礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/04/13 
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悔い改めないなら 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神。全能者。王の王。主の主。
あなたを愛し、あなたに良い事をして下さる方です。
主のなさることは、皆、良いことです。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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4月13日(日)[ ]士師11-12/[ ]ルカ12:22-40
4月14日(月)[ ]士師13-15/[ ]ルカ12:41-59
4月15日(火)[ ]士師16-17/[ ]ルカ13:1-21
4月16日(水)[ ]士師18-19/[ ]ルカ13:22-35
4月17日(木)[ ]士師20-21/[ ]ルカ14
4月18日(金)[ ]ルツ1-2/[ ]ルカ15
4月19日(土)[ ]ルツ3-4/[ ]ルカ16
4月20日(日)[ ]Tサム1-2/[ ]ルカ17:1-19
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旧約聖書が士師記、ルツ記、サムエル記第一。
そして、新約聖書がルカの福音書です。
士師記の一つのテーマは、彼らが思い思いに自分の正しいと思うことをしていたと言うことです。
その結果、彼らは、神様から離れ、困難が生じ、神様に叫び、神様が助けて下さるということの繰り返しです。
しかし、彼らが、しっかりと神様につながることが神様の願いでした。
また、ルツ記は異邦人でありながら、神様を信じたルツの事が書かれています。
彼女のその信仰は、ダビデにと受け継がれました。
そして、サムエル、サウル、ダビデについて書かれたサムエル記に入ります。
読みやすく、面白い所だと思いますので是非読んでください。

聖書を読むとき、私たちは、イエス様に触れるのです。

新約聖書、ルカの福音書は、お話の中で見て参りましょう。

では、今日は、このルカの福音書から、13章を開いて参りましょう。
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【 聖書箇所 】 ルカ13章1−9節
・新改訳Up130(贈呈p117、英対p245)
・新改訳Vp142、英対p159(贈呈p134)
・口語訳p111
・新共同訳p134(贈呈p134、英対p208)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】 ルカ13章1−9節
13:1 ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
13:2 イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
13:3 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
13:4 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
13:5 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
13:6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
13:7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいで
いるのですか。』
13:8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
13:9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。
ルカの福音書13章3節
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では、これらのところから、
「悔い改めないなら」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

先日、KFSM。キッズ&ファミリー・サポートミッション。の主催する、子ども賛美集会。アライズ・ジャパンが終わりました。
お祈りとご協力ありがとうございました。荒川友恵姉がサブリーダー、足立真称姉がキーボードと、本当に良い奉仕をしてくれました。
会場は、大人、子どもあわせて350人くらい集まったといいます。
子ども達が、喜んで賛美する姿は素晴らしいものでした。
これからも主が用いて下さることを祈りたいと思います。

その中でのメッセージで、クリスチャンになるにはどうするかという事が語られました。
聖書を手に入れたらクリスチャンか、聖書を全部読んだらクリスチャンか。
そんなことでなく、ただ、イエス様を信じたらクリスチャンだというメッセージでした。
では、イエス様の何を信じるのか、それは、イエス様が身代わりに死んで下さったと言う事です。

今日のお話も、そのような事です。

悔い改める。それはどんなことなのでしょう。

今日は、結論からいいます。
悔い改めるとは、自分中心の人生から、神様中心の人生に変わることです。

多くの人は、自分の為に生きています。
その自分の為に生きることをやめて、神様の為に生きることが悔い改めです。

ところが、神様中心の人生とか神様の為に生きるといいながら、それをしているのが自分を出すためであったり、自己満足であったりすることがあります。

ですから、本当の悔い改めは、この御言葉であらわされるのです。
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私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の
御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章20節
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皆さんは、イエス様と共に十字架で死んだのです。
洗礼式はそのことを表しています。
水につかったとき、キリストと共に死に、そこから出たとき、キリストと共に蘇ったのです。

そして、今は、キリストが生きておられるのです。それは、キリストにあって生きるということです。
このキリストの命につながることを覚えるために私たちは、聖餐式を行います。
イエス様が言われました。
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それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行ないなさい。」
ルカの福音書22章19節
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今週は、このイエス様の十字架の死、そして、イエス様の裂かれた御身体と非常に関係の深い週です。
今日が棕櫚の日、そして、今週は受難週です。
つまり、今週の金曜日はイエス様が十字架につけられたことを記念する日です。

皆さん。日本人は仏陀が死んだ日を記念して仏滅と呼んで、悪い日だと考えます。

しかし、イエス様を信じるあなたにとってはそうではありません。
イエス様が十字架で死んで下さったことは良いことなのです。
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6 かえって、わたしがこれらのことをあなたがたに話したために、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。
7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わ
たしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
ヨハネの福音書16章6−7節
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そして、イエス様が十字架で死に、蘇られ、父なる神様のものとに戻られてから、聖霊様が下られたのです。

今、全て信じるものと共に聖霊様がおられます。
そして、聖霊様によって私たちはイエス様を知り、体験するのです。

皆さん。イエス様が十字架で死んで下さったことは良いことなのです。

今週の金曜日は受難日。
それは、イエス様の勝利の日です。

なぜなら、イエス様の十字架の死によって、悪魔の力は打ち砕かれたからです。
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そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
ヘブル人への手紙2章14節
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ここに書かれているように、イエス様の死が、悪魔を打ち砕いたのです。

