礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/03/23 
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わたしの上に主の御霊がおられる。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神、全能者、あなたを愛し、あなたの為に良い計画を持っておられる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

では、まず、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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聖書の通読箇所を見てみましょう。
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3月23日(日)[ ]申28/[ ]ルカ3:1-20
3月24日(月)[ ]申29-30/[ ]ルカ3:21-38
3月25日(火)[ ]申31/[ ]ルカ4:1-30
3月26日(水)[ ]申32/[ ]ルカ4:31-44
3月27日(木)[ ]申33-34/[ ]ルカ5:1-16
3月28日(金)[ ]ヨシ1-2/[ ]ルカ5:17-39
3月29日(土)[ ]ヨシ3-5/[ ]ルカ6:1-19
3月30日(日)[ ]ヨシ6-7/[ ]ルカ6:20-49
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旧約聖書が申命記、ヨシュア記
新約聖書がルカの福音書です。

申命記の最後でモーセは、イスラエルの各部族について預言します。
そして、彼は、エリコに面するピスガの頂に立ち、約束の地を見てから死にます。
そのとき、モーセは120歳でした。モーセは、律法の通りに死んだのです。
この働きは、ヨシュアへと引き継がれ、ヨシュアは、イスラエルを率いて約束の地へと入って行きます。
それが、ヨシュア記です。

新約聖書がルカの福音書。
こちらは、お話の中で見てまいりましょう。
では、今日は、ルカの福音書4章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ルカの福音書4章16−30節
・新改訳Up104(贈呈p93、英対p172)
・新改訳Vp114、英対p128(贈呈p107)
・口語訳p89
・新共同訳p107(贈呈p107、英対p167)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】ルカの福音書4章16−30節
4:16 それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。
4:17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
4:18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし、
4:19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
4:20 イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
4:21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
4:22 みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。
4:23 イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」
4:24 また、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。預言者はだれでも、自分の郷里では歓迎されません。
4:25 わたしが言うのは真実のことです。エリヤの時代に、三年六か月の間天が閉じて、全国に大ききんが起こったとき、イスラエルにもやもめは多くいたが、
4:26 エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいたやもめ女にだけ遣わされたのです。
4:27 また、預言者エリシャのときに、イスラエルには、らい病人がたくさんいたが、そのうちのだれもきよめられないで、シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」
4:28 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、
4:29 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
4:30 しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。
ルカの福音書4章18節
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では、これらの所から、
「わたしの上に主の御霊がおられる。」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

前回、バプテスマのヨハネの誕生の話でした。
バプテスマのヨハネは、年老いた夫婦から生まれました。
そして、処女であるマリヤからイエス様がお生まれになりました。
イエス様は成長してバプテスマのヨハネから洗礼をお受けになりました。
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21 さて、民衆がみなバプテスマを受けていたころ、イエスもバプテスマをお受けになり、そして祈っておられると、天が開け、
22 聖霊が、鳩のような形をして、自分の上に下られるのをご覧になった。また、天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」
ルカの福音書3章21−22節
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イエス様は、聖霊様に満たされて、聖霊様の導きによって荒野で40日の断食をされました。
それが、この4章のはじめです。
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1 さて、聖霊に満ちたイエスは、ヨルダンから帰られた。そして御霊に導かれて荒野におり、
2 四十日間、悪魔の試みに会われた。その間何も食べず、その時が終わると、空腹を覚えられた。
ルカの福音書4章1−2節
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ここで、悪魔は、イエス様に三つの誘惑をしかけます。
一つ目はこれです。
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3 そこで、悪魔はイエスに言った。「あなたが神の子なら、この石に、パンになれと言いつけなさい。」
4 イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではない。』と書いてある。」
ルカの福音書4章3−4節
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イエス様は、「人はパンだけで生きるのではない。」と言われました。それは、神の口から出る一つ一つの言葉によると続きます。

次に悪魔は、イエス様に自分を拝めと言いました。
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5 また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
6 こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
7 ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」
8 イエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えなさい。』と書いてある。」
ルカの福音書4章5−8節
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ここでは、「主だけを拝み、主にだけ仕えなさい。」と返されました。
イエス様は、御言葉で応えておられます。

アダムとエバは、「食べたら死ぬ。」と言う神の言葉と、「死なない。」という悪魔の言葉を並べて、死なないと言う悪魔の言葉を選びました。
その結果、神様との関係を失い、霊において死んだのです。
イエス様は、自分の考えではなく、神の言葉を選ばれたのです。

すると、今度は悪魔は、御言葉を用いて、イエス様を誘惑しました。
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9 また、悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の頂に立たせて、こう言った。「あなたが神の子なら、ここから飛び降りなさい。
10 『神は、御使いたちに命じてあなたを守らせる。』とも、
11 『あなたの足が石に打ち当たることのないように、彼らの手で、あなたをささえさせる。』とも書いてあるからです。」
12 するとイエスは答えて言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』と言われている。」
ルカの福音書4章9−12節
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しかし、イエス様は、それにも、御言葉で対抗されました。
では、悪魔の言葉とイエス様の言葉はなにが違うでしょう。
それは、神との関係です。
本当に神様を信頼しているなら、神様を試す必要などありません。
だから、悪魔の言うような事をする必要がないのです。

