礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ2014/02/09 
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十字架につけられるために
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は力ある神全能者王の王主の主
全てに勝る方。
その勝利を十字架で取られた方です。

この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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2月9日(日)[ ]レビ1-3/[ ]マタ25:1-30
2月10日(月)[ ]レビ4-5/[ ]マタ25:31-46
2月11日(火)[ ]レビ6-7/[ ]マタ26:1-25
2月12日(水)[ ]レビ8-9/[ ]マタ26:26-46
2月13日(木)[ ]レビ10-11/[ ]マタ26:47-75
2月14日(金)[ ]レビ12-13/[ ]マタ27:1-26
2月15日(土)[ ]レビ14/[ ]マタ27:27-44
2月16日(日)[ ]レビ15-16/[ ]マタ27:45-66
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旧約聖書がレビ記、新約聖書がマタイの福音書です。
レビ記は神様を礼拝する幕屋での礼拝の方法が書かれている所です。
それらの所は、イエス様がご自身を捧げられた十字架の御業をあらわすものです。
是非読んでみて下さい。
新約聖書マタイの福音書は、お話の中で見てまいりましょう。

では、今日は、新約聖書マタイの福音書26章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】マタイの福音書26章1−16節
・新改訳Up49(贈呈p45、英対p82)
・新改訳Vp54、英対p61(贈呈p51)
・口語訳p43
・新共同訳p51(贈呈p51、英対p78)
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朗読を御願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】マタイの福音書26章1−16節
26:1 イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。
26:2 「あなたがたの知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」
26:3 そのころ、祭司長、民の長老たちは、カヤパという大祭司の家の庭に集まり、
26:4 イエスをだまして捕え、殺そうと相談した。
26:5 しかし、彼らは、「祭りの間はいけない。民衆の騒ぎが起こるといけないから。」と話していた。
26:6 さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、
26:7 ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。
26:8 弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。
26:9 この香油なら、高く売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」
26:10 するとイエスはこれを知って、彼らに言われた。「なぜ、この女を困らせるのです。わたしに対してりっぱなことをしてくれたのです。
26:11 貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。
26:12 この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
26:13 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
26:14 そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、
26:15 こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
26:16 そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。
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では主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
人の子は十字架につけられるために引き渡されます。
マタイの福音書26章2節
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これらの所から、
「十字架につけられるために」
と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所、マタイの福音書26章から28章は、マタイの福音書の中でも最も大切な箇所です。
そこにはイエス様が十字架にかかられて、蘇られたその三日間が書かれているからです。

特に、イエス様が十字架に死なれたというこのことは、読むものに非常に暗い印象を与えます。
弟子達も同じでした。彼らは、悲しみに沈んでいました。
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6 かえって、わたしがこれらのことをあなたがたに話したために、あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。
7 しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。それは、もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わ
たしは助け主をあなたがたのところに遣わします。
ヨハネの福音書16章6−7節
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イエス様は、イエス様が彼らを離れて十字架で死なれる事は良いことだと言われました。
しかし、そのことの意味を弟子達は分かりませんでした。
それは、彼らが地上のことだけを見ていたからです。
弟子達は、イエス様が十字架に架かられるなど考えたくなかったのかも知れません。

しかし、ここに出てくる女性は少し違いました。
彼女はイエス様が死なれるということを真剣に考えたのでしょう。
だから、自分がとっておいた大切な香油。それは、何百万円もの価値のあるものでした。
その香油を彼女は、イエス様のところに持ってきたのです。
そして、それを少しかけるのでなく、それを割って中身をイエス様にかけたのです。
家中が香油の香りでいっぱいになりました。弟子達は驚いていろんなことをいいました。
彼女のかけた香油の香りはきっと、ゲッセマネの祈りの時も、十字架でさえイエス様を包んでいたことでしょう。

