礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/05/04 
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初めに、ことばがあった。  
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、最初からおられた神の言葉。
命の光、救い主です。
このイエス様を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、今日も災害にあった地域のために祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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聖書の通読箇所を見てみましょう。
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5月4日(日)[ ]Uサム1-2/[ ]ルカ24:1-32
5月5日(月)[ ]Uサム3-4/[ ]ルカ24:33-53
5月6日(火)[ ]Uサム5-6/[ ]ヨハ1:1-28
5月7日(水)[ ]Uサム7-8/[ ]ヨハ1:29-51
5月8日(木)[ ]Uサム9-11/[ ]ヨハ2
5月9日(金)[ ]Uサム12-13/[ ]ヨハ3:1-21
5月10日(土)[ ]Uサム14/[ ]ヨハ3:22-36
5月11日(日)[ ]Uサム15/[ ]ヨハ4:1-30
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旧約聖書がサムエル記第二
新約聖書がルカの福音書からヨハネの福音書です。

サムエル記第二で、ダビデはイスラエルの王となり、主の力によって周囲の国々と戦い勝利します。
神様の祝福とはこんなにも明確なものなのだと教えられます。
ダビデは、主と共に歩みました。私たちも主と共に歩んで参りましょう。
新約聖書は、ルカの福音書からヨハネの福音書です。
ルカの福音書は先週まで見てまいりました。
ヨハネの福音書はお話の中で見て参りたいと思います。

では、今日はヨハネの福音書の1章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの福音書1章1-14節
・新改訳Up157(贈呈p142、英対p260)
・新改訳Vp172、英対p193(贈呈p162)
・口語訳p135
・新共同訳p163(贈呈p163、英対p252)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの福音書1章1-14節
1:1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされたヨハネという人が現われた。
1:7 この人はあかしのために来た。光についてあかしするためであり、すべての人が彼によって信じるためである。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光についてあかしするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
ヨハネの福音書1章1節
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では、これらのところから、
「初めに、ことばがあった。」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

今回から、ヨハネの福音書へと入って参ります。
聖書の中に福音書はいくつありますか。
それは四つです。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。

ユダの福音書、トマスの福音書といった聖書にない福音書と呼ばれるものがあります。
しかし、福音とは何かと言うことを考えるとき、それらが福音書と呼ばれることに疑問を感じます。

福音とはなんでしょう。
福音書とはなんでしょう。
福音書は、イエス様のされたことを書いた記録ということではありません。
福音書には福音が書いてあるのです。

ではその福音とはなんでしょう。
福音ということばは、良い知らせとか、良い訪れと言う意味です。

では、その良い知らせとはどんなことでしょう。

四つの福音書に共通の最も重要な事項とはなんでしょう。
それは、神の御子救い主であるイエス様が私たちの罪の身代わりに十字架で死んで蘇られたという事実です。

皆さんこれが福音です。

イエス様がどんな奇跡をされたとか、どんな事をお教えになったとか、それはそれで大切です。
しかし、そんなことが福音ではありません。
イエス様の死と復活こそが福音なのです。

先週、過ぎ越しの子羊について、聖餐式についてお話をしました。
イエス様は、私たちのために罪の呪いを受け、過ぎ越しの子羊となって下さいました。
どんなに大きな罪もこのイエス様を信じるならその罪ののろいは過ぎこして行くのです。

今日は聖餐式が行われますが、その事を覚えて聖餐に与りましょう。

そして、この聖餐に与るものには使命があります。
それは、これです。
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ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一11章26節
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主の死を告げ知らせるのです。

主の死こそが、福音です。
なぜなら、それによって罪が取り除かれたからです。
そのことにより、私たちと神様との関係が取り戻された。それが、永遠の命であり、完全な祝福です。

復活は、その購いが完全で、イエス様が死に勝利されたことを表しています。

イエス様はあなたの罪の身代わりに十字架で死んで下さいました。
ハレルヤ。感謝します。

この三日間宣教聖会がカリスチャペルで開かれています。
その最初の挨拶で村上好伸牧師は、20年ほど前の牧師のカンファレンスの話をされました。
そのカンファレンスの参加者500人ほどの中で宣教についての分科会に来たのがたったの6人だったということです。
それほど、宣教ということに目を向けない人が多い。
しかし、そのようにして、自分の回りの事だけに目を向けて、結果、人生を棒に振る事だというようなお話でした。

