礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20131208
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私たちは、今すでに神の子どもです。 
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は、神であられたのに人間となられた方。
私たちの為に十字架で救いをなしとげて下さった方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

さて、いつものように災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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では、続いて、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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12月8日(日)[ ]ホセ1-4/[ ]Tヨハ1
12月9日(月)[ ]ホセ5-8/[ ]Tヨハ2
12月10日(火)[ ]ホセ9-11/[ ]Tヨハ3
12月11日(水)[ ]ホセ12-14/[ ]Tヨハ4
12月12日(木)[ ]ヨエ1-2:17/[ ]Tヨハ5
12月13日(金)[ ]ヨエ2:18-3/[ ]UヨハVヨハ
12月14日(土)[ ]アモ1-3/[ ]ユダ
12月15日(日)[ ]アモ4-6/[ ]黙1
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旧約聖書がホセア書、ヨエル書、アモス書。
新約聖書がヨハネの手紙第一から第二、第三、ユダの手紙、黙示録と続きます。

ホセア書は、神様の深い愛が表されている書です。
この御言葉は私の大好きな御言葉の一つです。
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わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。
ホセア6章6節
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次にヨエル書は、この御言葉が書かれています。
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2:29 その日、わたしは、しもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。
ヨエル書2章29節
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そして次はアモス書。
どれもそうですが、神様は、それらの書から悔い改めるようにと語られます。
厳しい言葉もありますが、そこには、どの書にも、主の深い愛が示されています。

新約聖書、ユダの手紙は、教会に入り込もうとする間違った教えに対するものです。
このユダは、ヤコブの兄弟とあります。ヤコブもユダも多い名前だったので、誰なのか特定しにくいのですが、
このヤコブは主の兄弟ヤコブのことで、そうすると、主の兄弟のリストにでてくるユダではないかと考えることが出来ます。

ヨハネの手紙はお話の中で見てまいりましょう。

では、今日は、ヨハネの手紙第一から3章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ヨハネの手紙第一3章1−12節
・新改訳Up428(贈呈p373、英対p707)
・新改訳Vp467、英対p517(贈呈p424)
・口語訳p378
・新共同訳p443(贈呈p443、英対p652)
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朗読を御願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
ヨハネの手紙第一3章1−12節
3:1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
3:2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私た
ちはキリストのありのままの姿を見るからです。
3:3 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。
3:5 キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。
3:6 だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪のうちを歩みません。罪のうちを歩む者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。
3:7 子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行なう者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。
3:8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
3:9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。
3:10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。
3:11 互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。
3:12 カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは悪く、兄弟の行ないは正しかったからです。
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では、主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。
ヨハネの手紙第一 3章9節
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これらのところから、
「私たちは、今すでに神の子どもです。」
 
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

お話の前ですが、先日、近隣の小学校でのクリスマス会があり、サンタの格好でギターを弾いて、子ども達と一緒にクリスマスソングを歌いました。
さすがに、福音を語るわけにはいきませんが、クリスマスが、イエス様の誕生を記念するものだというお話をして、「きよしこのよる」を歌いました。
子ども達も喜んでくれたようでよかったです。お祈りありがとうございました。

今日は、婦人クリスマス会もあります。
先週は、このように電飾と飾りつけも皆さんでして下さいました。
感謝します。クリスマスが、だんだんと近づいて参りました。
準備なども含めて、それぞれの行事に祝福があるように、皆さんお祈りください。

イエス様は、世の光としてこられました。
この光を人々の前に輝かせることが出来るよう祈って参りましょう。

イエス様が来て下さったのは、私たちを、その光の中に入れて下さるため、すなわち、神の子どもとしてくださるためです。

今回の主題聖句はその事が書かれています。

今回はヨハネの手紙です。
ヨハネというと聖書には、イエス様に洗礼を授けたヨハネもいますが、今回のヨハネは、イエス様の弟子の一人であるヨハネです。
このヨハネは、12使徒の一人であり、ゼベダイという人の子どもで、漁師であり、同じく使徒となったヤコブの兄弟でした。
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さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、
マタイの福音書10章2節
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イエス様は、ペテロとヤコブとヨハネを、どこにでも連れていかれました。
そして、ゲッセマネの園でイエス様が祈られる時も、ヨハネはそこにいたのです。
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それから、ペテロとゼベダイの子ふたりとをいっしょに連れて行かれたが、イエスは悲しみもだえ始められた。
マタイの福音書26章37節
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ヨハネは、自分の事を、主に愛された弟子と言っています。
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20 ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た。この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、「主よ。あなたを裏切る者はだれですか。」と言った者である。
21 ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」
22 イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
23 そこで、その弟子は死なないという話が兄弟たちの間に行き渡った。しかし、イエスはペテロに、その弟子が死なないと言われたのでなく、「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それ
があなたに何のかかわりがありますか。」と言われたのである。
24 これらのことについてあかしした者、またこれらのことを書いた者は、その弟子である。そして、私たちは、彼のあかしが真実であることを、知っている。
ヨハネの福音書21章20−24節
++++++++++
これは、ヨハネの福音書ですが、24節では、これを書いたものだと言っています。

