礼拝でのお話
テキスト版
画像がある場合
クリックで表示されます
※携帯で表示できない
物もありますので
ご了承下さい
トップページへ


音声ファイル
ワーシップ/メッセージ(MP3形式10/13作成)
※現在PCトラブルにより新規の音声ファイルが登録出来ません。
御了承下さい。
テキストの終わりへ


−−−−−−−−−−
シティーチャーチ
メッセージ2014/05/18 
−−−−−−−−−−
罪のない者が  
−−−−−−−−−−

++++++++++
28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神全能者王の王主の主です。
そして、いつもあなたを愛し、あなたに良い事をして下さる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、今日も災害にあった地域のために祈りましょう。
−−−−−−−−−−
<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
−−−−−−−−−−

では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
−−−−−−−−−−
5月18日(日)[ ]T列1/[ ]ヨハ7:1-24
5月19日(月)[ ]T列2/[ ]ヨハ7:25-53
5月20日(火)[ ]T列3-4/[ ]ヨハ8:1-20
5月21日(水)[ ]T列5-6/[ ]ヨハ8:21-47
5月22日(木)[ ]T列7/[ ]ヨハ8:48-59
5月23日(金)[ ]T列8/[ ]ヨハ9:1-23
5月24日(土)[ ]T列9-10/[ ]ヨハ9:24-41
5月25日(日)[ ]T列11/[ ]ヨハ10:1-21
−−−−−−−−−−
旧約聖書が列王記第一、新約聖書がヨハネの福音書です。
列王記第一には、エルサレムに初めて神殿が建設された事が記されています。
その中心となったソロモンですが、その心は神様と一つではありませんでした。
ソロモンについてはこんなことが書いてあります。
エルサレムの神殿が造られる前に、ソロモンはギブオンという所にある高きところで一千頭の全焼のいけにえを捧げました。
すると、主は、「あなたに何を与えようか。願え。」と言われました。
そのときソロモンは言いました。
++++++++++
善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
列王記第一3章9節
++++++++++

この願いは神様を喜ばせました。その為、神様はこう言われました。
++++++++++
11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」
列王記第一3章11−14節
++++++++++
見えるものではなく、見えないものを求める。それは大切な事です。
私たちは、まず、神の国と神の義を求めるのです。それが祝福の秘訣です。

ここだけ見ると、ソロモンは本当に立派な王様です。
しかし、彼の心は神様と一つでなかったので後に異邦人の妻を沢山持ち、その妻の言われるままに、様々な偶像を拝みました。
それが、王国を分裂させ滅ぼす原因となりました。

ここで、ソロモンとダビデの違いを見、一言で言いますと、
ダビデは、神ご自身を求め、ソロモンは神様の智恵を求めたといえます。

どちらも見えないものであり、立派な事です。
そして、智恵を求めたソロモンも神様から偉大な祝福を頂きました。

しかし、そこには神様から見れば大きな差があったのです。
皆さん。神様が求めておられるのは、神様ご自身を求める人たちです。
神様と親しく交わるものたちです。
私たちが神様と親しく交わるなら神様は喜んで下さいます。
そのための基本となるのは、聖書を読み祈ることです。

皆さん毎日聖書を読みましょう。そして祈りましょう。

新約聖書ヨハネの福音書はお話の中で見てまいりましょう。
ではヨハネの福音書8章を開いて参りましょう。
−−−−−−−−−−
【 聖書箇所 】 ヨハネの福音書8章1−12節
・新改訳Up174(贈呈p156、英対p289)
・新改訳Vp191、英対p214(贈呈p178)
・口語訳p150
・新共同訳p180(贈呈p180、英対p278)
−−−−−−−−−−
朗読を御願いします。
++++++++++
【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書8章1−12節
8:1 イエスはオリーブ山に行かれた。
8:2 そして、朝早く、イエスはもう一度宮にはいられた。民衆はみな、みもとに寄って来た。イエスはすわって、彼らに教え始められた。
8:3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、
8:4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
8:5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
8:6 彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
8:7 けれども、彼らが問い続けてやめなかったので、イエスは身を起こして言われた。「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
8:8 そしてイエスは、もう一度身をかがめて、地面に書かれた。
8:9 彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた。
8:10 イエスは身を起こして、その女に言われた。「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。あなたを罪に定める者はなかったのですか。」
8:11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕
8:12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
++++++++++

