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シティーチャーチ
メッセージ2014/05/25  
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神の栄光のためのものです 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は全能者、栄光に満ちた方。
王の王主の主です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まずいつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を見て参りましょう。
旧約聖書が列王記第一から第二、新約聖書がヨハネの福音書です。
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5月25日(日)[ ]T列11/[ ]ヨハ10:1-21
5月26日(月)[ ]T列12-13/[ ]ヨハ10:22-42
5月27日(火)[ ]T列14-15/[ ]ヨハ11:1-16
5月28日(水)[ ]T列16-17/[ ]ヨハ11:17-44
5月29日(木)[ ]T列18-19/[ ]ヨハ11:45-57
5月30日(金)[ ]T列20-21/[ ]ヨハ12:1-19
5月31日(土)[ ]T列22/[ ]ヨハ12:20-36
6月1日(日)[ ]U列1-2/[ ]ヨハ12:37-50
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列王記第一の11章でソロモンの罪が書かれています。
そして、ソロモンの罪によって、ソロモンの子のレハブアムの時代にイスラエル王国は引き裂かれ、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂し衰退していくのです。
列王記第一の最後には、ティシュベ人エリヤが登場します。エリヤは、旧約聖書を代表する預言者です。
神様を真剣に求めることの大切さを教えられる所です。是非これらの所をお読みください。

新約聖書は、ヨハネの福音書です。
こちらはお話の中で見てまいりましょう。

では、今日はヨハネの福音書11章を開きましょう。
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CCM予定2014/05/25  神の栄光のためのものです 
【 聖書箇所 】 ヨハネの福音書11章1−15節
・新改訳Up183(贈呈p163、英対p301)
・新改訳Vp200、英対p224(贈呈p186)
・口語訳p157
・新共同訳p188(贈呈p188、英対p289)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書11章1−15節
11:1 さて、ある人が病気にかかっていた。ラザロといって、マリヤとその姉妹マルタとの村の出で、ベタニヤの人であった。
11:2 このマリヤは、主に香油を塗り、髪の毛でその足をぬぐったマリヤであって、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
11:3 そこで姉妹たちは、イエスのところに使いを送って、言った。「主よ。ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
11:4 イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」
11:5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
11:6 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。
11:7 その後、イエスは、「もう一度ユダヤに行こう。」と弟子たちに言われた。
11:8 弟子たちはイエスに言った。「先生。たった今ユダヤ人たちが、あなたを石打ちにしようとしていたのに、またそこにおいでになるのですか。」
11:9 イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるでしょう。だれでも、昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。」
11:10 しかし、夜歩けばつまずきます。光がその人のうちにないからです。」
11:11 イエスは、このように話され、それから、弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠っています。しかし、わたしは彼を眠りからさましに行くのです。」
11:12 そこで弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、彼は助かるでしょう。」
11:13 しかし、イエスは、ラザロの死のことを言われたのである。だが、彼らは眠った状態のことを言われたものと思った。
11:14 そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼らに言われた。「ラザロは死んだのです。
11:15 わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。
ヨハネの福音書11章4節
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では、これらの所から、
「神の栄光のためのものです」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

さて、まず、今回の箇所を見て参りましょう。

ラザロという人が出てきます。
この人は、ベタニヤのマルタとマリヤの兄弟です。
マリヤは沢山いましたので、その人が誰かわかるために、イエス様に香油を塗り、イエス様の足を髪の毛でぬぐった人だと書いてあります。
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5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
6 そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。
ヨハネの福音書11章5−6節
++++++++++
ここで、イエス様は、ラザロを愛しておられたことがわざわざ書いてあり、それで、尚二日留まられたのです。
普通に考えるとおかしいと思いませんか。
いそいでイエス様はいかれたのではなく、イエス様はわざわざ待っておられたのです。
ここには、イエス様のご計画がありました。
私たちは、祈りの答えがすぐにこないと、愛されていないと思わないでしょうか。
しかし、ここで、イエス様はラザロとマルタとマリヤを愛しておられたのです。
そして、愛しているからこそ、そこに留まられたのです。
その結果ラザロは死にました。
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11:14 そこで、イエスはそのとき、はっきりと彼らに言われた。「ラザロは死んだのです。
11:15 わたしは、あなたがたのため、すなわちあなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
ヨハネの福音書11章14−15節
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しかし、むしろ、このことを喜ばれたのです。
これは、人間的に考えるならわけが分かりません。
しかし、神様のご計画がそこにあったのです。