ヨハネは主に愛され、主をいつも見ていました。

ですから、ヨハネの手紙第一の冒頭はこう書いてあります。
++++++++++
1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
2 ――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――
ヨハネの手紙第一1章1−2節
++++++++++

これは、ヨハネの福音書のはじめと似ていると思いませんか。
++++++++++
1 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2 この方は、初めに神とともにおられた。
3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
ヨハネの福音書1章1−5節
++++++++++

ヨハネは、見たのです。神が人となられた方。世の光である方。いのちそのものである方。
その方が地上を歩まれるのを見たのです。

地上を歩まれたイエス様。神が人となったイエス様。神の言葉が人となられた方。
++++++++++
1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、
2 ――このいのちが現われ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現わされた永遠のいのちです。――
ヨハネの手紙第一1章1−2節
++++++++++
その見たままを、ヨハネは伝えたのです。

イエス様ご自身が言われた事を、ヨハネは福音書に書いています。
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イエスはまた彼らに語って言われた。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
ヨハネの福音書8章12節
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神は、光です。その光に触れたものとして、ヨハネは言います。
++++++++++
5 神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです。
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
ヨハネの手紙第一1章5−6節
++++++++++
ここで、ヨハネは、光の中にあるものはやみの中にないといいます。
そして、光の中にあるなら、イエス様の血が罪をきよめるのです。

ヨハネは続けます。
++++++++++
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
9 もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。
10 もし、罪を犯してはいないと言うなら、私たちは神を偽り者とするのです。神のみことばは私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一1章8−10節
++++++++++
私たちに罪がないと言うなら、真理は私たちのうちにない。罪を犯していないというなら、神のみことばは私たちのうちにない。

続けて見てみますとこうなります。
++++++++++
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一 1章6−8節
++++++++++
ここで、光の中を歩むことと、罪がないことは、同じ意味ではないとわかります。
また、やみの中を歩むことと、罪があることも同じではありません。

私たちは、罪のあるままで、光の中に出るのです。

昨日、小学校でサンタクロースの格好をしたとき、いつもわりと薄暗くしておくのですが、どういうことか、今回は、非常に明るくなっていました。
すると、付け髭であることや、いろんなことが良く見えます。
子ども達がそれを気にして、やかましくいってくれます。

光の中で、いろいろなことが明らかになります。

この手紙の中で、光とは、神との愛の関係であり、また、その関係は、互いの間の愛の関係として現れます。
そして、その反対側には憎しみや争う思いがあります。

ある人は、罪があるから神様の前に出れない。もう少し自分がましになってから神様の前に出るのだと考えます。
しかし、私たちは、はっきりと光に照らされなければなりません。

そして、そのとき、イエス様の血によってきよめられるのです。
++++++++++
6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一 1章6−8節
++++++++++
ですから、一見矛盾することが書かれているのです。

この手紙は、罪を犯さないようになるために書いたとヨハネはいいます。
++++++++++
1 私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の御前で弁護してくださる方があります。それは、義なるイエス・
キリストです。
2 この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
ヨハネの手紙第一2章1−2節
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イエス様が、その罪からきよめるなだめの供え物となられました。

この罪のきよめとは、イエス様の血によってなされるのです。
犯した罪を洗うということだけではありません。
私たちの罪の性質そのものを主は洗ってくださるのです。

それは、信仰によって受け取るものです。

病気をして薬を飲んだとき、口に入れたときに、これは効いたと感じますか。
おそらく何も感じません。しかし、それは体に働いて、病気を治します。

イエス様を信仰によって受け取ることはそのような事なのです。
ただ、それは、信仰によって働きます。

今回の箇所には、罪と罪のきよめが書かれています。
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3:3 キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。
3:4 罪を犯している者はみな、不法を行なっているのです。罪とは律法に逆らうことなのです。
3:5 キリストが現われたのは罪を取り除くためであったことを、あなたがたは知っています。キリストには何の罪もありません。
3:6 だれでもキリストのうちにとどまる者は、罪のうちを歩みません。罪のうちを歩む者はだれも、キリストを見てもいないし、知ってもいないのです。
ヨハネの手紙第一3章3−6節
++++++++++
キリストには罪がありません。

