礼拝でのお話
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シティーチャーチ
メッセージ20130908 
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一番すぐれているのは愛です
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28 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
29 わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。
30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」 
マタイの福音書11章28−30節
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<いのり>

皆さんハレルヤ。
聖なる聖なる聖なる主を称えます。
主は愛に満ちた方、その愛で私達を愛して下さった方、信じるものを通して愛を表わされる方です。
この方を覚えて御言葉を開いて参りましょう。

まず、いつものように東日本の為に祈りましょう。
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<東日本大震災の為の祈りの課題>
1、原子炉が速やかに安全な状態になるように。作業者の身体と命が守られるように。放射能から守られるように。
2、余震がおさまるように。 3、被災者に慰めと励ましがあるように。心と霊のケアの為に。
4、被災者への救援活動が効率よく進められますように。ボランティアや作業者に助けと守りがあるように。
5、この国が霊的に目覚めて罪を悔い改めて神様に従う民となるように。
(・石巻市立湊小学校・女川町立女川第二小学校・石巻市立渡波小学校・南三陸町立志津川小学校)
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では、聖書の通読箇所を見てみましょう。
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9月8日(日)[ ]詩139-141/[ ]Tコリ12:1-11
9月9日(月)[ ]詩142-145/[ ]Tコリ12:12-31
9月10日(火)[ ]詩146-150/[ ]Tコリ13
9月11日(水)[ ]箴言1-3/[ ]Tコリ14:1-19
9月12日(木)[ ]箴言4-6/[ ]Tコリ14:20-40
9月13日(金)[ ]箴言7-9/[ ]Tコリ15:1-19
9月14日(土)[ ]箴言10-12/[ ]Tコリ15:20-34
9月15日(日)[ ]箴言13-15/[ ]Tコリ15:35-58
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旧約聖書が詩篇、箴言。
新約聖書がコリント人への手紙第一です。
詩篇に続き、箴言も読みやすいところだと思います。
私達の人生を歩む上での訓戒が書かれています。
31ありますので、一日に一篇ずつ読むことも出来ます。
是非お読み下さい。

新約聖書コリント人への手紙第一はお話の中で見てまいりましょう。
コリント人への手紙第一13章を開きましょう。
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【 聖書箇所 】コリント人への手紙第一13章1-13節
・新改訳Up307(贈呈p270、英対p515)
・新改訳Vp336、英対p375(贈呈p308)
・口語訳p271
・新共同訳p317 (贈呈p317、英対p479)
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朗読をお願いします。

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【 聖書箇所のテキスト 】
コリント人への手紙第一13章1-13節
13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。
13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全
に知ることになります。
13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
++++++++++

主題聖句を言いましょう。
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【 主題聖句 】
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙第一13章13節
++++++++++

では、これらの所から、
「一番すぐれているのは愛です」
と題しまして、御言葉を開いて参りましょう。

今回の箇所、コリント人への手紙第一13章は愛の章だと言われます。
非常に美しい言葉が書かれています。
でも、美しい言葉だなあと見ているだけでなく、聖書の言葉は、自分に向けて神様が語られていると受け取らなければなりません。
例えば、ここに自分の名前を入れてみたらどうでしょう。
「足立理明は寛容であり」と口にしただけで、寛容でない自分を教えられます。
ですから、非常に心刺されるところでもあります。
これを人に向けて、あの人は寛容ではないとか、そんな事で裁きあうなら大変なことになってしまいます。
ですから、もう一度いいますが、聖書の言葉は自分に向けて神様が語られていることを受け取らなければなりません。

さて、今回の主題聖句、信仰、希望、愛。
私達が、イエス様という土台の上に、家をたてるなら、何をもって建てるのかというお話をしました。
そこに、金、銀、宝石、木、草、藁、どんなもので家をたてるのか。神様から見て尊い金や銀や宝石とはなんなのか。
イエス様という土台の上に建てるべきものは何なのか。裁きの火の中でも焼きつくされずに残るものは何なのか。
その答えが、今回の主題聖句のこの御言葉です。

私達は、イエス様という土台の上に、信仰、希望、愛で家を建てるのです。

それが教会であり、それが神の宮であるお一人お一人です。

しかし、その中で最も優れているのは何なのか、それは愛だと聖書はいいます。

どうでもいい話ですが、この箇所は、13章13節です。
キリスト教文化の中では、13は不吉な数字と言われることがあります。
イエス様の十字架が13日の金曜日だったからというのがその理由です。
13日の金曜日などというと、ホラー映画のタイトルしか浮かばないほど、日本では悪いイメージがあります。
結論からいいますと、その日が本当にそうだったとして、それは、私達の為の救いをイエス様が成し遂げて下さった喜びの日で、不吉な日ではありません。
むしろ、カトリックなどでも、その日は非常に聖なる日として大切にされるのです。