それは何のためと書いてありますか。
それは、神の栄光のためです。
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イエスはこれを聞いて、言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです。」
ヨハネの福音書11章4節
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このあとのやりとりを飛ばしますが、イエス様が着かれたときラザロは死んでいました。
そうして、イエス様はラザロの墓の前で叫ばれました。
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43 そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」
44 すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。彼の顔は布切れで包まれていた。イエスは彼らに言われた。「ほどいてやって、帰らせなさい。」
45 そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。
ヨハネの福音書11章43−45節
++++++++++
こうして、死んでいたラザロはそこに生き返って出てきたのです。
それを見た多くのユダヤ人がイエス様を信じました。

イエス様が生き返らされたのは一人ではありません。
しかし、その中でラザロが生き返ったことは特別なことでした。
どういうことか見てみましょう。

イエス様がラザロを生き返らせたベタニヤは、エルサレムに近いところにあります。
そして、このころ、過ぎ越しの祭りのために沢山のユダヤ人がここに来ていたのです。
++++++++++
さて、ユダヤ人の過越の祭りが間近であった。多くの人々が、身を清めるために、過越の祭りの前にいなかからエルサレムに上って来た。
ヨハネの福音書11章55節
++++++++++
過ぎ越しの祭りは、ユダヤ人の間で毎年祝われていました。しかし、この年の過ぎ越しの祭りは特別でした。
それは、本当の購いの子羊が捧げられる人類歴史で唯一の過ぎ越しだったからです。

この過ぎ越しの祭りの前に、イエス様はベタニヤに戻ってこられました。
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1 イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
2 人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。
3 マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。
ヨハネの福音書12章1−3節
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そこにはラザロがいました。
ここで、ベタニヤのマリヤは、イエス様のところに高価な香油を持って来て塗り、髪の毛でイエス様の足をぬぐいました。
このマリヤのしたことを話すなら、それだけで長くなってしまいます。
しかし、彼女がそれほどの感謝を示したのがなぜなのか、考えて下さい。
彼女の兄弟のラザロは、死んだのです。しかし、イエス様によって生き返らされたのです。

ところで、このとき、ラザロは、有名人でした。
なぜですか。死んでいたのに生き返ったからです。
それで、ユダヤ人たちは、イエス様だけでなく、ラザロのことも見ようとしたのです。
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9 大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
10 祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。
11 それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
ヨハネの福音書12章9−11節
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そうして、多くのユダヤ人がイエス様を信じるようになりました。
そのため、祭司長たちはラザロも殺そうとするほどだったのです。

そして、次の日、イエス様がエルサレムに入られると、人々は、救い主として、イエス様をお迎えするのです。
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12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、
13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」
ヨハネの福音書12章12−13節
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ここまでの流れからどう思いますか。
ラザロが生き返ったことはどんな意味がありますか。
ここに注目してください。
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それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
ヨハネの福音書12章9−11節
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ラザロは、自分の生死をもってイエス様を証したのです。
このことは、イエス様の十字架への備えとなるのです。

イエス様は、このことの為に、愛するものを選ばれたのです。
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5 イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた。
ヨハネの福音書11章5節
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誰でもいいから生き返らされたのではないのです。
愛するものを用いられたのです。

神様は、神様の栄光の為に、神様の愛するものをお用いになるのです。

この一連の出来事が大きな神様のご計画の中にありました。

ラザロが死んだとき、マリヤとマルタはどう思ったでしょう。
病気の時、ラザロはどう思ったでしょう。

イエス様に使いを出したのに、イエス様がなかなかこられないその中で死んでいくラザロ。
そして、マリヤもマルタも。
しかし、彼女達は、イエス様をそれでも信じていました。
マルタはいいます。
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22 今でも私は知っております。あなたが神にお求めになることは何でも、神はあなたにお与えになります。」
23 イエスは彼女に言われた。「あなたの兄弟はよみがえります。」
24 マルタはイエスに言った。「私は、終わりの日のよみがえりの時に、彼がよみがえることを知っております。」
ヨハネの福音書11章23−25節
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そして、兄弟が死んでもなお、イエス様を信頼し続けたのです。
マリヤも、また、イエス様を信じ続けていました。
++++++++++
マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに。」
ヨハネの福音書11章32節
++++++++++
もうイエス様など知らないといわなかったのです。
彼女達は、終わりの日への希望にしっかりと目を向けていました。
彼女達は、イエス様が良い方であることを疑いませんでした。

何か問題があると、私たちはすぐそれに目を向けて神様に目を向けることを忘れてしまうことがあります。
彼女達にとって兄弟ラザロが死にかけたのに、すぐに連絡をしたのに、来てくれず助けてくれず、ラザロが死んでしまった。
それは、イエス様から目を離す十分な理由ではないでしょうか。
しかし、彼女達にはそれを越えるイエス様への愛があったのです。
イエス様への信頼があったのです。
イエス様は良い方だと信じていたのです。