こうしてイエス様は悪魔の働きを退けられました。
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誘惑の手を尽くしたあとで、悪魔はしばらくの間イエスから離れた。
ルカの福音書4章13節
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その後、イエス様が荒野から戻られると、イエス様は評判になり、みなの人にあがめられました。
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14 イエスは御霊の力を帯びてガリラヤに帰られた。すると、その評判が回り一帯に、くまなく広まった。
15 イエスは、彼らの会堂で教え、みなの人にあがめられた。
ルカの福音書4章14−15節
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そのイエス様が郷里であるナザレに帰られたのが、先ほど読んでいただいたところです。
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それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。
ルカの福音書4章16節
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イエス様は、この時すでに律法の教師として認められていました。

そして、郷里のナザレでも会堂で律法を朗読しようとされたのです。
その時渡されたのはイザヤ書でした。
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17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。し
いたげられている人々を自由にし、
19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
ルカの福音書4章17-19節
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イザヤ書は、メシヤすなわちキリストについて多くの預言が書かれた書です。

それが、この箇所です。
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1 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕われ人には解放を、囚人には釈放を告げ、
2 主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、
3 シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。彼らは、義の樫の木、栄光を現わす主の植木と呼ばれよう。
イザヤ書61章1-3節
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皆がイエス様の事を見ました。
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20 イエスは書を巻き、係の者に渡してすわられた。会堂にいるみなの目がイエスに注がれた。
21 イエスは人々にこう言って話し始められた。「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」
ルカの福音書4章20-21節
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イエス様は、今、この聖書の言葉の実現したといわれました。

そして、主の恵みを語られると、人々はイエス様の言葉に驚き、感動しました。
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22 みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。
ルカの福音書4章22節
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しかし、イエス様が大工であるヨセフの子だと馬鹿にする人もいました。

その中で、イエス様は言われました。
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イエスは言われた。「きっとあなたがたは、『医者よ。自分を直せ。』というたとえを引いて、カペナウムで行なわれたと聞いていることを、あなたの郷里のここでもしてくれ、と言うでしょう。」
ルカの福音書4章23節
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カペナウムでは何があったのでしょう。
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21 それから、一行はカペナウムにはいった。そしてすぐに、イエスは安息日に会堂にはいって教えられた。
22 人々は、その教えに驚いた。それはイエスが、律法学者たちのようにではなく、権威ある者のように教えられたからである。
マルコの福音書1章21-22節
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そこで、イエス様は、権威あるもののように教えられました。
権威あるもののように教えるとはどんなことでしょう。
そこには力があると言うことです。
例えば、法律の研究をしている人に道路交通法の中の説明として、「シートベルトを締めないといけないと決まっています。」と、聞きます。
それは、「ああそうか。」で済みます。
しかし、もし、本当にシートベルトを締めていないとき、そこで検問中の警察官に出会います。
「シートベルトを締めないといけません。」そういわれたら、違反の切符を切られてしまいます。
彼は、国家の権威を帯びて、法に従って行うものだからです。
それは、裁判官もそうです。
「法律にこう書いてある。」という事を、単なる、知識として知るのでなく、裁判官から判決の文として、聞かされたら、裁判官の持っている権威により、それは執行されます。
それは、単なる知識とは違うのです。

イエス様は、聖書に書かれていることを行われました。
そして、イエス様が命じられると、その通りになったのです。

そのような神の国の力と権威の中で、汚れた霊につかれた人が叫びました。
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23 すると、すぐにまた、その会堂に汚れた霊につかれた人がいて、叫んで言った。
24 「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのです。あなたは私たちを滅ぼしに来たのでしょう。私はあなたがどなたか知っています。神の聖者です。」
25 イエスは彼をしかって、「黙れ。この人から出て行け。」と言われた。
26 すると、その汚れた霊はその人をひきつけさせ、大声をあげて、その人から出て行った。
マルコの福音書1章23-26節
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聖霊様の働きが激しくなり、神の国の力が現れると、このようなことが起こります。
なぜなら、悪霊は、それが苦しいからです。

聖霊様の臨在が豊かになると、悪霊も騒ぎ出します。
しかし、そのことを恐れる必要はありません。なぜなら、そこには神様の力があるからです。
そのとき、イエス様のお名前で、その敵を追い出すことが出来ます。

人々は驚きました。そして、イエス様のことはガリラヤ全地で評判になったのです。
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27 人々はみな驚いて、互いに論じ合って言った。「これはどうだ。権威のある、新しい教えではないか。汚れた霊をさえ戒められる。すると従うのだ。」
28 こうして、イエスの評判は、すぐに、ガリラヤ全地の至る所に広まった。
マルコの福音書1章27-28節
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そこで、人々は病人や悪霊につかれた人をイエス様のところに連れてきました。
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イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をお直しになり、また多くの悪霊を追い出された。そして悪霊どもがものを言うのをお許しにならなかった。彼らがイエスをよく知っていたからである。
マルコの福音書1章34節
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多くの人々が癒され、奇跡を体験したのです。