皆さん。イエス様の死を告げ知らせましょう。

お話を戻しますが、聖書には四つの福音書があります。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ。
それぞれに特徴がありますが、マタイ、マルコ、ルカは共観福音書といわれます。
それは、同じような視点をもっていると言うことです。

しかし、ヨハネの福音書は特別です。
それは、独特の視点を持っています。

そして、特に神が人となられたキリストに重点を置いているのです。

このヨハネの福音書の著者は使徒ヨハネです。

ヨハネの福音書は、1章6節にいきなりヨハネという人が出てきます。
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神から遣わされたヨハネという人が現われた。
ヨハネの福音書1章6節
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しかし、このヨハネはヨハネの福音書の著者ではありません。
ここに書かれているのは、バプテスマのヨハネです。
バプテスマのヨハネは、イエス様の備えとして神様が遣わされ、人々に悔い改めのバプテスマ、すなわち洗礼を授けていました。

このヨハネの福音書の著者は、使徒ヨハネです。
彼については、ヨハネは、ヨハネの福音書の中で、イエスが愛された弟子と書いています。
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ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか。」と言った者である。
ヨハネの福音書21章20節
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イエス様の愛を受けたヨハネの福音書の著者ヨハネ。

もともと、ヨハネは、気性の激しい人だったようです。
それで、雷の子という名をイエス様からもらったのです。
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ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、このふたりにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた。
マルコの福音書3章17節
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しかし、イエス様の愛を受けて、彼は愛の人となりました。

「ふうけもん」という映画がいま、試写会がされています。
やっと昨日家内と一緒に見に行くことが出来ました。

一人の人の人生がキリストによって変えられた実話に基づくものです。
「人のために人となる人」という元祖便利屋をされた右近勝吉さんの自伝を元にした映画です。
この右近さんも、もとやくざでした。しかし、キリストの愛をしっかりと自分のものとして受け取って変えられていかれたのです。

皆さん。あなたがどんな人かは関係がありません。
自分の弱さやたらなさ、自分でもいやな性格、そんなこと、イエス様はよくご存知です。

しかし、それでも愛して下さっておられるのです。
あなたにとって大切なのは、このイエス様の愛をしっかりと受け止めることです。

ヨハネこそ、そのことをした人です。
自分はイエス様に愛されていると言ったのです。
ヨハネの福音書の中で、ヨハネが言うのです。
愛された弟子。
あなたは、イエス様に愛されていますか。
イエス様は全てのものを愛しておられます。
だからこそ、自分こそ愛されているといったもの勝ちです。

皆さん。わたしこそ、イエス様から愛されているといいましょう。

それは高慢ではありません。
なぜなら、罪深いもの、無益で無価値なものにこそ、神の愛は豊かなのです。

さて、ヨハネはイエス様の愛を自分のものとして受けて変えられました。
不思議なことに、いつもイエス様のそばにいて、イエス様に最も愛されたヨハネは、他の福音書よりも、地上で御業をなさったイエス様より、神の子として、イエス様の姿を記しています。

皆さん。私たちがイエス様の愛を受けるなら、受けるほど、人ではなく神様であるイエス様を知るのです。

ヨハネの福音書には、ピリポとイエス様のこんなやりとりが書かれています。
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8 ピリポはイエスに言った。「主よ。私たちに父を見せてください。そうすれば満足します。」
9 イエスは彼に言われた。「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。わたしを見た者は、父を見たのです。どうしてあなたは、『私たちに父を見せてくださ
い。』と言うのですか。
10 わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをし
ておられるのです。
11 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。
ヨハネの福音書14章8−11節
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この11節でイエス様が、「さもなければ、わざによって信じなさい」といわれたのですが、その前に、「こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに」と言っておられます。
私たちが、イエス様の御業を見て神様の素晴らしさを知る。それは大切です。
しかし、それ以上に大切なのは、日々のイエス様の交わりの中でイエス様を知ることなのです。

