礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130929 
−−−−−−−−−−
私はキリストとともに十字架につけられました。
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
++++++++++

<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主イエス様は、私達の為に十字架に死んで下さった方です。
いま、私達は、このイエス様を信じる信仰によって義とされています。

まず、災害にあった地域の為に祈りましょう。
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<災害にあった地域の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
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次に、聖書の通読箇所を見て見ましょう。
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9月29日(日)[ ]イザ9-10/[ ]Uコリ13
9月30日(月)[ ]イザ11-14/[ ]ガラ1
10月1日(火)[ ]イザ15-18/[ ]ガラ2
10月2日(水)[ ]イザ19-21/[ ]ガラ3
10月3日(木)[ ]イザ22-24/[ ]ガラ4
10月4日(金)[ ]イザ25-27/[ ]ガラ5
10月5日(土)[ ]イザ28-29/[ ]ガラ6
10月6日(日)[ ]イザ30-31/[ ]エペ1
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旧約聖書がイザヤ書、
新約聖書がコリント人への手紙第二、ガラテヤ人への手紙、エペソ人への手紙となっています。
イザヤ書は、旧約聖書で最も大きな預言書です。
イザヤ書は、66章あります。
聖書は、いくつの巻があるか皆さんご存知だと思いますが、旧約聖書は39、新約聖書が27で合わせて66巻あります。
3×9で27と覚えると覚えやすいのですが、そのあわせた66の章をもつイザヤ書は、旧約聖書と新約聖書をつなぐように、キリストについての預言が多く書かれています。
是非それらのところをお読み下さい。
また、新約聖書は、ガラテヤ人への手紙。これは、信仰による義についてもっともはっきりと書かれた書です。
是非これらのところをお読み下さい。

では、今日は、このガラテヤ人への手紙2章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】ガラテヤ人への手紙2章11-21節
・新改訳Up334(贈呈p291、英対p557)
・新改訳Vp365、英対p406(贈呈p333)
・口語訳p294
・新共同訳p344(贈呈p344、英対p518)
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では、朗読をお願いします。
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【 聖書箇所のテキスト 】
ガラテヤ人への手紙2章11-21節
2:11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
2:12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
2:13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
2:14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活
していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
2:15 私たちは、生まれながらのユダヤ人であって、異邦人のような罪人ではありません。
2:16 しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないに
よってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
2:17 しかし、もし私たちが、キリストにあって義と認められることを求めながら、私たち自身も罪人であることがわかるのなら、キリストは罪の助成者なのでしょうか。そんなことは絶対にありえないことです。
2:18 けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。
2:19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
2:20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになっ
た神の御子を信じる信仰によっているのです。
2:21 私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
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主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
ガラテヤ人への手紙 2章20節
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では、これらのところから、
「私はキリストとともに十字架につけられました。」
と、題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

このガラテヤ人への手紙に来るたびに思い出すのですが、27年程前、私がまだ教会に通い始めた頃、聖書のどこを読んだらいいかを濱本先生に聞きました。
すると、濱本先生はガラテヤ人への手紙を何度も読みなさいと言われました。
ガラテヤ人への手紙は、16章あるローマ人への手紙や、コリント人への手紙第一、13章あるコリント人への手紙第二と比べると、6章しかなく、非常に短くて読みやすいところです。
ですから私も皆さんに。聖書の本質が何かをわかりたいなら、是非何度もガラテヤ人への手紙をお読み下さいとおすすめします。
しかし、それ以上に、私が皆さんにお勧めするのは、何度も何度も聖書全体を通読することです。
わたしたちは、聖書を読むとき、聖書を通してイエス様の命に触れるのです。

さて、このガラテヤ人への手紙が何のために書かれたのか。
それは、この箇所を見るとわかります。
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6 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
8 しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
ガラテヤ人への手紙1章6−8節
++++++++++
ガラテヤの人々は、パウロから最初に受けた福音を忘れて、間違った教えへとずれて行こうとしていたのです。

ガラテヤは、小アジヤ。いまのトルコの中央北部にありました。
トルコは、イスラエルの北部にあり、黒海の南になります。

ここは、ユダヤから近く、アジヤでは、パウロが死を覚悟したと、言っているほどですから、ユダヤ人たちによる迫害が激しく、また、福音を間違って捉えている律法主義的な信者も多かったと考えられます。

皆さん。はじめに確認します。福音の本質はなんでしょう。

ガラテヤ人への手紙から見てみましょう。
++++++++++
キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。
ガラテヤ人への手紙1章4節
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イエス・キリスト様が、父なる神様の御心により、私達の罪の為に死んでくださった。これが、福音です。
そこには、自分達の行うべき事は何もありません。イエス様のしてくださった事を信じる信仰だけなのです。

それで、パウロはいうのです。
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しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによって
ではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節
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皆さん。キリストを信じる信仰によってのみ、人は義と認められるのです。

