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シティーチャーチ
メッセージ2014/05/11 
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わたしを遣わした方を信じる者は  
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主をたたえます。
主は愛に満ちた方、
あなたを愛し、十字架で死んで下さった方。
いつも、あなたに良い事をして下さる方です。
この方を覚えて、御言葉を開いて参りましょう。

まず、今日も災害にあった地域のために祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見て参りましょう。
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5月11日(日)[ ]Uサム15/[ ]ヨハ4:1-30
5月12日(月)[ ]Uサム16-17/[ ]ヨハ4:31-54
5月13日(火)[ ]Uサム18/[ ]ヨハ5:1-29
5月14日(水)[ ]Uサム19/[ ]ヨハ5:30-47
5月15日(木)[ ]Uサム20-21/[ ]ヨハ6:1-21
5月16日(金)[ ]Uサム22/[ ]ヨハ6:22-51
5月17日(土)[ ]Uサム23-24/[ ]ヨハ6:52-71
5月18日(日)[ ]T列1/[ ]ヨハ7:1-24
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旧約聖書が、サムエル記第二から列王記第一
新約聖書がヨハネの福音書です。

サムエル記第二はダビデの治世について書かれています。
そこには、ダビデが犯した罪についても書かれています。
しかし、そのようなダビデの罪を赦し、神様はダビデを愛して下さいました。
そして、その罪さえも益と変えられたのです。
あなたが失敗をしても、あなたと神様との関係は終わりではありません。
むしろ、そのときこそ、謙り、神様の前に出ましょう。
あなたの全ての罪は、イエス様が十字架であがなって下さったのです。

そうして、列王記第一に入りますと、王位は、ダビデからソロモンに移ります。
これらの所を、是非お読みください。

新約聖書は、ヨハネの福音書。
こちらはお話の中で見て参りましょう。

では、ヨハネの福音書の5章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書5章18−29節
・新改訳Up166(贈呈p149、英対p275)
・新改訳Vp182、英対p204(贈呈p171)
・口語訳p143
・新共同訳p172(贈呈p172、英対p266)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書5章18−29節
5:18 このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。
5:19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、
子も同様に行なうのです。
5:20 それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
5:21 父が死人を生かし、いのちをお与えになるように、子もまた、与えたいと思う者にいのちを与えます。
5:22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
5:23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
5:24 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
5:25 まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。
5:26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
5:27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。
5:28 このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。
5:29 善を行なった者は、よみがえっていのちを受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
ヨハネの福音書5章24節
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では、これらの所から、
「わたしを遣わした方を信じる者は」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

この5章を最初から見ますと、イエス様があるユダヤ人の祭りの時にエルサレムに行かれたことがわかります。
その祭りが何なのかはわかりませんが、イエス様は、その時、羊の門の近くの、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池のところに行かれました。
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1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
2 さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。
3 その中に大ぜいの病人、盲人、足なえ、やせ衰えた者が伏せっていた。
ヨハネの福音書5章1−3節
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その池の周りには、大勢の病を抱えた者がいました。

そこに38年の間、病気の人がいました。
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そこに、三十八年もの間、病気にかかっている人がいた。
ヨハネの福音書5章5節
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その病気の人に、イエス様は聞かれるのです。
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イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
ヨハネの福音書5章6節
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このやり取りを見てどうお感じになりますか。

ずっと彼は病気でした。
普通、病気なら癒されたいと思うのは当然でしょう。

しかし、そうとばかりはいえないのです。人の心は非常に複雑です。
人はつらいことがあると逃げ場を求めます。
そして、逃げ場がないと、時には人は、病の中にさえ逃げ込みます。

仮病ではなく、本当に病がおこるのです。

そのような人に必要なのは、その人の心の逃げ場です。
イエス様は言われます。
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すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイの福音書11章28節
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イエス様は、そのように心の疲れた人をいつも招かれます。
教会はそのようにして招かれたものの集まりです。
ですから教会において、互いを裁いたり、締め出してしまうような事があってはなりません。

どんな立派に見えても、明るく振舞っていても、どんなに強がっていても、こころの中に人には言えない重荷を背負っておられる事もあります。
つい、見かけで判断して、あの人はえらそうだから問題がないと思ってしまうこともあるでしょう。
でも、心の中に問題があるからこそ、強がってしまうこともあるのではないでしょうか。
それを、表に出さないからと、人を追い込むことは神様が喜ばれることではありません。
見かけだけで判断することは出来ません。そんなこと以上に重要なのは互いの弱さを認め合い、受け入れあい、赦しあうことです。
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互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。
ガラテヤ人への手紙6章2節
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そして、この世における立派さではなく、霊において、神様との関係において、ともに成長していくのです。
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そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。
ローマ人への手紙14章19節
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私たちは、立派な人を作り上げるためのサークル活動をしているのではありません。
教会には神様が働いておられ、一人一人が神様との関係において成長していくのです。

