礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/03/02  
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信じる者には、どんなことでもできるのです。 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>
皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、良い方。あなたに良い計画を持っておられる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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3月2日(日)[ ]民18-19/[ ]マコ8:1-21
3月3日(月)[ ]民20-21/[ ]マコ8:22-38
3月4日(火)[ ]民22-23/[ ]マコ9:1-29
3月5日(水)[ ]民24-25/[ ]マコ9:30-50
3月6日(木)[ ]民26-27/[ ]マコ10:1-31
3月7日(金)[ ]民28-29/[ ]マコ10:32-52
3月8日(土)[ ]民30-31/[ ]マコ11
3月9日(日)[ ]民32-33/[ ]マコ12:1-17
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旧約聖書が民数記、
新約聖書がマルコの福音書です。

民数記の今回の箇所は、モアブ人との戦いや、ミデヤン人との戦いが書かれています。
また、33章には、荒野での旅程がまとめられています。

新約聖書はマルコの福音書です
こちらは、お話の中で見てまいりましょう。
マルコの福音書9章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】 マルコの福音書9章14−29節
・新改訳Up76(贈呈p68、英対p125)
・新改訳Vp83、英対p44(贈呈p78)
・口語訳p66
・新共同訳p78(贈呈p78、英対p121)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】 マルコの福音書9章14−29節
9:14 さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、その回りに大ぜいの人の群れがおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。
9:15 そしてすぐ、群衆はみな、イエスを見ると驚き、走り寄って来て、あいさつをした。
9:16 イエスは彼らに、「あなたがたは弟子たちと何を議論しているのですか。」と聞かれた。
9:17 すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。「先生。おしの霊につかれた私の息子を、先生のところに連れてまいりました。
9:18 その霊が息子に取りつきますと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、霊を追い出してくださるようにお願いしたのです
が、お弟子たちにはできませんでした。」
9:19 イエスは答えて言われた。「ああ、不信仰な世だ。いつまであなたがたといっしょにいなければならないのでしょう。いつまであなたがたにがまんしていなければならないのでしょう。その子をわたしのところに連
れて来なさい。」
9:20 そこで、人々はイエスのところにその子を連れて来た。その子がイエスを見ると、霊はすぐに彼をひきつけさせたので、彼は地面に倒れ、あわを吹きながら、ころげ回った。
9:21 イエスはその子の父親に尋ねられた。「この子がこんなになってから、どのくらいになりますか。」父親は言った。「幼い時からです。
9:22 この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」
9:23 するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
9:24 するとすぐに、その子の父は叫んで言った。「信じます。不信仰な私をお助けください。」
9:25 イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」
9:26 するとその霊は、叫び声をあげ、その子を激しくひきつけさせて、出て行った。するとその子が死人のようになったので、多くの人々は、「この子は死んでしまった。」と言った。
9:27 しかし、イエスは、彼の手を取って起こされた。するとその子は立ち上がった。
9:28 イエスが家にはいられると、弟子たちがそっとイエスに尋ねた。「どうしてでしょう。私たちには追い出せなかったのですが。」
9:29 すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
信じます。不信仰な私をお助けください。
マルコの福音書9章24節
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では、これらのところから、
「信じる者には、どんなことでもできるのです。 」
と題しまして御言葉を開いて参りましょう。

マルコの福音書を見ておりますが、このマルコはが誰かと言うことについてはさまざまな説があります。
しかし、一般的には、この人物であると考えられています。
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こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。
使徒の働き12章12節
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マルコと呼ばれているヨハネという名が出てきます。
このヨハネは12使徒のヨハネとは違います。

彼は、バルナバのいとこでもあったようです。
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私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです。――この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにと
いう指示をあなたがたは受けています。――
コロサイ人への手紙4章10節
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彼は年齢的にも若く、ペテロに使えていたといわれますが、パウロと共に伝道旅行へ行きました。
ところが、使徒の働きを見ますと、途中で帰ってきてしまいました。

