礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/06/01
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わたしがあなたがたを愛したように
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全能者力ある神王の王主の主です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず今日も災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見てまいりましょう。
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6月1日(日)[ ]U列1-2/[ ]ヨハ12:37-50
6月2日(月)[ ]U列3-4/[ ]ヨハ13:1-20
6月3日(火)[ ]U列5-6/[ ]ヨハ13:21-38
6月4日(水)[ ]U列7-8/[ ]ヨハ14:1-21
6月5日(木)[ ]U列9-10/[ ]ヨハ14:22-31
6月6日(金)[ ]U列11-13/[ ]ヨハ15
6月7日(土)[ ]U列14-15/[ ]ヨハ16:1-16
6月8日(日)[ ]U列16-17/[ ]ヨハ16:17-33
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旧約聖書が列王記第二、新約聖書がヨハネの福音書です。
列王記第二は、イスラエル王国が分裂して出来た南のユダ王国と、北イスラエル王国の衰退の物語です。
そこには、エリヤやエリシャといった預言者たちも登場します。
是非、お読みください。
また、新約聖書は、ヨハネの福音書、こちらは、お話の中で見てまいりましょう。

では、今日はこのヨハネの福音書から13章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書13章30-38節
・新改訳Up190(贈呈p170、英対p313)
・新改訳Vp208、英対p233(贈呈p194)
・口語訳p164
・新共同訳p195(贈呈p195、英対p300)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
13:30 ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。
13:31 ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。
13:32 神が、人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も、ご自身によって人の子に栄光をお与えになります。しかも、ただちにお与えになります。
13:33 子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない。』とわたしがユダヤ人たちに言
ったように、今はあなたがたにも言うのです。
13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
13:36 シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ。どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行く所に、あなたは今はついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」
13:37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
13:38 イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。
ヨハネの福音書13章34節
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では、これらのところから、
「わたしがあなたがたを愛したように」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、今回の箇所は、イエス様の弟子達にとって、一番深刻な場面です。
イエス様がいよいよ、十字架に架かられるからです。

今回の箇所は、この御言葉から始まります。
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ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。
ヨハネの福音書13章30節
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すでに夜であったと、非常に詩的な表現です。
このような表現をヨハネは好んだようですが、ここで、ヨハネはただ、その事実だけでなく、光であるイエス様から離れて、
真っ暗闇の中に出て行ったユダの心を表したのではないかとも思ってしまいます。
ユダはイエス様を離れて出て行きました。
ユダは何をしにいったのでしょうか。

マルコの福音書にはこう書いてあります。
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10 ところで、イスカリオテ・ユダは、十二弟子のひとりであるが、イエスを売ろうとして祭司長たちのところへ出向いて行った。
11 彼らはこれを聞いて喜んで、金をやろうと約束した。そこでユダは、どうしたら、うまいぐあいにイエスを引き渡せるかと、ねらっていた。
マルコの福音書14章10−11節
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ユダはイエス様を売りにいったのです。

ユダがそのことを決めた決定的な出来事は、ベタニヤのマリヤがイエス様のところに香油をもって来た時でした。
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4 ところが、弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしているイスカリオテ・ユダが言った。
5 「なぜ、この香油を三百デナリに売って、貧しい人々に施さなかったのか。」
6 しかしこう言ったのは、彼が貧しい人々のことを心にかけていたからではなく、彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからである。
ヨハネの福音書12章4−6節
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ユダは計算高い人だったようです。
それで、マリヤのしたような計算を度外視した行為とそれを認められたイエス様を受け入れられなかったのです。

しかし、いつも神様のなさることは、人間の計算を超えています。

皆さん。空の星を見てください。
非常に美しく光輝いています。
しかし、神様があの星を見せて、美しいだろうと言いたい相手は、地球の人間しかいないのです。
ところが、あの星は、この地球の周りに飾ってあるのではありません。
むしろ大きな宇宙の中の点にすぎない地球。
その上にいる人間に見せるために、神様はこれほど素晴らしい宇宙を造られたのです。
男性が女性に渡す婚約指輪は、給料の何ヶ月分とかいわれますが、男性は、精一杯の事をするでしょう。
また、聖書の中には、王が、自分の妃の為に、国の半分でもあげるという所があります。
神様はいつも私たちを喜ばせようと、最高のプレゼントをして下さっておられます。
だから、花も、地面にある花は上から見やすく、同じ高さのひまわりなどは、私たちの方をむいて、また、桜などは、下から見て美しいように、私たち人間を喜ばせるために、神様は造られたのです。

そのような大きな恵みの中に私たちは生かされているのです。
ですから、私たちは、与えることにおいて計算を度外視しなければなりません。
神様が与えよといわれるなら、それがどんなに破格に思えても捧げる事を主は喜ばれます。
そのような神様の破格の愛を、ユダは理解できませんでした。
そして、イエス様を売ったのです。