では、主題聖句を言いましょう。
++++++++++
【 主題聖句 】
わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。
ヨハネの福音書8章11節
++++++++++
では、これらの所から
「罪のない者が」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

イエス様は、オリーブ山に行かれ、そして、また、朝早く宮に入られました。
そのとき、民衆は、みもとに寄って来ました。
人々は、イエス様の語られる言葉が聞きたいと思ったのです。

なぜ、人々はイエス様のお話を聞きたかったのでしょう。

この少し前のやりとりから見ておきたいと思います。
7章にはこんなことが書いてあります。
++++++++++
さて、仮庵の祭りというユダヤ人の祝いが近づいていた。
ヨハネの福音書7章2節
++++++++++
ここに仮庵の祭りという祭りのことが書かれています。
この祭りにイエス様も行かれました。
仮庵の祭りとはなんでしょう。

++++++++++
34 「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。
42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
43 これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」
レビ記23章34、42、43節
++++++++++
それは、イスラエルの民が荒野で暮らしたときの事を忘れないためのものでした。

荒野では、水がなくて民が不満をいったこともありました。
そのとき、主はモーセに命じて岩から水を出させたのです。

荒野での生活は、飢えと渇きが常に付きまとうものでした。
しかし、神様はその荒野において、日々天からパンを与え、イスラエルの民を守られたのです。

それは、こう書いてあります。
++++++++++
それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。それは、人はパンだけで生きるのではない、人は主の口から出るすべてのもので生きる、という
ことを、あなたにわからせるためであった。
申命記8章3節
++++++++++
イエス様は、悪魔との対決の時、この御言葉を用いられました。
それでこの言葉は有名です。しかし、人はパンだけでないと聞くと、そうだ、人は心も大切だとか、愛だとかそうなってしまいます。
この御言葉の言いたいのはそうではありません。
人は食べ物があってもだめで、神様が必要だと言っているのです。
そのことを知るために、イスラエルの民は荒野で過ごしました。
そして、それを思い起こすのが仮庵の祭りです。

今日は、バーベキューを淀川の河川敷で行います。

私は、キャンプや、バーベキューなどアウトドアが好きです。
それは、イスラエルの民が荒野で過ごしたその一端を覚えることが出来るからです。
仮庵の祭りも、そのためのものです。
++++++++++
34 「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる。
42 あなたがたは七日間、仮庵に住まなければならない。イスラエルで生まれた者はみな、仮庵に住まなければならない。
43 これは、わたしが、エジプトの国からイスラエル人を連れ出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたがたの後の世代が知るためである。わたしはあなたがたの神、主である。」
レビ記23章34、42、43節
++++++++++

家の中にいると、水もすぐにあります。しかし、アウトドアでは、水の確保をどうするか考えなければなりません。
一つ一つのことが日常と違います。
私たちが河川敷でバーベキューをするなら、そこには水道があります。また、トイレもあります。
しかし、家の中のようにすぐそばにあるわけではありません。
それでも、数時間のバーベキューの為には水を運んでいくことも出来るでしょう。

しかし、イスラエルの民の荒野の生活は40年です。
そんなわけには行きません。
服装もそうです。今日は、ジーンズをはいてきました。
中身の無い人間ですので、礼拝で講壇に立つときくらいは、きちんとした格好をと思っているのですが、今日はこんな格好です。
これは、汚れたり痛んだりしないためです。しかし、イスラエルの民は、荒野で、40年間服装も守られたのです。
++++++++++
この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった。
申命記8章4節
++++++++++
河川敷は、結構歩きます。
それだけでも大変です。
足が痛くなったりしないように祈ります。