ところが、当時、ユダヤ人でイエス様を信じた者達の中にも、割礼を受けなければ救われないとか、律法を守らなければ救われないという議論が生じたのです。
このようなことは、使徒の働きにも書かれています。
++++++++++
1 さて、ある人々がユダヤから下って来て、兄弟たちに、「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない。」と教えていた。
2 そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになっ
た。
使徒の働き15章1-2節
++++++++++
パウロたちのいるアンテオケにユダヤから来た者達の中には、異邦人、すなわち、私たちのようにユダヤ人でないものにも割礼を含むユダヤ教の律法を守らせようとするものがあったのです。
その事を話し合うために、パウロたちはエルサレムに行きました。

信者でしたが、パリサイ派で律法を熱心に守っていた人たちは、異邦人にもモーセの律法を守らせるべきだといいました。
++++++++++
しかし、パリサイ派の者で信者になった人々が立ち上がり、「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである。」と言った。
使徒の働き15章5節
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ところが、議論の末、ペテロがいいました。
++++++++++
7 激しい論争があって後、ペテロが立ち上がって言った。「兄弟たち。ご存じのとおり、神は初めのころ、あなたがたの間で事をお決めになり、異邦人が私の口から福音のことばを聞いて信じるようにされたのです。
8 そして、人の心の中を知っておられる神は、私たちに与えられたと同じように異邦人にも聖霊を与えて、彼らのためにあかしをし、
9 私たちと彼らとに何の差別もつけず、彼らの心を信仰によってきよめてくださったのです。
10 それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。
11 私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。」
使徒の働き15章7-11節
++++++++++
最初に異邦人に福音を伝えたのはペテロでした。そのとき、聞いている人たちに聖霊様が注がれました。
そのことにより、神は異邦人をも愛し、信仰によって恵みの中に入れ、きよめて下さることが示されました。

このことを見たペテロは、ユダヤ人たちに向かっていいます。
ここで、ペテロが言っているのは、「自分達も、律法を守れなかったじゃないか。そんな私たちをイエス様の恵みによって救って下さった。なのになぜいまさら自分達も守れなかった律法を異邦人に押し付けるの
か。」という意味のことです。

ペテロは、聖霊様のされた事を証言し、語りました。
聖霊様によって議会は導かれました。
++++++++++
28 聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。
29 すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上。」
使徒の働き15章28-29節
++++++++++
偶像、不品行、血、絞め殺したもの以外の重荷を負わせないと決めたのです。

このように、はっきりと語られているにも関わらず、間違った教えを持ち込むものたちがいました。

それは、なぜか。それは、外見を良くしたかったからです。
++++++++++
12 あなたがたに割礼を強制する人たちは、肉において外見を良くしたい人たちです。彼らはただ、キリストの十字架のために迫害を受けたくないだけなのです。
13 なぜなら、割礼を受けた人たちは、自分自身が律法を守っていません。それなのに彼らがあなたがたに割礼を受けさせようとするのは、あなたがたの肉を誇りたいためなのです。
14 しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたので
す。
ガラテヤ人への手紙6章12-14節
++++++++++
人はいつも、外見が気になります。教会でも、挨拶運動のような事をしてみたくなる。
それがいけないとはいいませんが、外見を整える事が証ではありません。
私たちが神様の命にしっかりと結びつくとき、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実といった御霊の実が成長します。
神様はそれを求めておられます。プラスチックのみかんはどんなに見栄えが良くても食べれません。
見せ掛けでない本物になる為には、神様の命に触れて、恵みの中に成長しなければなりません。
それは、律法ではないのです。

しかし、人はつい、見かけを第一にしてしまいます。人の目が気になります。

そのような弱さは、ペテロにさえありました。
議会において、はっきりと福音による救いを語ったペテロですがそれでも間違いをおかしました。
++++++++++
11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活して
いたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
ガラテヤ人への手紙2章11-14節
++++++++++
ここで、ケパと書かれているのはペテロのことです。
++++++++++
彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留めて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶことにします。」
ヨハネの福音書1章42節
++++++++++
このケパ、すなわちペテロは、ユダヤ人がヤコブの所からくるまでは、異邦人と一緒に食事をしていました。
しかし、ヤコブの所、エルサレムから、ユダヤ人たちが来ると、そのユダヤ人たちの目を気にして、異邦人から離れたのです。
また、自分の周りの異邦人にも、ユダヤ人の慣習にならわせようとしたのです。
++++++++++
11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活して
いたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
ガラテヤ人への手紙2章11-14節
++++++++++
ユダヤ人は本来、異邦人と食事をしません。しかし、主はペテロに教えて下さいました。
++++++++++
28 彼らにこう言った。「ご承知のとおり、ユダヤ人が外国人の仲間にはいったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。ところが、神は私に、どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言っては
ならないことを示してくださいました。
29 それで、お迎えを受けたとき、ためらわずに来たのです。そこで、お尋ねしますが、あなたがたは、いったいどういうわけで私をお招きになったのですか。」
使徒の働き10章28−29節
++++++++++
それは、聖霊に導かれてペテロが異邦人のコルネリオの所に福音を伝えに行った時のことです。
主は、異邦人をきよくないと言ってはならないといわれました。

