さんにとっては、良くわかっておられる事だと思います。

しかし、世の終わりに起こる魂の大収穫に備える上で、私たちに大切なのはこの事なのです。
改めて、私たちに必要なのはこのことです。
何か、一度に福音を伝えるツールではなく、イエス様の愛を伝える、私たちの間の愛なのです。
魂の大収穫に向けて、皆さん、私たちが互いに愛し合い、整えられるように祈りましょう。

お話を戻しましょう。
今回の箇所はユダの裏切りです。
ユダは、イエス様を裏切って、祈りの場へ、兵士達を連れてきたのです。

イエス様は、抵抗せずに出てこられ、そして、捕らえられました。

イエス様のそばにいたペテロは、大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落としました。
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シモン・ペテロは、剣を持っていたが、それを抜き、大祭司のしもべを撃ち、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。
ヨハネの福音書18章10節
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ヨハネは、このとき、大祭司の僕の名前まで書いています。

その耳をイエス様は癒して下さいました。
敵としてやってきたものでさえ、イエス様は癒されたのです。
++++++++++
50 そしてそのうちのある者が、大祭司のしもべに撃ってかかり、その右の耳を切り落とした。
51 するとイエスは、「やめなさい。それまで。」と言われた。そして、耳にさわって彼を直してやられた。
ルカの福音書22章50−51節
++++++++++
そのうちのあるものとか、いっしょにいたものの一人と他の福音書で書かれているこの人物はペテロです。
ペテロは、必死でイエス様を守ろうとしたのです。

ところで、ここで、ルカは、ペテロの名前を出していません。
4つある福音書の内、ここで、ペテロの名前が出てくるのは、ヨハネの福音書だけです。
他の福音書の記者に、この出来事を伝えたのは、ペテロだと考えられます。
しかし、ペテロは、この事をしたのが、自分だといいたくなかったようです。
その愚かしさを考えて、自分だとはペテロはいえなかったのかも知れません。
しかも、イエス様は、その後、このように言われました。
++++++++++
52 そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。
53 それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
54 だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう。」
マタイの福音書26章52−54節
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剣を取るものは、剣で滅びるといわれ、また、イエス様はいつでも天使の軍団を呼ぶことが出来ると言われました。

ペテロがイエス様を守る必要などなかったのです。
この後、自分の弱さを知り、そして、イエス様に謙ったペテロにしたら、イエス様の為に命を懸けて戦おうとした出来事など、思い出すと恥ずかしい、どうでもいい過去だったかもしれません。
しかし、その場にいて、それを見たヨハネはこれが、ペテロだと書いています。

ペテロは、ヨハネの書いた福音書を読んで、恥ずかしいから書くなよ。と思ったかも知れません。
それはまた、ペテロを謙らせることとなったことでしょう。

さて、イエス様は、ここで12軍団よりも多くのみ使いをつかわしてイエス様を守られると書いてあります。
また、ここまで、イエス様が傷の無い捧げ物の子羊であるために、神様は守っておられたのです。

皆さん。必要ならば、神様が私たちを守って下さいます。

私たちは、自分で自分を守らなければならないと思います。
それは、大切な事です。
最近はひったくりが多いとか、大阪府の安まちメールなどに登録していると、牧野なども、ひったくりなどの犯罪があったことが送られて来ます。
大阪府下だと毎日何十件もメールが来る、そのたびに犯罪が起こっていることを教えられます。
気を引き締めていないといけないでしょう。
ところが、私たちはいつも集中していられるわけではありません。
しかし、主は、あなたと共にいて、いつもあなたを守って下さるのです。
いつも、守ってくださる神様が、聖霊様が共におられるのです。
そして、この方には力があるのです。
++++++++++
子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
ヨハネの手紙第一4章4節
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また、こうも書いてあります。
++++++++++
私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
コリント人への手紙第二10章4節
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私たちは、大きな力を神様から受けているのです。信じましょう。

聖書箇所にもどります。
イエス様はペテロに言われました。
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そこで、イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を、どうして飲まずにいられよう。」
ヨハネの福音書18章11節
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そして、このことが、イエス様の受け入れなければならないことであると言われたのです。

イエス様は捕らえられました。そして、大祭司カヤパのところにつれていかれたのです。
++++++++++
13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。
14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。
15 シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭にはいった。
ヨハネの福音書18章13−15節
++++++++++
カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策であると、ユダヤ人に助言した人です。

こう書いてあります。
++++++++++
49 しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。
50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」
51 ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、
52 また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。
ヨハネの福音書11章49−52節
++++++++++
このことは、彼の意思ではなく、彼の役職に聖霊様が働かれたものでした。
カヤパはイエス様を信じていません。
しかし、その働きに聖霊様が注がれるのです。

このことを見ると、政治の問題なども、祈ることが大切だと教えられます。
なぜなら、権威は皆、神からのものだと聖書は言っているからです。
++++++++++
1 人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
2 したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
ローマ人への手紙13章1−2節
++++++++++
消費税がアップして大変だと感じたとき、ハイナイトの祈り会の課題の祈りに、消費税が祝福されるようにという祈祷課題がありました。
不満を持つのでなく祝福して祈る。それは、大切な視点だと教えられました。

