礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/04/20 
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子どものように神の国を受け入れる者 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架で死なれました。
イエス様は、墓に葬られよみに下られました。
イエス様は、死を打ち破り、三日目に蘇られました。
皆さん。イエス様は、復活されました。
今日は復活祭。
イエス様の復活をお祝いする日です。
皆さん。おめでとうございます。
ハレルヤ。主を褒め称えます。

今日も、主を覚えて、御言葉をもって礼拝して参りましょう。

そのまえに、まず、いつものように災害にあった地域のために祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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4月20日(日)[ ]Tサム1-2/[ ]ルカ17:1-19
4月21日(月)[ ]Tサム3-5/[ ]ルカ17:20-37
4月22日(火)[ ]Tサム6-8/[ ]ルカ18:1-17
4月23日(水)[ ]Tサム9-10/[ ]ルカ18:18-43
4月24日(木)[ ]Tサム11-13/[ ]ルカ19:1-27
4月25日(金)[ ]Tサム14/[ ]ルカ19:28-48
4月26日(土)[ ]Tサム15-16/[ ]ルカ20:1-26
4月27日(日)[ ]Tサム17/[ ]ルカ20:27-47
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旧約聖書がサムエル記第一
新約聖書がルカの福音書です。

サムエル記第一は、サムエル、サウル、ダビデとつづく、イスラエル王国の姿が記録されています。
そのいきさつなどは、是非、聖書を読んでください。
これは、預言者と王の物語という歴史ファンタジーのような所です。
しかし、これは、作り話ではありません。
ここに書かれているのは事実です。
そして、そこに働かれた神様は、唯一の真の神様です。

新約聖書ルカの福音書はお話の中で見てまいりましょう。
では、ルカの福音書18章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 ルカの福音書18章9−17節
・新改訳Up139(贈呈p125、英対p230)
・新改訳Vp152、英対p171(贈呈p144)
・口語訳p120
・新共同訳p144(贈呈p144、英対p223)
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朗読を御願いします。
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18:9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
18:10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。
18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。
18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』
18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
18:15 イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。
18:16 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
18:17 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。
ルカの福音書18章14節
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では、これらのところから、
「子どものように神の国を受け入れる者」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

皆さん。先ほども言いましたが、今日は復活祭です。
イエス様は蘇られました。
皆さん。復活祭おめでとうございます。

この素晴らしい日。
一箇所、ヘブル人への手紙を見ておきたいと思います。
こう書いてあります。
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14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
ヘブル人への手紙2章14−15節
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イエス様の死によって、私たちは、死から解放されました。
死から命へと、かえられたのです。
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なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマ人への手紙10章9節
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この事を信じておられるなら、救われているのです。

そのことについてこう書いてあります。
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何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
ローマ人への手紙4章5節
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それは行いではありません。

さて、今回の箇所は、義とされることについて書かれています。
一人の取税人と、一人のパリサイ人のどちらが神様から義とされたかというお話しです。

義とはいったいなんでしょう。
義と言う漢字は、我という漢字の上に羊が乗っています。
これは、羊を捧げている事をあらわすと言われます。
この漢字の本来の成立過程を飛び越えて言いますが、この漢字は、神の子羊イエス様によって私たちが義とされることを表しています。

ところで、聖書を開きますと、最初の義人として出てくるのは、アベルです。
彼についてイエス様が言われます。
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それは、義人アベルの血からこのかた、神殿と祭壇との間で殺されたバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上で流されるすべての正しい血の報復があなたがたの上に来るためです。
マタイの福音書23章35節
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イエス様がアベルを義人だといっておられるのです。

では、アベルはいったい何をしたでしょう。アベルがしたことを書いてあるのはたったこれだけです。
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また、アベルは彼の羊の初子の中から、それも最良のものを、それも自分自身で、持って来た。主は、アベルとそのささげ物とに目を留められた。
創世記4章4節
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アベルは、羊のういごの中から、最良の物を自分自身で持って来た。
この捧げ物によってアベルは義とされました。
彼は正しい捧げ物をしたことで、義とされたのです。

彼は、その事をねたんだ兄によって殺されました。
しかし、彼は、人類最初の義人として、その名が聖書に残されているのです。

では、なぜ、神様は、アベルの捧げ物に目を留められたのでしょう。

彼は、一番良い物を持ってきました。そして、自分自身で持ってきました。

皆さん。これは、人間の視点ではありません。
神様の視点から見るとき、アベルが捧げ物を持ってくるのを神様はどう表現しようか、それは、一番良いものだった、自分自身で持って来たと言っておられるのです。

神に喜ばれる捧げ物とはどんなものでしょう。
そこには神様に対する愛が無ければなりません。

ホセア書にこう書いてあります。
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わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
ホセア書6章6節
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これが新共同訳ではこう訳されます。
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わたしが喜ぶのは、愛であっていけにえではなく、神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない。
ホセア書6章6節
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神様への愛がなければ、捧げ物には意味がありません。

自分がどんなに立派な捧げ物をしたかではなく、神様への信頼と愛と謙った心を神様は見ておられるのです。

一生懸命に神様のために働きをしておられる方がおられます。
それは素晴らしいことです。
しかし、もしその心に高慢があるなら、自己満足であるなら、自己主張があるなら、それらは神様が受け入れることがおできになりません。
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1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
コリント人への手紙第一13章1−3節
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マルタという人が聖書の出てきます。
彼女はイエス様を家にお迎えしました。
一生懸命にイエス様におもてなしをしました。
素晴らしいことです。
おもてなしのために食事や飲み物を運び、大変でした。