ヨハネは、イエス様に愛されました。
気性の激しい人でしたが、イエス様の愛を受けたのです。
その結果、彼は、イエス様の愛によって変えられました。

また、ヨハネは、イエス様の愛を受ける中で、このイエス様が人ではなく神であることを知ったのです。

今、私たちが、聖書を読み祈るなら、それは、イエス様と日々交わることです。
そうして、神であるイエス様をさらに知るのです。

ところで皆さん。どんなに立派な人も神にはなれません。
神は、人間ではありません。

聖書の神様は6日間で、私たち人間を含む天地万物を造られた方です。
わたしたちは、ただ、人間を超越した不思議な存在を神と読んでいるのではありません。
人は、そのような何か自分の力を超えたものを神と呼んであがめます。
しかし、そんなもの神ではありません。

この天と地、万物を造られた方だけが神です。

そして、イエス様こそ、その神の一人子、神の言葉なのです。
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ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
ヨハネの福音書1章14節
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ヨハネは、そのことを知りました。それでこう書き出したのです。
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1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヨハネの福音書1章1−3節
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それぞれの福音書の著者は、何から書き出そうか考えたでしょう。
マタイは系図から書きました。

しかし、ヨハネは、一つ、どうしてもこのことが言いたかったのです。
イエス様は、神の言葉、神ご自身だ。

神のことばは、神と共におられ、そして、神でした。
この方が全てをつくられたのです。

この方は、神の智恵として、箴言にも登場されます。
++++++++++
1 知恵は呼ばわらないだろうか。英知はその声をあげないだろうか。
22 主は、その働きを始める前から、そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。
23 大昔から、初めから、大地の始まりから、わたしは立てられた。
28 神が上のほうに大空を固め、深淵の源を堅く定め、
29 海にその境界を置き、水がその境を越えないようにし、地の基を定められたとき、
30 わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった。わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、
31 神の地、この世界で楽しみ、人の子らを喜んだ。
箴言8章1、22−23、28−31節
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この方は、世界の始まりから、喜びをもって人間を作り、そして、人間の存在そのものを愛し、喜んでくださっておられたのです。

人を愛するとはどんなことでしょう。
それは、その人の存在を大切にすること、そして、その存在を喜ぶことです。

相手をどんなに大切に扱ってもその存在を喜んでいないなら愛とはいえません。

神の言葉であったイエス様は、全てのものを造られました。
このかたによらずに出来たものはありません。
++++++++++
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヨハネの福音書1章1−3節
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私たち人間の創造にも、この方はかかわり、そして、私たち人間を喜んでおられたのです。

その関係はアダムの罪によって破壊されました。
しかし、その関係をとりもどすために、私たち人間を取り戻すために、神であられたイエス様は人となってこられたのです。

皆さん。これがイエス様の愛です。
あなたはこの愛を受けています。
神の愛。それは、言葉だけのものではありません。

この愛のゆえに、神様は御子をお与えになりました。
そして、御子をさえお与えになった方が全ての物をお与えにならないはずがないと聖書は言います。

ですから皆さん。もし、あなたが信じるなら、何でも与えられるのです。
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あなたがたが信じて祈り求めるものなら、何でも与えられます。」
マタイの福音書21章22節
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こうも書いてあります。
++++++++++
またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。
ヨハネの福音書14章13節
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また、こうも書いてあります。
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あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。
ヨハネの福音書15章7節
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この三つに共通なのは、何でもです。
皆さん。信じましょう。そして、イエス様の御言葉にたって何でも求めましょう。

また、この方は、光として世にこられました。
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4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章4−5節
++++++++++
光、それは、エネルギーの表れです。
創世記の一章一節で、神様が光、すなわちエネルギーを与えられたとき、それまで虚しかった世界は、命を帯びたのです。
それぞれの存在に意味が与えられたのです。

人間にとっても同じです。もともと人は、命の根源である神様とのつながりをもっていました。
そのとき、人は命に満ちていました。その命は人の光すなわちエネルギーだったのです。
神様から来るエネルギーによって人は生かされていたのです。
しかし、人は、神様とのつながりを断ち切りました。そうして、人は死んだのです。
ですから、人は、このエネルギーを取り戻さなければなりません。
この命の根源である神様とのつながりを取り戻さなければならないのです。

人がどんなに手を伸ばしても神様には届きません。
そこでイエス様は、延長コードを引張るようにして、神様の所から来てくださり、このイエス様を信じるだけでこの命につながることが出来るようにして下さったのです。
皆さん。信じましょう。
そして、この神様の命に生きるものとさせていただきましょう。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/05/04 初めに、ことばがあった。   
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