そして、今回の箇所、この愛の章が、13章13節である。
これを、覚えて置くために、キリストの十字架こそ、その一番優れた愛の現れだと覚えておきましょう。
というと、13章13節は覚えておいて、さて、どこだったかな。コリント人への手紙だったかな、ガラテヤ人への手紙だったかなと、そこは何とか覚えておいて下さい。
コリント人への手紙第一13章13節です。
イエス様は、ご自身の愛の故に十字架に架かって死んで下さったのです。
お話を戻します。

そもそも、コリント人への手紙とはどんな手紙でしょう。
書いたのは使徒パウロです。コリントは、ギリシャにある町です。
交通の要所であり、アテネからも100キロほどしか離れていないこの町は非常に栄えましたが、同時に退廃していたようです。
しかし、その町にパウロが宣教をし、教会が生まれました。
ところが、その教会に問題が起こったことをパウロは聞いたのです。

そこで、パウロは、その教会が健全さを取り戻す為にこの手紙を書いたのです。
その最初の手紙がコリント人への手紙第一です。
コリント人への手紙は、第一と第二があります。
この第二は、第一の手紙で悔い改めと同時に悲しみに沈む彼らに励ましを与えるための手紙でした。

彼らの中にあった罪は、争い、不品行、高慢といったものでした。
パウロは、この手紙の中で、そのような罪の誤りを指摘し悔い改めを迫ります。

この中で不品行や争いは大きな問題です。しかし、それ以上に高慢は深刻な罪なのです。
なぜなら、高慢は、自己を正当化し、悔い改めから遠ざけるからです。
結果、神様からも遠ざかってしまいます。

では、その彼らの中にあった高慢、それは、なんでしょう。

コリント人への手紙第一の2章でパウロがどのようにコリントに宣教をしたかが書いてあります。
++++++++++
1 さて兄弟たち。私があなたがたのところへ行ったとき、私は、すぐれたことば、すぐれた知恵を用いて、神のあかしを宣べ伝えることはしませんでした。
2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、すなわち十字架につけられた方のほかは、何も知らないことに決心したからです。
3 あなたがたといっしょにいたときの私は、弱く、恐れおののいていました。
4 そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。
5 それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。
コリント人への手紙第一2章1-5節
++++++++++
パウロの福音宣教は、御霊と御力の現れだったのです。
これは、非常に大切な事です。

マルコの福音書にはこう書いてあります。
++++++++++
15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、
18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
マルコの福音書16章15節
++++++++++
イエス様は、信じるものにはしるしが伴うと言われました。
これは、修行によるのではありません。こうなれるよう頑張れとも書いてありません。
信じるものにその印は伴うのです。
信じるものに伴うしるし。私達は、これを信じ期待しなければなりません。

福音宣教には、神様のしるしが伴うのです。このことを信じましょう。

コリントの教会への宣教はまさにそのように進められました。
その結果建て上げられたコリントの教会について、この手紙の冒頭でパウロはいいます。
++++++++++
4 私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
5 というのは、あなたがたは、ことばといい、知識といい、すべてにおいて、キリストにあって豊かな者とされたからです。
6 それは、キリストについてのあかしが、あなたがたの中で確かになったからで、
7 その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。
コリント人への手紙第一1章4-7節
++++++++++
コリントの教会はキリストにあって豊かで、賜物の欠けるところのない教会です。

コリントの教会は、聖霊様の御力の溢れる素晴らしい教会だったのです。
ところが、そのような神様の力が溢れる中で、その力によって高慢になってしまったのです。

イエス様は弟子たちに言われました。
++++++++++
17 さて、七十人が喜んで帰って来て、こう言った。「主よ。あなたの御名を使うと、悪霊どもでさえ、私たちに服従します。」
18 イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。
19 確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。
20 だがしかし、悪霊どもがあなたがたに服従するからといって、喜んではなりません。ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」
ルカの福音書10章17-20節
++++++++++
悪霊が服従するからではなく、自分の名が天にしるされていることを喜びなさい。
なぜ、悪霊は服従するのですか。それは、イエス様の名前によるからです。また、イエス様を信じて神の子とされているからです。
悪霊を追い出すことができるのは、イエス様の御名の権威によります。
自分が強くなったり立派になったからではありません。
そのことをつい私達は勘違いしてしまいます。
そして、自分がやったと自分を誇ってしまうのです。
これは何も霊的な事柄だけではありません。

誰かに何かを与える事が出来るのは、あなたに与えて下さった神様の恵みによります。
だから、受けるより与えるほうが幸いだとイエス様は言われます。

わたしたちの持っている物は良い事の為に神様から預かっているとも言えるのです。
それは、物だけではありません。知恵も、力も、知識も皆そうです。私達は高慢になることは出来ません。