あなたはどうでしょう。悪い事の中でも完全にイエス様に目を向けていることが出来るでしょうか。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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不安な状況の中でも信じるには信頼関係が必要です。
それは、たった一回の出来事や言葉でなく、交わりによるものです。

誰かと約束して駅で待つとしましょう。
約束の時間を過ぎても来ないと不安になります。
しかし、相手を本当に信頼しているならそれでも待つことが出来るのではないでしょうか。

イエス様とラザロやマルタやマリヤとの関係にはそのような信頼関係がありました。

そのような信頼関係をいま、私たちが神様と築くにはどうすればいいですか。
そのために、私たちは聖書を読み祈るのです。
皆さん、毎日聖書を読み祈りましょう。

ラザロはイエス様を愛し、また、イエス様も彼らを愛しておられました。
そして、このように神様の栄光の為に用いられたのです。

さて、先日、青木先生とビルウィルソン先生のセミナーが阿倍野区民センターで行われました。
青木先生は、いつもミュージカルをして下さる、グッド・サマリタン・チャーチの先生で、聖書的な教育について語って下さいました。
また、ビル・ウィルソン先生は、ニューヨークから初めて、いま、世界中で教会学校をしておられる先生で、毎週、あわせて10万人の子どもたちが集まるそうです。
どちらの先生からも、素晴らしいお話を聞くことが出来ました。
タイトルは「ビジョンとパッション」
直訳すると、ビジョンは幻、そして、パッションは情熱となりますが、ビジョン・幻とはなんでしょう。
それは、幻想とか夢を言うのではありません。
英語のビジョンの訳としては、将来の構想や展望。そして、将来を見通す力や洞察力。
などという言葉も出てきます。
それは神様を信じる私たちにとっては神様の御計画を知るということです。

聖書の中では、箴言にこう書いてあります。
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幻がなければ、民はほしいままにふるまう。しかし律法を守る者は幸いである。
箴言29章18節
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そして、ほしいまま、すなわち好きなように振舞って行き着く先は滅びです。
神に従い祝福の中を歩む人生は、自由ですが、律法から外れません。
そういう意味で、律法をいい加減に扱ってはなりません。そしてそのような信仰生活の基本は聖書を読み祈ることです。

旧約聖書に出てくるヨシュアはモーセの後継者であり、イスラエルの民を約束の地に導いた人です。
ヨシュアは、神様の御計画をしっかりと掴んでいるリーダーでした。
彼は、神がイスラエルの民を約束の地に導かれることを信じていました。
そして、その地でイスラエルの民が主に仕える事が目的であるとわかっていました。
++++++++++
7 民は、ヨシュアの生きている間、また、ヨシュアのあとまで生き残って主がイスラエルに行なわれたすべての大きなわざを見た長老たちの生きている間、主に仕えた。
8 主のしもべ、ヌンの子ヨシュアは百十歳で死んだ。
9 人々は彼を、エフライムの山地、ガアシュ山の北にある彼の相続の地境ティムナテ・ヘレスに葬った。
10 その同世代の者もみな、その先祖のもとに集められたが、彼らのあとに、主を知らず、また、主がイスラエルのためにされたわざも知らないほかの世代が起こった。
11 それで、イスラエル人は主の目の前に悪を行ない、バアルに仕えた。
士師記2章7−11節
++++++++++
しかし、ヨシュアが死ぬと、そのような明確なビジョンは失われ、すぐに民は堕落しました。
その結果、多くの災いを彼らはまねくようになったのです。

お話を戻しますが、幻とは何か、それは神様の御計画をしっかりと知ることです。
それはどんな計画か。多くの人は私への神様の計画は分かりませんといいます。
しかし、聖書はこう言います。
++++++++++
わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
エレミヤ書29章11節
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神様は、私たちの為に良い計画を持っておられます。
あなたの為に良い計画を持っておられます。

どんな計画かはっきりお示しになることもあるでしょう。
そうでなく、はっきりと分からない事もあるでしょう。

でも、はっきりとわかっているのは、
神様は良い方であり、あなたに良い計画をお持ちで、良い事をして下さると言う事です。
主なる神様は良い事しかされません。

悪魔は災いをもたらそうとするかも知れません。
しかし、それにはるかに勝る方が、悪魔のした事をひっくり返してでもあなたに良い事をして下さるのです。
このことを信じましょう。
マリヤやマルタが、そしてラザロがどんな状況の中でもイエス様に信頼し続けたようにイエス様を信じ続けましょう。