話は飛びますが、そのようにイエス様を売った結果、ユダはどうなったでしょう。

彼は、銀貨30枚を祭司長たちから受け取っていました。
イエス様が捕まったとき、彼は後悔して銀貨を返そうとしたのです。
そして、その責任を負いきれず彼は死にました。
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3 そのとき、イエスを売ったユダは、イエスが罪に定められたのを知って後悔し、銀貨三十枚を、祭司長、長老たちに返して、
4 「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして。」と言った。しかし、彼らは、「私たちの知ったことか。自分で始末することだ。」と言った。
5 それで、彼は銀貨を神殿に投げ込んで立ち去った。そして、外に出て行って、首をつった。
マタイの福音書27章3−5節
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彼は、自分で自分の負えない責任を負おうとしたのです。
罪を犯した後、イエス様に頼るのでなく結局自分の行いの中で死んでいったのです。

この銀貨30枚について、こう書いてあります。
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6 祭司長たちは銀貨を取って、「これを神殿の金庫に入れるのはよくない。血の代価だから。」と言った。
7 彼らは相談して、その金で陶器師の畑を買い、旅人たちの墓地にした。
8 それで、その畑は、今でも血の畑と呼ばれている。
9 そのとき、預言者エレミヤを通して言われた事が成就した。「彼らは銀貨三十枚を取った。イスラエルの人々に値積もりされた人の値段である。
10 彼らは、主が私にお命じになったように、その金を払って、陶器師の畑を買った。」
マタイの福音書27章6−10節
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これは、そのままエレミヤ書ではないのですが、旧約聖書の預言の成就としてイエス様は銀三十シェケルで売られたのです。

ちなみに、余談ですが、この銀30シェケルというのは、イスラエルにおける人の値段としては、少し違っています。
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2 「イスラエル人に告げて言え。ある人があなたの人身評価にしたがって主に特別な誓願を立てる場合には、
3 その評価は、次のとおりにする。二十歳から六十歳までの男なら、その評価は聖所のシェケルで銀五十シェケル。
4 女なら、その評価は三十シェケル。
レビ記27章2−4節
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ここから、すると、男性は50シェケルですので、イエス様は安く売られたということです。

ところで、この箇所には、ユダだけでなくペテロも出てきます。
彼も、結局はイエス様を裏切りました。
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37 ペテロはイエスに言った。「主よ。なぜ今はあなたについて行くことができないのですか。あなたのためにはいのちも捨てます。」
38 イエスは答えられた。「わたしのためにはいのちも捨てる、と言うのですか。まことに、まことに、あなたに告げます。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」
ヨハネの福音書13章37−38節
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このように言われ、そのままに彼も、イエス様を知らないといったのです。
ペテロもイエス様を裏切りました。
ここで、ユダとペテロの違いを考えて見たいと思います。

ユダはイエス様から離れていきました。

ペテロは、イエス様に従おうと思っていました。
それでも結局彼の弱さの為に、イエス様に従いきることが出来ませんでした。
しかし、彼は、それでもイエス様についていこうとしたのです。
最後に鶏が鳴いたとき、ペテロの方をイエス様が見られました。
なぜわかるのですか。
それは、ペテロもイエス様の方を見ていたからです。
自分自身の罪の中でさえ、イエス様を見続けましょう。
あなたをイエス様が導いて下さるのです。

お話を聖書箇所に戻します。
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ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。
ヨハネの福音書13章30節
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このパン切れと書いてあります。
それは、最後の過ぎ越しの食事のパンです。
過ぎ越しの祭りの食事、それは、今も、ユダヤ人の中で行われています。
歴史上何度も何度もそれは行われました。
しかし、その中で、一番重要な過ぎ越しの祭りがこのとき行われたのです。
なぜなら、真の子羊、イエス様が十字架で捧げられたからでウ。
そのような晩餐の時、
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イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」
ヨハネの福音書13章21節
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このとき、イエス様は、裏切り者がいると言われました。

その目的は何でしょうか。
イエス様は、弟子達の前で言われました。
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イエスは答えられた。「それはわたしがパン切れを浸して与える者です。」それからイエスは、パン切れを浸し、取って、イスカリオテ・シモンの子ユダにお与えになった。
ヨハネの福音書13章26節
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イエス様が誰の事を言っておられるのか、一番わかったのは誰でしょう。
それは、きっとユダ本人ではなかったでしょうか。
イエス様はユダに悔い改めをうながしておられたのではないかと思います。

しかし、彼は、サタンに従い出て行きました。
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27 彼がパン切れを受けると、そのとき、サタンが彼にはいった。そこで、イエスは彼に言われた。「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい。」
28 席に着いている者で、イエスが何のためにユダにそう言われたのか知っている者は、だれもなかった。
ヨハネの福音書13章27節
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これは神様のご計画に従ったのだから正しいのだととんでもないことを言う人もいます。

しかし、聖書はこう書いてあります。
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ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
コリント人への手紙第一12章3節
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誰でも、イエス様をのろうような事をするなら、それは、聖霊様によるのではありません。
行いがどんなに正しくても、私たちが神様との関係、聖霊様との関係を失っているなら、それは何の意味もないのです。
ましてやここで、ユダがしたことは、イエス様をのろう行為です。それが、正しいはずがありません。