お話をもどしますが、ここで、イエス様は聞かれます。
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イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。「よくなりたいか。」
ヨハネの福音書5章6節
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これは、長い間病気でいる人に普通聞かない事かもしれません。
しかし、イエス様は聞かれます。

そして、イエス様の前では、人は正直でなければなりません。

あなたなら、「よくなりたいか。」と聞かれたらなんと応えますか。
当たり前だろうという人もいるでしょう。

この人はなんと答えたでしょう。
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7 病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」
8 イエスは彼に言われた。「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
ヨハネの福音書5章7−8節
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彼は、癒してくださいとも、癒されたいですとも言いません。
彼は、自分のおかれた状況を訴えています。

彼は池のほとりにいました。
その池には御使いが来て、時おり水をかき回すといわれていました。
そして、その時、最初に水に入ったものが癒されると言われていたのです。

病人がその水の回りにいたのはそのためです。
彼はいつか自分も水の中に入ろうと待っていました。
しかし、水がゆれても、自分はいそいでいくことが出来ません。
体が悪いからです。そうして、誰かが入っていくのをただ見送っていたのです。

しかし、彼は、そこから離れることも出来ません。
癒されたいと願っていたからです。

彼は、イエス様に、自分の切実な思いを告げたのです。

イエス様は言われました。
「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」
すると、彼はどうしたでしょう。
彼は直って歩き出したのです。
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すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
ヨハネの福音書5章9節
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イエス様は彼を癒して下さったのです。

イエス様は癒されたいかと聞かれました。それで、このやりとりは、一見かみ合っていないように見えます。
しかし、彼は、自分の癒されたい気持をイエス様に伝えたのです。

そして、彼は「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」とのイエス様の言葉に従いました。
先ほどとは変わってイエス様の声に従ったのです。

彼は、歩けないから水に入れなかったのです。
なのにイエス様は歩けと言われたのです。
ばかげているということも出来たでしょう。
しかし、その言葉にしたがったのです。

私は、探し物をするとき、どんなに探しても無いことがあります。
そして祈ります。すると、主は「探しなさい。そうすれば見つかります。」
と、言われます。
それで探します。そうすると見つかるのです。

「さんざん探しました。」とは言いません。はいと答えて従うのです。

この人も、「今まで歩けませんでした。」とも言えたでしょう。しかし、ここで、彼は従ったのです。
私たちは、どんな状況でも、イエス様に従わなければなりません。

イエス様に従うなら、イエス様は素晴らしいことをしてくださるのです。

ところが、このことは大きな問題となりました。
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そこでユダヤ人たちは、そのいやされた人に言った。「きょうは安息日だ。床を取り上げてはいけない。」
ヨハネの福音書5章10節
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ユダヤ人たちは、彼が癒されたと言う事実よりも、安息日に働いてはならないという事を重視したのです。

このことについて、ルカの福音書でイエス様はこう言われました。
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3 イエスは、律法の専門家、パリサイ人たちに、「安息日に病気を直すことは正しいことですか、それともよくないことですか。」と言われた。
4 しかし、彼らは黙っていた。それで、イエスはその人を抱いて直してやり、そしてお帰しになった。
5 それから、彼らに言われた。「自分の息子や牛が井戸に落ちたのに、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者があなたがたのうちにいるでしょうか。」
ルカの福音書14章3−5節
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しかし、イエス様を受け入れない人々は、イエス様を迫害しました。
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このためユダヤ人たちは、イエスを迫害した。イエスが安息日にこのようなことをしておられたからである。
ヨハネの福音書5章16節
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続きを見ますと、さらに、イエス様が、このように言われたので、彼らは、イエス様を殺そうとするようになりました。
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17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。ですからわたしも働いているのです。」
18 このためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っておられただけでなく、ご自身を神と等しくして、神を自分の父と呼んでおられたからである。
ヨハネの福音書5章17-18節
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回りのものは、少し控えられたらとか、思ったかも知れません。
しかし、それは皆、父なる神様がなさることでした。
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そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子も
同様に行なうのです。
ヨハネの福音書5章19節
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神様がなさる通りにするとはどんなことでしょう。

それは、人生の舵を自分でとらないということです。
人は問題をさけようとします。
目の前に、障害物があるなら、舵を切る、ハンドルを回す。そのようにそれを避けようとします。
当然の事です。しかし、イエス様は、ここで、父なる神様がなさるままをなしておられるのです。
安息日に、そのようなことをすれば問題が起こる、迫害が起こる。
これは当たり前でしょう。イエス様にとって当然わかっておられたことです。
しかし、神様に従ってその問題に向かっていかれたのです。