そのため、一時は、パウロの信頼を失ったようですが、ピレモンへの手紙を見ますと、こう書いてあります。
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私の同労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。
ピレモンへの手紙1章24節
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年若くから働きをはじめたマルコですが、このときは、パウロから同労者と認められるようになったのです。
マルコは年齢的にも若く、最初の頃は、ペテロに伴っていたと言われます。
ですから、マルコの福音書は、ペテロの語ったままが記事となっていると言われます。

さて、今回の聖書の箇所にもどりたいと思いますが、先ほどの主題聖句。
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【 主題聖句 】
信じます。不信仰な私をお助けください。
マルコの福音書9章24節
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本当に私自身も、いまも、何度も神様に祈る言葉です。

私たちには問題があります。また、必要があります。
イエス様を信じたら全ての問題が無くなったと言う人はあまりいないのではないかと思います。

イエス様は言われました。
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わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」
ヨハネの福音書16章33節
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しかし、私たちがいつも平安でいるかというとそうではないのではないでしょうか。
私たちの平安は、見えるところや、自分の経験に基づいているからです。

そして、いろいろ考えてみるならそれらの問題によってわたしたちは押しつぶされそうになってしまいます。

石橋を叩いて渡ると言いますが、学生のころに石橋を叩いて落とすと言うジョークがありました。
そうとう叩かないと石橋は落ちないと思います。
はじめから不安で渡りたくないから、言い訳を考えている事もあるかも知れません。

石橋も怖くて渡れない。吊り橋などもっと怖いかも知れませんが、もっと不安定な水の上を歩いた人が聖書には出てきます。
それは、イエス様と、ペテロです。

モーセが、紅海を通るときには、神様は水を分けて下さいました。
また、ヨシュアがヨルダン川を渡るときも、神様は問題を退けて下さいました。
水は、彼らが先に進むのを妨げていました。
それで、神様はその水をのけて下さいました。

しかし、イエス様その問題である水の上を歩かれたのです。
また、イエス様に呼ばれたペテロも同じように水の上を歩きました。
問題そのものの上をイエス様は歩かれるのです。
そして、イエス様と共に私たちも同じようにすることが出来るのです。

私も問題を退けて下さいと祈ります。
私は、もともと、非常に神経質で、また、計算高い人間でした。
だから、しっかりと生活を立てあげなければならないと考えていました。
ところが、25歳で結婚し、長男が生まれ、28歳の頃、病気になりました。

自分の立てていた人生の計画の何もかもが崩れるようでした。
その時、祈りました。
「こんな不安定な、水の上にいるような生活は嫌です。」
その時、主は言われました。
「水の上を歩け。」
その時からずっと水の上を歩いているような気がします。

本当に不安な時もありました。しかし、主がいつも共におられ導いてこられました。
良い妻は主からと書かれています。その中を家内と一緒に歩んで来れたことは、本当に感謝な事です。

ちゃんと地に足のついた生活をしたいとそう思います。
しかし、水の上を歩きながら、生きている神様を体験しながら歩ませていただいております。
主に感謝します。

お話を戻しますが、さまざまな問題の中で、それでも私たちは祈ります。
そして、神様に叫びます。
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【 主題聖句 】
信じます。不信仰な私をお助けください。
マルコの福音書9章24節
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このときの出来事を、少し前から見てみましょう。
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2 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。
3 その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。
4 また、エリヤが、モーセとともに現われ、彼らはイエスと語り合っていた。
マルコの福音書9章2−4節
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ここで、ペテロとヨハネとヤコブは、イエス様と高い山に登りました。
そこで、彼らはイエス様がモーセやエリヤと語り合っておられるを見たのです。