いつも、私たちにとって重要なのは神様との関係なのです。
私たちと神様との関係を深めるものであるか、関係を遠ざけるものであるかが、私たちの判断の基準です。
神様が喜ばれること、聖霊様が喜ばれることに目を向けて参りましょう。

さて、ユダが出ていくと、イエス様は言われました。
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31 ユダが出て行ったとき、イエスは言われた。「今こそ人の子は栄光を受けました。また、神は人の子によって栄光をお受けになりました。
32 神が、人の子によって栄光をお受けになったのであれば、神も、ご自身によって人の子に栄光をお与えになります。しかも、ただちにお与えになります。
33 子どもたちよ。わたしはいましばらくの間、あなたがたといっしょにいます。あなたがたはわたしを捜すでしょう。そして、『わたしが行く所へは、あなたがたは来ることができない。』とわたしがユダヤ人たちに言った
ように、今はあなたがたにも言うのです。
ヨハネの福音書13章31−33節
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ユダが出て行った、すなわち、ユダがイエス様を裏切ったこの瞬間、イエス様は栄光を受けられました。
イエス様にとっては、ここで、サタンがイエス様を殺そうと最後に動き始めたこのとき、十字架までの全てが決まっていたのです。

そうするなら、先ほどのこの箇所も、その霊の激動は、単にユダが裏切ったことについてではなく、それが、十字架の勝利への道のはじまりだったからと理解することができます。
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イエスは、これらのことを話されたとき、霊の激動を感じ、あかしして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」
ヨハネの福音書13章21節
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人類の歴史上、もっとも重要な戦いが、ここに始まったのです。

その戦いに誰もついていくものはいませんでした。イエス様はただ一人その戦いをされたのです。

この戦いはいつから予定されていたのでしょう。
創世記3章15節、アダムとエバがサタンである蛇にだまされて、善悪の知識の木の実を食べたその時、主はサタンである蛇に言われました。
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わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
創世記3章15節
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そして、ここで、サタンである蛇がイエス様に、噛み付くことと、
イエス様が蛇であるサタンの頭を踏み砕く事を預言されたのです。

このご計画が、成就したその瞬間が十字架です。
ですから、サタンが働き、ユダがイエス様を売るために出て行ったこの瞬間から、人類の歴史で最も重要な戦いがはじまったのです。
40日の断食の時、イエス様を誘惑し、そして、イエス様からいったん離れたサタンが、ユダを通して、イエス様に働くために戻ってきたのがこのときです。
このとき、イエス様とサタンとの最後の決戦が始まったのです。
イエス様を十字架につけて殺そうとする悪魔の働きがはじまりました。

そして、それによって死にまでも神様のご計画に従うというイエス様の御業もなされたのです。
その結果、イエス様は十字架で、信仰による勝利、神様との関係による勝利、律法の成就としての勝利を得らたのです。

皆さん。このイエス様の勝利を象徴するのが、十字架です。
なぜなら、イエス様の十字架こそ、神への完全な愛であり、人への完全な愛です。
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愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
ローマ人への手紙13章10節
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イエス様は十字架で、律法を完全に守ることにより、神への完全な愛を示されました。
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神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
ヨハネの手紙第一5章3節
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イエス様はその御父への愛のゆえに、完全に律法を守られました。
また、イエス様は、十字架で祈られました。
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そのとき、イエスはこう言われた。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」彼らは、くじを引いて、イエスの着物を分けた。
ルカの福音書23章34節
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十字架で死にいくイエス様の衣をくじ引きにしているようなもの、まさに敵の為に、イエス様は、赦しを祈られたのです。

イエス様が言われたとおりの事です。
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43 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
44 しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。
マタイの福音書5章43-44節
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そして、こうも言われました。
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人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
ヨハネの福音書15章13節
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イエス様は、この愛を十字架で示されたのです。

この完全な人への愛、そして、神への愛は、律法を完全に成就したのです。
ですから、イエス様は十字架で言われました。
「テテレスタイ」
これは、完了したとか、支払いが終わったとか言う意味のギリシャ語です。
++++++++++
イエスは、酸いぶどう酒を受けられると、「完了した。」と言われた。そして、頭を垂れて、霊をお渡しになった。
ヨハネの福音書19章30節
++++++++++
イエス様の御業はそのようにして、成し遂げられたのです。
主は、十字架でそのように勝利を取られました。

十字架は、イエス様と悪魔との戦いの場、そして、勝利の場です。
霊的な意味では、リングで、戦うようにして、イエス様はこの悪魔との戦いをなされたのです。

そして、その時にイエス様の血が流されました。
肉が裂かれました。
それは、イエス様のなされた、御業を記念するもの、また、勝利を記念するものでした。

いま、私たちはこのイエス様の血を受け、肉を受けています。
このパンとぶどうジュースは、皆さん、人類歴史で最も重要な戦いの記念品なのです。
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24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
コリント人への手紙第一11章24-25節
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このことを覚えて聖餐に与り、このイエス様の十字架の死、偉大な勝利を告げ知らせるものとならせていただきましょう。
そして、この十字架にあらわされた完全な愛の中に生きるものとならせて頂きましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/06/01 わたしがあなたがたを愛したように 
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