そして、このことは、人類の罪の歴史の最初、つまりアダムとエバが罪を犯したすぐに神様が預言されたことなのです。
これは、蛇への神様の言葉です。
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わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」
創世記3章15節
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さて、お話を戻します。
今回二度、イエス様は同じように、人々に語られました。
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4 また、シロアムの塔が倒れ落ちて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるだれよりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。
5 そうではない。わたしはあなたがたに言います。あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
ルカの福音書13章4−5節
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一つは苦しみを受けたガリラヤ人について、もう一つはシロアムの塔が崩れた時に死んだ人たちのことです。
その人たちが、罪深いから、こうなったと思うのかとイエス様は問われます。

しかし、どちらについてもそう言えるのはそうではありません。

そうではなく、悔い改めないなら、同じように滅びるのだとイエス様は言われるのです。

今も、何か悪い出来事を聞くと、自業自得だなどという言い方をすることがあります。
弟子達が、一人の目の見えない人についてイエス様に聞きました。
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2 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」
3 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。
ヨハネの福音書9章2−3節
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しかし、イエス様は、それは、神様の栄光があらわれる為だと言われました。

人は、問題が起こると、その理由は、その人が何か悪い事をしたからだといいます。
では、問題がおこらないくらい正しい人はいるのでしょうか。聖書の答えはこうです。
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10 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。
11 悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
ローマ人への手紙3章10−11節
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誰も、正しい人はいないのです。
だから、イエス様は、悔い改めないなら同じように滅びると言われたのです。

自業自得だとか、あの人が悪いからだと考えるとき、それは、自分は大丈夫と思っているということです。
しかし、皆さん。自分が大丈夫なのはどうしてでしょう。

あの人のした罪を自分は犯していないからでしょうか。
どちらにしても、私たちは皆罪びとで、永遠の滅びが定められていたのです。

それは、アダムとエバから始まりました。
皆さん。
私たち人間は創造されたとき、神様とのつながりを持っていました。

ところが、罪によってそれは切り離されました。
その罪とは何か、神様が言われた事を信頼し従うより、悪魔の言ったことを信頼し、従ったことです。

そして、いまも、悪魔は人々をだましています。
神なんかいない、神様がいたとしてもいいことなんかしてくれない。

これは全部嘘です。
悪魔はいつも、人間を神様から引き離そうとして、ありとあらゆる嘘をつきます。

しかし、聖書を通して私たちが知ることは、神様は良い方だということです。

神様は、良いことだけをされ、悪い事をされません。
だから、皆さん。信じましょう。

神様は、あなたに良い事をされます。
悪魔は悪い事をもたらそうとするかも知れませんが、神様はそんなことも退けて良い事をしてくださる方です。
ただ、この方に信頼しましょう。

皆さん。そうして、神様に信頼して生きる。
それが、悔い改めです。

律法を目の前において、あれをしてはダメ、これはダメと生きることが悔い改めではありません。

なぜなら、当時、沢山のユダヤ人はそのように生きていたのです。
しかし、イエス様は、その間違いを指摘されました。

こころからでなければならなかったのです。

その心が変わらなければなりません。こころが変わると言うとき、その心の一番大切な働きは愛です。

私たちが愛に生きるなら、そこに愛の実があらわれます。それは聖霊の実です。
神様の求めておられるのは、あんな行い、こんな行いではなく、聖霊の実、愛の実です。

愛の実は、自分の我慢や努力によるのではありません。
自分がどれだけ神様の愛をしっかりと受け、その愛に生きたかによるのです。

そのとき、愛の実が豊かに実を結びます。
ぶどう園のいちじくの木は、実を実らせませんでした。
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7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいる
のですか。』
8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』」
ルカの福音書13章7−9節
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しかし、そんな木もイエス様はまた、機会を与えて下さいます。
ここで、イエス様がとりなしをして下さっておられるのです。

この御言葉はやがて切り倒されることも書かれていますが、実を結ぶなら、それは、切り倒されません。
切り倒されるのが御心ではなく、神様は切り倒されないようにして下さるのです。
その実とはなにですか。それは、神様への愛、人への愛です。

私たちは、本当に神様を愛しているでしょうか。

私たちが神様を愛するなら、神の戒めを守るとも書かれています。
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神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。
ヨハネの手紙第一5章3節
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また、兄弟を愛するとも書かれています。
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神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
ヨハネの手紙第一4章20節
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その心を、神様は見ておられます。

しかし、神様の前で、わたしたちの心を偽る必要はありません。

自分を裁くなら裁かれないと聖書はいいます。
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しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。
コリント人への手紙第一11章31節
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正直に神様の前に出ましょう。
それもまた、神様への信頼であり、謙りであり、神様への愛です。

そして、神様の赦しを受け取って、神様の愛に満たされて、互いに愛しあうのです。

お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/04/13 悔い改めないなら 
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