ここから先、なにが起こったのか、簡単に流れを見ましょう。
まず、過ぎ越しの食事があります。
イエス様は、ご自身が十字架に付けられて、肉が裂かれ血が流されるそのことを前にして、バンとぶどう酒を、ご自身の御身体と血であると言って弟子たちにおあたえになりました。
最後の晩餐と言われる出来事です。
その様子は、様々な画家がテーマにし、多くの絵が描かれています。
その最も有名なものはレオナルド・ダビンチの描いたものでしょう。
しかし、彼は、自分の文化の中でまた、自分の絵画の技法でそれを描きました。
その為、食事の有様は、イエス様がおられた当時のユダヤの食事の習慣からはかけ離れたものとなったのです。

まず、椅子に座って食事をしているところから、間違っています。
実際は低い台を囲んで、寝転がっての食事であったようです。

こまかな話はいいのですが、その時イエス様は言われました。
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26 また、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
27 また杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
28 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
マタイの福音書26章26−28節
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いつも聖餐式の時にお読みする箇所では、こうかいてあります。
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23 私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、
24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
25 夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一11章23−26節
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わたしたちは、イエス様の御身体と血を頂いて、主の死を告げ知らせるのです。

彼らはその後、賛美の歌を歌って、オリーブ山へ出かけて行きました。
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30 そして、賛美の歌を歌ってから、みなオリーブ山へ出かけて行った。
31 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。
32 しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」
マタイの福音書26章30−32節
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イエス様は、弟子達が躓くと告げられました。

すると、ペテロが、言います。
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33 すると、ペテロがイエスに答えて言った。「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」
34 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」
マタイの福音書26章33−34節
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しかし、イエス様はペテロの弱さをご存知でした。

そして、ゲッセマネの祈りです。
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36 それからイエスは弟子たちといっしょにゲツセマネという所に来て、彼らに言われた。「わたしがあそこに行って祈っている間、ここにすわっていなさい。」
37 それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
マタイの福音書26章36−37節
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ゲッセマネには油を絞ると言う意味があります。
そこは、オリーブ山にあり、オリーブの実を絞るところだったそうです。

イエス様は、苦しみ悶えてご自身を絞るようにして祈られました。
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イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。汗が血のしずくのように地に落ちた。
ルカの福音書22章44節
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イエス様の祈りは、神様の御計画を受け止めるための祈りであり、また、神を愛し、全人類を愛する祈りでした。
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38 そのとき、イエスは彼らに言われた。「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。ここを離れないで、わたしといっしょに目をさましていなさい。」
39 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさっ
てください。」
マタイの福音書26章38−39節
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イエス様が祈りを終えられたとき、弟子達は眠っていました。
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45 それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。「まだ眠って休んでいるのですか。見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
46 立ちなさい。さあ、行くのです。見なさい。わたしを裏切る者が近づきました。」
マタイの福音書26章45−46節
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そして、裏切り者のユダがやって来ました。
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48 イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ。」と言っておいた。
49 それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で。」と言って、口づけした。
マタイの福音書26章48−49節
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こうして、イエス様は捕らえられました。

弟子達は逃げ、後ろからこっそり付いていったペテロもイエス様を知らないと言いました。
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74 すると彼は、「そんな人は知らない。」と言って、のろいをかけて誓い始めた。するとすぐに、鶏が鳴いた。
75 そこでペテロは、「鶏が鳴く前に三度、あなたは、わたしを知らないと言います。」とイエスの言われたあのことばを思い出した。そうして、彼は出て行って、激しく泣いた。
マタイの福音書26章74−75節
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そして、ピラトの元での裁判の結果、イエス様は十字架に付けられることになったのです。
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26 そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタイの福音書27章26節
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イエス様が十字架につけられ、兵士達はイエス様の着物を分けました。
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35 こうして、イエスを十字架につけてから、彼らはくじを引いて、イエスの着物を分け、
36 そこにすわって、イエスの見張りをした。
37 また、イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである。」と書いた罪状書きを掲げた。
マタイの福音書27章35−37節
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イエス様の頭には、ユダヤ人の王という罪状書きがなされていました。