と、こんな話をすると、困難を通ればいいんですねという方がおられます。
そうではありません。神様に従うのです。
自分を示すのではなく、百パーセント神様に従うことを神様は望んでおられるのです。

この間の宣教大会の話になりますが、一日目の午後の講師の先生は、そのように神様に完全に従うように言われたそうです。
その先生は医者として成功しておられたのですが、それを全部捨てるように神様から言われたそうです。
その時、その先生は一つの夢を見ました。
その夢に、自分の医者として、持っていた大切なノートが出てきました。
夢の中で、一人の友人にそのノートを託したそうです。
すると、その友人はそれを受け取ってしばらくすると、そのノートをびりびりと破り始めたそうです。

「なんでそんなことをするんだ。」と、先生が言うと、「これは私がもらったのだから、何をしてもいいだろう」と言うのだそうです。
先生は、怒り、悲しみました。
しかし、その中で、まだ自分がそれに執着していることを知らされました。
神様にゆだねることの出来ていない自分を教えられたのです。
そして、自分を主にゆだねることがどんなことか教えられたのです。

自分の一番大切なことを手放す。それは、簡単なことでしょうか。
それは、非常に困難なことかもしれません。しかし、主がその事を望んでおられるのです。

出来ないなら、教会は我慢大会の会場ではありません。
出来ないことをそのまま主に伝えればいいのです。
しかし、主は何を望んでおられるのか。それは、心から神様に従うことです。

そして、イエス様こそ、ご自身の全てをかけて、父なる神様に従われた方です。
++++++++++
19 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行なう以外には、自分からは何事も行なうことができません。父がなさることは何でも、子
も同様に行なうのです。
20 それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。また、これよりもさらに大きなわざを子に示されます。それは、あなたがたが驚き怪しむためです。
ヨハネの福音書5書19−20節
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さらにイエス様は十字架の死にまでも従われたのです。
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キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。
ピリピ人への手紙2章8節
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このイエス様にすべてのさばきがゆだねられました。
++++++++++
22 また、父はだれをもさばかず、すべてのさばきを子にゆだねられました。
23 それは、すべての者が、父を敬うように子を敬うためです。子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません。
ヨハネの福音書5章22−23節
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そのさばきとは、なんでしょう。
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今がこの世のさばきです。今、この世を支配する者は追い出されるのです。
ヨハネの福音書12章31節
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それは、悪魔に対するさばきです。

ところが、こう書いてあります。
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そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行ないが悪かったからである。
ヨハネの福音書3章19節
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もし、人が、光でなく、闇につくなら、人は闇と共に滅ぼされるのです。

イエス様は人をさばこうとされるのではありません。悪魔を裁かれます。
そして、人をなんとかして救うために十字架で死んで下さったのです。
一人も滅びないことが神様の御心です。
だれも、悪魔と共に滅んではなりません。
だから、悪魔から離れて、神様に結びつかなければならないのです。

ですから、全ての人が光の中に出なければなりません。
光とはなんですか。
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イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ヨハネの福音書8章12節
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それは、イエス様です。

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4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章4−5節
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どんな暗闇も、このイエス様の光に勝つことはできません。

そして、この方に命がありました。
++++++++++
26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。
ヨハネの福音書5章26−27節
++++++++++
ところで、ここに子は人の子だからと書かれています。

少しだけ、ゼパニヤ書をみておきましょう。
++++++++++
13 私がまた、夜の幻を見ていると、見よ、人の子のような方が天の雲に乗って来られ、年を経た方のもとに進み、その前に導かれた。
14 この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。
ゼパニヤ書7章13−14節
++++++++++
イエス様は、良く、ご自身を人の子といわれます。
その人の子とは何か、そのヒントがこの箇所にあります。
これは、救い主をあらわしています。

つまり、イエス様は、ここに出てくる全ての権威を持った方として御自分を表しておられるのです。
++++++++++
26 それは、父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです。
27 また、父はさばきを行なう権を子に与えられました。子は人の子だからです。
ヨハネの福音書5章26−27節
++++++++++

神の命と完全な権威を受けた方がイエス様です。
そして、この方を信じることは、霊において、この方に結びつくこと、
それは、命の根源である父なる神様の命に結びつくことです。
++++++++++
まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。
ヨハネの福音書5章24節
++++++++++
わたしたちは、イエス様を信じ、この永遠の命を受けているのです。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/05/11 わたしを遣わした方を信じる者は   
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