神様はあなたに必ず良い事をしてくださるという将来の展望。
これは、非常に大きなものです。
皆さん。皆さんはこのことをまずしっかりと掴まなければなりません。
神様を信じているあなたに神様は良い事をされるのです。

神様が良い事をして下さる。神様に愛されている。
そして、私たちは、神様に愛されている神の子にふさわしく歩むのです。
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ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。
エペソ人への手紙5章1節
++++++++++
神にならう者らしくとは、どんな事でしょう。
イエス様は敵であった私たちを赦し愛して下さいました。
++++++++++
それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
コロサイ人への手紙3章12節
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敵であった私たちを愛して下さった主に従い互いに赦しあい、愛し合うのです。

そのことこそが、私たちのあらわすことの出来る最も大きな主の栄光です。
なぜなら、こう書いてあるからです。
++++++++++
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
ヨハネの福音書13章35節
++++++++++
それは、皆さん。
教会がどれだけ沢山の人数になったかとか、どんな大きな奇跡が起こったとか、
そんなこと以上のことなのです。

皆さん。この教会、本当に神様に喜んでいただける教会になりたいですか。
もしそうなら、何とか人をここに呼んでとか、そんなこと以上に大切なことがあります。

大切なのは、人を増やすことではありません。
もし、私がそんなことを求めていたのなら、この10年教会を続けてこなかったと思います。
そして、神様も私たちにそんなことを求めておられませんでした。

この10年間、いろいろなことがありました。
その中で、私たちは、互いに愛しあうことから、神様を愛することを学ぼうとしていたのです。
兄弟を憎んでいるなら、神様をどんなに愛していると言ってもうそだと聖書はいいます。
++++++++++
20 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
21 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。
ヨハネの手紙第一4章20−21節
++++++++++
ですから、もし、教会の中で、怒りや、赦せない思いや、苦々しい思い、口を利きたくないとか、そんな思いがあるなら、それは、大失敗で、どんなにこれから人数が増えても、何にもなりません。
ここにある全てのものが心から赦しあい、愛し合うことが出来ないなら、聖霊様は喜んでいただけるでしょうか。
どうして、私達の為に十字架で死んで下さったイエス様に喜んでいただけるでしょう。
どうして、敵であった私たちに御子さえ与えて、赦し、愛して下さった父なる神様に喜んでいただけるでしょう。

しかし、あなたに何かそういう思いがあるなら、神様に祈りましょう。
人にではなく、神様にです。なぜなら、人に言うことは人を裁くことにつながるのです。

ところが、わたしたちは、つい、「裁いているのではないのですが、あの人はこうこうで、」と言ってしまいます。
それは、裁いています。でも、そんなあなたを神様は愛しておられます。
ですから、私は裁いていませんという必要もありません。

それよりも大切なのは、自分の思いをそのまま神様に言うのです。
それは、神様との交わりであり、自分の心を神様の前に出すことです。
そこには赦しと聖めが与えられます。冗談や軽々しい思いでも、それは自分自身をけがし、さらにその苦い思いに苦しむようになるのです。
これは、法則です。赦さなければ平安を失います。

それはそうと、大切なのはこのことです。
++++++++++
もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
ヨハネの福音書13章35節
++++++++++
私たちの間に神の愛があらわされる。
それは人間的なものではないのです。
だから、自分が愛を持っている、憐れみ深いなどと思うのはやめましょう。
この世の中に憐れみ深い人も沢山います。
でも、そんなものは、神様にとうてい及びません。
そして神様の求めておられるのは、その神様に結びついて、神様の愛で互いに愛しあうことです。
++++++++++
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからで
す。
ヨハネの福音書15章5節
++++++++++
神様の尺度で見るなら、私たちは何も出来ないのです。
皆さん。あなたは何も出来ないと本当に認めますか。
それとも、何か出来るとまだ思っていますか。

私は、自分が何か出来ると思うたびに、なんども、それを打ち砕かれました。
そして、本当に神様によらなければ何も出来ないと教えられたのです。

だから、いつも神様がして下さったと言います。
これは、いい格好や信仰深さを見せようとしているのではないのです。事実です。
こうして語りながらも、私は神様に頼っているのです。

そして、もう一つは、パッションでした。
パッションというと話がそれますが、イエス様の受難を映画にしたものもパッションというタイトルでした。
英語のパッションは受難という意味も持つのです。

それとは別に、一般的にパッションは情熱です。
熱い思いを持って、神様を愛し人を愛するのです。

皆さん。その愛は、人によるものではありません。
聖霊様によるのです。
そして、そのように私たちが神の愛に生きるとき、神様の栄光がその人生を通して、その日々の歩みを通して、あらわされるのです。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/05/25 神の栄光のためのものです
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