モーセは律法を、エリヤは預言を象徴します。
イエス様がなそうとしておられる十字架の御業は、律法の完成であり、預言の成就でした。

このあと、彼らが山を降りると、そこに問題が起こっていました。
群集がおり、弟子達と律法学者達が話し合っていたのです。

何が起こっていたのでしょう。
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さて、彼らが、弟子たちのところに帰って来て、見ると、その回りに大ぜいの人の群れがおり、また、律法学者たちが弟子たちと論じ合っていた。
マルコの福音書9章14節
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そこには、言葉を話せなくする霊につかれた子どもがいたのです。
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17 すると群衆のひとりが、イエスに答えて言った。「先生。おしの霊につかれた私の息子を、先生のところに連れてまいりました。
18 その霊が息子に取りつきますと、所かまわず彼を押し倒します。そして彼はあわを吹き、歯ぎしりして、からだをこわばらせてしまいます。それでお弟子たちに、霊を追い出してくださるようにお願いしたのですが、
お弟子たちにはできませんでした。」
マルコの福音書9章17−18節
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なぜ、議論になったのでしょう。
おしとつんぼは、救い主でないと癒せないと言われていました。

バプテスマのヨハネが、イエス様が救い主かどうかをイエス様に質問したとき、こうお答えになりました。
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そして、答えてこう言われた。「あなたがたは行って、自分たちの見たり聞いたりしたことをヨハネに報告しなさい。盲人が見えるようになり、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、つんぼの人が聞こえ、死人が生き返
り、貧しい者に福音が宣べ伝えられています。
ルカの福音書7章22節
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イエス様が、言葉の話せない人や、耳の聞こえない人を癒されたのは、メシヤとしての印だったのです。

イエス様は、御命じになりました。
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イエスは、群衆が駆けつけるのをご覧になると、汚れた霊をしかって言われた。「おしとつんぼの霊。わたしが、おまえに命じる。この子から出て行きなさい。二度と、はいってはいけない。」
マルコの福音書9章25節
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耳の聞こえない人は耳が聞こえないのです。

信仰は聞くことからはじまると聖書はいいます。
しかし、そのようなこと全てを越えて、イエス様は、悪霊そのものに命じておられます。
その結果、悪霊は追い出されました。

癒しは、実際に起こります。私も祈って癒された人がいます。
しかし、逆に、なかなか癒しがおこらないという体験もしました。

このような問題には、こう祈るのがいいというようなマニュアルもあります。
それも大切かも知れません。

しかし、聖書にはそのようなことは書かれていません。
そのようなものは、体験を結果としてまとめておられるわけですが、同じことがまた起こるとは限りません。

すべては御言葉に基づく信仰によるからです。信仰は神様の言葉と祈りによります。

マルコの福音書にはこう書いています。
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17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
マルコの福音書16章17−18節
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これが一番基本的な事です。
病人に手をおけば病人は癒されます。

私たちが、この御言葉を完全に自分のものとするなら、それだけで癒しがおこるのです。

しかし、私たちはなんと目に見えることにふりまわされてしまうものでしょう。

それで、ヤコブの手紙にはこう書いてあります。
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14 あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。
15 信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。
ヤコブの手紙5章14−15節
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このオリーブオイルは、信仰の接点です。

先日、ある先生のお見舞いに行ったとき、オリーブオイルを持って行きました。
そしたら、いろんな人が来られたけど、オリーブオイルを持ってきたのは先生だけだと言われました。

自分自身にとっても信仰の助けになるので持っていると言えるのですが、これは、聖書に書かれていることです。
他のマニュアルよりもより確かな事だと思います。

そして、今回の箇所にこう書いてあります。
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すると、イエスは言われた。「この種のものは、祈りによらなければ、何によっても追い出せるものではありません。」
マルコの福音書9章29節
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このことは、さらにマタイの福音書ではこう書いてあります。
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〔ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません。〕」
マタイの福音書17章21節
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時には断食の祈りも必要です。