イエス様は、十字架の上で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれました。
これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味であると訳してあることから、普段イエス様が話されたアラム語と違ったことがわかります。
それは、詩篇のダビデの賛美でした。そこには、十字架から救い主が目にする様子が書かれています。
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46 三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。
マタイの福音書27章46節
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それは、賛美へと続きます。
全世界の救いであり、また、食べるものはひれ伏して礼拝すると書いてあります。
皆さん。世界中でイエス様の御身体であるパンを食べるものは、父なる神様を礼拝します。

イエス様が十字架で叫んで死なれました。
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27:50 そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。
27:51 すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。
マタイの福音書27章50−51節
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その時、イエス様は全人類と神様との間を隔てていた罪を取り除いて下さいました。
それを象徴するように、神様と人間の間を隔てていた神殿の幕が破れました。

さて、その後、夕方から安息日となり、それが終わって日曜日の明け方、マリヤたちがイエス様の墓に行きました。
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1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
マタイの福音書28章1−2節
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天使降りてきて、地震が起こり、墓をふさいでいた石が除けられました。

そして、イエス様が蘇られた事を、御使いは女達に教えたのです。
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5 すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。
6 ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。
マタイの福音書28章5−6節
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その時すでにイエス様はそこにはおられませんでした。
イエス様は蘇られたのです。

ここまで、イエス様の死と復活を見てきました。
聖書にある四つの福音書で、このイエス様の十字架と復活を書いてないものはありません。
なぜなら、このことこそが重要だからです。
これを書いてないものはどんなにイエス様の御業が書いてあっても福音書ではありません。

聖書はキリストに救いがあると言います。
それは、キリストのように修行することではありません。
イエス様が十字架で死に、蘇られたことに意味があるのです。

イエス様が十字架で死んでくださったことにはどんな意味があるでしょう。
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私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
ヨハネの手紙第一4章10節
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そこに、神の愛があらわされています。
私たちを死ぬほど愛して下さったのがイエス様であり、ご自身の御子を殺してまで私たち人間を救おうとされたのが父なる神様です。

この恵みにあずかったものには証がともないます。
その証とは、自分がどれだけ立派に信仰生活をおくっているかということではありません。

それは、自分のために肉を裂き、血を流された方、その死を伝えると言うことです。
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26 ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一11章26節
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それは、あなたの為の購いの代価であり、また、全世界のためのなだめの供え物なのです。
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この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
ヨハネの手紙第一2章2節
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なだめの供え物、それは神様との和解のためのものです。

罪のために神様から離れた人間が神様との関係を取り戻すためのものです。

そのなだめの供え物。それが、イエス様なのです。

ですから、福音書は、綺麗な道徳を教えようとしているのではありません。
それをはるかに越えたキリストの愛を伝え、その愛によって生かされ、その愛によって生きることを教えているのです。

ここで、大切なのは、愛に生かされてということです。

多くの人は愛に生きるというと、わかった、イエス様がこんなに苦しんで下さったのだから、自分もどんな苦しみも乗り越えますなどと思います。
私も一生懸命愛に生きますと思います。
でもそれは間違っています。それでは、イエス様を裏切りませんと言ったペテロと同じです。
私たちは、イエス様を離れてはなにも出来ません。
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わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
ヨハネの福音書15章5節
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イエス様の中に、イエス様の愛の中に留まってこそ、私たちは愛に生きることが出来るのです。

それは自分の力によるのではありません。
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22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
ガラテヤ人への手紙5章22−23節
++++++++++
ただ、聖霊様によってそのことは為されます。それは聖霊様の実だからです。

だから、わたしたちにとって大切なことは、このイエス様にしっかりと目を向け、イエス様に留まることです。そこに聖霊様が働かれます。
そして、この十字架で死んでくださった方の栄光をあらわすものとなるのです。
++++++++++
私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。
コリント人への手紙第二 3章18節
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<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ2014/02/09 十字架につけられるために
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