今、私達は、主の力ある働きを期待して祈っています。
その時がやがて来ます。すぐに来ます。
その時が来たら、素晴らしいことがたくさん起こるでしょう。多くの人が教会に来るでしょう。
その時、決して、「うちの教会こそ素晴らしい。」などということが無いようにしなければなりません。
そのことを今、こうして主が、その時に備えて教えてくださっておられることを感謝します。

ところが、コリントの教会にはそのような間違いが起こったのです。そこで、パウロはそのような間違いに対してこの手紙を書きました。

その中で、聖餐式についてや、御霊の賜物の取り扱いについても書かれています。

パウロは、賜物を求めなさいと教えます。それは大事なことです。
++++++++++
31 あなたがたは、よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。また私は、さらにまさる道を示してあげましょう。
1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
コリント人への手紙第一12章31節-13章1節
++++++++++
賜物を求めてもいいですよとは書いてありません。
賜物を求めなさいと書いてあるのです。
癒やしの賜物を下さい。悪霊追い出しの賜物を下さい。祈りましょう。
何のためですか。道具をコレクションして楽しむ方もおられますが、道具は使う為に手に入れます。
神様の賜物を使うと、神様の力が現れます。そして、人々が神様の栄光を見るのです。

しかし、そのような様々な教えの中で、さらに優れた道として、パウロは言います。
それは愛です。

どんなに力があっても不思議な事が起こっても愛がないならだめだとパウロはいうのです。
それが、今回の箇所です。
++++++++++
1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
コリント人への手紙第一13章1-3節
++++++++++
愛がないなら、何の値打ちもない。
そのようにパウロはいうのです。

ヘブル人への手紙にはこう書いてあります。
++++++++++
1 ですから、私たちは、キリストについての初歩の教えをあとにして、成熟を目ざして進もうではありませんか。死んだ行ないからの回心、神に対する信仰、
2 きよめの洗いについての教え、手を置く儀式、死者の復活、とこしえのさばきなど基礎的なことを再びやり直したりしないようにしましょう。
3 神がお許しになるならば、私たちはそうすべきです。
ヘブル人への手紙6章1-3節
++++++++++
ここで、初歩の教えをあとにして、成熟を目指してとあります。

その成熟とは何でしょう。それを教えてくれるのが聖霊の実です。
++++++++++
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
23 柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
ガラテヤ人への手紙5章22-23節
++++++++++

そして、その根底には、愛があります。
++++++++++
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。
ヨハネの福音書15章12節
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互いに愛し合うこと。これが戒めです。

さて、この箇所に戻ります。この愛がどのようなものか、それが具体的に書かれています。
++++++++++
4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
6 不正を喜ばずに真理を喜びます。
7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
コリント人への手紙第一13章4-8節
++++++++++
皆さん。それぞれ、今、少し時間を取って、この愛の所に自分の名前を入れて見て下さい。
声に出さなくてもいいですから、。

子どもはわがままです。なかなか忍耐できません。
だから、子どもへのお話は10分程度にしてほしいと言われます。
しかし、大人は忍耐します。
++++++++++
9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。
10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。
11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知
ることになります。
コリント人への手紙第一13章9-12節
++++++++++
しかし、いま、わたしたちは大人です。

愛の無いものには神はわかりません。
神を信じていますが、神はわかりません。
愛が成熟すれば、大人になれば、それははっきりとわかるようになります。

ですから、私達は神を知るために、愛が成長しなければなりません。
成熟しなければなりません。
++++++++++
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。
コリント人への手紙第一13章13節
++++++++++
私達は信仰によって見たことの無い神様との関係を持ちます。
しかし、愛によって神様を知るのです。

お祈りしましょう。


<祈り>



[[祈りの課題]]・御言葉への応答 ・イスラエル・エルサレムの為。
・母教会グレイスチャペル、近隣の教会の為。教会の問題で傷ついた人々の為。・濱本先生の癒しの為。
・東邦ビル、牧野、枚方、京阪沿線、淀川と流域の町々、関西、日本、世界の為。
(テロからの守りとテロリスト達の悔い改めの為に)
・日本の政治、大阪府の府政、枚方市の市政が正しく行われるように。リーダー達が主に謙る様に。
・台風、ハリケーン、地震、津波等の自然災害、事故、テロの被害者の為。対策と復興の為に。新型のインフルエンザ等からの守りがあるように。備えが出来る様に。
・主がこの日本の子ども達と子ども達にかかわる人々を守って下さる様に。
・シティーチャーチの為、問題を抱えた人々の為、この群れの子どもたちの為。
・JMC、KFSM、NRAの為に。 ・EMPOWERD21の為に。

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シティーチャーチメッセージ20130908 一番すぐれているのは愛です
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