しかし、彼女も、失敗しました。彼女の中に不平不満が出てしまったのです。
それは、彼女が自分のしていることこそ正しいと感じたからです。

その結果、イエス様のそばで話を聞いている妹に不満を持ちました。
そして、イエス様に言いに行ったのです。

ここで、マルタのしたことはまた素晴らしいことです。
彼女は妹に文句を言う代わりにイエス様に言いにいったからです。

これは、人間関係において大切な事です。
わたしたちが誰かに不満を持つとき、私たちは、その相手にぶつけてしまうことがあります。
しかし、全てを治めておられるのは神様です。
そして、あなたが信じるなら、あなたにとって不利益なことを神様はされません。
だから、不満があればまず、神様にいうべきなのです。
そして、神様は、それを正して下さるのです。

その誰かを愛するがゆえに、その罪を正すために助言をするようなことはあるでしょう。
しかし、それが、自分の感じている不満をぶつけるためであってはなりません。
全ては愛によらなけれけばならないのです。
そこで見られているのはあなた自身の心の中です。

全く同じ事をしても、心の中に本当に愛があるかどうかを神様は見ておられるのです。

マルタの事をみますと、マルタがイエス様に言われたことは、マルタにとって面白くないことだったかも知れません。
マルタの妹は、イエス様のそばで話を聞いて、マルタの手伝いをしませんでした。
しかし、そのほうが良いことだとイエス様が言われたのです。

それでも、マルタはイエス様に従い通しました。
マルタの兄弟ラザロがその後病気で死にました。しかし、イエス様はラザロをよみがえらされました。
その時のマルタとイエス様のやりとりから、マルタの信仰がわかります。

人は神棚を祭り、そこに毎日水やいろんなものを備えます。
しかし、私たちの信じる本当の神様は、私たちに何かしてもらわなければならない神様ではありません。
また、神の子イエス様もそうです。
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人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」
マタイの福音書20章28節
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イエス様は何か人からしてもらうためにこられたのではありません。
むしろ、イエス様がしてくださる事に私たちは目をしっかりと向けなければなりません。
イエス様のしてくださる事をわたしたちは受け入れなければならないのです。

ですから、神様、これだけ私はしたんですからと言える人はいないのです。
自分の立派さを示すためにするのではないのです。
神様の前で私たちのすることは、神様への感謝の表れでなければなりません。

もし、感謝を表すなら、それは謙っていなければなりません。
えらそうな感謝はありません。

感謝の表れとして、何かするなら、他の人がどうしていようと関係はありません。
その動機は自分の心だけで十分だからです。

真面目に神様を信じている人の失敗しやすい事。それが、このパリサイ人の祈りに現れています。

彼の祈りは、自分の正しさを口にしています。そして、他の物と自分を比較しています。そして、自分を義としています。

パリサイ人は日頃から、神様の律法を熱心に守り行っていました。
しかし、その心が神様から離れてしまっていたのです。

その結果、そばにいる取税人を裁きました。

取税人はどうだったでしょう。
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13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』
14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
ルカの福音書18章13−14節
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彼は、自分の立てる義がありませんでした。

そこで、彼は、自分の罪を神様の前に言い表しました。

この取税人を神様は義とされました。

正直に神様の前に出て行くとき、そのことを神様は喜ばれるのです。
そうすると、イエス様が、こういわれた事も意味が変わってきます。
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27 『姦淫してはならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。
28 しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
マタイの福音書5章27−28節
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心の中に罪があることを認める。
パリサイ人たちに必要だったのはそのことだったのです。
そして、本当に心から神様と結びつくことが大切だったのです。

そして、救いを求めるものに、神様は救い主をお与えになるのです。
その救い主はすでにこられました。
救い主は、すでに十字架でその御業をなしとげられました。
そして、蘇られたのです。

そのあと、子ども達がイエス様のところに来ます。
弟子達はしかりました。
しかし、イエス様は言われました。
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16 しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。
17 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
ルカの福音書18章16−17節
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イエス様は、神の国がこのようなものたちのものだと言われました。

このようなものたちとはどのようなものたちでしょう。
イエス様はこうも言われました。
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21 ちょうどこのとき、イエスは、聖霊によって喜びにあふれて言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現わしてくださいました。
そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。
22 すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、子がだれであるかは、父のほかには知る者がありません。また父がだれであるかは、子と、子が父を知らせようと心に定めた人たちのほかは、
だれも知る者がありません。」
ルカの福音書10章21−22節
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賢いものや智恵のあるものではなく、幼子と書いてあります。
賢いものは自分の知識で判断しようとします。
智恵のあるものは自分の智恵で考えます。
しかし、知識や智恵がないなら、言われたままを信じるしかありません。

それではすぐにだまされてしまいます。

でも、神様に対しては、人間の考えをはるかに勝る神様に対しては、そのまま受け取らなければなりません。
あれこれ理屈をいっても正しいのは神様です。

死人が蘇るはずはない、神なんかいない。目に見えないものなど信じない。
色んな事を言う人がいます。

智恵や知識は生きていくうえで大切なのかも知れません。
しかし、それよりも永遠の命は大切です。
永遠の命から遠ざけてしまう智恵や知識ならいりません。

永遠の命。
それは、ただ信じることによってしか得ることは出来ないのです。

皆さん。イエス様は十字架で、あなたの罪の身代わりに死んで下さいました。
そして、蘇られました。
このことを信じましょう。
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なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
ローマ人への手紙10章9節
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お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/04/20 子どものように神の国を受け入れる者 
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