また、罪は悪魔の働きによるものです。
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3:7 子どもたちよ。だれにも惑わされてはいけません。義を行なう者は、キリストが正しくあられるのと同じように正しいのです。
3:8 罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。神の子が現われたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。
3:9 だれでも神から生まれた者は、罪のうちを歩みません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。その人は神から生まれたので、罪のうちを歩むことができないのです。
3:10 そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。義を行なわない者はだれも、神から出た者ではありません。兄弟を愛さない者もそうです。
ヨハネの手紙第一3章7−10節
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カインについてこう書いてあります。
++++++++++
11 互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。
12 カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは悪く、兄弟の行ないは正しかったからです。
ヨハネの手紙第一3章11−12節
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しかし、カインは、アダムとエバの子どもです。

では、悪魔からでたとはどういう意味でしょう。

それは、悪魔と関係を持ってしまったということです。
彼は、悪魔と結びついたのです。

カインは、神との関係を失い、不満を抱いて、兄弟を殺しました。

ですから、私たちは、神様に目を向け、イエス様に結びつかなければなりません。
キリストには罪がありません。

ですから、罪を犯しながら自分が光の中にいるとはいえない。つまり、自分と神様との関係を見直さなければならないのです。

それは、神の子されているかどうかということではなく、その時その時の神様との関係を言っているのです。
だから、私たちは、イエス様から目を離してはなりません。
++++++++++
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
ヘブル人への手紙12章2節
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これは、私たちの教会のテーマです。

しかし、わたしたちは、どれほど、イエス様から目を離しているでしょうか。
いや、一日のうち、いや、一週間の内、どれくらいイエス様に目を向けているでしょうか。

そんなイエス様に目を向けてばかりいたら何も出来ないとおっしゃる方もおられます。
しかし、真剣にイエス様に目を向けたとき、何が起こるか体験して見てください。
私たちは、祝福を信仰で受け取るように、罪のきよめを信仰で受け取るのです。

イエス様は、あなたの人生を通して素晴らしいことをしてくださいます。
なぜなら、今、すでに私たちは神の子どもとされているのです。
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1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たち
はキリストのありのままの姿を見るからです。
ヨハネの手紙第一 3章1−2節
++++++++++

そして、神の子どもとされたものとして、神様との交わりの中に生きることが、光の中に生きることです。
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6 もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。
7 しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。
8 もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。
ヨハネの手紙第一 1章6−8節
++++++++++
聖書は言います。あなたは、光の中、つまり、神様との関係の中に生きなければならない。
すると、ある人は、「自分は神様とつながっている」といいます。
ところが、「神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行なってはいません。」と、また、聖書は言います。
また、ある人は言います。「自分には罪がないから大丈夫だ。」
すると、聖書は言います。「罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。」
そして、光の中にあるなら、神との愛の交わり、そして、人との愛の交わりを保ち続けるのです。

ヨハネにとっては罪と愛は密接に関わっています。
++++++++++
11 互いに愛し合うべきであるということは、あなたがたが初めから聞いている教えです。
12 カインのようであってはいけません。彼は悪い者から出た者で、兄弟を殺しました。なぜ兄弟を殺したのでしょう。自分の行ないは悪く、兄弟の行ないは正しかったからです。
ヨハネの手紙第一3章11−12節
++++++++++
カインは、神との関係を失い、不満を抱いて、兄弟を殺しました。

しかし、いま、私たちは、キリストの血によって、神の子どもとされているのです。
その尊い、御子を、私たちに与えられたそれを記念するのがクリスマスです。
そこに神様の愛が表されています。
++++++++++
1 私たちが神の子どもと呼ばれるために、――事実、いま私たちは神の子どもです。――御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださったことでしょう。世が私たちを知らないのは、御父を知らないからです。
2 愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現われたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たち
はキリストのありのままの姿を見るからです。
ヨハネの手紙第一 3章1−2節
++++++++++
この神様に結びついて、歩ませていただきましょう。
お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20131208 私たちは、今すでに神の子どもです。 
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