権威が神によって立てられているなら、また、その権威者を神様が導かれるのなら、わたしたち神の子が政治家の為に神様に祈ることはどんなに重要でしょう。
私たちの祈りこそが、日本を変えるのです。そして、世界を変えるのです。
ですから、日本の為に、世界の為に祈りましょう。

もう一度、この箇所に戻ります。
++++++++++
13 まずアンナスのところに連れて行った。彼がその年の大祭司カヤパのしゅうとだったからである。
14 カヤパは、ひとりの人が民に代わって死ぬことが得策である、とユダヤ人に助言した人である。
15 シモン・ペテロともうひとりの弟子は、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いで、イエスといっしょに大祭司の中庭にはいった。
ヨハネの福音書18章13−15節
++++++++++
ここで、ペテロと、もうひとりの弟子はイエスについて行ったとあります。この弟子は、大祭司の知り合いでした。
おそらく、名前の無いこの人物は、ヨハネだろうと思われます。
ヨハネも、自分の名前を自分では書かないんですね。
このヨハネは、大祭司の知り合いであったと考えられます。
だから、僕の名前まで知っていたとも考えられるのです。

このヨハネがペテロを中に入れた。その結果ペテロは人々から見つけられ、イエス様を知らないと言ったのです。

さて、イエス様の裁判が行われました。
この後、裁判の結果、罪のないイエス様は、罪がないと確定した上で、十字架に架かられました。
だから、イエス様の罪状が記は、「ユダヤ人の王」だったのです。

ところで、今回の箇所、一つ、不思議なことが書いてあるのです。
++++++++++
イエスが彼らに、「それはわたしです。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
ヨハネの福音書18章6節
++++++++++
どうして、彼らは倒れたのでしょう。何が起こったのでしょう。

このそれは私ですとう言葉は、ギリシャ語ではエゴーエイミーと書かれています。
自己中心をエゴといいますね。
このエゴは、ギリシャ語の私という意味のエゴーに由来します。

で、このエゴーエイミーは直訳すると、私は私だというような意味になるのです。
そして、それは、出エジプト記にあるこの言葉につながります。
++++++++++
神はモーセに仰せられた。「わたしは、『わたしはある。』という者である。」また仰せられた。「あなたはイスラエル人にこう告げなければならない。『わたしはあるという方が、私をあなたがたのところに遣わされた。』
と。」
出エジプト記3章14節
++++++++++
モーセが神様のお名前を聞いたとき、神様はお答えになりました。
わたしはある。

どういう意味でしょう。それは、神様こそが、存在の根源だと言うことです。
私は、父や母がいないと存在しません。また、父や母も、その父や母がいないと存在しません。
さかのぼるならそれは、アダムとエバに至ります。
エバはアダムからつくられました。そして、アダムは神様によってつくられたのです。
しかし、神様は、誰につくられたのでもありません。
ただ、はじめから存在しておられたのです。

皆さん。わたしたち、人間は、それを認めようと、認めないでいようと、この神様の中に生き存在しているのです。
++++++++++
私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。あなたがたのある詩人たちも、『私たちもまたその子孫である。』と言ったとおりです。
使徒の働き17章28節
++++++++++
この神様の臨在が現る時、人はそこで普通にしていることは出来ません。
ソロモンが神殿を完成させたときも、そこに臨在が満ちて、祭司達は立っていることが出来なくなったのです。

世界を造られた神様のその偉大な御力、私たちは、今、原子というものがエネルギーを出すだけで、どんな大きな力になるかを知っています。
そして、利用を誤ると大変なことになることも、痛いほど知らされました。
その原子を、そして、この世界の全てを造られた方のエネルギーはどれほどのものでしょう。
イエス様が、「それはわたしです。」といわれたとき、そのエネルギーがそこに現されました。
++++++++++
イエスが彼らに、「それはわたしです。」と言われたとき、彼らはあとずさりし、そして地に倒れた。
ヨハネの福音書18章6節
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その偉大な力によって、人々は、地に倒れたのです。

それは、神の子としての栄光でした。
++++++++++
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書1章14節

今は、父よ、みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
ヨハネの福音書17章5節
++++++++++
その為、人々は、地に倒れ伏したのです。

その力をお持ちであるのに、イエス様は、逃げることをせずに捕らえられたのです。
それは、父なる神様の御心を成し遂げるため、支払いをするため、勝利を取るため、律法を完成するためでした。
++++++++++
しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わた
しは助け主をあなたがたのところに遣わします。
ヨハネの福音書16章7節
++++++++++
そして、イエス様が十字架に架かられたことによって、聖霊様が与えられたのです。

この聖霊様に力があります。
++++++++++
しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1章8節
++++++++++
皆さん、聖霊様を求めましょう。
さらに聖霊様に満たされるように、お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/06/08 それはわたしです。 
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