荒野でのイスラエルの民はどうだったでしょう。荒野の民はいつも主が守ってくださり、食物を与え、水を与えて下さったのです。
そして、やがてイスラエルの民を約束の地へと導かれます。
++++++++++
そこは、あなたが十分に食物を食べ、何一つ足りないもののない地、その地の石は鉄であり、その山々からは青銅を掘り出すことのできる地である。
申命記8章9節
++++++++++
そこは何一つ足りないもののない地です。
主は、イスラエルの民を荒野で水や食物を与えて守り、そして、約束の地へと導いて下さったのです。

それと同じように、イエス様は、この地上においては、私たちのためにいける水を与えてくださる方です。
++++++++++
37 さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
38 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
39 これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。
ヨハネの福音書7章37−39節
++++++++++
渇いている人々の心、人々の霊を満たすことの出来るのはイエス様だけなのです。
そして、やがて天の御国へと私たちを導きいれて下さるのです。

このいける水の川のことをイエス様が言われたのは、仮庵の祭りの時でした。
人々は荒野の生活を思いめぐらしていました。
そこには渇きがあります。
その時、イエス様は、水を与えるといわれたのです。

人々は、このイエス様の言葉に動かされました。
そして、言います。
++++++++++
40 このことばを聞いて、群衆のうちのある者は、「あの方は、確かにあの預言者なのだ。」と言い、
41 またある者は、「この方はキリストだ。」と言った。またある者は言った。「まさか、キリストはガリラヤからは出ないだろう。
42 キリストはダビデの子孫から、またダビデがいたベツレヘムの村から出る、と聖書が言っているではないか。」
43 そこで、群衆の間にイエスのことで分裂が起こった。
ヨハネの福音書7章40−43節
++++++++++

このとき、そこには祭司長やパリサイ人から使わされた役人もいたのです。
しかし、彼らも、言います。
++++++++++
46 役人たちは答えた。「あの人が話すように話した人は、いまだかつてありません。」
47 すると、パリサイ人が答えた。「おまえたちも惑わされているのか。
ヨハネの福音書7章46-47節
++++++++++
このことで、ますます、パリサイ人はイエス様をなんとかしなければと思うようになったのです。

律法学者の中にはイエス様のところに来たニコデモのように心の柔らかな人もいましたが、多くのものは心を頑なにしてイエス様に反発したのです。

それで、律法学者とパリサイ人たちは、イエス様が宮におられるとき、そこに、姦淫の現場で捕らえられた女を連れてきたのです。
++++++++++
彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
ヨハネの福音書8章6節
++++++++++
それは、イエス様を告発するためでした。

彼らは言います。
++++++++++
3 すると、律法学者とパリサイ人が、姦淫の場で捕えられたひとりの女を連れて来て、真中に置いてから、
4 イエスに言った。「先生。この女は姦淫の現場でつかまえられたのです。
5 モーセは律法の中で、こういう女を石打ちにするように命じています。ところで、あなたは何と言われますか。」
ヨハネの福音書8章3−5節
++++++++++
石打ちの刑は、罪人に石を投げつけて殺し、その上に石を積み上げる恐ろしい刑罰です。
律法においては、そのような厳しい刑罰が用意されていたのです。

イエス様はそれまで、そこにいた者たちに教えておられたのですが、彼らがどやどや入ってきてこのように言うと、黙って、地面に何か書きはじめられたのです。
++++++++++
彼らはイエスをためしてこう言ったのである。それは、イエスを告発する理由を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に書いておられた。
ヨハネの福音書8章6節
++++++++++
それが、何なのかは分かりません。
モーセの十戒ではないかとの説もあります。
それが何か断定は出来ませんが、旧約聖書の御言葉であったろうと思われます。
なれぜなら、彼ら律法学者もパリサイ人も、聖書の御言葉そのままを否定することは出来ないからです。