そのあと、イエス様はナザレにこられたので、ナザレの人々はイエス様がそのような御業をなさることを期待していました。
しかし、彼らの中には、イエス様についてさげすむ考えもあったのです。
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22 みなイエスをほめ、その口から出て来る恵みのことばに驚いた。そしてまた、「この人は、ヨセフの子ではないか。」と彼らは言った。
ルカの福音書4章22節
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マタイの福音書にはこんな記事もあります。
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54 それから、ご自分の郷里に行って、会堂で人々を教え始められた。すると、彼らは驚いて言った。「この人は、こんな知恵と不思議な力をどこで得たのでしょう。
55 この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。
56 妹たちもみな私たちといっしょにいるではありませんか。とすると、いったいこの人は、これらのものをどこから得たのでしょう。」
マタイの福音書13章54-56節
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そのように彼らは、イエス様を通して神様が働かれるということを信じることが出来ませんでした。
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57 こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」
58 そして、イエスは、彼らの不信仰のゆえに、そこでは多くの奇蹟をなさらなかった。
マタイの福音書13章57-58節
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その結果、彼らの中では、御業をなさらなかったのです。

皆さん。奇跡は信仰によって起こります。
信仰は、御言葉が土台となっていなければなりません。

ですから、祈りと御言葉が大切なのです。

そして、御言葉を土台に、信仰を持って、祈るところに聖霊様が働かれます。

癒しや悪霊追い出しに関して祈るとき、祈られる人と祈る人の信仰が関わります。
簡単にいいますと、両方に信仰があることが一番いいのですが、そうでなくても、どちらかに信仰があればいいのです。
つまり、祈る側に信仰がなくても、祈られる側に信仰があれば御言葉に聖霊様が働かれます。

ところが、不信仰は、聖霊様の働きを跳ね除けてしまうことがあります。

神の使わされたものを信じる、やわらかなへりくだった心に、聖霊様は働かれるのです。

郷里の者達は、救い主であるイエス様を信じることが出来ませんでした。
大工の子としてしかイエス様を見ることができず、神の子であるイエス様を信じることが出来なかったのです。

イエス様は、その後、シドンのやもめや、ナアマンを例にとり、信仰によって神様が働かれる事を語られました。
ナアマンという人は、アラムの王の将軍でしたが、重い病気でした。
しかし、それがエリシャによって癒されたのです。

異邦人であるナアマンでさえ信じて行動して癒されたのです。
しかし、彼らは、信じていませんでした。

イエス様に自分達の事を言われたと思った彼らは怒り、イエス様を殺そうとしました。
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28 これらのことを聞くと、会堂にいた人たちはみな、ひどく怒り、
29 立ち上がってイエスを町の外に追い出し、町が立っていた丘のがけのふちまで連れて行き、そこから投げ落とそうとした。
30 しかしイエスは、彼らの真中を通り抜けて、行ってしまわれた。
ルカの福音書4章28-30節
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イエス様は人々の中を通り過ぎていかれました。

このようなことは、ヨハネの福音書にも出てきます。
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すると彼らは石を取ってイエスに投げつけようとした。しかし、イエスは身を隠して、宮から出て行かれた。
ヨハネの福音書8章59節
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このときもイエス様は人々の中を通り過ぎて行かれました。

だれも、イエス様を殺すことなど出来ないのです。
ですから、十字架は、イエス様ご自身の御意思であるとわかります。

そして、それは、神様の世の初めからの救いのご計画の成就でした。

お話を戻します。
++++++++++
17 すると、預言者イザヤの書が手渡されたので、その書を開いて、こう書いてある所を見つけられた。
18 「わたしの上に主の御霊がおられる。主が、貧しい人々に福音を伝えるようにと、わたしに油を注がれたのだから。主はわたしを遣わされた。捕われ人には赦免を、盲人には目の開かれることを告げるために。し
いたげられている人々を自由にし、
19 主の恵みの年を告げ知らせるために。」
ルカの福音書4章17-19節
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イエス様の御業は、神様のご計画の成就でした。
それだけではなく、聖霊の油注ぎによってそのことはなされたのです。

この聖霊様の力はペンテコステの時からわたしたちにも与えられています。
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しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
使徒の働き1章8節
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私たちが信じるなら、この聖霊様の力は、今、私たちを通して働くのです。

信じましょう。
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17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
マルコの福音書16章17-18節
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信じるものを通して、主は素晴らしいことをしてくださいます。

信じるなら、主は働いて下さるのです。
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するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
マルコの福音書9章23節
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信じるものとは、誰ですか。
自分こそと、思って信じるなら、それは立派な事です。
しかし、私たちは、信じられないこともあります。
でも、完全な信仰をもったイエス様があなたの内におられるのです。
この主にへりくだり祈りましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/03/23 わたしの上に主の御霊がおられる。
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