この霊的な戦いにそなえて、私は、週に一度、24時間断食をするようになったのです。
しかし、基本は祈りと御言葉です。

奇跡のためのマニュアルつくりは出来ません。
それは、ただ、信仰によるのです。

旧約聖書の中でも、エリシャの時代に一つの出来事が書いてあります。
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29 そこで、彼はゲハジに言った。「腰に帯を引き締め、手に私の杖を持って行きなさい。たといだれに会っても、あいさつしてはならない。また、たといだれがあいさつしても、答えてはならない。そして、私の杖をあ
の子の顔の上に置きなさい。」
30 その子の母親は言った。「主は生きておられ、あなたのたましいも生きています。私は決してあなたを離しません。」そこで、彼は立ち上がり、彼女のあとについて行った。
31 ゲハジは、ふたりより先に行って、その杖を子どもの顔の上に置いたが、何の声もなく、何の応答もなかったので、引き返して、エリシャに会い、「子どもは目をさましませんでした。」と言って彼に報告した。
列王記第二4章29−31節
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エリシャのところに一人の女性がやってきて、子どもの死を知らせました。
エリシャは、従者ゲハジに杖を持たせて先にいかせましたが、こどもは生き返りませんでした。

結局エリシャがそこに行き、そして、祈り、身体を子どもに重なると、子どもは生き返りました。
エリシャの示した方法では、奇跡は起こりませんでした。

私が救われた頃は、30年ほど前ですが、しるしや不思議の沢山あるころでした。
癒しのための祈り、奇跡が起こったり、悪霊の追い出しも徹夜でやりました。
そして、こんな場合はこう祈るとかそういうものを沢山学び、やってみました。
しかし、やってみてもうまく行きませんでした。
結局、奇跡は、神様との関係、信仰によったのです。

だから、こういう場合こう祈ると言う、祈祷文を作る事はあまりいいことだとは思っていません。
祈りの課題は、リストにしますが、祈り方はその人その人で違うと思うのです。
ただ、信仰により、神様に思いを伝える。願いを知っていただく。それが祈りです。

しかし、聞かれる祈りというなら、一ついえるのは、共に祈ると言うことです。
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ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
マタイの福音書18章20節
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共に集まり、共に祈るとき主は聞いて下さいます。
主は私たちが共にいる事を喜ばれます。
そうであるなら、共に祈ることはどれほど喜ばれるでしょう。
ある人は、自分が一人で礼拝しているから、自分が一人で祈っているからといわれます。
でも、共に集まることを主は喜ばれるのです。
そして、共に集まって共にいるのなら、主はその祈りを聞いて下さいます。

お話を戻します。奇跡のためのマニュアルつくりは出来ません。
それは、ただ、信仰によるのです。そして、信仰は、祈りと御言葉によって成長します。

御言葉といいましたが、皆さん。信仰の成長の為に聖書を読むのなら、注目すべき事は二つです。
それは、主なる神様、すなわち父、子、聖霊の神様がどんな神様かということ。
それと、この神様があなたをどう見ておられ、あなたに何をして下さるか、何をして下さったかです。
この二つが、あなたと神様との正しい関係を作ります。この神様との正しい関係が信仰です。

信仰とは、結局のところ神様への信頼とへりくだりです。
だから、自分の信仰深さなどを競うことは出来ません。

ペテロも言います。
++++++++++
12 ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのです
か。
16 そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにした
のです。
使徒の働き3章12、16節
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そういう意味で、私たちの祈りは、常にこういう祈りであるかも知れません。
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【 主題聖句 】
信じます。不信仰な私をお助けください。
マルコの福音書9章24節
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この親はもともと、どんな信仰だったでしょう。
彼は言いました。
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この霊は、彼を滅ぼそうとして、何度も火の中や水の中に投げ込みました。ただ、もし、おできになるものなら、私たちをあわれんで、お助けください。」
マルコの福音書9章22節
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彼はイエス様におできになるならと言ったのです。

しかし、イエス様は言われました。
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するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」
マルコの福音書9章23節
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信じるものとは誰でしょう、完全な信仰を持っておられるのはイエス様です。

イエス様こそが、完全な信仰を持っておられる方です。
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信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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そして、この方にしっかりと目を向けることこそが信仰なのです。

ですから、信仰についてこう書いてあります。
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そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
ローマ人への手紙10章17節
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しっかりと主に目を向けて歩ませていただきましょう。

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【 主題聖句 】
信じます。不信仰な私をお助けください。
マルコの福音書9章24節
++++++++++
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/03/02  信じる者には、どんなことでもできるのです。 
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