そして、イエス様の書かれた御言葉に彼らは心を動かされたのです。
御言葉が彼ら自身の心に働きその罪を示したのかも知れません。

詩篇の119篇などは、本当に御言葉をしたい求めるものの書いたものです。
しかし、その最後にはこう書いてあります。
++++++++++
私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。私はあなたの仰せを忘れません。
詩篇119篇176節
++++++++++
御言葉を知れば知るほど、神様を知れば知るほど、自分が義から遠い存在だと分かります。

そして、誰も律法においては、義人だと自分で言えるものはいないとわかるのです。
++++++++++
10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行なう人はいない。ひとりもいない。」
ローマ人への手紙3章10−12節
++++++++++
律法において、完全な神様との関係を取り戻せるものはいません。
自分が正しいものとなって神様の前に出ることの出来るもの、山に登るようにして律法による義にたどり着くものはいないのです。

義が何かを考えるために、その反対を考えると、それは不義であり、罪です。
罪とは何か、それは戒めを守らなかったことですが、それはまた、神様との関係を失ったことです。

義が関係を失ったことであるなら、関係ということについて考えてみましょう。
子どもが約束をやぶった時、親はそれだけで、子どもとの関係をなくそうとするでしょうか。そんなことはありません。
親は、子どもを赦し、関係を取り戻そうとします。
ところが、子どもは、親に怒られると思って逃げることもあるのです。
人類は、神様に罪を犯して以来、ずっと神様から逃げ続けているのです。

怖くて戻れません。人間が神様を信頼することを忘れてしまったことが不義なのです。
ですから、私たちの知識を越えた、信じ得ない神様の言葉を信じることは、義なのです。
それを示すために、イエス様は、十字架で死んで神様の愛を示されたのです。

イエス様が私たちの罪を背負って十字架で死んで蘇られたこと、それによって私たちの罪が赦されたことを信じる信仰によって私たちは義とされるのです。
今、私たちは、そのようにして、義とされているのです。

お話を戻しますが、結局、そのようにして、彼らの中に、この女の罪を裁くことが出来るものはいませんでした。
この箇所で、そのようにイエス様が、自分の事を赦して守ってくださっておられると受け止めることも大切です。

しかし、同時に、自分も人を裁けない存在であるともう一度確認しなければなりません。
イエス様は言われます。
++++++++++
1 さばいてはいけません。さばかれないためです。
2 あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。
3 また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。
4 兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください。』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。
5 偽善者たち。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。
マタイの福音書7章1−5節
++++++++++
私たちは、互いの罪を裁きあうことの出来ない存在です。

なぜなら、自分自身が律法のよってすなわち行いにおいて神の前に義と認められない存在だからです。
++++++++++
ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる。」のだからです。
ガラテヤ人への手紙3章11節
++++++++++
私たちは、信仰によって生きています。
それは神様が憐れみ深い良い方だと知っているからです。

そして、神様は、あなただけでなく、全ての人に憐れみ深く良い方なのです。

その恵みと憐れみの中でイエス様は言われます。
++++++++++
11 彼女は言った。「だれもいません。」そこで、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」〕
12 イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ヨハネの福音書8章11−12節
++++++++++
そして、イエス様は、私たちの中を照らしてくださる光です。
あなたが部屋のカーテンをあけるなら、日が差し込みます。
あなたが、イエス様に目を向けるなら、イエス様の光があなたの中に射し込みます。
この光を日々受け止めて歩ませていただきましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

−−−−−−−−−−
シティーチャーチメッセージ2014/05/18 罪のない者が  
−−−−−−−−−−



最新の音声ファイルはこちら
(MP3形式.PCのみ再生可)
※拡張子をMP3からmp3に変更(20130728)
・ワーシップ
http://www.cityc.net/weekly/worship.mp3

・メッセージ
http://www.cityc.net/weekly/message.mp3


テキストの先頭へ
INDEXへ
TOP Pageへ