ところで、教会はどうでしょう。少し自分と異質な方がおられると、受け入れがたかったりするのではないでしょうか。
イエス様は、神と人の違いを乗り越えてきてくださいました。
また、罪びとと呼ばれている人たちの中に入られたのです。
ペテロは、福音の本質も、人を分け隔ててはならない事も良くしっていました。

それにも関わらず、ペテロは、この時、だんだんと異邦人から離れてしまったのです。
そのため、パウロの同労者であったバルナバまで、その行動に引きこまれてしまいました。
++++++++++
11 ところが、ケパがアンテオケに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。
12 なぜなら、彼は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。
13 そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました。
14 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活して
いたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。
ガラテヤ人への手紙2章11-14節
++++++++++
皆さん。人は弱いものです。人の目を気にしやすいものです。また、元の生活に戻りやすいものです。

ガラテヤの人々もそうでした。
++++++++++
1 ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。
2 ただこれだけをあなたがたから聞いておきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行なったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
3 あなたがたはどこまで道理がわからないのですか。御霊で始まったあなたがたが、いま肉によって完成されるというのですか。
ガラテヤ人への手紙3章1−3節
++++++++++
日本人にとってどうでしょう。日本人はどうやったら天国にいけると考えるでしょう。

死んだら、善い行いをした人は天国で悪い行いをした人は地獄に行くと簡単に考えている人もいます。
仏教では、善い行いをしたものは極楽浄土に、悪い行いをしたものは地獄にと考えられています。
ところが、これは、ブッダの示した、本来の仏教ではありません。

その辺りを説明すると長くなりますのでやめて置きますが、死んだ後どうなるかという事は、一般の人達の間では随分と混乱しています。

聖書の示す所を示している御言葉を見てみましょう。
++++++++++
11 また私は、大きな白い御座と、そこに着座しておられる方を見た。地も天もその御前から逃げ去って、あとかたもなくなった。
12 また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これら
の書物に書きしるされているところに従って、自分の行ないに応じてさばかれた。
13 海はその中にいる死者を出し、死もハデスも、その中にいる死者を出した。そして人々はおのおの自分の行ないに応じてさばかれた。
14 それから、死とハデスとは、火の池に投げ込まれた。これが第二の死である。
15 いのちの書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。
黙示録20章11−15節
++++++++++
これが、世の終わりの裁きです。

全ての者が、裁かれるのです。
そして、その裁きは、命の書に名が記されているかどうかによります。

イエス様は弟子たちに言われました。
++++++++++
だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」
ルカの福音書10章20節
++++++++++
この天に名が記されるために必要なことはなんですか。

それがこれです。
++++++++++
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによって
ではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節
++++++++++
イエス様は、あなたのために十字架で死んで下さいました。

あなたが自分の罪を認め、あなたの罪の身代わりに死んで下さった救い主としてイエス様を信じるなら、あなたは救われて神の子とされて命の書に名が記されるのです。

皆さん。ですから、福音とはなにか。
パウロは、言います。
++++++++++
1 兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。
2 また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。
3 私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
4 また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、
5 また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。
コリント人への手紙第一15章1節
++++++++++
これが、福音です。そこには人のすることはありません。
ただ、イエス様のなさったことが福音なのです。

私達はこれを信じるだけです。
ですから、続きにこう書いてありますが、
++++++++++
17 しかし、もし私たちが、キリストにあって義と認められることを求めながら、私たち自身も罪人であることがわかるのなら、キリストは罪の助成者なのでしょうか。そんなことは絶対にありえないことです。
18 けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。
ガラテヤ人への手紙2章17-18節
++++++++++
むしろ、罪を認め、主の前にへりくだることにこそ、救いがあるのです。

昔の話をもう一つします。
++++++++++
19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
20 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった
神の御子を信じる信仰によっているのです。
ガラテヤ人への手紙2章19-20節
++++++++++
20代の頃、この箇所について、パウロのようにこんな風に言える様な人になれたらいいなと青年の中で話をしました。
しかし、今、思います。
これは、そうなるかどうかではありません。
ここに書いてある。私がキリストとともに十字架につけられた事、キリストが私のうちに生きておられる事は、何か修行をしたらそうなるのではありません。
信じたときから、そのようになっている事実なのです。皆さん。これは、事実です。

聖書を読み祈り、霊が成長し、信仰が成長するとき、その事実がはっきりと、ガラスの曇りがとれるようにしてわかるだけなのです。
わかってもわからなくても、それは事実です。

ですから、私たちは、恵みの中にあることを忘れてはなりません。
そして、それは、律法によるのではありません。
恵みとして私たちの救いをなして下さるために、イエス様は十字架で死んでくださったのです。
++++++++++
私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」
ガラテヤ人への手紙2章21節
++++++++++
皆さん。この恵みの中に行きましょう。
++++++++++
しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによって
ではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
ガラテヤ人への手紙2章16節
++++++++++
信仰によって恵みの中にとどまりましょう。お祈りしましょう。

<祈り>

[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130929 私はキリストとともに十字架につけられました。
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